理想の女

白川津 中々

◾️

つまらない男がいた。


彼は真面目に働いていたが特徴も魅力もなかった。日々働き、趣味や遊びに金を使わず、かといって倹約をするでもなく、意味も目的もないままに生きていたのだった。家族はおらず、一人きりの部屋は汚れていて、物はないが片付けが行き届いていない。招く相手のいない部屋というのは得てしてそうなるものだ。

そうした暮らしに慣れきってしまっているからか、あるいはそうした暮らし方しかできないからか、彼は女を知らなかった。人並みに欲望はあったが変化や人との付き合いを嫌っていたため、女に声をかける事もままならないのである。女を求めながらも劣情の吐け口がない情けなさといったらないだろう。己の存在、人生が否定される感覚は、筆舌に尽くし難い苦痛である。新芽の匂いがする時代に恋の味を覚えなかった者の多くがこの苦しみに苛まれ、歳とともに積載されていき狂気を発症するわけだが、男もその手前まできていた。退屈な毎日の中、会社にいる若い女に人知れず執着を向け、妄想を繰り広げるようになったのだ。彼の頭の中で生きる彼女は従順で、どんな要望にも答える奴隷だった。衣食の世話はもちろんさせたし、彼が渇望している肉体的な欲望も思うがまま。およそ現実では不可能な組み合いや無限に湧いてくるような精力も男の中では生々しく再現されていて、いつかその通りにしてやろうと目論んでいた。

だが、やはり現実では、男が彼女に声をかけることはなかった。ただ横目に見ては例の想像を繰り広げ、耐えられなくなると便所へ行き発散するに留まる。拒否、拒絶、避けられることが怖かった。彼女が自分の理想と乖離するのを恐れた。男の中で形成された彼女には一つの人格が宿っており、現実世界の彼女は別人となっていた。男は次第に取り憑かれ、呑まれていく。彼女の体は乗っ取られていると。とうとう、頭がおかしくなってしまったのだ。


彼女の体を奪い返さなければ。


そんな思いが次第に募っていく。体さえ取り戻せば想像を実現できる。そう考えた男は彼女を殺害する計画を立てた。実在する彼女を殺せば頭の中にいる彼女が体に入っていき復活すると確信していたのだ。男は殺意を明確にしていき、彼女への憎しみの念を強めていった。


ところで、ずっと退屈に生きてきた男に殺人などという大それた真似ができるだろうか。そうとも、できるわけがない。案の定、これまで積み上げてきた平凡な毎日が男の狂気を薄めさせ、流血には至らなかった。代わりに女の椅子を自身の白濁で汚すという理知外の蛮行に及ぶ。早朝に出勤し、彼女の臀部に接触する座面へ怒りと欲望をぶつけたのだ。いったいぜんたいどうして殺意がそのような形にスケールダウンしたのかは不明である。頭がおかしくなった人間の行動原理など解けるものでもない。


結局、犯行を突き止められた男は解雇され保護金によって生かされる身分となった。狂気は進行したが、そのおかげで頭の中の彼女を視認できるまで錯覚。不思議と快楽を伴う行為もいたせるようになる。男は、幸福を得たのだ。


理想は全て裏切らない。

男にとって、女は想像の方が好ましかった。

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