第4話 いざ行こう、天才牛耳る未来都市
「あのさあたし達、そのジョンハルトマンとかいうやつぶっ飛ばしにいこうかなって」
今にも掴みかかろうとしていた紅の手が止まった。長い沈黙ののち、その手を引っ込めて、ため息を吐きながら口を開く。
「ルーヤ、都心のことを話したのか」
「うあ……」
申し訳なさそうに呻くルーヤに、紅はそれ以上の追求をしなかった。
「はっきり言っておくが死ぬぞ」
「死なないね」
「うん。透波さんは死なない」
「やつの恐ろしさを分かっていない」
「……ああ分からないね。君程の能力者がただの科学者を恐れる理由はないだろう。君も、ルーヤちゃんも、ジョン・ハルトマンに何をされたからそこまで恐れているんだい?ウイルスをばらまいたから?誰でもできるさそんな事」
「……何も」
「は?」
「やつを見た。そして見られた」
まるで、恐怖の根源が間近に迫っているように顔を青白くさせ、ぽつりぽつりと語り出す。
「……人を殺している所を見ただとか、殺されかけただとか、何か恐ろしい体験をさせたことで恐れられている奴は本当に恐ろしいとはいえないんだ。本当に恐ろしいやつというのは、何もせずとも、ただそこにいるだけで本能がこいつは恐ろしいと告げるやつなんだ。……私、そしてルーヤがやつを見た時、まさに一目見ただけで全身の鳥肌が逆立つ感覚を覚えた……!私とやつのどちらが強いとか、戦ったらどちらがが勝ちそうとか、そんな冷静な分析はあの男にできそうに無い。ただただ恐ろしい。あの日、やつを見た瞬間、やつもこちらを見てきた!見られたと、第六感までの全てが叫んでいるのに、実際のやつの目線は、研究対象の、名状するだけで身の毛のよだつ何者かから少しも離していなかった!『どなたですか』と声をかけられるまで、私は命の危機を確信しているのに逃げることすら思考できなかった!奴は得体が知れない、地球の人間じゃ無い可能性すらある。私は、奴に関わりたくない!」
ドン!と机が叩かれる音がして、揺れた。そのあとしーんと静まり返って、暫く誰も口を開けなかった。葉束と綺羅愛にとって、自信過剰のくせに泣き虫なうるさい少女がここまで平静を失う様子は言葉を失うのに十分な衝撃だった。
「……ジョン・ハルトマンがどれだけ恐ろしかったとしても」
葉束が口を開き、静寂を破る。
「一生この星で生きて死ぬほうが恐ろしいね」
紅は少し間を置いてから、
「勝手にしろ。私達は行かない」
そう言ったきり、カレーを食べかけのまま置いて戻らなかった。
「……ごちそうさまでしたー」
そのあとすぐに葉束も出て行った。追って、綺羅愛も食べかけのカレーを持ってそのまま出ていく。残されたルーヤは、スプーンを握ったまま「うあ……」とうめいた。
四人が乗っている船は随分広い作りになっていて、綺羅愛と葉束に貸し与えてもまだ持て余すほどの部屋がある。ダブルベッドの用意された部屋で、葉束は寝転んでいる。「透波さん、入るよ」そう言ってドアを開けた綺羅愛は、パンツと薄いシャツ一枚で寝転ぶ葉束を見て、少し気まずそうに俯いた。
「どうした?」
「……明日はさっさと宇宙船を奪ってこの星を出る予定だったけどさ、もっと後にしないかい?」
「何で?」
ばっと上体を起こす葉束。座るとオーバーサイズのシャツから胸元がちらりと見える。また鎖骨の上あたりに噛み跡も残っていた。
「目のやり場に困るんだけど」
「あんた別にあたしの下着見ても何とも思わないでしょ?いいじゃん」
無性である綺羅愛が葉束を異性として見ることはないだろう?と、いう意味の発言だ。確かに綺羅愛には頬を赤くしたりして照れている様子はない。が、
「そういう問題じゃないから。みてるこっちが恥ずかしくなるって言ってんの」
