AIで始めるぼっち青春録

@curryramen

第1話:新学期と孤独と生成AI

 四月初旬の水曜日、午後二時十五分。大阪・茨木市にある大学の講義棟前。満開の桜が風に揺れる中、橘和音は立ち尽くしていた。

 紺色のワンピースに身を包み、ネイビーブルーのトートバッグを抱きしめるように胸に引き寄せていた。黒縁の細いフレーム眼鏡の奥、濡れた瞳が震えている。

 「今回は不採用です。失礼します。」

 電話の向こうの声は事務的だった。これで五軒目。アルバイトの面接に全て落ちた。喫茶店、コンビニ、書店、塾講師、図書館。どれも接客や人と関わる仕事だから、人見知りの彼女には無理だったのかもしれない。

 身長百六十四センチの細身の体は、人混みに埋もれないよう、建物の陰に隠れるように立っていた。教室棟からは賑やかな声が聞こえてくる。新学期が始まって一週間。キャンパス中がフレッシュな活気に満ちていた。サークルの勧誘や新入生歓迎会の案内が飛び交い、友達同士で笑いながら歩く学生たちの姿があちこちに見られた。

 (このまま二回生も、何も変わらないのかな)

 昨年のこの時期、和音は期待に胸を膨らませていた。

 「大学に入れば何かが変わる!」

 と。実家を出て一人暮らしを始め、新しい環境で新しい自分になれると信じていた。だが現実は違った。

 中学生の時も高校生の時も友達がいないぼっち、極度の人見知りで人とうまく話すことができない和音はつらい学生時代を送っていた。

 大学1回生の時も友達が出来ずにぼっち。バイトの面接に落ち続け、講義では常に後列の端の席に座り、グループワークでは言葉につまり、人見知りの和音は食堂では誰も座っていない席を探し回る日々。このままずっとぼっちで一人っきりの人生を送るのだろうか?

 うまく人と話せない和音はこの先の就職活動や就職して働くといったことができるだろうか?

実家からの仕送りだけに頼る生活に罪悪感を感じてバイトを始めようとしてみたが、面接の段階で落ちてしまう。自分のポンコツ具合にため息が出てしまう。

 「次は『情報リテラシー入門』か」

 腕時計を見ながら呟いた和音の声は、誰にも届かないほど小さかった。次の授業でまたグループワークと聞いて、胃がキリキリと痛む。もう少し時間があるから、図書館で過ごそう。

 図書館の三階、文学コーナーの窓際の席。和音のお気に入りの場所だ。

 春の柔らかな日差しが窓から差し込む。和音は適当な本を読みながら、時折窓の外を眺めていた。

 書架を見回すと、『生成AI入門─人間とAIの共創』という新しい本が目に留まった。手に取って表紙を眺める。

(そう言えば最近ニュースなどでAIが話題になっていたな)

 と思いつつ、すぐに棚に戻した。和音が席に戻ると、近くの席には小柄なポニーテール女子が座っていた。彼女も和音と同じように、一人で本に集中していた。

 互いに目を合わせないよう、二人は静かに本のページをめくる。

 時間割をスマホで確認する。今日の「情報リテラシー入門」は必修科目。しかも今日からグループワークが始まると聞いていた。和音の眉間に皺が寄る。グループワークは地獄だった。自己紹介から始まって、意見を言わなければならない。他人と目を合わせて会話をして、適切なタイミングで相槌を打って…。それら全てが、和音には難しかった。

 去年の「基礎演習」では、グループワークのたびに胃が痛くなり、トイレに逃げ込んだこともあった。和音はスマホを開き、大学のポータルサイトにログインした。「情報リテラシー入門」のページを開く。今日のテーマは「インターネットコミュニケーション」。SNSやブログ、メールなどのオンラインコミュニケーションについて学ぶ内容だった。

 (ネット上のコミュニケーションなら、まだマシかも)

 和音は少しだけ安心した。対面よりも文字でのやり取りの方が、彼女は上手だった。小さい頃から本を読むのが好きで、趣味らしい趣味がない和音としてはそれが趣味だった。だから文学部を選んだのだ。

 

図書館の時計は二時三十五分を指していた。そろそろ教室へ向かう時間だ。和音は本を閉じ、席を立った。和音は図書館を出て、次の講義へと向かう途中だった。「情報リテラシー入門」はコンピュータルームでの授業だ。

 図書館を出て、中庭を横切ろうとしたところで雨が降り始めた。うっすらと曇っていた空は、突然土砂降りの雨を降らせ始めた。

 「あっ…。」

 和音は慌てて足を止めた。バッグの中に折りたたみ傘は入れていたはずだ。だけどみつからない。もしかして朝、玄関に置いたままだったのか。和音は持っていないことに気づき、困ったように唇を噛んだ。

「まさか忘れるなんて…私って本当にポンコツ…」

 自分に呆れながら、和音は近くの中庭の桜の木の下へと小走りに駆け込んだ。

 雨は予想以上に激しかった。大粒の雨滴が桜の花を叩き、淡いピンク色の花びらが雨と共に舞い落ちていた。満開だった桜は、この雨で散り始めるだろう。キャンパスを行き交う学生たちは、傘をさす者、カフェに避難する者、別の棟へと走って渡る者で混乱していた。

