オオトリサマ

藤浪保

本編

 都会育ちの中学二年生の蓮は、離婚した母親に連れられ、母方の祖母の家のある山奥の村に引っ越してきた。

 父親が外に女を作って出て行ってから、母親はずっと泣いていた。仕事に行かなくなり、振り込まれる養育費だけでは生活が成り立たなくなった末の帰省だった。

 蓮は離婚には大賛成だった。あんなクソ親父、別れて正解だ。

 だが、その結果、自分がここまで割を食うとは思っていなかった。

 村では高齢化が進み、小中学生はなんと蓮だけで、あとは高校生が二人だけ。

 小学校は廃校になって久しく、元々隣町にしかなかった中学校も数年前に廃校になり、蓮は二時間バスに揺られて通学する羽目になった。往復じゃない。片道二時間だ。

 そうまでして登校しても生徒は十人。二年生がではなく、三学年合わせてたった十人。

 学費がないから進学先は地元の公立高校しか選べないが、一番近くて中学校から電車でさらに三十分かかる。つまり家からは片道二時間半。しかもバスも電車も二時間に一本しか走っていない。

 一番最悪なのは、村にスマホの電波がないことだった。正確には、公民館の周りだけは唯一繋がるが、村の端にある蓮の家は完全に圏外。家にはインターネットもなく、あるのは電話回線のみ。

 誕生日にやっと買ってもらったスマホが、ただの携帯ゲーム機と化した。もちろんネットを使う必要のあるゲームは起動すらできない。

 母親は部屋に引きこもったまま出てこず、村に同世代はおらず、学校に行っても都会者と馬鹿にされ、前の学校の友達ともなかなか連絡が取れない。

 蓮の人生は完全に終わってしまった。

 この地獄から抜け出す唯一の方法は、寮のある高校に学費免除の特待生で入学すること。幸いにして、蓮は勉強はいまいちだったが、ダンスという特技があった。

 ジュニアの大会で好成績が残せれば、強豪校の特待生になれる。引越前、ダンス部の顧問の先生が言っていたその言葉が、蓮の救いだった。

 登下校の時間でフリーWi-Fiを使ってスマホにダンス動画をダウンロードしておき、帰宅後、夜遅くまで練習をする。大会の情報を自分で調べ、中学の先生に頼み込んで申し込みをしてもらい、片っ端から出場した。

 だが、設備もない中での独学では限界があり、二年生ではどの大会でもいい成績は残せなかった。

 残りはあと一年。この一年で駄目だったら、蓮は地元の高校に進学しなくてはならない。この年寄りばかりの陰気な村からいつまでたっても抜け出せない。

 なのに、三年生の最初の大会でも、蓮は予選落ちで終わった。

 ただでさえ、小中学校のダンス大会はチーム戦ばかりなのだ。ソロでしか踊れない蓮にはもう後がない。

 どうにかしなくてはと焦りばかりが募っていく中、蓮は学校でオオトリサマの話を耳にした。願い事を叶えてくれる存在らしい。

 蓮はすぐさま詳しく聞かせろと詰め寄った。

 突然話に割り込んできた蓮に、雑談をしていた二人はぎょっとした。いつものように蓮を無視をしようとしたのだが、蓮はしつこく食い下がった。とにかく必死だったのだ。

 何とか聞き出したことによると、オオトリサマは蓮の村の奥にあるほこらまつられており、願い事を必ず叶えてくれる。だが一方で、絶対に願い事をしてはいけない、という言い伝えも残っている。

 わらでもなんでもすがるしかないと思って聞き取りに成功した蓮だったが、帰りのバスに揺られている間に、我に返った。

 オオトリサマだって? 馬鹿馬鹿しい。願いを何でも叶えてくれる奴がいたら億万長者が量産されているし、不老不死だって実現するし、今頃村は大騒ぎになっているはずだ。願い事をしてはいけないとも言われているのがその証拠だ。その言葉が叶わなかった時の言い訳になっているのだろう。

 蓮は考えるのをやめ、スマホでダンス技術の解説動画に集中することにした。

 それからしばらく、オオトリサマのことは忘れていた。

 思い出したのは、二回目の大会で再び予選落ちした時。

 村の入口のバス停から意気消沈して歩いているうち、まっすぐ家に帰るのがなんとなく嫌で、祠の位置くらいは確認しておこうか、とふと思い至ったのだ。

 聞いた通り、村をまっすぐに横切ると、集落の外へと出て行く獣道へと行き当たった。よくよく見れば、なんとなく下草が踏まれているな、という程度で、知らなければ蓮には気づけなかっただろう。日が落ちるまではまだだいぶあるが、鬱蒼とした森の中に分け入るのは若干の勇気を必要とする。それでも蓮は脚を踏み出した。