自身の羽織っていたジャージ———船に置いてあった黎春女学院のものだ。それをぽいっと投げて、葉束に着るよう促す。「はいはい」渋々着る葉束だったが、意外な着心地の良さを気に入ったようだ。
「このジャージ柔らかい」
「最新素材だってさ。話の続きするね」
「うんうん」
「生駒紅があそこまで恐怖していて説得の余地がないほどなのは計画外だった。彼女がいないと大量のゾンビに対処できない。だから、もっと時間をかけて説得してから彼女の力が借りられる状態で行きたいんだよね」
「はあ?あいつがいないと勝てない?」
「当たり前じゃないか。ジョン・ハルトマンは未知数としても、100万を超えるゾンビが僕たちの手に及ばないことは確かだよ」
「うーん……綺羅愛って馬鹿?」
「……一日で二人に言われるとは」
「倒す必要なんてない。何のために、あたしの力があると思ってんのさ」
夜が明けて朝、夜の太陽が昼の太陽と交代して約3時間が経った頃。
「本当に行くんだな」
バスほどの大きさの小型船が用意されていて、綺羅愛と葉束が今まさに乗り込もうとしている所だ。ルーヤと紅が見送ろうとしている。
「別のお前達が忠告を無視して死んでも構わないが、私達に火の粉が飛ぶようなことはやめろよ」
「大丈夫だって———あたし達が船を持って帰れたらあんたらも乗せてやるから、大船に乗り込むつもりでいな」
死地に向かう二人を心配する紅とは対照的に、葉束はお気楽なものでウインクなんてしてかっこつけた。
「じゃ、行こうか」
「おっけー」
すでに乗り込んだ綺羅愛が入口の中から葉束を促すと、応じて手を振りながら走っていった。
「まったく……奴の恐ろしさを理解できていない連中は、お気楽でいいな」
なあルーヤ、と続けるはずだった。だが隣からいつのまにか彼女の姿が消えている。紅は瞬時に察した。
「おい待て!行くな!ルーヤが————」
紅の叫びが聞こえていたのかいなかったのか、わからないままに船は、バビュン!とまさに大気を切り裂いて進んでいった。
「どいつもこいつも……私は知らんぞ……!」
船内。操縦は自動機能に任せ、約2時間の遠い道のりを二人は思い思いに潰していた。綺羅愛は紅達の船に遺されていた文庫本を楽しんでいて、葉束は揺れが全く無いことを利用してトランプタワーに興じていた。緊張で震える腕が、五段のタワーを完成させる一枚を置こうとしていた。
「うあ!」
突然あのゾンビ少女が全てを台無しにしてしまった。どこからともなく現れたルーヤは、葉束の目の前にばっと飛び出すとタワーを崩してめちゃくちゃにした。
「ルーヤ!?なにやってんだよ!」
「ルーヤちゃん!?」綺羅愛も本から顔をあげて驚いていた。
「うーあ」
「『心配だから着いたきた』?嬉しいけどさ……タワー崩さないで欲しかったぁ……」
「大丈夫なのかい?」
「うあ」
葉束は崩れたトランプの上でしょぼくれていて通訳をしなかったが、『心配しないで』だとか『安心して』とか言っているのだろうと綺羅愛はわかった。
「ありがとう、心強いよ」
「うーあ」
「『アタシがいるからには100人力ですよ』、かい?」
「うあ!」
綺羅愛が見事言い当てると、ルーヤは白い歯を出してゾンビらしからぬ明るい笑顔を見せた。
「もー萎えたからみんなで神経衰弱しない?」
「うあうあ」
「彼女、神経衰弱は大得意らしいよ」
「望む所だよ!」
二時間が経過。もうそろそろ目的地に着こうかというところで、ルーヤが寝てしまった。ゾンビ少女は気まぐれだ。
「こうして楽しくお話ししても、この子は僕のこと忘れちゃうんだよね」
トランプを片付けながら、物悲しげに綺羅愛が呟いた。
「あんたの能力ってさ、なんなの?」
