布団の中の魔王

lager

勇者と魔王

 筋骨隆々の男だった。

 骨が太く、肉が厚い。

 皮膚には、大小無数の傷痕が見て取れる。

 それでも、まるで内側から発されるエネルギーが今にもはみ出してしまいそうなほど、張りのある肌であった。


 酒を飲んでいる。

 ジョッキに注がれた濃い色の液体からは、噎せ返るような酒精の匂いが立ち込めている。それを半分ほど干してなお、男の顔色には僅かの赤みも差してはいなかった。

 店内は暗く、静かだった。

 男の他に、ぽつぽつと客の気配はあるが、それぞれ席が仕切られ、どこにどんな人物がいるかまでは見通せない。


 男は一人であった。

 ジョッキを呷り、店で一番強い酒をぐびりと飲む。

 男は何かを深く考え込んでいる様子で、テーブルの一点を見つめたまま動きを止めている。

 そして、時折思い出したように一口ずつ酒を呷る。

 それを、先ほどから繰り返しているのである。


 やがてグラスの中身が空になると、男はしばし逡巡した。

 今日はこれで帰るか、それとももう一杯頼むか、考えているようであった。

 だが、男が店主になにか声をかけるよりも前に、男が飲んでいたものと同じ火酒をボトルで手にした女が、するりと目の前に現れた。


「ご一緒しても?」


 これといって特徴のない女だった。

 肌を整えるだけの最低限の化粧。飾り気のないシンプルな深緑色のドレス。

 鳶色の髪はきれいに結い上げられ、木彫りのバレッタで留められている。

 商売女にしては婀娜っぽさがない。

 どこの町にもいそうな中年女が、装いだけ場に合わせて用意したような、そんな印象を与えていた。


 男の返事を待たず、女は対面に座り込んだ。

 なぜか、拒めなかった。



 ◇



「まあ、そうなの。そんなに長く冒険者を」

「ああ、まあな」

「すごいのねえ。歴戦の強者ってことね」

「そりゃあな。経験だけは人一倍さ」


 話してみれば気の良い女で、聞き上手だった。

 同じ酒を、女は果実水で薄め、男はそのまま飲み、いつの間にか用意されていたナッツをつまみながら、よもやまの話を交えた。


 男は戦士だった。

 幼い頃より人一倍体が大きく、力が強かった。

 生まれた村は貧しく、男は親兄弟に腹いっぱいの飯を食わせてやりたいと、志を立てた。


 人に徒をなすモンスターを退治し、金を稼いだ。

 成功した、と言って間違いはないだろう。

 男は強かったし、強い男の元には強い仲間が集まった。

 ゴブリンロード、キングオーク、リッチ、イビルトレント、ミノタウロス。

 いずれも、苦難のうちに討ち果たしてきた。

 そして――。


「けど、誰にでもできることじゃないわ。ドラゴンの討伐なんて」


 竜殺しドラゴンスレイヤーと、そんな渾名を付けられる頃には、既にもう一つの呼び名が定着していた。


 曰く、勇者と。


「そうさ。俺は強い。ドラゴンだって敵じゃなかった。怖いものなんて、ない」

「うふふ。そうでしょうね」

「そうとも」

「…………だけど?」


 薄くルージュの引かれた唇が、艶やかな笑みを作っていた。

 細められた目の奥に覗く瞳が、男の魂を見透かしてでもいるかのように、妖しく輝いていた。


「……いや。なにもないさ。今更俺に、怖れるものなんて」

「私でよければ、話くらい聞いてあげるわよ?」


 男は、喉の奥で小さく呻いた。

 怖いものなど、ない。

 そうであれば、女の言葉も笑って聞き流せただろうに。


 

 ◇



「本当に、大したことじゃないんだ。だが、一人の男から恨みを買った」

「恨み?」

「正当な恨みさ。だが、的外れでもある。俺に言うしかないのはわかるさ。だが、言われても困る」

「ふうん?」


 ドラゴン退治の、後の話である。

 怪物は倒され、英雄は帰還する。

 怪物に脅えていた村はそれを歓待し、捧げものをしたのだ。


 男はかつえていた。

 何度となく潜り抜けた死線。死の淵から生還した歓びに、体と魂が燃え盛っていた。


 それは、ドラゴンへの生贄として捧げられるはずの少女であった。


 三日三晩、であった。

 少女は国士無双の英雄の情動をその身に受け続けた。

 その果てに少女は懐妊し、そして十月後、産褥にて儚くなった。


 その少女の父親から、恨みを買ったのだという。


「俺だって悪かったと思ってる。あの時は、あの時の俺は、どうかしてた。わざとじゃないんだ。それに、捧げものだった。同意を得ていたんだ。大体、亡くなったこと自体は俺が原因じゃないだろう」


 男がその知らせを受け取ったのは、少女の死から一月以上が経ってからだった。

 しばらくその村には近づかないほうがいいと、仲間にも忠告された。


 もう、十年も前の話である。


「あら。そんなに前の話だったの。それをどうして今更?」

「馬鹿馬鹿しい話さ。いや、そうだ。ふざけた話なんだ。その子の父親が、俺に呪いをかけてるっていうのさ」


 男の口調は自分を励ましているようで、女は変わらず口元に笑みを浮かべて、それを聞いている。



 ◇



 夜な夜な、笛を吹いているのだという。

 掌に収まるほどのサイズの陶笛だった。

 ひょひょろと、小鳥の鳴くような音が鳴る。

 それを毎夜、吹いている。

 外である。

 月夜の日も、雨の日も、嵐の日も、その父親は狂ったように笛を吹き続けているのだという。


『これはなあ。さる高名な呪術師の方に頂いた呪いの笛なのだ。我が娘を犯し殺したあの憎い男に復讐するのさ。これを、娘が苦しみ抜いた日月と同じだけ毎夜に吹き続ければ、あの男を呪い殺すことができるのさあ』