 そのまま三十分、スマホで時刻を確認しつつ、何度も引き返そうか迷いながら歩き続けた蓮の前で、突然道が途切れた。笹薮が行く手を遮っている。

 騙された……。

 蓮はため息をついた。

 祠などなかった。オオトリサマも全部作り話なのだろう。

「ダンスが上手くなりたいだけなのに……」

 ぽつりと呟いたその時。

 カタリ、と横から小さな音がした。

 視線をそちらに向けると――。

 木の幹に隠れるようにして、苔むした石が立っているのが見えた。

 回り込むようにして見ると、四つの細長い石を組み合わせて作ったような簡素な祠があった。

「あった……」

 高さは蓮のすねの半分くらいしかない。だが、その中心、何かが祀られているはずのそこには、何も存在しなかった。ただ石の枠だけがある。

 祠はあるが、何も祀られていない。

 中途半端だ。

 肩透かしを食らった蓮は、脱力した。

 と、その瞬間――。


 ギャァギャアッ

 

 突然、バサバサッと周りの木立から鳥が一斉に飛び立った。

 驚いた蓮がビクッと体を強張らせ、尻もちをついた。

 はは……、と蓮は乾いた笑いを漏らした。心臓がバクバクとものすごい速さで鳴っている。

 それが落ち着いた頃、蓮は汚れた尻を払いながら立ち上がった。

「帰ろ」

 祠の位置を確認するという目的は達成した。

 またここから三十分歩くのかよ、とげんなりしながら、蓮は元来た道を歩き始めた。


 ガラリと玄関の扉を開けて家に入る。

 まさかの引き戸だ。鍵なんかもちろんかかっていない。家族全員が留守でもかけないし、蓮は鍵をもらってすらいなかった。

 踵を踏みつけて靴を脱いでいると、祖母が部屋から出てきた。

「ただいま」

 ぼそっと言った蓮の顔を見た祖母は、カッと目を見開いた。

「ひっ」

 思わず蓮は小さく悲鳴を上げてしまう。

 祖母は怖い顔をして、ずんずんと近づいて来る。

「なんてことだなんてことだ」

「なんっ、なんだよばあちゃん」

 シワシワの手が顔に近づいて来た。蓮がぎゅっと目をつぶると、耳の上の辺りの髪を触られ、すぐに離れた。

 目を開けると、祖母は小さな茶色い羽毛を持っていた。

 それを凝視する祖母の口がわなわなと震えている。

「オオトリサマが。ああオオトリサマが……」

「ばあちゃん、ちょっと――」

「トリの降臨じゃ。オオトリサマが降臨された。ああ……オオトリサマが……」

 がしっと顎をつかまれる。

「うっ」

 蓮でも振りほどけない程の怪力だった。七十近い祖母に出せる力ではない。

 祖母の顔が近づいて来る。

「供え物を忘れるな……!」

 鼻が触れるのではないかという至近距離で言われた。

 血走った目が視界一杯に広がったかと思うと、その目がぐりんと裏返った。

 同時に祖母の拘束が緩み、そして祖母はその場に崩れ落ちた。

「ちょ、ばあちゃん? ばあちゃん!? ――お母さん! ばあちゃんが!!」

 意識を失った祖母を慌てて揺するが、白目をむき泡を吹いたままピクリともしない。蓮は慌てて部屋にいるはずの母親に向かって叫んだ。


 救急車で病院に運ばれた祖母は、一命はとりとめたものの、予断は許さないとのことで、そのまま病院に入院することになった。麻痺が残る可能性が高く、そうなれば村に戻って暮らすのは難しいと説明を受けた。退院できたとしても、こちらで施設に入ることになるらしい。

 まさか蓮よりも先に村の暮らしを気に入っていた祖母が先にあの村を抜け出すことになるとは思わなかった。

 すでに帰りの交通機関はなく、蓮は母親と一緒に近くのホテルに泊まった。

 久しぶりのベッドと軽い羽毛布団に、逆に居心地の悪い思いをして、なかなか寝付けない。

 しばらくうとうとしていた蓮は、夢の中で、蓮は止まり木に止まる茶色の鳥を見た。ギャーッと耳障りな鳴き声を上げて飛び立っていく。

 朝目を覚ますと、枕元に茶色い羽毛が落ちていた。


 翌日、二人は朝一番で村に戻った。

 バスから降り立った途端、蓮は背後から強い視線を感じた。

 振り返れば、電線にカラスが何羽も止まっていた。その目が蓮を凝視しているように感じ、蓮は慌てて視線を逸らし、ぼんやりと歩を進めている母親を追いかける。

 家に戻った後も、母親は祖母のことでショックを受けているのか、ろくに口も利かず、食事すらほとんどとろうとしなかった。

 明日は学校に行かなければならない。こんな母親を一人置いて行って大丈夫だろうか。

 そう不安に思っていたが、夕方、部屋から出てきた母親は、妙にすっきりとした顔をしていた。心配する蓮に笑顔を見せ、夕食の支度を始める。

 もしかすると、頼れる人がいなくなり、自分がしっかりしなければという気持ちになったのかもしれない。

 母の手料理を食べたのは久しぶりだった。

 翌日から、蓮はダンスの練習を再開した。

 一日休んだからなのか、足さばきが以前よりスムーズになっている気がする。ステップを踏むたび、筋肉が軽やかに反応する。

 気づけば、夜更けまで踊り続けていた。息も切れず、汗すらあまりかかない。

 まるで羽が生えたかのように、身軽に動けた。

 翌日も、その翌日も。


 迎えた地方大会――蓮はソロ部門の出場者としてステージに立った。

 数日前までは苦戦していたはずの高難度のターンも軽々とこなし、観客の視線は蓮の身ひとつに集中した。

 終了のブザーが鳴ると同時に、会場が割れんばかりの拍手に包まれた。審査員からは「抜群のキレだ」「中学生離れした躍動感」と絶賛を受けた。これまで予選落ちが続いていたとは思えない結果だった。

