違和感
一河 吉人
第1話 違和感
あの夢を見たのは、これで9回目だった。
「ふーん、なるほど……」
僕はその文字列を先輩の肩越しに確認した。
「ど、どうかな……?」
長い髪を揺らし首だけで振り返った先輩は、心配そうな顔をしていた。
「うーん、あるといえばありますね」
「だ、だよね!」
先輩の顔に色が戻る。僕は再び画面に視線を戻すと尋ねた。
「っていうか何なんです? この文章」
放課後の文芸部は、いつも通り僕と先輩の二人きり。だけど、今日は珍しくノートパソコンが開かれていた。僕も先輩も執筆は紙派なので、コイツは
曰く、「この文章、何だか違和感がないかな?」と。
画面いっぱいに開かれた文章ソフトにはその一文だけが踊り、残りは完全に白紙だ。
「パソコンで執筆派にでも鞍替えしたんですか?」
「あ、うん」
先輩は何故かもじもじと逡巡し始め、やがておずおずと口を開いた。
「その……とある小説投稿サイトのお題なんだ。この文章で書き出すっていう」
「へえ、練習問題みたいなものですか。三題噺以外にもいろいろあるんですね」
「そうだね、こんどうちの部でもやってみようか」
「まあそれは置いておきましょう。で、つまりそのお題の文章に違和感があると」
なるほどねえ、僕は顎に手をやると再び画面を覗き込む。先輩がパイプ椅子をギシギシと揺らす。
『あの夢を見たのは、これで9回目だった』
「……違和感というか、少なくともスルッと入ってくる文章ではないですね」
「そ、そうなんだよ」
「ですが完全な誤りかと言われると。うーん、この気持ち悪さはなんでしょう? 真っ先に思い浮かぶのは指示代名詞ですが……」
「『あの』は遠称、『これ』は近称だからかな? 統一されてたら問題は無さそうだよね」
先輩はそう言うと、実際にノートへ打ち込んでみせた。
『あの夢をみたのは、あれで9回目だった』
「まあ、『あの』と『あれ』を続けるのが気持ち悪いとう別の問題は発生しちゃうけど……」
「全く面倒くさいですね」
「うっ……しかしだね、そこを潰していくのが執筆じゃあないか」
「全く面倒くさい人ですね」
「人格攻撃はやめてくれないかな!」
面倒なのは小説であって私じゃない、などと抗議の声を上げる面倒くさい人を無視して僕は二つの文章を見比べた。
「なるほど、ですが『この夢を見たのは、これで9回目だった』でも座りが悪いでしょう?」
「んー?」
「それに『これ』は明確な
「そう……かな?」
先輩が混乱したままキーを叩く。
『あの夢を見たのは、これで9回目だった』
『あの夢を見たのは、あれで9回目だった』
『この夢を見たのは、これで9回目だった』
「ほら、むしろ気持ち悪いのは近称で統一した三つ目じゃないですか?」
「そ、そう言われれば確かに……」
「まあぶっちぎりで気持ち悪いのは最後のやつだけ数字が全角な点なんですが」
「うっ!?」
カーソルキーを連打して修正を試みる先輩。「!?」も半角で統一して欲しい。
「うーん……ニホコンゴ、ムズカシイネ」
先輩は背もたれに身を預けて唸るけど、半角カナは文字化けにつながるから使うのを止めろ。
「ちょっといいですか?」
「…ッ!?」
僕はノートパソコンと先輩の間に体を割り込ませると、キーボードの上に手を滑らせた。
『あの夢を見たのは、これで9回目だ』
「……あ!」
「どうです? これなら悪くないんじゃないですか?」
「うん。そっか、問題は『だった』の方だったんだ」
『これ』は今を指す近称だけど、『だった』の時制は過去だ。『あの』はブラフで、こっちの不統一が違和感の理由だろう。
『あの夢を見たのは、それで9回目だった』
「うん、うん……!」
先輩はさらに追加した例文を眺め、満足そうに何度も頷くと
「やあ、今回は助かったよ。その、ありがとう」
とこちらを振り向き、はにかみながら頭を下げた。
「いえいえ、僕も勉強になりました」
僕は伸びを一つしてそれに応える。長らくの前傾姿勢から開放された腰がパキパキと喜びの声をあげた。
「それに、敬愛する先輩を手伝うのは後輩として当然です」
「け、敬愛……」
「はい、敬愛する先輩の無事に問題を解決できてよかった」
「う、うん……」
