考古学者の息子、トレジャーハンターになる

高峠美那

 黄金郷から始まったロストハンター

 広隆ひろたかの父は、大学で歴史の講師をしていた。

 専門は考古学。歴史の遺物と、発掘。古代文字と、その解読には、目を輝かせて話すのに、広隆との会話には関心がなかった。


 そんな父に愛想が尽きた母は、広隆が中学を卒業すると家を出て行き、今は新しい家族と一緒に幸せに暮らしている。


「父さん…」


 薄っすら目を開けた父に、広隆は声をかけた。開けた窓からは、穏やかな陽射しと柔らかな風が流れている。


 広隆の父は、休みの日も、ろくに家にいたためしがなかった。家にいても書斎に閉じこもり、声をかけたところで返事すらない。


 無視をしているのではなく、研究に没頭していると周りの音が聞こえない。

 学者魂と言えば聞こえはいいが、自分自身の体調にも気を使えない男だった。


 みるみる痩せ細っていく父親を見かね、無理やり病院に連れて行った時には、もう手の施しようが無いガンだった。


 自室で死を迎える父を、かわいそうとは思わない。自分の人生を捧げた書物の山に囲まれ、死んでいくのだから。


「父さん、母さんに伝えておくことは…何かある?」


 古びた写真が一枚だけ、昔から無造作に壁に貼られている。それは、広隆がまだ小さかった時に撮った家族写真。 


 こんな父親でも、母や息子を想う時間があったのだろうか…。


 その時、父が布団から手を伸ばした。力なく震える手で、書斎のデスクを指さす。


 何かを伝えようとする父に、デスクの上にあった万年筆を手渡すと、手になれ親しんだペンは、真っ白のシーツに試し書きのような線を描いた。


 光が失った目は、子供の頃に恐れた以前の鋭さがない。だが、何かを秘めた眼差しが、広隆を見返した。


 しかし、それが最後、広隆の父は静かに息を引き取ったのだ。


 親族への連絡と、葬儀と片付け…。バタバタと過ごし、やっと父親の書斎の整理に手をつけれたのは、初七日の法要が終わってから。


 書斎に入ると、今でも父親がいるような気がする。山のように積まれた書籍の隙間に、顔を埋めて熱心に何かを書いている姿だ。


 デスクも、布団も、あの日のまま。

 窓からの陽射しも、温かな風も、何も変わらない。ただ、父だけがいない。

 

『母さんに伝えておくことはある?』


 そう聞いたのに、最後までペンを離さないことを選んだ父。


「父さんにとって、僕等は何だったの?」


 悲しみより、落胆の方が強く、涙も出なかった。

 大事にされなくとも、愛されたい。

 愛情を与えられなくても、息子の成長を喜んでほしい。

 それを望んだ母も、通夜に顔を出しただけで、葬式にも、相続の話にも一切顔を出さなかった。


 明日は、父の学者仲間が父の遺品を見に来る。それまでに、少しは部屋を片付けて置こうと、デスクの書籍をダンボールにうつす。

 山積みの中には『エル・ドラード』の黄金伝説から書き写したものが沢山あった。


 南アメリカに伝わる黄金郷。

 

 大航海時代、スペイン人が黄金郷伝説として語り継がれるようになったと言われる伝説。


 ふと、父が最後に描いたインクの線に、目がいく。

 主のいなくなった布団に、窓ごしの光が真っ白なシーツを温めている。白いシーツ。そこに、異質の黒い線。


 死ぬ間際だ。意味などない。たった今までそう考えていた。 


 だが、あの父が意味のない線を遺すだろうか?

 長く愛用した万年筆で。

 自分の息子の前で。

 死んだミイラと、古代の文明と、古代文字の研究にのめり込んでいたあの父が…。

 

 その線は…黒く引かれている。普通に見れば、ペンの試し書きか、ただのいたずら書きにしか見えない。


「何か…意味があるのか?」


 窓からの光が注がれ、シーツが黄金に輝き、その黒い線は文字か模型を表しているかに見えた。


「まさか…」


 広隆は、たった今、ダンボールに投げ入れたばかりの父の手帳を拾い、急いでパラパラとめくり、写真が挟まれたページで手を止める。


「…クリストファー・コロンブス」


 そこにはスペイン人、クリストファー・コロンブスの名前と、コロンビアの地図。それから、ボゴタの黄金博物館に展示されている金細工の一枚の写真が挟まっていた。


 黄金博物館は、コロンブス期の工芸品を数多く収蔵する世界的に有名な博物館。そのたくさんある写真の中で、なぜ、この写真だけ切り出されているのか?


