九人目:夏目よだか
家族と旅行に行ってきた。
ベトナムだ。何だかんだ楽しかった。
けれど、一つ疑問がある。わたしは何故、あれほどの経験をして尚、ただの高校生でいるのかということだ。
特別な人間であると思ったわけじゃない。ただ、わたしはベトナムに行ったことのないチョロ坊の話など聞くに耐えない、ということだ。
「夏目ちゃん、海外はどうだったの?」
「ああ…良かったよ」
マッチの棒のような細い肘をわたしの机に立て掛け、同じクラスの松本が訊いてくる。
「初めての海外でしょ?いいなー、あたしも一生に一度は行ってみたいな」
「一生に一度とか言ってる時点で行かねーよ」
「あっひどーい。でも、ベトナムって衛生観念とか悪いんじゃないの?体調崩したりしなかった?」
知識がないやつはそうなるらしい。わたしはちゃんと事前に調べたから、ホテルで一日寝込むだけで済んだ。
チャイムが鳴った。
「夏目ちゃん。帰り一緒に行きたいとこあるんだけど、オッケー?」
まぁ別に「オッケー」
*
「郵便局から角を2回曲がったところに、"殺人館"っていう廃墟があるの知ってる?」
「何それ?心霊スポットみたいな?」
松本は溶けるような笑みを浮かべて首を振った。
「ホントに人を殺した跡みたいなのがあるんだって。武器とか血痕とか。」
わたしは鼻で笑って「そんなわけ無いだろ」と思った。
幽霊が出るとかそんな真偽不確かなものならまだしも、実際に物的証拠が出てるんなら、警察が動かない筈無いだろ。
わたしたちは郵便局から角を2回も曲がって、古い民家が建ち並ぶ通りを歩いた。
「この中にあるんだって」
「"この中"って…どれか判んないとダメじゃない?」
7月なのに歩いてこんな遠くまで来た挙句、しょうもない時間を過ごしたとなると、わたしは既にイライラして仕方なかった。
「たしか…見れば判るくらいボロボロらしいんだけど…」
「そりゃあ廃墟ならそうでしょうよ」
ふと立ち止まってみると、目の前のふつうの住居が急に怪しく見えてくる。ドアが少し開いてる気がした。
「あれ、この家ドア開いてる?」
松本は躊躇わずチャイムを鳴らした。
「ばっ…!人居たらどうすんだよ」
何も返事はなく、ドアは開いたままだった。
「…ここかなぁ?」
「…そうかもね」
興味津々で上がろうとする松本を抑えきれず、わたしは家の中に入った。
中も普通に人が住める状態になっており、家具も揃っていた。唯一、人の気配だけが異様にしなかった。
「ね〜…これって留守なだけなのかな?」
「そうだったら叱られる準備しとけよ」
その瞬間、2階から、ぎっ…ぎっ…といった床が軋む音が聞こえた。丁度、わたし達がいる真上から聞こえるのだ。
松本は不安そうな顔で、階段を指さした。
どうやら、本当に心霊スポットに来ているみたいだと思った。
ゆっくりと音をなるべく立てないように2階へ上がった。松本が前、わたしが後ろで歩いた。
2階へ上がると部屋が3つあり、1つはドアが開いていて、中が見えた。
部屋は乱雑にしており、机の上に何やら黒い物体と錠剤のような何かが見えた。わたしがそちらの方に気を向いていると、わたしの背中を松本がそっとつついた。
向くと、閉まっている部屋の中をドアの隙間から覗いていて、そこから床の軋む音が聞こえていた。
わたしもその隙間から部屋の中を覗いた。
中には鳥籠が何個も置いてあり、ベトナムの安宿で嗅いだ動物の臭いが充満していた。
「コレ…ヤバいかな…?」
わたしは判りきったことを訊くな、と思った。
おかしいのは、鳥籠の数に比べて鳥の鳴き声がひとつも聞こえなかったことだ。わたしはいよいよ、本能的な恐怖を感じ始めていた。
床には、白い大きな羽が大量に落ちていた。その白色と溶け合うように血溜まりが溝に流れていた。
すると、となりの部屋から女性の大きな悲鳴が聞こえてきた。
松本もわたしも声が出ない。歯を食いしばり、唇を噛み千切り、喉からあふれる血で悲鳴に水温が混じっていた。そんな音がドアの閉じたとなりの部屋から途切れなく聞こえてくる。
わたしはゆっくりと扉の傍に近づいた。松本は今にも叫びだしそうだったが、必死に黙ってついてきた。
ドアに手を掛ける。力を込める。ドアを開けた。
私は目を疑った。
まず、ベッドがあった。その上にベルトのような物で長い髪の毛の女性が裸で括り付けられていた。その女性と目が合う。必死に何か呼び掛けてくる。わたしは日本語以外判らない。ベトナムでのお土産屋の店員と同じ目をしている。「ああ、こいつも私の言葉は通じないんだな」という、悲痛とも諦めともとれる目。
しばらく動けずにいると、ベッドから離れたところに巨大な物体が立っているのに気づいた。