僕の心からの言葉に、先輩はやや俯いて組んだ手をもじもじぐにぐにとうごめかした。
「先輩の『他人が気づかないような本質を見抜き真実を明らかにして見せる私』願望充足のお手伝いをできてよかった」
「そ、そんなこと思ってないよ!」
「先輩の『他人の間違いを指摘してマウント取りたいけどこれが問題のない文章、例えば文豪などもしばし用いていた言い回しだったら恥をかくのはこっちだし振り回して良い棒かどうか確約が欲しいなあ』という問題を解決できてよかったです」
「人の欲望を勝手に決めつけるんじゃあないよ!!!!」
机をバンバンと叩いて先輩は抗議をしてみせる。
「え? でもこのネタで投稿するつもりなんですよね?」
「うっ、それは……」
「そもそもですね、優秀な作家や編集者を何人も抱えている天下の大企業が度重なる会議の末に決定したお題です、そこに間違いがあると思いますか?」
「で、でも……」
「この文章は正しいんです」
『あの夢を見たのは、これで9回目だった』
何の変哲もない、だけどちょっと引っかかりはある文章。
「つまり、これは暗号なんです」
「……は?」
そう、この企画の意図は明らかだ。
「正しいが間違っている文章、いえ、間違っていることが正しい文章。そこには何らかの意図が介在しているのは明白です」
暗号読解の視点から、件の文章を改めて見やる。
「まず目に付くのが『9回目』の9ですね。突如出てきたこの数字、6でも7でもなく、なぜ9なのか? つまり、これは運営からのメッセージなのです」
「い、いや、それは9周年だから……」
「きゅうしゅう? なんだ、分かってるじゃないですか。そう、日本で9と言えば九州、つまりこれは九州についての文章なのです」
「ええ……」
「そこで考えなければならいのが、『9回目』という言い回しです。先輩に違和感があると言われ、僕が真っ先に引っかかったのはここです。普通この場合は『9回目』ではなく『9度目』でしょう。つまりこれもメッセージだ」
『あの夢を見たのは、これで9回目だった』、『あの夢を見たのは、これで9度目だった』、どちらが自然かは一目瞭然だ。
「9回目、9度目……うーん」
「さて、『9回目』の9は九州として、問題は残りの『回目』です。ここで『回』は当然『貝』であり、九州の貝といえばそれはもちろん『牡蠣』です」
「そ、そうなの?」
「常識です」
僕は眼鏡を押し上げると、納得のいかない様子の先輩へ続けた。
「『9』『回』で牡蠣を指すのは明らか。さて、九州で牡蠣といえば福岡や佐賀にも名産地はありますが、ここでもやはり9という数字を無視することはできない。つまり長崎は九十九島です」
「はあ」
「回とは口を二つ重ねた漢字、つまり9回とは9を二つ重ねて99とするの意であり、ここでも九十九が出てきましたが無論意図されたものでしょう」
「へえ……」
「九十九島の読みは『くじゅうくしま』ですが、当然思い起こされるのは『つくも』。そして日本において雲といえばもちろん『出雲』です」
「あのさあ」
「九州から山陰? と思われるかと思われるでしょうが出雲の『雲』は八雲立つが由来なので、ここで9と8が並び立つわけですね。当然これも偶然ではない」
「ねえ、聞いてる?」
「さらに『つ』とは『津』、これは港などの意味もありますが語源は『つどう』です。そして神在月で神々が『集う』のも出雲である事実と符合します」
「おーい」
「さて、九十九とは百から一だけ足りない数字です。『
「山!」
「牡蠣の語源は海辺の岩から『掻き落とす』でが、この『掻く』はひっかくであり『書く』の語源でもありま」
「川!」
「そして黄泉平坂、つまり黄泉は『よもつ』又は『よみ』」
「天下無双! ダンス! 布団!」
「? 何を言ってるんですか?」
「ええ……」
いや、何でもないですと答えた先輩はなぜか逆ギレ気味、毎度毎度よくわからない人だ。
「さて、『9回目』の暗号を解読し最終的に2つの要素にたどり着くことができました。牡蠣と黄泉平坂です。ですが、ここから先が見えない。例文がこの二つを差しているのは明らかなのです。『牡蠣』と『黄泉平坂』……牡蠣、黄泉平坂、掻き、黄泉、カキ、ヨミ――」
駄目だ、全く分からない!!!!
