第2話:0ヶ月目〜進む道①

「来ちゃったじゃん…」

思わずポツリと呟く。

推しを失った翌日、同僚に「ダンスを始めてみろ」という突拍子もない提案を受け、気づけば渡されたチラシのワークショップイベントに来ていた。

(確かに運動は好きな方だし、昔ボクササイズとかはハマって通ってたけども…!)

それとこれとは別の話な気がする、というか絶対に別だと思う。完全に、麻理の仕事のアシストのためにけしかけられたような気しかしない。

(麻理のやつ…!絶対この契約大きいの取ってきてよね!)

友人と、会社の利益になるなら(将来的に自身の給与に繋がるのなら)と、深月は覚悟を決めて、スタジオの中へ入っていった。


ワークショップは事前予約制となっており、いくつかの部屋で時間ごとに様々なジャンルのダンスのワークショップが開催される形式となっていた。

今回深月が選んだのは、HIPHOP、ジャズダンス、ブレイクダンスの3種類のクラス。どれも未経験者歓迎、初心者向けの内容となっているらしい。せっかくなので、雰囲気が全く変わるであろうジャンルを選んでみた。できる気は、どれもしていない。

受付を済ませ、更衣室に入ると、そこはすでに受講者でいっぱいだった。狭い更衣室なので一目で見渡せるが、視界には、明らかに自分より若いであろう女の子しかいない。しかも、ほとんど知り合い同士で来ているのか、めいめい賑やかに喋りながら支度をしている。

(帰りたい…!すでに帰りたい…!!)

覚悟はしていたが、踊る前から肩身の狭い思いをするなんて…と、俯きながらそそくさと着替えを済ませ、指定の部屋へ向かった。



まずはHIPHOPのクラス。

推しがメインで踊っていたジャンルで、動けないけどある程度の知識はある(動けるとは言っていない)と思い、選んだ。

スタジオのドアを開けると、先に来ていた受講者がストレッチやウォーミングアップをしていた。

(…やっぱり若い…!そして絶対初心者じゃない…!)

対象年齢は18歳以上となっていたが、見た目だけだと、そのあたりの年代層が圧倒的に多かった。一応、深月と年齢が近そうな受講生もちらほらいたものの、確実に言える、初心者ではない。

レッスン着からしてこなれた、ザ・ダンサーといった感じの出立ち、ウォーミングアップの内容も、明らかにこれから習うであろうアイソレーションやステップを行っており、少なくとも、全く自分で動いたことがない、深月のような人間は見られない。その光景に、深月の帰りたいメーターがさらに上昇する。

せめて誰か知り合いを連れてくればよかった、と、アキレス腱を伸ばしながら肩を落とす。


「はーい!じゃあ始めまーす!」

ふと凛とした大きな声が響いた。声のした方を向くと、ワークショップの講師が入ってきた。界隈では有名なHIPHOPダンサーらしく、すでにファンも多いため、スタジオのあちこちから小さく歓喜の悲鳴が上がる。気持ちは分かる。同性で、初めて見た深月ですら一目で「かっこいい」と思うくらいだ。

内容としては、簡単なストレッチから、リズムトレーニングとアイソレといった基礎トレーニング、そして最後の20分で振り付けを踊るものだった。

ほとんど基礎練習で、名前を聞いたことのあるようなステップはほとんど踏んでいない。なのに、この基礎練習だけで汗が噴き出す。

(リズム取るだけなのに、こんなにハードなの…!?)

思っていたのと違う、全然違う。つまらないとは思わない、むしろこういう練習が、特にダンス未経験の人間にとってはとても大事なんだろうな、と実感した。それにしても、ただリズムに合わせてアップとダウンを取っているだけの動きが、シンプルゆえに辛い。思っている以上に膝や腰を上げ下げしなければならず、講師から「もっと!」と檄が飛ぶたびに、「まだ足りないの!?」と内心悲鳴をあげた。

そして振り付けは振り付けで、全然覚えられない。こんなにも左右が分からなくなったのは、人生で初めてなのでは?と愕然とした。最後にグループに分かれて踊る時間があったが、最初の8カウントが終わると一人だけ動きが思いだせず止まってしまい、惨めな思いをして輪に戻った。


終了後すぐに、2つ目のジャズダンスのクラスへ。

ドアを開けると、先ほどと同様の既視感を覚えた。やっぱり年齢層が若い。先ほどのHIPHOPクラスよりはやや上のように見えるが、それでも、自分と近そうな年齢の人間は少ない。そして、やはり皆未経験者ではない様子が見受けられる。

身体が硬い自分がどこまでできるのか、ある意味実験のつもりで選んだが、その選び方を後悔した。ミリほども知らない自分が受けるにはハードルが高い。

(なんか…「◯◯やってみた!」のノリで予約してごめんなさい…)

すごすごと教室の隅を確保すると、ひっそりとストレッチを始める。


こちらも講師が入ってきて、レッスンが始まった。基礎のターンやプリエといった、全く馴染みのない基礎の動きのトレーニングの後、すぐに振り付けへと移る。先ほどのクラスと違って、ほとんどが振り付けを落とし込む時間だったが、振りを練習する時間が長いからといってできるわけではなかった。

