言えばよかった。
桜波人
第1話
同期の滝口はよく気がつく男だった。
笑顔が柔らかくて、言葉遣いも丁寧で、誰にでも親切だった。
入社した時からずっと、奈緒は彼の特別になりたいと願っていた。
滝口はあまり酒を飲まない方だったが、飲み会を主催するのが好きだった。
奈緒は積極的に参加して、彼の隣の席を陣取った。
「アルコールがなくても酔える」
ビールで乾杯した後は、コーラばかり飲む滝口が可愛らしかった。
飲み会の席で、滝口は率先してトングや取り皿を手にした。
「私がやるよ」
どんなに愛想よく奈緒が申し出ても、いつもキッパリと断られた。
「いいのいいの。分けるの好きだから」
滝口は大皿の料理をバランスよく盛り付け、公平に分配する。
から揚げは二個ずつ。
ポテトサラダは余らないように、ミニトマトも添えて。
焼き鳥はネギと肉のバランスをちょうどよく。
「いつもありがとう」
奈緒はちょっと大袈裟なくらいにお礼を言った。
綺麗に盛り付けられた小皿を受け取るとき、わざと指先に触れた。
上目遣いで微笑めば、滝口も笑ってくれた。
「わたし、ポテトサラダに入ってるキュウリが嫌いなんです」
新人の春香が信じられない言葉を放ち、滝口は彼女のためにキュウリを取り除いて、ハムと卵を多めによそった。
*
今夜は、滝口好みにブレンドされた餃子のタレがまわってきた。
ラー油が浮かんでいる。
「あ、わたしタレいらないです」
春香があっさりと拒絶して、滝口はタレの入った皿を引っ込めた。
タレをつけずに餃子を頬張る春香を見て、滝口もタレをつけずに餃子を一口食べた。
「んんんん。ちょっとものたりなくない?」
「そうですかー?なにもつけないのが一番ですよ」
笑い合う滝口と春香の様子に、嫌な予感がした。
「あの二人、つきあってるらしいよ」
そんな噂が流れた。
春香には同棲中のカレシがいる。
「まさか二股?」
奈緒が冗談めかして聞くと、彼女はいかにも心外だという顔をした。
「それこそまさかですよ。滝口さん、カノジョいるじゃないですか」
奈緒の顔から血の気が引いた。
「え、うそ」
「知らないんですか?もうすぐ結婚するって話ですよ」
知らなかった。
結婚?もうすぐ結婚するの?
春香の話は本当だった。
それからしばらくして、滝口は結婚休暇を取って、ハネムーンに出かけた。
お土産にマカダミアナッツの入ったチョコレートをもらった。
バカみたいだ。
どうせカノジョがいたんなら、はっきり言えばよかった。
断りもなく、から揚げにレモンを絞らないで。
勝手に焼き鳥の串をはずさないで。
ミニトマトは嫌いなの。
笑いかけるだけじゃダメだった。
もっと早く好きだと告白して、さっさと玉砕すればよかった。
奈緒は泣きながら、餃子に大量の胡椒を振った。
言えばよかった。 桜波人 @sakura-saku-ra
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます