カーナビ――K県とT県の間の山地を越えようとした時のこと

青色豆乳

第1話

 夫、私、2人の子どもたちで、家族旅行していた時の話です。その日の午後、私たちは夫の運転する車でK県からT県を目指していました。今考えれば、無理な予定だったと思います。初めて通る山道を、夫は単純に「最短ルートだから」と選んでいたのでしょう。


 天気予報ではこれから雨でしたが、県道が山道に差し掛かった時、まだ雨は降っていませんでした。しかし、道路を管理しているらしい人が、通行止めの表示を用意していました。


「まだ降ってないですよね。通っていいですよね?」

 夫は彼にたずねました。出発が思ったより遅くなってしまい、太陽は大分傾き始めていました。急いでいた夫は強気でした。

「……自己責任でお願いします」

 彼はしぶしぶと言った様子で私たちを通してくれました。


 山道に入って、変化のない景色に子どもたちが飽きてきたので、助手席に座っていた私は、カーナビを操作してアニソンのDVDをかけました。


 県道はカーブの多い道が続くと思えば、突然小規模な集落が現れたりして、以外とたくさん人が住んでいるのだなぁと不思議な気持ちになりました。


 T県まではまだまだ距離があります。道は端が時々崩れていて、長い山道の管理の大変さが感じられました。そして、直したばかりの山崩れの跡があり、自然の厳しさを突きつけられました。これは危ないのではないか――今更そんな気がしてきました。

 そして、とうとう雨が降ってきました。突然の大雨です。後で知ったのですが、線状降水帯に入ってしまったのです。

「パパ、安全運転でお願いね」

 私は、山道の入り口で夫を止めなかった事を後悔しました。夫は都会育ちなので、山の天気や道を甘く見ていたのでしょう。私が注意しなければいけなかったのです。


 その時、カーナビが道を再検索する表示が出ました。

【ルートを再計算しています】

 私たちはトンネルに差し掛かるところでしたが、脇の林道のような道に入るルートが表示されました。


「いや、これは無理だろ」

 夫が無視してトンネルに入ると、またカーナビがルートを検索し始めました。


【ルートを再計算しています】


 今度は、来た道を戻るように指示しています。地図には、雨のため「通行止め」の表示が次々と増えていきます。


【ルートを再計算しています】

【ルートを再計算しています】


「なんなのこれ……」

 細い山道でUターンすることもできず、夫はそのまま進み続けました。夫は運転に集中するために言葉少なになり、アニソンも終わってしまいました。子どもたちは寝たのでしょうか。雨粒が車を叩く音がザアザアと響きます。


「ねぇ、またルートが変わったわ」

「この道でいいの!?」

 私は怖くなって夫にいろいろ話しかけてしまいましたが、夫は何も言いません。いつ事故を起こしてもおかしくない状況でした。

 また集落が見えてきました。

「ねぇ、ちょっと止まって、雨が上がるまで様子を見たら?」

 夫はひたすら前を向き、運転しています。


 ついに、T県へ入り、山道を抜けました。その頃には夜になっていましたが雨は止んでいました。何もない田んぼの真ん中にぽつんと立つコンビニにつくと、やっと一息つけました。


「ねぇパパ、ちょっと無茶だったんじゃない。あの時、止まって雨が止むまで待っていた方が安全だったかもよ」

「あの時って?」

「集落に入った時よ」

 夫は、ぎょっとした顔で私を見た。

「……何を言ってるんだ?」

「え?」

「ずっと山道だっただろ。ママ、集落なんてどこで見たんだよ」

 そんなはずは……私たちは確かに、何度か集落を通ったはずです。雨の中、……

 私は気がつきました。雨が降る前も降ってからも、一度も人を見なかったことを。

 その時カーナビが、静かに画面を切り替えました。


【ルートを再計算しています】


 目的地には、すでに到着しているはずなのに。

 私たちはどこを通ってきたの?ここはどこなの?


【ルートを再計算しています】

【ルートを再計算しています】

【ルートを再計算しています】

【ルートを再計算しています】

 …………

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