アバウトな質問だった。だが、葉束達の持つ異能力はどれも完全に未知数なシロモノで、アバウトな質問しかすることができないモノだった。
「……一ヶ月前に親に忘れられた時から能力は目覚めたけど、僕にも詳しいことはわかってない。この力は、記憶だけでなく記録も、僕がこの世界にいた痕跡ごと消してしまえるモノだけど、制御することができない。どのくらいの期間で記憶が消えてしまうのかに規則性が全くないんだ。なんで透波さんがクラスメイトの中で一人だけ僕を忘れないのかもわからないし……」
綺羅愛の表情は暗かった。わからないものが怖いのは、それが不幸であるかもしれないから。綺羅愛にとって、未だに葉束が自分のことをずっと覚えていられると信じられることはできないでいた。葉束は、そんな綺羅愛の気持ちを半分ほど見透かしてこう言う。
「……考えてもわからないことは気にしない。みんなが綺羅愛を忘れても、あたしだけはあんたと友達でいてやるよ」
「ありが———
『指定した目的地に到着いたしました』
しんみりとした雰囲気をかき消すように、無機質な自動音声が鳴る。
「ほら起きて」綺羅愛はすやすや寝息を立てるルーヤを揺する。
「うあぁ……」露骨に不機嫌そうな低い声でうめきながら、促されるままに船外に出た。
そこは、葉束達が降り立った草原とは打って変わって、目覚ましく発展した都市だ。まさに未来都市、階層的に分布する幹線道路が折り重なって3次元的構造を描いている。なめらかな質感で人の手で手入れされていないのが信じられないほど艶やかで真っ白なビル群、そこにまだ生きている電光掲示板が未だ広告を表示していた。誰にも見られず広告費のムダ遣いでしかなかった彼らは、三人に見つけられてようやく仕事をした。
「『融資ならハトマル』、『爽快ドライスザク。今日は贅沢しよう』、『旅行ならggg 』……」
葉束はあてもなくただ目についた広告を読み上げていく。
「『ジョン・ハルトマン、未来への先導者』」
「で、透波さん、ついたら何をするんだっけ?」
綺羅愛の問いかけが葉束をハッとさせた。
「……ああ、そうだそうだ。ええっとねぇ、宇宙船置かれているところからちょっと離れた都市の端っこに来たのはね、ある準備をするためです」
「準備か」
「今から、ゾンビの血を体に塗りたくります!」
しーん。綺羅愛もルーヤも、呆れとか嫌悪とかが入り混じった瞳で葉束をじっと睨んで無言の拒否を示す。
「いや、ちゃんと理由があってさ」
「うあ!」
ルーヤは両手でバツを作り全力で弁解の余地がないことをアピールする。
「一旦聞いてってば!」
「うーあ!」
「も〜………!」
ルーヤの態度に手をこまねいている葉束。しかし、
「ルーヤちゃん、話聞かないと始まらないよ」
「うあ……」
綺羅愛が声をかけた瞬間しゅんとなってそれを聞き入れた。
「ちょっと!なんで綺羅愛だと聞くわけ!?どこがいいの!?」
「うーあ」
「僕が好かれてるんじゃなくて君が嫌われてるんだよ」
「悪かったよ〜……」
葉束は平謝りをするが、ぷいっとそっぽを向かれてしまった。
「まあとりあえず、あそこにちょうどいいゾンビがいるから綺羅愛殺してきて」
少し離れた所をよろよろ歩いている、小太りの中年ゾンビを指差す。
「はあ!?僕が!?あのねえ、理由も知らないでやれないんだけど」
「やってつったらやーって」
「まったく……」
やれやれ、とため息をついて、綺羅愛は着ているジャージのジッパーに手をかけた。ジッパーを下ろすとその下には何も着ていなかったようで透き通った白い肌が露出する。「ちょっとよろしく」脱いだジャージを葉束に任せ、なめらかで薄い背中に開いた大きな裂け目から、刺々しい甲殻に覆われた触手を剥き出しにする。それが長い無知のようにしなり、遠方のゾンビを串刺しにした!