普段あまり見ない動きが多く、思い出しながら動いていると余計に左右を見失って迷子になる。気づいたら周りより2テンポくらい遅れて振りを踊っている状態だ。じわじわと帰りたいメーターが天井へ近づいてくる。

そしてやはり、最後はグループに分かれて通しでのダンスだったが、ここでも惨敗だった。せめて周りにぶつからないようにと、気を遣うだけで精一杯だ。変な汗が背中を伝う。終わってから、「よくできました!」と講師が明るく拍手をしても、手応えがなく、やっぱり俯きながら端へ戻った。




「やっぱり無理だって…」

次のクラスの空き時間の間、近くのカフェで時間を潰すことにした。スタジオに小さいロビーもあったが、あの空間に一人で居続けるのは居心地が悪く、流石にできなかった。

「思ってた10倍はできないなんて…」アイスコーヒーをストローでかき混ぜながら、はぁ…と頭を抱える。涼やかなカラコロ…という音が癒しだ。氷の音のASMRがあったら、今なら5時間は聞いていられる。

(やっぱり、ダンスなんて柄じゃないんだよ)

麻理はああ言ってくれたが、自分には向いてないんだ。正直、「推しと再会するために推しの好きなものを追いかける」という提案には、少しだけ胸が高鳴った。画面のこちら側で、傍観していただけの推しと、同じ目線で立てるチャンスがあるかもしれない、と。

でも、そんなのは結局ただの夢幻でしかない。傍観者は傍観者のままでしかいられないのだ。推しと同じ、ダンサーという立場でまた会いたいなどと、大それた願望だったのだ。

(スタジオは綺麗だし、講師の方の話もすごく勉強になって、レッスンの質も良いと思うよ、と…)

麻理へのチャットに、簡単に感想を書いて送信した。もう仕事はしたんだし、最後のレッスンをこなして今日は帰ろう。深月は軽く息を吸うと、スタジオに戻るべく、伝票を手に立ち上がった。



最後は、ブレイクダンスのレッスン。

ブレイクダンスと聞くと、「頭だけで高速で回る」というイメージがあり、正直できる気はしていない。けれども、逆にあの常人離れした動きに至るまでの「初心者向け」とはどういうことをやるのか、正直興味があった。

それと、推しが以前雑談配信で語った言葉も理由の一つだ。

「色んなジャンルやってきたんですけど、ブレイクダンスだけはホントにできなかったですー!カッコいいんだけど、さにゆかにはあのカッコ良さが向いてなくて!」

そう言うと、おどけててへへ、と歯を見せて笑っていた。割と何でもできるイメージのあった推しだったから、そういう風に、はっきり「できない」と思うダンスがあることが意外だったし、逆に、推しができないものにチャレンジしてみるのも良いんじゃないか、と血迷った結果、気づけば予約をしていた。


(どうせここまでできてないんだし、今更できなくてもノーダメージだよ)

半ば諦めの気持ちでドアを開ける。すると、先ほどまでとは受講生の様子が少し違うことに気づいた。

まず、年齢層が、これまでのクラスに比べて高めだ。割と年齢が近いのでは?と見受けられる受講生が過半数のように見える。何なら、深月よりやや年上であろう受講生すらいる。

そして、経験者らしき人ももちろんそれなりにいるが、割と「初めて来た」といった感じで、ややソワソワしながらストレッチをしている生徒が多くいる。これまでの「一回は経験している」人間ばかりの環境にビクビクしてきた深月は、少しだけ胸を撫で下ろした。てっぺん近かった帰りたいメーターが、ほんのちょっと、5%程度だけ下がる。


「よろしくお願いしまーす」

低い声がして、ドアが開く。そちらに顔を向けると、今回の講師が入室してきた。

(……)

先ほど少しだけ下がった帰りたいメーターが、天井振り切って爆発した音がした。入ってきた講師の風貌が、いかにも…といった感じだったからだ。

ダボダボのスウェット、ジャージに履き古したスニーカーのような服装に、金色のチェーンネックレスを合わせている。襟元から首筋には、控えめとはいえ、タトゥーが見える。表情も鋭く険しい目つきで、眉間に皺が寄っており、ニコリともしない。明らかにこれまでの講師のように、「お客さん」として生徒を相手にしている態度とは180°違った。

やっぱり、頭で回るような人が当たり前にいるジャンルのためだろうか、講師も雰囲気が違う。普通に道ですれ違う時は少しだけ距離を空けてしまうタイプの人だ。言葉を選ばずに言ってしまうと、普通に怖い、関わりたくない。

(私、生きて帰れるのかな…?)

ダンスを習いにきただけなのに、自分の命の心配をすることになるなんて。深月はここにきて、今日一番に自分の選択の過ちを悔やんでいた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

Beat for You 水瀬 詩織 @bgbar

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