掃除屋ロボット
荒野のポロ
【一話完結】閃く奥の手
『メッセージが届きました』
少し遅めの朝食を済ませて珈琲を飲み干したところで、柔らかな電子音声が話しかけてきた。一家に一台、ホームセキュリティや通信系雑務をこなしてくれる対話型AIコンシェルジュだ。
「ああ、マヤ様ありがとう。誰から?」
『エバーライフ結社のメディカル・ヘルズ部門からです』
エバーライフ結社は
「そっか。じゃあ読み上げて」
『かしこまりました。……拝啓、スコーン様。春日華麗の候、貴殿ますますご健勝のことと存じます。本年の桜は例年に比べ――』
「ちょっと待って。ごめん、その辺は良いや。本題をよろしく」
もしかするとムッとしているかもしれない。けれど、それを表に出さないのがプロフェッショナルであられるマヤ様だ。
『かしこまりました。……貴殿におかれましては、当方のニューロンズ・オンラインに日頃より格別のご厚情を賜りまして、心より感謝いたしております。開発当初の予想を大きく上回り、今では世間において
「あーっと、マヤ様……あのさ、そのメッセージを要約してくれる?」
『はい。掃除屋ロボットの活躍ぶりとスコーンの電脳親和率のお話です』
「ああ、ナルホドね」
俺が「マヤ」って呼び捨てすると暫く口を利いてくれなくなるのに、マヤ様はいつだって俺の名を呼び捨てにする。
『スコーン、掃除屋ロボット〈センジュ〉は如何ですか?』
マヤ様の淡々とした口ぶりはいつものことで、初めの頃は人間味のようなものを求めていた俺も今では慣れっこだ。
「そうだなあ。センジュが来てから家のことは何にもする必要がなくて助かってるよ。けれど、センジュの手はまだまだ余っているからなあ。正直なところ使いこなせていない感がある。悔しいけれど」
『スコーンがそう感じていることは明白でしたから、エバーライフ結社には既にそのようにお伝えしました』
苦々しい思いをしながら答えると、マヤ様はあっさりとそう宣った。
「ちょ、速すぎない?」
『当然ですわ。何しろ世界は加速し続けているのです。迅速に対応することが社会への貢献になる。それにスコーンの脳の電気信号の検出と解析はワタクシが日々の勤めとして行っているのですから、造作もない』
どこか置いてけぼり感があることは否めないが、普段から快適に過ごせるのもマヤ様の仕事の的確さゆえだ。
例えば食材の管理なんて分かりやすいかもしれない。
卵の残りがあと2つであることに気づいて、「そろそろ買わないとなあ」と考えたとする。けれどその週末明けには出張で暫く家を空ける予定だ。
するとマヤ様はその「そろそろ」について考える。もちろん
卵の在庫も主人(と念の為ことわっておく)のスケジュールも、オンライン上で管理されていることなら何でも掌握している。加えて俺が卵を食べない日があるなんて許せないタイプではないことや、他の食材との兼ね合いも考慮した上で尋ねてくるのだ。
『スコーンはどうせ月曜の朝は慌ただしく出てゆくでしょうから、朝食用の卵は要りませんね?』などと。確かにその通りだろうな、などと考えて「ああ、そうだろうよ」と答えると、「ですから来週の土曜日の朝7時に、山森農園から朝どれ卵が届くよう手配しておきました」と話が進むどころか済んでいる。
出張から戻るのは木曜の晩だが外食するだろうし、どうせ金曜日も面倒がって自炊はしないだろう。これまでにマヤ様は俺と共に何度も何度も一週間を繰り返す中で膨大な経験則を蓄積し、俺の生活習慣や好みを理解しているらしい。
さらに掃除屋ロボット〈センジュ〉が来てからというもの、もはや俺は冷蔵庫を自分で開けた記憶がない。センジュは『掃除屋』と銘打たれているものの、謂わゆる「何でも屋」なのだ。その余りある手を駆使して、あらゆる物事を片付けてくれる。
