9月29日⑦

 喫茶Paradisoの扉を開けるとすぐに、窓際のテーブル席で待ち受けるケイとサキちゃんと目が合った。夕方のオレンジ色に暮れなずむテーブル席。お客さんは彼女たち以外ゼロ。二人とも何やら合点がいったような“にやつき”を浮かべて私を見ていた。店内ではSPECIAL OTHERSの“グッド・モーニング”が流れていた。

 私はゆっくりとその席に近づき、二人の正面に立つ。それから何も言わずに私は深々と頭を下げた。すると二人はまるで最初から段取りを決めていたように、順番にこう言った。

「カフェオレとチーズタルト」

「あたしはカプチーノとショートケーキ!」

 私はその突然の宣言にきょとんとした顔をしながら、しばらく立ったまま二人を交互に見つめていた。ニヤケ顔を私の目線が三往復した所で、私はようやく状況を飲み込めた。私は目をぎゅっと瞑って天を仰ぎ、頭上の色あせた大きなはりに向かって声を震わせて言った。

「喜んで、奢らせていただきます!」

……私はコーヒーとモンブランにした。

 サキちゃんが三人分の注文を用意する為に席を立つ。私は項垂うなだれながら、彼女と入れ替わるようにケイの対面に座った。

 あれだけ泣いたのにまた涙が出そうだった。そして私は、大人がクレジットカードを持つ理由を痛いほどよく理解した。

 これで良いんだ。元々こうするつもりだったし、これで許されるなら――あとで店の入り口にあるフリーペーパーの求人雑誌を持って帰ろう。どうか良いバイトがありますように。

「ケイは分かってたんだね」

 財布事情から目をそらす事で心の平穏を取り戻すことに成功した私は、ふと何気ない気持ちでケイにそう訊ねていた。本当に自然に。ポロッと。

 ケイは黙って私を見ていた。持ち前のジト目をわずかに見開きながら。それから視線を窓の外に移して、いつもの気だるそうな声で言った。

「何のことか分からないねェ」

 ……戸愚呂(弟)みたいに言うじゃん。と、思ったけど話が脱線するのが明白だったので言葉にはしなかった。私は質問を続けた。

「いつから?」

「……“しゃれこうべ”のニュースの話された時」

 私の脳裏に、あの時のに浮かべた彼女の表情がフラッシュバックした。

 ……あれか。あれは確か9月25日――4日前の下校中だった。何となく納得。

「どこまで分かってた?」

 続けてそう私が聞くと、私の顔を見ながら彼女はゆっくり首を横に振った。

 こいつ、だんまりで行く気だ。

 ……まあいいでしょう、許します。私はため息をついてみせた。するとケイが言った。

「そっちで何が起こったかは詳しく分からないし、どうせ話す気も無いんじゃん? だからとだけ言っておきますわ」

 一呼吸置いてからケイが言う。

「おかえり」

 私は吹き出してしまった。理由は分からなかった。ただ、私は心の底から“愉快だ”と思った。店内ではSPECIAL OTHERSの「グッド・モーニング」がリピート再生されていた。ケイはやれやれとため息をついた。

「そっちでいろんな事、あったって事は分かるからさ。サキもきっと同じ気持ちだよ。あいつも分からないなりに――まあいいや。とにかく今はこれでおしまい」

 私は息を整えてから、そうだねと言った。

「いつか話してくれる?」

「そんな大したものじゃないし。期待はずれだよきっと」

「それでも」

「どうだろうねェ」

「戸愚呂(弟)じゃん」

「3分でこの喫茶店を平らにしてみせようか?」


「もうほとんど平らで、しかもなんだから止めてよね!」

 サキちゃんが話の途中で注文品を持ってきてくれた。ケイと私の分。テーブルの上に勢いよくそれらを並べると、一度カウンターに戻ってから自分の分も持ってきてケイの隣りに座った。

 それからいかに自分が私を心配していたか、映画俳優も舌を巻くような大げさな身振り手振りを交えながら“非常にわかりやすく”教えてくれた。最後の方は八つ当たりに近い怒り方をされた。始めは申し訳無さで一杯だった私も、流石にこの勢いには耐えられそうになかった。しかし私は“中間管理職の平謝り”のスキルツリーにポイントを振っていたので、それを発動してぺこぺこしてたら、なんか無事終わってくれた。


「そういえばさ! クラスの吹奏楽部の子にさ、来週やる定期演奏会に誘われたんだよね! 皆で行かない?」

 すべてが終わって、存外けろっとした感じでサキちゃんが言った。

「パス」

 サキちゃんが応戦する。

「パスは一週間に一回までで~す! 一昨日使ったからもう使えませ~ん」

「そんなレギュレーション無いし。そもそも一昨日のパス、無効にさせられてるし」

「昨日決めました。そして、新レギュレーションでは“パスの宣言”自体が週イチになります」

「決まったの最近過ぎじゃんね。猶予期間も無いし、そもそも合意してないし」

 ケイが異議を唱えると、サキちゃんは大げさにこほんと咳払いをひとつ。それからわざとらしい低い声を作り、また大げさな身振り手振りをまじえて言った。

「この問題は、我々の間で最も頻繁に論じられてきた問題のひとつでした。私たちは今まで長い時間をかけ、この無視できない議題に対して慎重に意見を重ねてきました。今回のこの変更は私たちにとって大きな決断でした。私たちに対する、より多くの誤解や偏見にまみれた否定的な意見が飛び交うかもしれません。こういった事はしばしば起こります。しかし私たちは私たちのプレイ体験に前向きな変化をもたらし、より刺激的な新しい価値を提供出来るものだと確信しています」

「うわ、海外オンゲーの開発スタジオが大型アプデでエゴ丸出しの雑なナーフとバフした時に出てくる声明のやつじゃん」

「違うよ。ちゃんと一人のプレイヤーとして、プレイしてる側の人間として言ってるもん。あの人たちはそのゲーム一度もやってないのに、そのゲームの運営してる良く分からない人たちだし」

「信用出来ないなぁ」

 ケイが抗議を続ける。サキちゃんは大げさにため息をついた。私はと言うと、また吹き出していた。

 黒猫のレヴナントがいつの間にかサキちゃんの足元にやってきていて、彼女の膝の上にぴょんと乗った。華麗だった。サキちゃんが両手で彼を持ち上げて、私の方に向ける。このあと、私はいつものように芝居がかった調子でレヴさんに「定期演奏会に行くべきか否か」を質問するのだろう。「ニャッ」が肯定で「ニャァー」が否定。いつも同じ。決まったやり取り。 私たちはどんな回答が返ってくるか、既に分かりきっていた。51回目になった“お馴染み”の流れ。50回目もそうだったし、52回目もそうだ。60回目も70回目もきっと。


Paradisoに集う私たち、雑なアプデ、猫占い。

繰り返し、繰り返し、繰り返し――




END

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

paradiso あるいは6日間の、すぐに忘れ去られてしまうような出来事 kusyami @kusyami0

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