「はい終わったよ。で、このべちょべちょして気持ち悪ーいものをほんっっとうに体に塗るわけ?」
「服でもいいっちゃいいよ。これはね、あたし達の匂いを消すために塗るんだ」
「あ〜、なるほどね」
「察しついた?透明になってゾンビ達の間を通る時に、匂いでバレないようにカモフラージュするわけ」
「そういうことなら仕方ない、か」
綺羅愛は渋々と、ゾンビの胸に大きく空いた穴に手を突っ込む。引き抜いた瞬間に嫌な腐敗臭が辺りに広がった。
「うげ……」
思わず顔を歪めながらも、真っ黒な血液をジャージに塗り込む。
「ごめんね名も知らぬ持ち主さん……ほら、ルーヤちゃんも」
「うあ!」
必要ない。と言いたいのか、ふふんと笑った。
「……ああそうか、ルーヤちゃんは奴らの仲間だもんね」
「うーあ!」
「『あなた達のような野蛮で下品で汚い手段に頼る必要はありません!』だって?僕だって別にやりたくてやってるわけじゃないんだよね」
自身の胸元からくる強烈な匂いにイライラしつつ答える綺羅愛とは対照的に、
「いやー、気分はプレデターとの決戦に挑むシュワルツェネッガーだよね!」
葉束はノリノリで、顔にまで塗っていた。まるで森林地帯て従軍する兵士たちのフェイスペイントのように。
「50年前の映画の話されても僕にしか伝わらないからね」
「うーあ……」
「んじゃ、出発と行こうか!2人ともあたしの手ー握って」
綺羅愛は左の、ルーヤは右の手を取る。
「おお、綺羅愛の手大きい」
「そうかな……?透波さんの手が小さいだけじゃない?」
気になった綺羅愛は繋いだ手を自分の目の前まで持ち上げてみた。自分の手が葉束の手をほとんど覆い隠してるのに気がつく。
「小さいなあ……」
「なんかやらしいんだけど」
「い、いやそんなことは……」
「うーあっ!」
「あ、ごめんごめん。早いとこ出発しようか」
葉束が能力を使用し、瞬時に三人の姿は消える。その状態で大通りを堂々と歩いて見せるが、徘徊するゾンビ達にはほとんど気付かれない。
「透波さん、宙港の方向ってこれで合ってるの?」
2、3キロ程だろうか、そこそこの距離を歩いた所で綺羅愛が問いかける。
「ルーヤからもらった地図に従ってるから大丈夫大丈夫」
「地図なんか見てないじゃん」
「だいたい覚えてるからいーのっ」
「心配だなあ……!」
「うあうあ、うーあっ!」
「『合ってる?』よかったよかった」
「なら良いけどさ……もう、透波さん適当すぎるからもっとしっかりしてよね」
「はいはーいっ」
このような談笑を続けて、一同は宇宙船のある宙港の付近までやってきた。たくさんの船が格納された格納庫が近い所に見えている。
「宙港には逃げようとして集まってきた人たちのゾンビが沢山いるって聞いたけど……さっきまでより少し多いくらいだね」
葉束が辺りを見回して言った。確かに100万以上という話の割には、ゾンビ達で溢れかえっているというほどでも無く、見渡した視界に1数人程、と言うくらいだ。
「3年も経ってるし、餓死してたり移動してるんじゃないかな?ま、なんにせよ好都合だね」
「……うあっ」
突然、ルーヤが葉束の肩を叩いた。どこか離れた位置を指差しているので確認してみた。
「うそ」
ある一体の、3メートルもあろうかという巨体のゾンビが、葉束達の方を直立してじいっと見つめていた。
「見られてる……」
「……走ろう!」
綺羅愛が2人を促し、葉束達は走り出す。だが手を繋いでいるのも相まって上手くスピードを出すことができない。
「なんでバレてんの!?」
「うあっ!」
「『能力者のゾンビ』……?なるほど……!」
「なんでもいいよ、あいつが仲間を呼ばないうちに早く巻かないと!」
そう言ってスピードを早めようとしたのも束の間、
「ウオオオオ!」
耳に重くのしかかるような野太い叫びが、辺り一体に響き渡った!呼応するように周囲一帯のゾンビ達は腕をぶんぶん振り回した理性のない狂乱のていでもって葉束達の方へと走り出す。人間の限界を十分に引き出した速度で迫り来るゾンビ達に、三人はすぐにも追いつかれそうになってしまった。
「ここは綺羅愛に任せた!」
唐突に葉束は綺羅愛の手を離す。よろけると同時に透明だった綺羅愛の姿が浮かび上がる。