「あの、ちょっといいかな」
「何です? 真理の探求で忙しいのですが」
「どこから突っ込めばいいかわからないんだけどね……百歩譲って『9回目』が暗号だとしてね」
「百歩を譲る、つまり九十九歩……!?」
「譲ったとして! 目はどこに行ったんだい?」
「目、ですか……?」
僕は腕を組んで目を閉じた。目……目、め――
「面倒くさい人ですね」
「だからそれはやめたまえよ!!!!」
「チッ……『目」は『見』と同源です。これは『黄泉』の『み』と同音であり、やはり黄泉説を補強している」
「流石にこじつけじゃないかなあ」
「じゃあ逆に聞きますけどね、先輩は『9回目』の『目』をどう考えるんです!?」
「いや、何で逆ギレしてるのさ……うーん、9回目の目ねえ」
先輩は人差し指でキーボードを叩くでもなく叩きながら唸った。
「9回目、9回の目、きゅうかいのめ……いしゅ?」
「あああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!!!」
「!?」
僕はその直感に、思わず頭を掻きむしった。
「そ、そういうことか!!」
「き、君ね! 急に大声を――」
「先輩、分かったんです!」
僕は背もたれを掴んでパイプ椅子をぐるりと正面に回すと、先輩の両肩を掴んで揺さぶった。
「な、なっ……!?」
「そう、9回目とはきゅうかいのめ、いしゅ、つまり球界の盟主を指していたんです!」
「あ、はい……」
「球界の盟主といえば巨人軍、そして黄泉」
黄泉とは死後に訪れる世界、死の象徴だ。
「つまり、死と巨人の軍団といえば北欧神話のラグナロクです!!」
「お、おう」
球界とは野球、そして野球といえば9回。そして北欧神話の舞台は九つの世界、つまり九州――こんな明らさまなヒントを見逃していたとは、僕はなんて馬鹿なんだ!!
「ふう、また一つ世界の真実を知ってしまった」
あまりにも完璧な結論に僕は自分を恐れた。恐ろしく大胆で精緻な理論に震えた。……いや、逆なのか? ある種のトランス状態だからこそ、この発想に至ることができたのか? なるほど、これが神がかり、天のお告げ、トリの降臨というやつか!!
「つまり、結論としてはですね」
僕はシェイクの限りを尽くされ息も絶え絶えな先輩に告げた。
「『そもそも書き出し指定で文章を弄るのはご法度だし考えても仕方ない』です」
「ええ……」
だって考えても仕方ないじゃん。
「君ねえ、ここまで引っ張っておいてそれはないんじゃない?」
「さっきも言いましたが、お上の文章を疑っても無駄です。だから……先輩も安心してご自分の作品を書き上げてくださいよ」
「え……?」
先輩は一瞬目を見開くと、
「……うん」
と小さく頷いた。
「ま、考える前にさっさと手を動かせって話です」
「それは分かっているんだけどねえ」
先輩が顔をしかめて背中を反らし、長い髪が揺れた。
「で、完成した小説は見せてもらえるんですよね?」
「そ、それはちょっと……」
「ええ? ここまで必死で考え抜いた僕にすらですか?」
「で、でも……」
普通に嫌そうな顔の先輩。
「ま、いいですよ。部活で書いてる文章と違ってプライベートな作品ですからね。無理強いはできません」
「ご、ごめん……」
先輩は申し訳無さそうにするけど、あんな顔は僕が入部希望を伝えた時以来だ。そこまでか。
「でも意外だね。君もネット小説とか読むんだ?」
「ま、ぼちぼちと言うところです」
ハマってるというわけでもないが、電車通学は暇なんだ。
「異世界転生という幸運で超常的な力を手に入れた男がうだつの上がらなかったこれまでの鬱憤を晴らすかのように気に食わない奴らをぶちのめしていくスカッと異世界が最近のお気に入りジャンルですね」
「表現!!」
おかしいな、これでもかなりオブラートに包んだんだが。
「ふーん……じ、じゃあ恋愛小説なんかは読まないんだ……?」
「そうですね。恋愛ものは漫画でも映画でもあんまり。あ、でもこの前見つけた小説が結構面白くてですね、それだけは追ってます」
「へえ」
「でも更新が週一のペースなのでもどかしくて。しかも不定期なので、毎日確認しにいっちゃったりして」
「君がそこまでハマるなんて珍しいね」
「ええ、自分でも驚いています」
スマホを取り出し、お気に入りを開くがまだ更新はされていないみたいだ。
「ああ、早く更新されないかなあ――『花風』」
「……え?」
「あ、花風っていうのは略称なんですけどね」
「あ、ああ……」
突如、先輩は細かく震えだしパイプ椅子を軋ませた。おや、一体どうしたんだ? ま、それはそれとして。
「音乙先生、早く続きを書いてくれないかなあ」
「あああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!!!」
椅子から転げ落ち、床を転げ回る先輩。毎度毎度よくわからない人だ。ま、それはそれとして。
「タイミング的にはそろそろなんだけど、楽しみだなあ」
「ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」
違和感 一河 吉人 @109mt
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