天空アイドル

野守

第1話

 真姫まきちゃんは最高のアイドルだった。今でもそうだと思う。可愛らしく幼げに振舞う女の子たちの中で、真姫ちゃんは常に凛とした美しさや気品のようなものを纏っていた。すらりと長い手足を伸ばして踊り、歌手として申し分ない歌声を響かせて魅せるのだ。幼い私は確信していた。彼女こそ、いずれ女王へと至る真の姫なのだと。

 実際に真姫ちゃんは頂点に立った。そして人気絶頂の中で引退した。その潔い幕引きこそが、現在でも彼女を伝説たらしめる理由なのだと言われている。

 アイドルに魅せられた者は、自分も憧れの背中を追いかけるか、ファンとして推す楽しみを極めるかに分かれる。私は前者になった。真姫ちゃんと同じ事務所の門を叩き、最底辺の研究生から這い上がって今日まで来た。



「入所面接でも、真姫ちゃんのことを語っていたわね」

元山さんが微笑んで言った。もう軽そうなコーヒーの紙カップを両手で持って、口を付けてから空だったことに気づく。

「もう一杯買ってくるわ。あなたも飲まない?」

「いただきます」

彼女のことだから、きっと私の好きなキャラメルラテを注文してくれるのだろう。



 ここは大手芸能事務所、メリープロダクションの自社ビル内にあるカフェ。通称メリービルと呼ばれる建物の中だ。

 メリービルというのは総称で、実際には大きな棟が三つ、三角形を描くような配置で存在する。第一棟は全部が公演用のステージ、シネコンみたいな場所。第二棟がメリープロダクションの本社と商業施設。社員食堂に併設されたカフェはここにある。その後ろで隠れるように建っている第三棟が私の住む寮だ。ほとんどマンションみたいな見た目をしている。

 この事務所の最大の特徴は、アイドルの出世を目に見える形でシステム化したことだろう。研究生はまず、第一棟の一番低い地点、地下二階でバックダンサーから仕事を始める。デビューが決まると、今度はその場所のメイン側になる。そして人気が出るたびに公演ステージの階層が上がっていくのだ。地下一・二階の所属は「地下アイドル」、一階以上は「地上アイドル」、最上階にたどり着くと「天空アイドル」と呼ばれている。その天空アイドルの中でもトップの存在が「女王」と呼ばれる一人。そういう呼称は誰が考えるのだろう。



 元山さんがトレーを持って戻ってきた。

「お待たせ。キャラメルラテで良かった?」

「ありがとうございます」

「ついでに低糖質クッキーも付けちゃった。今日だけよ」

「わぁい!」

さすが芸能事務所のカフェ。絶妙に罪悪感を削ぐメニューで儲けている。



 元山さんは私にとって最初のマネージャーだった。そんなに経たないうちに出世して上の階の担当になり、その後を追うようにして私も階を上がり、元山さんはまた出世して、みたいな追いかけっこを繰り返した人。今はステージの企画自体を考える役職になっている。

 私がカフェに来たとき、元山さんはパソコンを開いて作業をしていた。事務所の社員は気分転換によく来るのだ。挨拶だけして離れようと思ったのだが、休憩がてら雑談に付き合って欲しいと言われたのが数十分前。

「忙しそうですね。最近、天空アイドルの卒業が続いたから」

「そうなのよ。てんやわんや」

苦笑いする顔でも元山さんは綺麗だ。実年齢は知らないが、四十代だろうか。パリッとした勤め人の顔を濃すぎないメイクで映えさせ、若く見せるのとは違う、年相応の美しさみたいなものを引き出している。私も歳を取ったらこんな感じになりたい。

「もう一か月くらい休み無し」

「うわぁ、ブラック!」

先代女王が欠けた影響はそれだけ大きいのだろう。今は次の女王を選出中だ。

 新女王が決まる際、候補者が秘密裏に面接を受けるという噂がある。あくまで噂、出所も確かではない。でも王座が空くたび、私たちアイドルの間に緊張した空気が流れるのは確かだ。

 だから少し身構えてしまったのだが、ここまでは本当に雑談をしているだけだった。主に仕事の愚痴と昔話を少々。

「あの、元山さん。本当は何か大事な話でもあったんじゃ?」

ポリポリとクッキーをかじる元山さんは、きょとんとした顔で私を見た。

「何のこと?」

「いやその、座らせる口実だったのかと」

にやり、と端正な顔を崩して笑われる。

「そこまで深読みするなんて、大人になったのねぇ」

「どこぞのマネージャーさんに鍛えられましたので」

「優秀な人がいるものね」

私も何枚目か分からないクッキーをつまむ。

「ちょっと話したかっただけよ。最近見てなかったから元気かなって」

「そう、ですか」

「天空アイドルは辛くない?」

「いいえ。憧れの場所でしたから」

ここに真姫ちゃんがいたのだ。同じ場所に、立っていたはずなのだ。



 実のところ、真姫ちゃんを生で見ることは一度も叶わなかった。最上階のライブは高額なのだ。当選してしまえば仕方なく買ってもらえないかとも思ったが、そもそも先着式はもちろん抽選式でも当たった試しがない。当時まだ子供だった私が取れる手段なんて限られていた。