"立っている"と認識したのは、それが明らかに脚を持ち、腕を持ち、頭を持ち、巨大な羽毛のような物に覆われ、直立していたからだ。
とてつもなく大きい。多分、2.3メートルはゆうにある。その巨大な羽毛の塊が、ゆっくりと歩き始める。
それに反応し、ベッドに縛り付けられた女性が更に悲鳴を上げる。歩くごとに羽毛が落ちる。白い羽毛だった。
ゆっくりと近づいてゆく。悲鳴を上げる。わたし達は動けない。身動きも取れず、ただ黙ってみていた。
ついにベッドにビッタリ体をくっつけると、いきなりその大きな鳥は鳴き声をあげる。
今まで聞いたどんな動物の鳴き声とも似つかなかった。動物園でも、ベトナムでも、テレビでもユーチューブでも聞いたことがない。ともすれば、人間の声に似ていた。
その鳥は女の人にのしかかると、メキメキと重さで肉が締め付けられる音が鳴り響く。女性はまた悲鳴を上げる。呼応するように鳥も鳴き叫ぶ。
羽を広げるように腕を広げた。かと思うと、漸く姿形が窓から流れる陽光で見えてくる。
腕は成人男性の二の腕から、鳥の羽が生えており背中から生えた羽毛は細い針のような形で、腰から脚にかけては、まったく鳩や雀などの鳥の特徴に似ていた。しかし足先だけは、猛禽類のように巨大だった。
その猛禽類のような脚がついに女性の喉元に食いついた。顔は見えなかったが、なおも人間の鳴き声が響き渡る。女性の声は段々小さくなり、わたしは人間が死ぬ瞬間を初めて目撃した。
喉元から水たまりの氷を足で踏んだ時のように、割れた表面から滲み出るように血が流れた。
わたしは今度こそ、松本の手を握り、この家から逃げ出そうと決めた。
しかし、ドアに掛けた指先が汗で滑り、ガチャっと大きな音が鳴った。
わたしと松本が「ああっ!?」と情けない声を出すと、鳥がこちらを向く。
見えなかった顔は、インコのようにつぶらな瞳をしており、けれど嘴にはヒビが入り、歪な形をしていた。
鳥が大きな叫び声を上げる。わたしは人生で初めて死を覚悟した。
しかし、先に逃げ出したのはわたし達の方ではなく、鳥だった。
窓ガラスを割り、夕闇に翼(腕?)を広げて消えていった。体の力が抜けて、床に突っ伏した。
「……ど…え…?何これ…?」松本は声を必死に絞りながら涙目で話しかけてくる。
わたしは何も言わなかった。立ち上がって、あの開いていた部屋の中に入った。後ろから松本がついてくる。
そして部屋の机にあった錠剤や真っ黒の薬の壜を一つ一つ手にとって眺める。
「いや…いやいやいや、何で?」
「何があるのか調べてる」
薬の成分がよく判らない為、あまり触らない。
「早く逃げて…いや、警察に通報もしないと…あれ、救急車の方?」
両方だよ、とわたしは言った。
辺りを見回す。本棚には医学書みたいな本と、聖書ではない教典が大量にあった。中には土着信仰についてや、異国の生贄文化についての調査書もあった。
「わたし、通報しとくよ?」
「ああ、しといてくれ」
クローゼットの中にはキリスト教の人が着るような祭服が並べて吊るしてあった。違うのは、肩辺りの袖に十字架が縫われ、その上から人が磔になっている絵が描かれていることだ。
それはまるで元からある絵本の上に塗り重ねた幼児の描く世界のようで、わたしは感動のような、大きな心のゆさぶりを覚えた。
自分がベトナムで見られなかったものが…国の表面にある心象には映らない人間の沿革。
パトカーのサイレンとともに窓から赤い光が入り目に映る。
わたしを呼ぶ松本の声が聞こえる。
だけどその声はわたしには判らなかった。
呼ばれているのは判る。ただ、何を言われているのかが理解できなかった。
*
九人目の独白―――
なんですか?あの人たち。
えっ。だからさっきの「教団」だのと叫んでいた人たちですよ。
【ご存知ありませんか?】
…私は知りませんけど。
本当ですよ。そもそも私は何でこんな所に集められたんですか?
ここ…広いですね。教会…ですか?
大聖堂みたいですね。ああ、私はクリスチャンなので。海外まで見に行ったこともあるんですよ。
…もしかしてさっきの人たちもそうなんですか?
【いいえ、先程の方達は関係ありません】
えっと…ところであなたは誰ですか?
【あなたはここへ何を?】
ここへは教義を……あの、先ほどからうしろの大きな…ちなみに、あれは一体?
【では、見やすいように明るくしましょう】
ああ…祭壇…ですかね?
あの、もし改宗などの話でしたら、お断りさせていただきますが…。
【■■■さん。我々は新興宗教などではありません。そうですね。逆です。我々はそのようなものを研究しているのですよ】
話が見えてこないのですが…。では、私になにか聞きたいことが?
【特に何も】
………………………。
【知りたいんですよ。わたしは】
え?
【どうやって人が、信仰のために家族を捨て、人生を捧げ、死ぬ瞬間まで幸せだと思って死ねるのか】
やめてください。意味が判らない。…あなたは異常者だ。早くここから出してください。
【我々は鳥です】
………は?
【先程の"あなたは誰だ?"という質問の答えです。わたしは自由に空を飛びたいと願い、鳥籠の中で暮らしている鳥です】
何を言っているんですか。
【神は死んだ】
私を侮辱しているのか!
【死んだのは神ではない。あなた方だ】
早くここから出せ!こんなやつの話など、聞く価値もない!
【■■■さん】
何だ!?
【何故あなたはわたしの声が聞こえるのか?】
あ…。
………は?
ああ…?………鳥……?
なんで…私は今まで鳥と喋っていたんだ?
そもそもわたしは誰だ?■■■?なんでわたしはわたしの名前が言えないのだ?
本当はどうなっている?わたしは家に居たんだ。
娘と一緒に暮らしていたんだ。
妻が亡くなってから、わたしはとある日本の街へ移り住んだ。それから一軒家で…そうだ。鳥を…娘が欲しいと言ったから、白い小鳥を一羽飼い始めた。
わたしも娘も幸せだった。
そのうち、鳥は寿命で死んでしまった。短命種だったから、仕方ないと思った。
けれど娘はもう1羽飼いたいと言い出した。
わたしは鳥が亡くなって悲しかったし、亡くなって一月も経たないうちに言い出す娘が理解できなかった。
しかし、わたしもあの素晴らしい日々をもう一度過ごしたかったので、喜ぶ娘と共にペットショップへ向かった。
そこで、死んだ鳥とまったく同じ鳥を見つけた。
種類が一緒なだけではない。毛並み。鳴き声。それにわたしが近づくと、生前のように喜んでくれるのだ。
わたしは驚いた。はっきりと言おう。震えてしまったのだ。
しかし娘は違った。
娘は笑顔でその鳥をほしいと言ってきた。
結局、その鳥を飼うことにした。同じように可愛がった。それで、結局寿命で亡くなってしまった。前の鳥より早く死んでしまい、わたしは二度と鳥を飼わないと決めた。
娘にそれを伝えると、悲しそうな目をしていた。
それから何年も経って、娘は大学に行き始めた。
近くの大学だったので、家は出ずにわたしと暮らしていた。わたしは一人暮らしを始めても良いんじゃないか、と訊いたが彼女は家賃もかかるし、この家が好きだからこれで良い、と言った。
順風満帆だったのだが、その頃から奇妙なことが起き始めていた。
日中、家に居ると物音がする。
娘に訊くと気の所為だという。
娘にも変化が起きた。様子が変なのだ。
娘の目の下にクマができたり、疲れがとれないようだった。
訊くと、バイトをしはじめたと。それにしても、入れ過ぎなんじゃないかと思ったが、年頃だし、親に隠れて何か買いたいものがあるのかと思い、黙っていた。
けれど不思議なのは、それに伴って娘の生活が豪華になったり、交友関係が変わったりはしなかったことだ。
娘は娘のままだったし、それに少しくらい人は変わるものだから。
でもあれは…そんなものじゃなかった。
ある夜のことだ。わたしが娘の部屋の前を通ると、中からは奇妙な声が聞こえた。動物の呻き声のような何かが…人の真似をしているような声だった。わたしは不安に駆られ、ドアを開けた。
そこには■■■■が大きな鳥の毛をくっつけた剥製のようなものに、陰部を押しつけていた様子が見えた。■■■■は白目を剥きながら、しきりに何か唱えていた。おそらくあれは中東の■■地方に伝わる祝詞のようなものだろう。なぜ娘がそんなものを唱えていたのか、あの剥製は何なのか、わたしには何も判らなかった。
気分が悪くなったわたしは、外の風を浴びにベランダに出た。その瞬間。
『ああああああああ!』という声が聞こえた。娘の声だった。私はすぐに部屋に向かった。
そこには、あの、黒い剥製が、段々とその羽根を白色に…飼っていた白い小鳥の色になっていった。
わたしが困惑していると、娘が『お父さん!やったよ』とこちらを向いた。
娘は笑顔だった。
笑顔で『お父さん』と何度もわたしを呼んだ。それに呼応して、あの大きな鳥も鳴いた。笑い声と鳴き声が錯綜して、奇妙な旋律を奏でていた。
わたしは怖くなって逃げ出した。
それからあの家には帰っていない。
娘は何を生み出したのだろう。何が『やった』のだろう。判らない。何を育ててしまったのだろう。判らない判らない。アレは何なのだろう。わたしはどうして逃げたのだろう。わたしはそれからどうして生きてきたのだろう。ここはどこだ?何故鳥の言葉が判る?判る。判らない。判らない。判らない。
判らない判らない判らない判らない判らない判らない判らない判らない判らない判らない判らない。
【九人目もないんですよ】
――――――――――――――――――――――
【これはただの一つのお話ですから】
贖いの天使たち 静谷 早耶 @Sizutani38
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