 人型のような金の人形。その人形の腹の辺りに文字のような絵柄がある。


「っ!」


 ぶるぶると広隆の手が震える。止めようと、反対の手で押さえても止まらない。


 そう。間違いなく、この黄金の写真の絵柄は、父が死ぬ間際にシーツに遺した文字と同じなのだ。


 クリストファー・コロンブス。

 15世紀の大航海時代に活躍した探検家。

 ヨーロッパとアメリカ大陸を結びつけ、世界史に大きな影響を与えた一方で、植民地支配による負の遺産を残した天下無双の男。


 まさか、父は何かをつかんでいたのだろうか…。


「ただの歴史オタクなだけだろ?」 


 だが、広隆の血がざわざわと身体中をめぐる。


「ばかばかしい。死ぬまで黄金伝説なんてものに取りつかれて!」


 口から出る言葉とは裏腹に、頭の中で警報がなる。


 黄金郷、エル・ドラード。

 クリストファー・コロンブス。 

 父が布団に遺したものは、暗号?

 あれは、考古学者が最後に遺したラストダンスか?


 広隆は、はさみを持つと、父が描いた部分のシーツを切り裂いた。手帳を胸にしまい、鞄には、父が書いたであろう資料を、ありったけ詰めて財布を握る。


「別に…父さんがやり残したものを片付けに行くわけじゃない。ただ、僕にも父さんの血がかよってるだけだ」


 写真の裏には『Decimotercer mes』とある。父の字だ。

 スペイン語で、直訳すれば「十三番目の月」という意味。


 十三月。一年の周期は世界共通で十二月。十三月なんて、あるはずがない。おそらく、父が書いた暗号と、この言葉が…何らかで結びつくに違いない。


 考古学者で人生を終わらせた父。

 ならば僕は…。


「僕は、父さんの文献をもとに世界を旅してみよう」


  *   *   *



「あれから三十年近く経つだろうか…。僕のラストダンスも、ここで終わる」 


 広隆は、松明の炎がか細くなっていくのをただ眺めていた。行く手を大きな岩に塞がれ、岩をこじ開けたくとも、昨日の滑落でダイナマイトを含め、全ての荷物が奈落の底に消えていった。


 ここから脱出するのは、不可能だろう。


「満足いく人生だったよ」 


 死を覚悟すれば、自然と思い浮かぶのは、初めての冒険だ。


「あの、湖の底にある黄金郷を、あんたにも見せてやりたかったなぁ。他にはエーゲ海に沈んだ幻の神殿だったり、十字軍の騎士の墓荒らしだったり。あんたが遺した文献は、危険なものばかりだった」


 だが、核心を突いていた。

 だからこそ広隆は、手帳を奪おうとするハンターたちから、何度も命を狙われたのだ。


「もう、この手帳が誰かに盗まれることはない」


 小さくなった松明に、古びた手帳を投げ入れる。すると、一瞬だけ暗くなった視界を再び手帳に燃え移った炎が円形の柱が並ぶ洞窟内を照らした。


 手帳の中身は、何十年も隅々まで読み込み、全て広隆の頭に入っている。


 もう、父の研究を詳しく記した物はない。


「僕の頭の中だけだよ…。だから、僕がこのまま死んでも、僕の骨が見つかるのは…奇跡に近いだろう」


 ここは、イギリスのコーンウォール沖。

 幻の王国『リカネス』なのだ。


 リカネス伝説。アーサー王物語に登場するトリスタンの故郷であるとも言われ、繁栄した美しい王国だが、一夜にして海の底に沈んだとされていた。


 だが、とうとう広隆が探し当てたのだ。

 歴史の中に埋もれ、伝説化した古代都市を。


 発見を知らせる前に、古代人によって仕掛けられていたトラップを誤り、閉じ込められた。


 スマホやGPSの電波など、届くわけもなく、食料も尽きた。

 炎の明かりがあれば、気も紛れるが…燃やせるものがもうない。


「終わったな」


 これまでの広隆の大発見と功績は、世界中で話題になるも、全てがその国の所有物となり、広隆の名は残されていない。


 ただ、発見者としてHの文字が刻まれ、『私の英雄に捧げる』…とだけ残された。


 広隆の初めての発見になった黄金郷。


 石に刻まれた暗号を解き、湖の水量を食い止め、現れた黄金都市に目を輝かせたのは、ついこの前のようだった。


 数々の冒険談の中でも、一際危険で大変だった。


 あの、クリストファー・コロンブスと、十三月の謎。黄金細工の写真と、その腹の文字。


 もし、ここから生き延びることができたら…暗号の解読になった父の手帳の記憶と一緒に手記に残そう。


「まあ、無理な話だよな」 


 パチパチと、音をならしていた松明の炎がだんだん小さくなっていく。


 今まで炎を嫌がり、距離をとっていた毒蛇の群れが、ゆるりゆるりと近づき出す。


 神殿の床が見える程度だった水かさも、じわじわと上がり、波が押し寄せるように高い位置に登った広隆を襲う。


「父さん、あんたよりは、長く生きたよ」


 壁や天井からも水が噴き出し、広隆の足元も崩れだした。ガラガラと崩れゆく石と岩をよけて壁に貼りつき、滝のように落ちる水量の隙間から、急に眩しくなった光を見上げる。


「無事ですか!? 生きてますか!?」


 誰かの声。


 …ああ、父さん。僕はまだ、そちら側には行けそうもない。


 



              おわり



 

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