 ライブに行けない私は代わりに、音楽番組や配信動画を見漁るしかなかった。それぞれ数えきれないほど繰り返し再生していると、それまで思い至らなかったことが急に分かる瞬間がある。歌詞の聞き取れない洋楽を毎日聞き流しているうちに、いきなり意味が繋がる不思議な瞬間があるみたいに。

 真姫ちゃんは歌やダンスが上手なだけではなかった。手足の動きに合わせて翻るスカートや袖のタイミングも、ターンのたびに柔らかく広がる黒髪も、ステップに合わせて輝く靴のラメさえも、全てが計算された上での絶妙な動作なのだ。カメラの場所や照明の当たり方を把握し、体の動きとコンマ数秒ズレて動く、それら装飾品の一番効果的な魅せ方までを考えて。もとい、仕組んでいる。

 私がそれに気づいたとき、体中に広がったのは鳥肌が立つほどの興奮だった。居ても立っても居られず、とりあえず手近にいた兄に熱弁をふるった。その結果が一言。

「なんかさぁ、あざとくない? そういうのって」

この人は愚かなんだなと思った。

これは磨き抜かれたプロの技術だ。伝統芸能を受け継ぐ歌舞伎役者や古来の製法を守る工芸職人と同じ、大いなる時間と労力を費やして研鑽を積んだ珠玉の技。

「お兄ちゃんだって、好きなアイドルいるんでしょ?」

「あの子は自然さが可愛いんだよ。仕込みとかじゃないんだって!」

力説する兄はどこまでも、女の子という存在に夢を見たいようだった。



「降ってきましたね」

窓の外側には雨が打ち付けていた。元山さんもガラスを流れ落ちる雨粒に目を向ける。

 やっぱり外に出なくて良かった。実は外のお店に行こうかと少し迷ったのだ。

 私はもう、しばらく仕事以外で外出していなかった。三つの棟は渡り廊下で繋がっているので、私の住まいから楽に行ける。第二棟に行けば社食も飲食店もあるし、コンビニも入っているので、日常生活は事足りてしまう。

 別に収監されているわけでもないのだから、外に出たって良いのだけれど、外に出たら私はアイドルにならなきゃいけない。いつ、どこで声をかけられても恥ずかしくない格好で、なおかつ基本はバレない程度の変装をするという絶妙な外見をキープしながら、お洒落なカフェで新発売のラテなんかを頼むのだ。どこで見られているか分からないから。アイドルの園にいる時には一般人でいられて、外の世界に出たらアイドルになる、大いなる矛盾。

「もっと自由になりたい?」

元山さんが外を見たまま聞いた。

「いつかは自由になれると思いますから。遊ぶのは引退した後でいいです」

「卒業したら芸能活動も辞めるつもりなの? 真姫ちゃんと同じように」

「綺麗な引き際に憧れているので」



 真姫ちゃんのラストステージは、もちろん最上階で行われた「天球儀」というライブだった。ドーム型の天井から壁まで一面に星空を投影し、プラネタリウムみたいな幻想的な空間で、一番人気の和風曲を最後に歌った。鮮やかな花を散らした着物姿は妖艶な芸妓さんみたいだった。あの着付けを短時間でどうやったのかは、今でもファンの間で謎とされている。

 歌い終わった真姫ちゃんは正座で三つ指ついて一礼し、迎えに来た牛車に乗って去って行った。もちろん牛はいない。引く者のいない車が勝手に動いて、真姫ちゃんを乗せて行ってしまったのだ。何かしらの機械仕込みなのだろうけど、これもファンの間で謎とされている。芸能ニュースでも「かぐや姫が月に帰った」と報道されているのを見た。

 それきり真姫ちゃんは人前に姿を現さなかった。ソロの歌手や女優に転身することもなく、芸能活動自体を引退して、完全に姿を消してしまった。海外移住説や結婚した説、事務所にも告げずに失踪した説まで憶測が飛び交ったが、結局どうしているのか分からない。今でも真姫ちゃんの行方は謎とされている。つまり彼女は、謎だらけの存在なのだ。


 雨足が強くなってきた。

「正直言うとね、ちょっと心配してたのよ。芸能界が嫌になったんじゃないかって。華菜のことがあったから」

「それは関係ないです。私は最高になりたいだけですから」

笑ってそう言えるくらいにはなれた。

 華菜は私の一つ上期生で、同じく元山さんが担当についていた子だった。たぶん私にとって一番近い存在だっただろう。ユニットを組んでいた時期もある。

 この事務所に「固定されたグループ」という概念は存在しない。ステージも曲も配信もテレビ出演も、一つずつが個別の企画として、所属員からメンバーが選出される。それはオーディションの場合もあるし、事務所側が一方的に決める場合もある。

 その企画の一種として、期間限定で複数人が一緒に活動するユニットという制度が存在する。競り合うように出世してゆく私たちに気づいて、事務所側が試しに組ませてみたのだろう。二人で三曲歌って、そこそこ売れて、テレビの音楽番組にも出た。そして私に天空アイドルへの出世の話が来た。

