第38話 この気持ちは恋になる。

 ゆるやかに続く道を歩き続ける。

 脇には草が生い茂り、ところどころに咲いている野花が風に揺れている。

 遠くから川のせせらぎが微かに聞こえ、鳥たちは歌うように声を鳴らしている。

 レイとの間にしばらく言葉はなかったが、沈黙が居心地の悪いものに感じることはなかった。


「……あっ!」


 穏やかに流れていた時間が、マナのひと声でふっと途切れた。

 何か思い出したように口元に手を当て、また足を止める。

 

「……今度はなんだ?」


 仕方なくレイも立ち止まり、少々面倒くさそうに振り返った。

 

「忘れ物したの! 新しい日記帳を持ってこようと思ってたのに!」

「日記帳?」


 レイが眉をひそめると、マナはうなずき、力説する。

 

「そう! 私もお母さんみたいに、旅の日記を書こうかなって! ……思ってたのに〜」


 そして、がっくりと肩を落とした。

 

「そんなもの、どこの街でも買えるだろう」


 落胆の色を見せるマナに、レイは肩をすくめ軽い口調で言う。

 

「……だよね。それに、あんな見送りまでしてもらって『忘れ物した』、なんて帰りづらいよね」


 苦笑いをしながらマナは頬をかいた。

 村を出たばかりなのに、少しだけ戻りたいという気持ちが湧いてくるのは、やはり心のどこかで名残惜しさを感じているからなのだろう。


 そんな彼女の様子を横目で見ながら、レイはせまるように呟く。


「それよりも、お前はもっと大事なことを忘れている」

「大事なこと?」


 マナはきょとんと目をまたたかせる。


「約束しただろう。お前も小僧も、無事に帰した」

「そういえば……そうでした」


 ベルエスト山でした「生気をあげる」という約束をはたと思い出したマナは、ばつが悪そうに視線を逸らした。


 ──いろいろあって、すっかり忘れてた……。


 けれど、自分から交わした約束を破るのは気が引ける。

 さらには予期せぬ事故で怪我をさせ、約束以上のことをさせてしまったのだ。


 ──もし、レイがいなかったら……。

 

 そう考えると、彼は自分とアルトの命の恩人と言っても過言ではないかもしれない。


 ちらっと目線を向けると、腕を組んでいるレイと目が合った。

 特に急かすでもなく、こちらの反応の一つひとつを楽しんでいるかのように、ただうっすらと笑っている。


 ── お願いだから、そんなふうに見つめないで……!


 恥ずかしさが襲いかかって、すぐにまた視線を逸らしてしまう。

 余裕たっぷりな彼の表情に耐えきれなくなったマナは、観念したように口を開く。


「じゃあせめて……、目……つむってて」


 はにかみ顔を赤くしているマナを前に、レイは少しだけ首を傾げる。

 彼はふっと笑うと、黙って目を閉じた。

 

 羨ましいくらいに長いまつ毛、怖いくらいに整った顔立ち。

 青い瞳は閉じられているのに、すべてを見透かされているかのようだった。

 

 マナは小さく息を吸い、ゆっくりと吐き出す。

 何度繰り返しても心臓の鼓動は速いままだが、ついに覚悟を決めたように「えい」と気合を入れる。

 そして、ふわりとかかとを浮かせ、彼の頬に唇を寄せた。


「…………はい! もうおしまい!」


 すぐに身体を引いたマナは、ぱんっと手を打ち、無理やりこの空気を変えようと試みる。

 

 ──落ち着け、落ち着け……!


 そんな自己暗示もむなしく、心臓はドキドキとうるさいくらいに鳴り響いている。

 火照った頬を両手で押さえるも、熱は引くどころかますます広がっていくようだった。

 レイの顔なんて、まともに見られるはずがない。思わず彼に背を向ける。


 ──もうレイに何かをお願いするのやめよう……!


 この調子だと、きっとまた心臓がもたない。

 しかし、その考えが甘かったことをすぐに思い知る。

 

「まだ足りない」


 低い声が聞こえたと同時に、腕を取られた。

 とても軽い力なのにあらがえない。

 目の前には、レイの整った顔。

 こちらの動揺がわかっていたかのように、青い瞳が細められる。


 次に感じたのは、頬に触れるあの感触。


「……っ!」


 キスされたと気づいた瞬間、頭が真っ白になった。

 ピクリとも動けずにいるマナを見下ろしながら、レイは満足げにぼそりと呟く。


「やはり、生気は奪うより与えられた方が美味い」


 妖精の聖樹地で突然キスされたとき、彼が「何か違う」と言った意味がようやくわかった。

 続きを待っているように、レイは意地悪く笑っている。


「……だから?」


 戸惑いながら問いかけると、レイはあくまで当然のように言った。

 

「お前から口付けしろ」

「私からキスするなんて……無理に決まってるでしょ⁉︎」


 顔を真っ赤にしたまま叫ぶと、彼は余裕たっぷりに肩をすくめる。

 

「だろうな」


 レイはくっくっと小さく笑い、マナの腰を引き寄せた。

 抵抗する間もなく抱きしめられ、耳元に彼の吐息と一緒に甘くささやく声が落ちた。


「だからしばらくは、俺からで我慢してやる」


 そう言って、レイがまた顔を寄せてくる。

 

 ──ちょっ……!

 

 身体を引こうとするけれど、レイとの距離は縮むばかり。

 耳元に残る熱を振り払うように、必死に声を振り絞る。

 

「……命令よ」


 そして、思いっきり言ってやった。

 

「私から……離れなさぁぁい!」



────────────────────


あとがき


最後までお読みいただきありがとうございました。

面白かったと感じていただけたら、ぜひフォローとレビュー⭐️⭐️⭐️をよろしくお願いします。


二人の旅はまだ始まったばかりです。

またいつか、歩き出す日が来るかもしれません。

そのときはまた、温かい目で見守ってくださると嬉しいです。


本当に、ありがとうございました。


葉南子


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

【完結】その聖女、悪魔と契約中につき〜落ちこぼれ聖女は召喚した悪魔と禁断の契りを交わしました〜 葉南子@アンソロ書籍発売中! @kaku-hanako

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