青井VS飯島

季エス

第1話


 人々の騒めき、耳を刺すような音楽、そして色とりどりのライト。湧き上がったフロアの真ん中に四角いステージがあった。DJブース、MC、審査員、そして、ブレイカー。今正にブレイキンの試合が始まろうとしていた。青井は無名のBガールである。女性のブレイクダンサーの事をそう言うのだ。確かに今日まで青井は無名だったかもしれない。だが今日が終われば、このフロアにいる全ての人が青井の名を脳に刻んで帰るだろう。その為に来たのだ。後賞金の為。ぶっちゃけると金が欲しかった。割と生活苦。踊っていて生きていける程世の中甘くないし、そのような人間は一握りなのだ。

 青井はステージの上で、対戦相手が出てくるのを待っていた。余りにも遅いのだ。まるで自分が格上ですと言わんばかりの余裕で以て、青井の神経を逆撫でている。顔を顰め待っていると、突然フロアの騒めきが増した。もし青井が一般の客であったなら、同じく困惑の声を発していただろう。誰かの声が耳に入った。

「天下無双の布団ラッパー飯島だ……」

 いや、誰?

 素直な青井の感想である。初耳である。天下無双の布団ラッパー? ダンサーでなく? 今日何の日でしたっけ? 思わず己に尋ねたが、当然答えはなかった。知らないので。青井の視界に入った対戦相手は奇妙な出で立ちだった。何と、布団を頭から被って現れたのだ。果たして前は見えているのだろうか。穴が開いているようには見えない。その恰好から何から疑問しかなかった。

「どうも飯島です」

「アッ、青井です」

 どうして普通に挨拶をしているのだろうか。まるで名刺でも出してきそうな空気である。今からダンスで競うんですよね? 口に出して聞けなかった。異様な空気である。或いはもう、吞まれていたのかもしれない。布団ラッパーに。

「それでは今日は、ブレイキンラップで競って頂きます」

「なんて?」

 二人の間に立ったMCが平然と訳の分からない事を言ったので、青井は咄嗟に聞き返したのだ。いや、ブレイキンラップって何。初耳である。

「ブレイキンの合間にラップをします」

 答えたのは布団を被った人間だった。多分人間である。でも説明されても理解出来ない。

「いやだからなんで?」

「えーと、青井さん。ラッパーが対戦相手の場合、ラップを入れる事になっています」

「初耳です」

「金の菓子を渡すとこうなる」

「賄賂じゃねえか!!」

 思わず突っ込んだ。無理もない事である。このMC、どうやら金銭に負けたのだ。ふざけんな。

「待って下さい。これやる前から勝敗決まってません?」

「いえ、勝負は公平です」

「信用できる要素が皆無」

「悔しかったらあなたも金の菓子を用意しなさい」

「こちとらその金に困ってんですけど!?」

 思わずと言った具合に声が大きくなり、客席から同情の目が向けられた。勝負前に欲しくない視線である。既にペースなど無かった。完全に始まる前から主導権が彼方側である。単純に滅茶苦茶不利。

「大体あなた、ダンス出来るんですか」

 疑惑の目を向けながら青井が問えば、布団が微かに動いた。どうやら頷いたらしい。そうして、説明するためか若干手を動かせば、布団も広がったのだ。客席から、アポロだ、アポロ。と、言う声が聞こえた。このアポロは宇宙船でもなければ、月面着陸ミッションでもない。単純にチョコレートの事である。形がアポロそっくりだった。白いアポロが喋った。

「勿論です。二か月練習しました」

「帰れよ」

 素直に青井は言った。初心者にも程がある。大会に出てくんじゃねえよ。そもそも、アポロと言うより幽霊の方が近い。おばけミッフィーってこんなだったな、と、青井は思っていた。早くも現実逃避。

「もしかして、トリ降臨出るんじゃね?」

「あのトリ降臨が!?」

 客席から聞こえる謎の言語。勿論日本語だが、理解出来なかったので謎の言語に分類された。痛む頭を押さえながら、青井は問うた。

「トリ降臨てなんすか」

「私の必殺技。これを出した瞬間、あなたの負けは確定する。だから出さない」

 だから、出さない? 相手の言葉の意味が分からず、青井はきょとんと呆けた。いや、必殺技なら出すべきでは? 出さない? 青井は相手の言葉の意味を考えた。そして気付いた。

 成程、馬鹿にしてんな?

 どうにもこの布団を頭から被った得体の知れない生き物、必殺技など出さずとも、己には勝てると言っている。その事に気付いたのだった。青井は激怒した。必ず、かの邪智暴虐の布団ラッパーを除かなければならぬと決意した。青井には布団ラップがわからぬ。青井はBガールである。口笛を吹き、ステップを刻んで暮して来た。けれども侮りに対しては、人一倍に敏感であった。

「ゼッテェ、吠え面かかせてやるからな!」

 つまり具体的に言えば、ステージ上で泣いて謝らせる決意である。青井は煽りに弱かった。単に短気だった。布団ラッパー飯島は、幽霊ごっこでもするかのように手を上下に動かしている。それも無言で。更なる煽りに、青井は顔を引き攣らせた。

「では青井さん、先攻でいいですか」

「アッハイ」

 青井のテンションなどいざ知らず、冷静にMCが言った。天下無双の布団ラッパー飯島の出現に何故か客席は盛り上がっているが、ステージ上だけが冷めていた。大体あの形で、ダンスなど出来るのだろうか。訝しみながら青井が睨めば、軽快なビートが響きだした。とうとう、ラップダンスバトルが始まるのだ。

 青井は、ラップなど知らない。

 いや、した事等ないのだ。

 だが、勝たねばならぬ。

 勝負に金銭を持ち出すような卑怯者に負けるわけにはいかなかった。

 先ずは、トップロックだ。これで、全体の流れを掴むのだ。今客席は、布団ラッパー飯島に期待している。その目を此方へと向けさせる。青井は無名である。だが、ダンスの腕には自信がある。だからこそ、出てきたのだ。ビートに合わせてステップを刻む。ターンを決めたところで、手を前に出し、一般的にラッパーがしているような動きを見せたのだ。

「YO! YO! YO!」

 完全に付け焼刃もいい所だが、何となくラッパーっぽい空気はある。此処で重要なのは恥じない事である。青井の呼びかけに、客席が答えた。同じように声を上げ、手を上げたのだ。そうして、華麗に再びターンすると、青井はビシッと布団ラッパー飯島に向かって指を突き立てたのだった。

「耳かっぽじってよく聞きな賄賂女! オマエの母ちゃんDE・BE・SO!!」

 青井は知った。水を打ったように静まり返る、その言葉の意味を、身をもって知った。先程とは打って変わり、静寂が青井を責め立ててくるのだ。心臓が痛い。手が震えた。観客は黙り、審査員は微動だにせず、DJすら曲を止めて皆彫像になってしまったかのように、音が消えたのだ。余りの変わりように青井は首を動かす事すら出来なかった。そんな中、たった一人だけが動いた。所在なさげに立ち竦む青井の肩に手が置かれる。こんなにも肩が重いと感じた事はなかった。それこそ、霊でも憑いたかと思ったほどだ。いや、霊の方がマシとすら思った。仕方なく青井は首を動かした。動いた。果たして視線の先にいたのは、MCであった。

「青井さん、ラップと悪口は違います」

「スミマセン」

 こうして天下無双の布団ラッパー飯島は、お得意のラップを披露する事もなければ二か月練習したと言うダンスすら封印したままで、勝ちを収めたのだった。トリの降臨以前の問題だった。


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