華菜にスキャンダルが持ちあがったのは、そんな大事な時期だった。

 雨の日に男性と一つの傘に収まって歩く姿を週刊誌に撮られた華菜は、見事にマスコミの餌食になった。しばらく活動を自粛して、ひっそりと消えるように事務所を辞めた。私に挨拶もなかった。

 でも寮のポストに置き土産だけは残していった。詫びの一言を書いた紙きれと、お揃いで着ていた衣装のリボン。アレは今、机の引き出しの奥底に眠っている。いやクローゼットだったかな。それとも押し入れか。とにかく捨ててはいない。



「あの子も災難だったわね」

「そうですね」

とは言ったものの、真実がどうだったのかは知らない。華菜自身は関係を否定していたけれど、あの写真の華菜は「お仕事用」のメイクをしていた。人気アイドルだと気づかれやすい顔。

 華菜はメイクが上手だった。美醜の問題以上に、こういう印象に見せたいという顔を創り出すのが上手かった。お仕事用とプライベート用のメイクを使い分ける華菜は、どちらも可愛い顔なのに全然雰囲気が違う。街を歩いていても、道ですれ違っても、まず気づかれないコツみたいなものを押さえていた。元山さんに教えてもらったのだと聞いて、さっそく私も元山さんに伝授してもらったっけ。そういう情報共有をするくらいには、私と華菜は上手くやっていたと思う。



 そういえば周囲が静かになった気がする。雨のせいかと思ったが、いつの間にかカフェには他に人がいなくなっていた。入り口に小さな立て看板が置かれているのが遠目に見える。後ろからなので表記は見えないが、あれはいつも閉店時間に置かれるやつだ。

「気にしなくていいって、店員さんが言ってたわ」

元山さんが動こうとしないので、立ち上がりかけた私も座り直した。一瞬だけスマホの画面をつけて時間を確認する。壁紙にしているスノードームの画像が、薄暗くなった店内でやけに鮮やかに見えた。

「夜には晴れるんですって」

同じく自分のスマホを見ながら元山さんが言った。

「ザーッと降って、スッキリ終わるみたい。豪快よね」

「今夜は綺麗な星空ですかね」

元山さんがふっと笑った。

「以前、アイドル界は夜空のようだと言った子がいたわ」

自分のスマホに映る、天体写真の画像を眺めている。

「空に見える光は全て星。それ以上でも以下でもない。それを何等星だとかランク分けしたがる人がいて、線で結んで星座なんかを組む人がいて、物語を付けて勝手に感動する人がいて。でも、それで良いんですって。見ている人の目を奪う瞬きを工夫して、できるだけ目立つ星座を組んでもらえるようにアピールして、それまでの軌跡を想像して感動してもらう。それがアイドルという仕事だから」

その言葉を聞いたことはないけれど、誰が言ったのかは分かる気がする。

「それで『天球儀』が最後のテーマになったんですか」

「ご明察。あ、でも内緒ね。公開してない話だから」

一等星まで上りつめた彼女は、今どこにいるのだろう。地下から這い出て、空まで昇って、その上には行けたのだろうか。

「あなたは、どう思う? このアイドル界を」

元山さんはこちらを見ていなかった。相変わらずスマホの画面に目を落として、指で何かのリズムを刻みながら、本当に興味があるのかも分からない雑談の体で訊いていた。

「私は、スノードームみたいだと思います」

思った以上に平坦な声が出た。元山さんはあまり気にした様子もなく、「ふうん?」に近い音を相槌代わりに発して続きを待っている。

「そのままで綺麗な世界なのに、時々ひっくり返したくなっちゃうんですよ。外側にいる誰かが。引っ掻き回されて、勢いに負けて地に堕ちる大勢までも演出みたいに浴びながら、真ん中の主役だけが際立って輝くんです」

華菜は舞い落ちる雪にされたのだ。主役に選ばれた誰か、もしかしたら私を飾るために堕ちて、今は底辺で踏みつけられている。このまま溶けて消えるように忘れられてゆくのだろう。

「なるほどね。意外と詩人じゃない」

「最初に言ったのは元山さんですけど」

「そうだった?」

やっぱりキレイな顔で笑う。もし、この顔にアイドル用のメイクをしたら、どんな顔になるのだろう。もしかしたら往年の人気者が現れたりしないだろうか。

 元山さんのスマホが勝手に光った。

「あら、もうこんな時間。ごめんなさいね、せっかくの休みだったのに」

「いえ。その分ご馳走になれましたから」

私は二人分の空になったカップを持って立ち上がる。出て行く前に一応聞いてみた。

「これは面接だったんですか」

「何の話?」

相変わらず穏やかに微笑む元山さんに一礼して、私は静かに退出した。入り口の立て看板はやっぱり「CLOSE」だった。



 速足でもゆっくりでもないペースで歩きながら自分の住まいに戻る。たぶん私は天空の女王になるだろう。面接の結果も分からないのに、なぜか不思議な確信があった。

そうして真姫ちゃんと同じ場所で光を浴びながら、私は引き際を考え始めるのだろう。

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天空アイドル 野守 @nomorino

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