人間に愛される「妖精の愛し子」
良前 収
愛らしい少年
「おはようございます」
デーヴィッドが食事室の入り口でぺこりとお辞儀すると、すかさず二人の少女が駆け寄ってきた。
「おはよう、デーヴィ!」
「今日も可愛いわ、デーヴィ!」
左右から抱きつかれて、十才の彼はちょっと困ったような、しかし愛らしい笑顔になった。
「おはようございます、サミィ姉上。ありがとうございます、パティ姉上」
「ねえデーヴィ、今日は私の隣に座るわよね?」
「あらサミィ! 今日デーヴィは私と座るのよ!」
「えっと」
とっさに彼が答えずにいたら掴まれた左腕と右腕をそれぞれ遠慮なく引かれて、デーヴィッドの貴族学院制服のブレザーが危険なことになる。
「パティ、サミィ、駄目よ。デーヴィを困らせては」
そこへピシリとした声をかけてきたのは最年長の少女。
「デーヴィは私の横に座るのだから」
「えぇぇ! 昨日もだったじゃないですか、キティ姉様!」
「姉様、そんなのズルいですわ! 許されません!」
年若い娘が三人寄れば
「今朝も賑やかだこと」
娘三人がパッと口をつぐんだのに対し、デーヴィッドはパッと表情を輝かせ挨拶する。
「おはようございます、母上」
「おはようデーヴィ。挨拶がきちんとできる、良い子ね」
伯爵夫人でありこの家の女主人であるアマンダは微笑みながら歩み寄り、デーヴィッドの頭を撫でる。三人の少女たちも渋々ながら彼から離れ、朝の挨拶とともに学院の制服のスカートをつまみ淑女の礼をした。
「あなたたちもおはよう。よくできました」
ころころ笑う夫人に、もう挨拶で褒められる年齢ではない少女たちは不服顔。
「じゃあデーヴィに決めさせましょう。今日は誰と一緒に座りたいかしら?」
デーヴィッドはためらうことなく彼女に抱きついた。
「母上と一緒がいいです!」
「あらあら、甘えん坊さん」
伯爵夫人は満面の笑みで抱きしめ返し、少女たちはぐぬぬと口を曲げる。
「ははは、今朝もアミィの勝利か」
声を上げて笑いながら最後に食事室へ来たのは伯爵だ。そして全員が食事の席に座る。
伯爵が当然、一番の上座。角を挟んで隣が嫡男であるデーヴィッド。本来は伯爵の反対の隣が伯爵夫人の席なのだが、その日はデーヴィッドの隣ににこにこと座る。
妖精たちの恵みに感謝する祈りを捧げてから、また賑やかな食事が始まった。
普通であれば、貴族はそれぞれの私室で一人で朝食を取る。家族全員が身支度を整えてから食事室に集まるなどということはありえない。
切っ掛けは、デーヴィッドの離乳食が始まった時に、三人の娘たちが「可愛すぎる弟」の食事の世話をしたがったことだ。朝昼夕と欠かさず突撃してくる三人と付き添いの侍女たちでデーヴィッドのための乳幼児室が大混乱状態になり、女主人である伯爵夫人が「食事室に集まりなさい」と判断した。そして自分も嬉々として嫡男の食事の世話を始めた。こうなると、伯爵も毎朝いそいそと食事室へやってきて、賑やかで楽しげな幼児の食事風景を眺めるようになる。
幸せな家族の時間はそんな風にずっと続けられていた。
朝食後、王城への出勤のため一足先に屋敷を出る伯爵と、見送りをする伯爵夫人は玄関ホールで軽く言葉を交わし、軽く頬へ口づけを交わす。
そこへ元気な声がかかった。
「いってらっしゃいませ、父上!」
「ああ、デーヴィ。いってくる」
妻の横に並んだ嫡男を見て伯爵は笑みを浮かべ、そして屋敷を出て馬車に乗った。速やかに馬車は出発する。
次に子供たちの通学のための馬車が横付けされ、遅れてきた少女たちとともにデーヴィッドも乗り込んで出かけていく。
朝の賑やかさがその日も過ぎ去り、アマンダは知らず小さなため息をついた。
今朝はデーヴィッドにはっきり甘えられたこともあり、彼女はふと思い出してしまったのだ。かつての自分とあの子のことを。
デーヴィッドは伯爵家の嫡男であり、アマンダは伯爵夫人である。だがデーヴィッドはアマンダの産んだ子ではない。書類上は実子となっているが、それはデーヴィッドを嫡男に据えるための、貴族にはよくある措置だった。
まだ生まれたばかりのデーヴィッドが生母とともに伯爵家にやってきた時、アマンダは毅然と対応した。冷静に、冷たく。
既に女児ばかり三人産んでいたアマンダは、三度目の出産で
生母は身の程をわきまえたのか屋敷の離れに引きこもり、デーヴィッドだけが本邸で育てられることとなった。
そして、気づいたときにはアマンダの娘たちが「末っ子の弟」に夢中になっていた。長女は早々に割り切り、三女は大人の事情を理解しておらず、次女だけがアマンダと同じような態度を取っていたのに。いつの間にか次女を含めた三人でデーヴィッドを溺愛し取り合いをしていた。
アマンダは不愉快に思い、せめて自分の目で監督しようと、子供たちを食事室に呼んだ。
数ヶ月ぶりにデーヴィッドの姿を見て、アマンダは激しく困惑した。混乱した。小さかった、弱々しかった。アマンダの手でも首をねじ切れてしまいそうなほどだった。けれどその子はアマンダを見て、笑った。自分を殺すかもしれない相手に、無邪気に笑ったのだ。
アマンダは思わず歩み寄っていた。手を伸べ、抱き上げ、頬ずりしていた。
「……ああ、なんて……」
こんなに小さく儚い存在が、母親から引き離された。こんなに無邪気で無垢な存在が、冷酷な扱いにさらされた。ああ、それなのにこの子は笑うのだ。
「良い子ね、デーヴィッド……」
貴族学院の車寄せで馬車を降りた途端、デーヴィッドは斜め前から飛びつかれた。
「わぁっ!」
そのままひっくり返るところへ、次女のパトリシアが支えようとしたかデーヴィッドの背に体をぶつける。だが三人もろともに倒れそうになって、
「風妖精!」
デーヴィッドが叫んだことでふわりと風に受け止められた。
「デーヴィ!」
「……王女殿下、ご無事ですか」
三女の悲鳴と、長女の落ち着いているが苦々しそうな声。
「私は大丈夫よ」
第二王女は悪びれもせず言って身を起こし、デーヴィッドへ笑いかける。
「ありがとうデーヴィ、受け止められてくれて」
彼は眉を下げながらも笑みを返す。愛らしく美しい少年の笑顔に、王女の頬が赤く色づく。
「殿下にお怪我がなくて何よりです」
それでデーヴィッドはくるっと後ろを向き、まだ空気のクッションに腰かけたような姿勢のパトリシアへ手を差し出す。
「パティ姉上、ありがとうございました。お怪我はありませんか」
「ないわ、デーヴィが風妖精を呼んでくれたから!」
少年の手を握って立ち上がった次女パトリシアはにこにこと手を離さない。三女もすかさずデーヴィッドの頭を撫で、
「呼ぶだけで妖精に自分たちを守らせるなんて、デーヴィは本当にすごいわ!」
と褒め称える。デーヴィッドはもじもじと恥ずかしそうに身じろぎした。そんな様子もとても可愛らしい。王女も少年の手を握ろうと割り込もうとしたが、そこは長女が自分の立ち位置を変えて阻止した。
「ちょっとあなたたち――」
王女が尖った声を上げかけた時、鐘の音が響いた。授業開始間際を告げるそれに、王女は今度はにんまり笑う。
「さあ、教室へ行かなくては。デーヴィ、エスコートしてくれる?」
「かしこまりました、王女殿下」
デーヴィッドは素直にうなずくと、パトリシアの握ってくる手をやさしくほどいて、王女へ手を差し出す。彼と同学年で同じクラスの王女は、弾む足取りでデーヴィッドとともに立ち去った。
残された伯爵家の娘三人は唇を噛む。
「……王女殿下のお振る舞い、お父様とお母様にお伝えしたほうが」
三女が声を潜めて言ったのに、長女も小声で返す。
「その話は、屋敷に帰ってからにしましょう」
授業に遅れまいと早足で歩きだした二人の後を追いながら、次女パトリシアはこっそりとため息をついた。
両親には姉とパトリシアで既に訴えていた。両親は顔を見合わせてから、「デーヴィッドの選択に任せなさい」と言った。
長女である姉はそれきり引き下がったが、第二王女の貴族学院での振る舞いはさらにひどくなっていき、パトリシアは何度も両親へ伝えた。デーヴィッドも迷惑そうにしていると。
ある日、伯爵である父は深く息を吐いてから教えてくれた。「王家は第二王女とデーヴィッドの縁組を強く望んでいる」と。パトリシアが驚き「伯爵家の嫡男に対して何故」と尋ねれば、父は彼女に口外を禁じてから「デーヴィッドが『妖精の愛し子』であるからだ」と答えた。
魔法の行使には妖精へ助力を乞う詠唱が必要。それなのに妖精に一言呼びかけるだけで思い通りの魔法を実現するデーヴィッドは、通常の魔法使いの枠には到底収まりきらない。そういう存在を、この国では「妖精の愛し子」と呼び、非常に重要視する。当然だ、極めて優秀な魔法使いなのだから。それゆえの王家との縁組。
ただし妖精の愛し子の意志を蔑ろにすることも避けるべきとされているため、「全てはデーヴィッドの選択に任せる」というのが王家と伯爵家の合意なのだという。
王家から無理やり婚約を命じられないだけ、まだ良いのだろう。けれど、あのワガママ放題で自己中心的な王女がデーヴィッドに相応しいとは、パトリシアには思えなかった。彼が類い稀な存在であるのなら、なおさらだ。
「デーヴィ……」
パトリシアは小さく「弟」の名を呟く。
いつの間にか自分の中に深く深く入り込んでいた年下の少年。
「あの子と……」