「ハァ!?」
「あんたが1番強いじゃん!」
「そうだけどさぁ………!」
「なんとかしちゃってよ!」
「……しっかたないなぁ!」
「じゃ、よろしく!」
綺羅愛は折れた。というよりも早々に諦めた。
ゾンビ達の前に綺羅愛が立ち塞がる。彼らの数は目に映っているだけでも数十、遠くから未だ響いてくる叫び声から察するにまだまだ数を増やしてくるだろう。
「ちょ〜っと厳しいかもね」
そう言って、ため息混じりにジャージを脱いだ。
一方で、宙港に辿り着いた葉束とルーヤ。だが肝心の宇宙船まではまだ4キロ近くの距離がある。2人はゾンビ達を撹乱するために宙港の建物に入る選択をする。が、中にいるゾンビ達を目覚めさせる結果になってしまった。
「くっそ〜!」
2人は未だ透明化を解除していないのだが、ここでもゾンビ達は的確に2人の位置を把握し追跡してくる。誰のせいだ?コウモリのように高い天井に吊り下がっているゾンビのよだれがぴちゃっと目の前に落ちたのを見て、そのわけに気がつく。
「みんなして都合のいい能力持ってますねぇ!」
なぜか。都合よく。その言葉を連想した所で葉束はこれがお決まりの不幸であると既に理解していた。
「うあっ……」
握ったている手から汗が滲み出し、横でルーヤの息が荒くなっている。葉束はルーヤより多少平気そうに見えるが、内心倒れそうだった。当然の話で、2人は見つかってから5分近く全力疾走をしていた。アスリートでもない彼女達には火事場の馬鹿力でも誤魔化しきれない時間だ。
「そろそろ限界だよね……!」
葉束はお土産の売られている棚を蹴飛ばして人形やお菓子を転がす。先頭を走るゾンビがそれに引っかかって転ぶと、後続のゾンビはその倒れたゾンビに引っかかって倒れた。その隙にトイレに駆け込み、個室のドアを閉めた。
「狭っ!」
「うあつ……!」
1人用のトイレだ。2人が入ると当然スペースがきつくなる。
「なんとかなりますように!」
葉束にとってこれは賭けだった。あの天井のゾンビの能力はどの程度のものなのか。特定の相手の位置を常に正確に把握できるものだった場合、詰みだ。すぐさま隠れ場所がバレゾンビが押し寄せてくる。だが視覚以外の何らかの感覚を強化するものに過ぎなかった場合ならば、大きな休息の時間を得られる上今後対策を取れる可能性がある。
葉束とルーヤはごくりと息を呑む。不幸慣れした葉束と言ってもテンションの上がりきっていない時は相応に緊張する。どたどたとした足音が聞こえ始めて、十秒経過した。
二十秒経過。まだ足音は聞こえる。
三十秒経過。足音が遠ざかっていく。
一分ほど過ぎて、足音はもう聞こえなくなった。
「やった〜!」
「うあーっ!」
狭い室内でハイタッチ。疲れがドッと押し寄せてきたとき、
「あの〜、誰か、隣に……入って、おられるのですか?」
すぐ隣、女性の声だ。穏やかで、落ち着いた声。落ち着きすぎるあまりずいぶんゆっくりと喋っている。
葉束流れていた汗が止まった。気が抜けた笑顔が一転して真剣な表情になる。ゾンビが蔓延る中で落ち着いてトイレに入っている女性は十分に警戒対象だ。ともすると、知性を持ったゾンビの可能性がある。
「あんたは————」
何者?と姿の見えない相手に問いかけようとしたその時、
ちょろろろろろ……と、トイレに入っているのならば当然の音が鳴った。
「あら……音姫を……押し忘れて、しまいましたね……これは「私」の、1632回目の失敗です………」
唖然とする葉束達をよそに、彼女は自己紹介を始める。
「私は……エリーナ・エリザベスであり、オネスト・マクレーンでもあり、ニック・チャドウィックでもあり……」
「私を……統括する名を答えることは、無意味です……「私」の名はカンピアーノ・アヴィ。ですが……あなた達のよく知る名は、ジョン・ハルトマンでしょう。エリーナでも……オネストでも……ニックでも……ケニスでも……カンピアーノでも……ジョンでも……ぜひ、気に入った名前で呼んでください」
イグノーベルでもふたり すずずず @suzuzuzuzzuzu
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