お前の娘の最初のステージに気を付けろ。
白夏緑自
第1話
お前の娘の最初のステージに気を付けろ。
私が引退するときに届いたファンレターのなかに、たった一文だけ綴られた便せんが紛れていた。
わかりやすく脅迫文だ。こういうのはマネージャーが予めチェックして省くはずだけれど……。残ってしまっていたならば仕方がない。タイミングもあって、今まで一番多い数の手紙をもらっている。1つぐらい紛れているのも仕方がない。
しかも、このときは怖さよりも面白さの方が勝っていた。
当時の私に娘などいない。ましてや結婚もしていない。それなのに、私ではなく生まれるかもわからない娘に呪いをかけようとしている。当たりどころのない呪詛は馬鹿々々しく思えた。
アイドルを引退して芸能からも身を引いた。しばらくして結婚もした。子どもを産んだ。娘だった。
忘れていたはずの手紙が記憶の淵に這い上がる。
お前の娘の最初のステージに気を付けろ。
あれは、どういう意味なのか。旅行先の旅館でテレビを観る娘を眺めながら考える。
普通に考えれば──私がアイドルをやっていたことも関係して、娘がアイドルにでもなったときだろうか。
それとも習い事──例えば、バレエやピアノの発表会を指しているのか。
娘が成長し、今後の可能性が広がるにつれ大きくなる不安。我ながら活発な子だ。いつか遅かれ早かれ人前に立つ経験をするはずだし、この子も目指すことになるだろう。
子どもの目標を親である私が昔貰った言葉を理由に制限させたくない。しかし、夫に相談しても、私の不安は晴れない気がしている。
根拠のない言葉に根拠のない不安だ。夫の励ましに根拠は期待できない。
これが呪いか、と内心で息を吐く。私の生活に小さいながらも深い棘が刺さっている。あの手紙を寄越した過激なファンの目的は達成してしまった。
「ねえ、てんかむそーってなあに?」
娘がテレビに指を指して問う。年の割に発話が明瞭なおかげで、すぐにテレビや大人が発した言葉の意味を訪ねてくる。
我が娘に誇らしくなりながら、この子の前で余計なことを喋れないな、と気が重くなりながら私は答える。
「天下無双……、うーん……ほかの誰よりもスゴい……ってことかな?」
「へー、ママ、てんかむそーだったの?」
「そうねー……、そう呼ばれていたときもあったかなあ」
望んでいないとはいえ、大そうな称号を付けられたものである。自分でも上手く説明できない四字熟語。若い時は謙遜しながらも密かに誇っていたものだが、10年近く昔のことになると今はこそばゆい。
「まゆもてんかむそーのアイドルになる!」
響きが気に入ったのか、てんかむそーてんかむそーと繰り返しながら、布団の上でダンスを踊り始める。
さすが私の娘だ。リズム感はいいし、幼い動きだけど、流れる映像からフリの特徴を掴んでそれらしく踊っている。2歳ながらもしっかり立って踊れるだけのバランス感覚も持ち合わせている。天才かもしれない。
「じょうずじょうず!」
娘の成長にスマホで動画をまわす。液晶と目視で交互に幸せを眺める。
「あ……」
久しぶりの感覚に声が漏れた。
天下無双のアイドル。そう呼ばれていたのは当時の人気もあるけれど、メンバーやチームからは別の意味で使われていた。
私は本番に強い。どんなコンディションでも、どんなトラブルでもステージを成功させる。失敗しない、させない力が唯一無二。故に天下無双。
正直、自負はしている。私には人よりもステージへの勘が鋭かった。
そのおかげで所謂、板の上に魔物が潜んでいれば気づけたし、対策もできた。具体的な手を打てなくても心づもりができるだけ、何もしないのと雲泥の差だ。
だから、なのか。
娘の踊る布団に嫌な気配を察してしまった。下から立ち込める黒と紫の湯気のような気配。呪いの言葉が私の声で頭の中に響く。
お前の娘の最初のステージに気を付けろ。
「まゆちゃん、もうやめておこうか」
「えー、はぁーい……ぁ、」
はたして、私の制止は間に合わなかった。
踊りをやめた娘がバランスを崩すと、その場で尻もちをついた。
「うぅ……」
それだけならよかったが、泣き出した娘の反応が尋常ではない。
「大丈夫⁉」
慌てて娘に寄り、抱き上げるとお尻に生暖かい感触。
見ると、ズボン越しに血が滲んでいるうえ、何かが刺さっている。
「安全ピン……?」
どうしてこんなところに……。いや、そんなことよりも血を止めないと……。絆創膏とかガーゼとか……。
フロントに電話しようと内線に手をかけたところで浴場から夫が帰ってきた。
「どうした⁉」
異様な雰囲気に気が付き、その後の対応は彼が引き継いでくれた。
結局、安全ピンは布団を引いた仲居さんの置忘れと言うことだった。旅館の支配人からは深々と謝罪され、娘に大きな怪我はなかったから夫も私も誠意を素直に受け取ることにした。
「しっかし、よかったよ。怪我したのがお尻で」
「え?」
帰りの車内。娘が眠ったのを確認して、夫が怪我のことを話題に出す。
「だってあのとき、まゆは踊ってたんだろ? よかったよ、ターンしたときに顔から転んだりしなくて。もし顔にでも怪我したらもっとかわいそうだろ。女の子だし」
「ああ、たしかに……。お尻でよかったね」
お尻が見える仕事はして欲しくないのが親心だ。私が昔、少しだけそんな仕事をしたのを知っていて夫は言わないけれど同じ気持ちだろう。
「そうそう。ちょうど、やめさせてくれたんでしょ? 昔から勘が鋭いよな」
「そんな、たまたまだよ」
もちろん、嫌な気配に気づいてはいた。ただ、夫の言う通り勘でしかない。杞憂で終わったときもあるから、あまり大っぴらに認めたくはない。
だけど、と私は続ける。
「だけど、よかったよ。まゆの最初のステージが布団の上で」
「ん? どういうこと?」
「なんでもない」
そう、本当によかった。まゆ──私の娘にとって最初のステージは終わったのだ。あまりにも地味でささやかで、観客は私しかいなかったけれど。
私のなかに巣食っていた呪いの言葉はもう、キレイさっぱり姿を消している。
お前の娘の最初のステージに気を付けろ。 白夏緑自 @kinpatu-osi
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