三月十四日、美術館。
野村絽麻子
豆の木の蔓の夢
あの夢を見たのは、これで9回目だった。
どうして回数まで覚えているかと言えば、あの夢を見た次の日、決まって何か酷いことが起こるからだ。例えば鞄に付けていたお気に入りのウサギのぬいぐるみが消えてしまった日も、めったにしない美羽とのケンカをしてしまった日も、英語の小テストが抜き打ちで行われた日も、あの夢で目が覚めた。
『最後のひとつはちょっと違うかな?』
ウサギのキャラクターがはてなマークを浮かべているスタンプが送られてくる。まぁね、と思う。
夢の内容は決まっていつも同じで、夢の中で私は小ぶりな植木鉢に豆を埋めている。水を遣るとぴょこんと芽が出て、すくすく伸びた芽は葉を茂らせながら天に向かってどんどん成長し……という、童話のジャックと豆の木っぽい展開だ。
『登るの、それ?』
『登らないの』
けれど夢の中の私はいつも、目を見張る速度で成長する豆の木の蔓を、口を開けて眺めているだけだ。うわー、もうあんな所まで伸びちゃった、と。
登ってみようかと思ったことは一度もなくて、ただただ眺めている内に目が覚めて……そうするとその日はあまり歓迎できない出来事が起きるというわけだ。
しばらく間があって、再びスマホからメッセージの着信音が鳴る。
『でも夢占いだと悪くないみたいだよ』
リンクされたいくつかのサイトの情報によれば、こんな具合だ。
——木が成長する夢は運気が上昇している事を表します。夢によっては本人が成長を実感できていないことを示します。
『……あんまり良くない風に聞こえるんですけど』
『そうかな? これからだよーって事じゃない?』
頬を膨らませていると、それを見越したように再びスマホが震える。
『恋の夢占いによればだね』
リンクを開けば、赤やピンクのハートが画面の上に踊り始める。曰く、相手の好意を素直に受け入れられていないのでは、と。
それを目にして、思わず「うっ」と言葉に詰まる。だって、美羽には言っていなかったけれど、今朝見た夢はいつもと少しだけ違う所があったから。
まぁ、つまりは……植木鉢に豆を埋める私の隣には人が立っていたのだ。同じ高校の制服を着た男子生徒は柔らかく微笑みながら、伸びていく蔓の先を見守っていた。
『まぁとにかく、気負い過ぎず!』
ウサギのキャラクターが椅子にもたれてお茶を飲むスタンプが送られてくる。マイペース、とふかふかした文字で書き添えられていて、私は高瀬くんの顔を思い浮かべた。
*
職員の都合とやらで午前授業で終わってしまう年度末の金曜日。にまにました美羽に見送られながら校門の外で待ち合わた私達は、バスに乗り、国立美術館へと来ていた。
高瀬くんと二人きりでバスに乗るのは不思議な気持ちになったし、妙に緊張してしまって何を話したかも覚えていない。まるで夢の中にいるみたいに、透明な膜越しに物事が起きている気持ちになる。
学校の外で見る高瀬くんはごく普通の物静かな男子高校生で、制服のジャケットが良く似合っている。普段の服もジャケットってことはないと思うけれど……少し見てみたいような気がしたし、そんなことを思う自分に不思議な気持ちになった。
さて。いま私たちの目の前には階段がある。
「これなんだけど、似てないかな」
「……似てる……かも」
高瀬くんの目線の先にある階段の手摺りは、端的に言って、あのメレンゲクッキーに似ていた。
ホイップクリームみたいな曲線の彫刻がしてあって、多くの人の手で撫でられたせいか絶妙な丸みを帯びている。そして艶の出た色合いが、確かに少し焦げたメレンゲクッキーを思わせた。思わず吹き出しそうになるのを堪えながら頷くと、横に立つ高瀬くんが安心したように息を漏らすのが分かった。
高瀬くんと私は館内をぶらぶらと歩いて廻る。
常設展は入館料がそんなに高くなくて、どうやら西洋絵画が中心に飾られているみたいだ。平日の午後の美術館はあまり人がいない。音がなくて、薄暗い。白い床の上をピカピカのローファーで歩くのは、何だか少し大人になったみたいで自然と背筋が伸びた。
高瀬くんはいつもそんなにお喋りしない方だけど、飾られている絵を見ては、その作家のことを簡単に話したり、その絵のどこが良いと感じるかを控えめに発言するくらいで、やっぱりあんまり喋らない。けれど気安い雰囲気もあって、とても楽しんでいる事が伝わってくる。
最初、絵の中の女の人がヌードだったりするのに恥ずかしさを感じたりしていたけれど、それもそのうち慣れたのか平気になってきて、ただ二人で絵を眺めながら歩いて回るのが楽しくなった。
だからその事に気付いた時、しまった、と思ったのだ。
その自覚は無かったけれど、今日の私はどうも少し張り切っていたらしい。おろし立ての新しいローファーは長く歩くのには不向きだと分かっていたはずなのに、つい履いてきてしまった。
……やっぱり、良くない夢だった。
豆の木の青々とした葉を思い出す。歩くたび、踵の一部がチリチリと痛みを告げてくる。
自ずと歩みは重くなり、隣を歩いていたはずの高瀬くんがとうとう振り返った。
「……もしかして、なんだけど」
抑えた声に、ぎくりと、気まずい思いが込み上げる。
「靴擦れ、した?」
「…………した」
ふわふわと微笑んだ高瀬くんがゆっくり戻ってきて隣に立った。
「何で分かったかって……俺も、したから」
降ってきた声につられて足元を見れば、高瀬くんの靴も、ピカピカの新品だったのだ。
「正直、楽しみにし過ぎた」
照れくさそうに頭を掻く高瀬くんと目線がぶつかる。ドキリ、と心臓が跳ねて、だけど何故だか笑いがあふれてしまう。
それから、高瀬くんと私はお互い不自然な歩き方をしながら館内のミュージアムショップまで移動して、ハニワのイラスト付きの絆創膏を買い求めることになった。
*
『それで仲良くハニワの絆創膏を貼って帰ってきたわけですね』
ジト目のウサギのスタンプが三つ連続で送られてくる。報告せよ、と送られてきた美羽からのメッセージに渋々答えているうちに、結局は全てを自白する事になっていた。
『いいなあ! いいなあ! 美乃里にもついに彼氏が!! 今度は私にも誰か紹介してよね!!』
『紹介って……』
『ほら、高瀬くんの友達とか!』
できれば背が高くて、バスケが上手で、私服のセンスが良い男子で!! と立て続けに送られてくるメッセージに紛れ込ませる。
『彼氏ではないと思う』
『は? 付き合わないの?』
そうだねぇ。
『特に、そう言う話にはならなかったから』
三月十四日、美術館。 野村絽麻子 @an_and_coffee
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