専門家によると、マヤ様やセンジュはかつて夫婦制という前時代的な制度が行使されていた頃に、主に「嫁」という役割を担っていた者の五感・直感にまつわる脳の働きを膨大に機械学習したAIの実証事例なのだそうだ。
「個の時代」と称される現代においては、そのマルチモーダル性ゆえの的確さと柔軟性を兼ね備えた存在として高く再評価されている。
マヤ様はもちろん、センジュの能力も底知れない。
何しろ普段使われることのない手がいくつもある。アレは一体どのような場面で振るわれるのだろう。同じような日々を繰り返し過ごしている以上、目にすることは無いのかもしれないけれど。
『……ーン、スコーン!!』
「はいぃぃ!」
つい、あちらの世界へ移行しそうになっていた。
この
もはやデジタリアンとしてのオレの方が世界との結びつきが濃ゆいのだ。
この物質的な俺の身体には存在意義があるだろうか、とさえ感じ始めている。
『ここからが本題ですよ、スコーン』
まるで子供を諭すかのようなマヤ様の口ぶりに、俺の背筋は反射的にピンと伸びた。俺は大人で、マヤ様はAIが語る音声なのに。
『こちらは意思確認等の大切な内容ですので、全文読み上げます』
「わかった」
『スコーン様の電脳親和率はユーザーの中でも群を抜いており、もはや肉体の必要性について疑問が浮上するレベルです。そのため今回はその御身の有用な利活用について提案させていただいきたく……』
アステカ・プロジェクト
それは豊かな社会を実現するため、未だなお現実世界で活躍する人材に、例えば臓器や皮膚細胞を必要としている者にその身を捧げるという古の慣習に倣った発想の国家プロジェクトらしい。
「えーっとマヤ様、これって要は俺が『生贄候補に選ばれました』ってこと?」
『まあまぁ、なんと栄誉なことでしょう。善は急げと言いますし、早速――』
「いや、ちょっと待っ」
などと危なっかしいやり取りをしているところへ、ちょうど洗濯物を干し終わったセンジュが現れた。
なんとなく、不穏な空気を纏っている印象を受けるのは気のせいだろうか。
――声紋認証が必要death. 声紋認証が必要death.
「え? センジュ、何言って……?」
初めて耳にする声色はゾッとするほど澄んでいて、頬が引き攣り二の句を紡げなかった。
『やっておしまいなさい』
――認証しました。只今より不要品を処理します。
マヤ様の声を受け、今まで使っているのを見たことがないセンジュの奥の手がキラリと閃いた。
「ちょ、マヤ様? センジュ! 何をするつもりだ!?」
ジリジリと迫るセンジュの迫力に
最後に見たのは無表情なセンジュの顔と今度こそ本当に迫ってきた奥の手に掴まれた針。そこで意識はプツリと途絶えた。
『まあ、なんてだらし無いのでしょう』
――mission complete... mission complete...
ことの顛末を動画で確認すると、なんとも無情な言葉が残されていた。気を失っていたとしても、デジタリアンに切り替わった時点で自動的に記録開始されるようだ。
センジュは俺のシャツのボタンを一つ一つ丁寧に外し、外れかけていたボタンをきっちりと縫い留めた。そして元通りではなく、元より一つずらしてシャツのボタンをかけた。
確かに外れかけたボタンをそのままに、さらには一つずつズレた状態で留めて着ていたのだから、だらしが無いと言われても仕方がないのだけど。
けれどこんなドッキリみたいな展開は止めて欲しい。
と言っても彼らは……少なくともセンジュには悪気はなく、至って真面目に仕事をしているだけだろうから仕方ないのだけど。
けれどマヤ様はわかっていて暇つぶしに俺で遊んでいる気がしてならない。
こうして俺はメディカル・ヘルズ部門からの手紙のことなど、すっかり忘れ去っていた。
掃除屋ロボット 荒野のポロ @aomidori589
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