 ふす、と。

 力弱い笑い声を、男は漏らした。


「気の毒に、とは思うさ。だが、馬鹿なじいさんだよ。そんなもので俺が殺せるものか。怪物どもの爪も、牙も、毒も、酸も、炎も、氷も、俺を殺すことなどできやしなかった。今だって、そら」


 男は自分のジョッキを一息に飲み干すと、次いで、ボトルに直接口をつけて、中身を全て飲み干してしまった。


「俺の体は、いつの間にかあらゆる毒素に対して耐性がついていた。どれだけ酒を飲んだって、酔えもしない」

「あらあら、それはお気の毒に」

「まあな。おかげで夜がすっかり寂しくなっちまった。まあ、とにかくだ。呪いだかなんだか知らんが、そんなもんで俺を殺せるなら、やってみてほしいもんさ」

「うふふ。剛毅なのね」


 しかし、そこで男は、首を横に振って、また力なく笑った。


「いや。せっかくだ。俺の恥を聞いてくれ」

「あら。なあに?」


 男は懐に手をやると、男の手には随分と小さい、陶笛を取り出した。


「それは……」

「呪いの笛、だとさ。ちょっと前にな。そういうのが得意な仲間に頼んで、見た目が同じものを作らせて、こっそりじいさんのと取り換えてやった」

「まあ。悪い人ね」

「弱い男さ、俺は。本当はビビってるんだ。だからこんな卑劣な真似をした。じいさん、もうすっかり体を壊して昼間は床に臥せってるらしい。だが、もう直にじいさんが笛を吹き始めて十月十日だ。呪いは上手くいったと、そう思い込んだまま往生してくれりゃいい」

「うふふふ」


 男は、不意に掌に力を込めた。

 かしゃり、と。あっけないほど微かな音を立てて、笛は砕けた。

 それを見た女が、堪えきれぬようにくすくすと笑い始めた。


「やっぱりおかしいか、天下無双なんて言われる勇者が、こんな笛ごときにビビっちまうなんて?」

「ええ。おかしいわ。その程度で呪いから逃れられると思っているだなんて」

「え?」


 ぞくり、と。

 数多の怪物を討ち果たしてきた勇者でさえ感じたことのない寒気が、背筋に走った。


「考えてもごらんなさい? 可愛い彼女が編んでくれた手袋、網目が揃っていないからって幻滅する? お母さんが夕餉に作ってくれたスープは、具が少なかったら美味しくなくなるかしら?」

「は? なにを――」

「大事なのは気持ちなのよ。相手のことを想って、自分の思いを込めて、一生懸命に作ったものには、きちんと気持ちがこもってる。それはちゃんと相手にも伝わる。道具だとか、やりかただとかが大事なんじゃないの。ちゃんと気持ちを込めることが大切なのよ」

「ま、待て。何を言ってるんだ、お前は!?」


 女の口調は詩を吟ずるように軽やかで、男の耳を毒した。


「祈りと呪いはその本質において等しい。私が授けたのはあくまで『笛の呪い』よ。『呪いの笛』なんかじゃないわ」

「な……あ」

「同じものを作らせた、だなんて、そんな手間かけなくったって、森の国との境町に同じものがいくらでも売ってたのに」


 女は、現れたときと同じようにするりと立ち上がり、艶やかな笑みを浮かべたまま男を見下した。


「な、んだ。お前は、なにものだ!?」

「言ったでしょ、そのおじいちゃんに、呪いを売った女よ」


 呪術師ノウェ、と、その女は名乗った。



 ◇



 その日、二人の男が同時に死んだ。


 一人は、天下無双の名をほしいままにする歴戦の戦士だった。

 夜中、酒場から飛び出した男を、多くの人が目にした。


『やめろ。くるな! 俺が、俺が悪かった!』


 男は何かに脅えるように虚空を凝視し、足を縺れさせながら町中を逃げ惑った。

 誰も、男を追いかけているものなどありはしない。

 それでも男は、建物の屋根の上に、街路樹の影に、堀の下に何かの姿を見ているようで、あちらへ行っては腰を抜かして逃げ、こちらへ行ってはまた逃げてと、町中を駆け回った。

 大通りの辻に入った時などは、四方に続く道にそれぞれなにかを幻視していたらしく、右に左に前に後ろに踏み出しては踏みとどまって、あわあわと腕を振り回して、まるでなにかのダンスを踊っているようであったのだという。


 やがて、川に落ちた。

 助けの手を伸ばす人にも怯え、振りほどき、やがて、流れの中に姿を消した。

 

 翌朝、大岩に衣服を引っかからせてこと切れている男を、町人が引き上げた。



 もう一人は、そこから少し離れた場所にある、寂れた村の農夫だった。

 老爺、と呼んで差し支えない年齢の男に、身寄りはなかった。

 故に、その老爺の死に、村の誰もがしばらく気づかなかった。

 ただ、ふらりと村に現れた一人の女によって、それが知らされた。


 老爺は、ぼろぼろにすりきれた布団の中でこと切れていた。

 顔には黒い浮腫ができ、髪は灰色い綿屑のようになって頭の横にはりついているようで、体は今にも折れそうなほど痩せていた。

 その手には、小さな陶笛が握られ、老爺の顔は、満足気な笑みを浮かべたまま、白くなっていた。


「お疲れ様。よくやりきったわね」


 鳶色の髪の女が、据えた匂いの充満するボロ小屋で、老爺に声をかけた。


「あなたは見事に勇者を打ち取ったわ。さしずめ、魔王ってところかしら」


 朝焼けの光が、布団に眠る魔王の姿を、静かに照らし出していた。

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