血が半分つながっていることが、初めは嫌で嫌で仕方がなかった。父の不貞によって生まれた婚外子。そんな子を伯爵家になぜ迎えるのだと憤った。
けれど今は違う理由で、血がつながっていることが嫌だった。
「姉と弟、だから……」
もし姉でなければ、弟でなければ。
パトリシアはデーヴィッドが去っていった方を見つめ、熱い息を吐いた。
メアリーは窓の外が夕暮れとなっているのにやっと気づき、刺繍の手を止めた。
「灯りをお持ちしましょうか」
メイドに話しかけられたが、「いいえ」と首を横に振って刺繍道具を片付ける。誰に贈るわけでもない、自分の手慰みのためだけの刺繍だ。明るく高価なロウソクを使うことはない。たとえここが伯爵家の離れで、自分が嫡男の生母として囲われている身であっても。
元々「酒を過ごした伯爵様が気の迷いで一度だけ手をつけ、それで身籠もってしまったメイド」だ。胎の子の父親が誰かを言えないでいるうちに不届き者として解雇され、救貧院に身を寄せて子を産み落とした。そして「伯爵様にそっくりな男の赤ん坊」を抱えて伯爵家を訪ね、この離れに入れられた。
デーヴィッド「坊ちゃま」とは、離れに来て以来、顔を合わせていない。「奥様の子」となったのだから当然だ。貴族の家ではよく取られる方法なのだと、以前は一番上の上司だったメイド長から説明された。メアリーも不満は一切なかった。
外を眺めながら、メアリーはため息をついていつもの独り言を呟いた。
「あの子に……会いたい……」
そばにいるメイドたちが目線を交わすのを無視して、メアリーはもう一度呟く。
「あの子は……どこに……」
メイドたちは答えない。夕方ならデーヴィッド「坊ちゃま」は本邸の私室にいるのが当然。そんなことは元メイドのメアリーだって分かっていて当然。だからメイドたちはわざわざ言わないし、メアリーの精神状態を疑っている。
メアリー自身も、自分が正気なのか疑っていた。なぜなら、彼女の記憶が確かならデーヴィッド「坊ちゃま」はメアリーの産んだ子ではない、からだった。
メアリーが子を産み落とした夜、救貧院では他にも産気づいた女が三人もいたらしい。さすがに複数人の産婆が呼ばれ、慌ただしい混乱の中、メアリーは無事に赤ん坊を産んだ。産婆はすぐにそばを離れていき、疲れ果てた状態でメアリーは自分の産んだ子を見た。メアリーと同じ明るい金髪の女の子だった。男の子が良かったのにとメアリーは残念だった。「伯爵様によく似た男の子」だったら、自分ごと伯爵家に迎えられることができたのにと。
だが、疲れたメアリーがそのまま眠って、目覚めた時、そばにいたのは淡い茶髪の男の赤ん坊だった。彼女は驚き、自分の産んだ女の子を探した。けれど誰もそんな女の赤ん坊は見ていないと言う。混乱して夢でも見たのではないかと邪険にされ、メアリーは途方に暮れてその男の子を抱えた。
改めて見ると、驚いたことにその子は「伯爵様によく似た男の子」だった。気がついたらメアリーは、その赤ん坊に自分の乳を与えていた。そして数日後、その子を伯爵家へ連れて行き、自分の産んだ子だと告げていた。
もしかしたら、あの夜に産気づいた女の中に、「伯爵様が手をつけた他の女」がいたのかもしれない。でもなぜ赤ん坊が取り替えられたのかは、いくら考えても分からない。
だから、自分の本当の子の行方も、分からない。
「おやすみなさいませ、坊ちゃま」
「うん、おやすみ」
侍女たちが立ち去る足音が遠ざかってから。暗い寝室のベッドの上で、デーヴィッドは体を起こした。素足で床に降りる。
「妖精たち」
小声で囁けば、彼はもう別の場所にいた。
深い森の中でぽっかり開けた場所。太陽でも月でもない光で明るい場所。
「おかえりなさい!」
迎えてくれるのは、明るい金髪を長く伸ばした少女。
「ただいま!」
デーヴィッドは彼女に駈け寄り、その手を取って、押し倒した。緑の草の褥が彼らを受け止めた。
妖精は、人間の感情が大好物だ。けれどそれを直接食べることができない。
だから、妖精たちは人間の子と妖精の子を取り替える。
人間たちに育てられた妖精の子は、向けられる人間の感情を体の中に貯め込み、人間の子に渡す。
妖精たちに育てられた人間の子は、受け取った人間の感情を体の中で変えて、妖精たちに向けて放つ。
そして妖精の子と人間の子の受け渡し方は――。
子供たちの嬌声が響くこの場所は妖精の森。妖精たちが子供たちに群がり、少女の放つモノを美味しそうに食べる。
妖精たちも、子供たちも、とても幸せになれる場所だ。
人間に愛される「妖精の愛し子」 良前 収 @rasaki
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