 華々しい優勝を収めた蓮だったが、踊りと表彰の興奮から覚めると、流石に何かがおかしいと思い始めた。

 そして、あの祠と、祖母の言葉のことを思い出す。

 あの場でぽつりと呟いた蓮の言葉を、オオトリサマは願い事だと思ったのではないか。絶対に願い事をしてはいけないオオトリサマに、蓮は意図せず願い事をしてしまったかもしれない。祖母はそれに気づいて錯乱し、あんなことになったのでは。

 確か祖母は、供え物を忘れるなと言っていた。

 そんな非科学的なことがあるわけない。祖母は迷信深かっただけだ。

 と思いはするものの、もしも万々が一これがオオトリサマのお陰なのだとしたら、確かに何のお礼もしないのはよくない。

 その日から、蓮は毎日オオトリサマの祠へと通い、水やお菓子など、ちょっとしたものをお供えするようになった。

 お供え物を祠の枠の中に容器や袋ごと置いて来るのだが、毎回それが綺麗になくなっているのが、すこし不気味だった。


 蓮は次の大会でも圧倒的なパフォーマンスを披露した。

 地方大会を二連覇、三連覇と快進撃を続けるうちに、有名なダンス強豪校の目に止まり、「ダンス特待生として迎えたい」というオファーを受けた。蓮が願っていた学費免除の寮暮らしが、まさに目の前で実現しようとしていた。

「やった……!」

 蓮はこぶしを握りしめた。これで、あの鬱屈した村から抜け出せる、と思った。

 飛ぶ鳥を落とす勢いで大会を連戦し、評価を高めるにつれ、蓮はこれはオオトリサマのお陰などではなく、自分の実力だと思うようになっていった。毎日練習した成果がやっと実を結んだけなのだ。

 そうしているうちに、予選会や練習で自宅を空ける日が増え、帰宅すれば疲労でベッドへ倒れ込む日々が続いた。新作の振り付けを考えながら学校の課題をこなし、大会の準備をする――そんな中で、いつしか蓮はお供えをすっかり怠るようになっていた。

 やがて、最大規模の中高生ダンスコンテストが開催される日がやって来た。

 蓮は強豪の高校生たちを相手に、ソロ部門で挑んだ。去年は予選会に出場する権利すら与えられなかった蓮だったが、決勝戦まで進むことができた。

 緊張が頂点に達する中、最後の曲の始まりと同時に蓮の身体は半ば自動的に動き出す。高速の足さばきと体の反転、鮮やかに決まるターン。審査員も観客も、彼のダンスが持つ圧倒的な熱量に息を呑んだ。そしてフィニッシュのポーズに至るまで、一瞬たりともミスがない。

 会場は割れんばかりの歓声。蓮が舞台袖に引く頃には「天下無双」「中学生とは思えない」といった声が飛び交い、誰もが蓮の優勝を確信していた。

 結果も当然ながら圧勝。特待生の話も正式に決まり、蓮はその日のうちに母親に連絡を入れた。

 家に帰れば、母親がご馳走を用意してくれていた。 

 その夜、蓮は幸せな気持ちで布団に入った。

 塞ぎこんでいた母親は、もうすっかり元気になり、最近では近所の家の手伝いをしたりしている。そして祖母もリハビリが上手くいき、村へと帰ってこられそうだという話だった。

 大会で優勝して学校で表彰されるようになったことで、生徒たちの蓮への態度も大きく変わった。もう無視されることもないし、休み時間に踊ってと頼まれることすらある。

 何もかもが上手くいっている。

 蓮は己の人生に満足していた。長い闇から、やっと抜け出せたような気分だった。 

 眠りに落ちる直前、あの祠のことが一瞬だけ頭に浮かんだが、蓮はそれをすぐに頭の中から追い出した。

 

 夢の中、薄暗いステージの上で蓮は踊っていた。

 疲労で息も絶え絶えなのに、身体が勝手に動いていた。止めたいのに止まらない。

 やがて身体のあちこちから軋む音が聞こえ、ついに耐えきれずに自分の骨が折れ曲がった。

 だが、喉は動かず声にならない。

 ただただ足は動き続け、腕も捻じ切れんばかりに振り回される。

 やがて視界がチカチカと点滅し始めた。

 闇の底へ吸い込まれる瞬間、ギャアギャァと鳥の鳴き声が聞こえた気がした。


 翌朝、蓮は二度と目を覚まさなかった。

 関節は異様な方向に曲がり、顔は苦痛に歪んでいた。

 布団の周囲には細い茶色の羽毛が幾枚も散乱していた。

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オオトリサマ 藤浪保 @fujinami-tamotsu

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