 和音は髪を整えながら、時計を見た。「情報リテラシー入門」の講義まであと二十分。この雨が早く止めば、間に合うかもしれない。

 「あの…」

 突然、和音の隣から声がした。振り返ると、濡れた肩を震わせた小柄な女子学生が立っていた。少し癖のある柔らかそうな髪を無理やりポニーテールにまとめているようで、雨で濡れた前髪がくるんと内側に丸まっていた。服装はパーカーにプリーツスカートを着ている。

 水滴が付いた前髪の下から、瞳が和音を見上げていた。ピンク色の桜の花びらが、彼女の肩に落ちていた。

 「同じ…情報リテラシーの…ですよね?」

 その声は雨音にかき消されそうなほど小さかった。しかし、和音はしっかりと聞き取った。

 「はい…」

 「…雨、すごいですね」

 ポニーテール女子が、ようやく言葉を紡いだ。彼女の声は小さいながらも、少し緊張しているようだった。

 「うん…」

 和音はそれ以上の言葉が出てこなかった。会話が途切れそうになる。うまく話せない自分が嫌になる。

 「この授業の…課題、難しいと思います?」

 女子学生は会話を続けようと努力していた。見た感じ彼女も自分と同じく極度の人見知りだろう。彼女の表情からは見知らぬ人と話すことへの緊張が伝わってきた。

 「私も…よく分からなくて…」

 和音は途切れ途切れに応えた。

 (ちゃんと話さなきゃ…でも何を…)

 同じ人見知りの彼女が身振り手振りを交えながら必死に話そうとしているのを見て、和音は内心焦ってしまった。私も何か話さなきゃ!

 彼女はスマホを手に持っている、そのケースにはアニメキャラのデコレーションが見えた。慌てて裏返す女子学生。

 「あ、ごめんなさい!」

 慌てる女子学生。急に頭を振ったために女子学生の髪の水滴が飛び、和音の眼鏡につき、レンズが曇ってしまった。

 「大丈夫です…」

 和音は眼鏡を外し、ハンカチで拭いた。しかし、拭きすぎて逆に曇らせてしまう。

 「あ…」

 何だかそんなやり取りが少し面白くなり小さく笑ってしまった。相手の女子も思わず微笑んだ。

 「柚木遥です…」

 女子学生は自分の名前を、まるで秘密を打ち明けるように小さく言った。

 「橘和音です…」

 和音は小さく自己紹介をした。二人の間に不思議な安堵感が生まれる。互いに人見知りだということが、言わずとも伝わっていた。

 彼女の存在は実は知っていた。真面目だけが取り柄の橘和音は1回生の時に何度か同じ講義で彼女を見かけていたのだ。彼女もずっと一人で行動していたので内心では仲間だと思っていた。

 「…一緒だね」

 と遥が呟き、和音が

 「…うん」

 と頷く。何が「一緒」なのかは、二人にしか分からない心の機微だった。

 雨に打たれる桜の花びらが、二人の間を舞い落ちる。雨は一向に止む気配がなかった。

 「コンビニでビニール傘、買いますか?」

 遥が意外な提案をした。彼女の頬は少し赤くなっていた。和音は迷った。普段なら誰かと一緒に行動するなんて考えられなかった。でも、雨に濡れるのも困る。

 少し和音が迷っていると遥が何かを察したように口を開いた。

 「あの…でも私、これから図書館に戻ります。資料を…」

 遥が小さく言った。

 「そうですか…、私は講義に」

 和音も言葉を絞り出す。

 「じゃあ、また…」

 「はい…」

 二人は軽く会釈を交わし、それぞれの方向へ別れた。初めての会話は、それだけだった。でも和音の胸には、不思議な余韻が残った。初めて感じた、誰かと「似ている」という感覚。

 もっと話せばよかったと後悔はある。だけど慣れないことを急にしたので疲労感があり一息つきたいと言うのが本音だ。

 和音は雨の中、小走りに講義棟へと向かった。紺色のワンピースの肩も髪も濡れてしまったが、構わなかった。

 

 「情報リテラシー入門」の講義。コンピュータ教室に、和音は講義開始の三分前に到着した。髪を整え、濡れた制服の袖をハンカチで拭いながら、後方の端の人がいない席へと向かった。席に着き、教科書とノートを取り出す。窓からは、まだ降り続ける雨と、風に揺れる桜の木が見えた。傘も持たずに雨の中を歩いてきた和音の紺色のワンピースは少し濡れ、肩にはいくつかの桜の花びらがくっついていた。それを一つずつ取りながら、先ほどの雨宿りを思い出す。

 柚木遥。同じように人見知りで、同じように一人ぼっちの女子。彼女も教室に入ってきたのが見えた。教室は徐々に学生で埋まっていく。談笑する声、椅子を引く音、教科書を開く音。和音はそれらの音に包まれながら、一人孤島のように存在していた。

 「それでは『情報リテラシー入門』を始めます」

 教授の声で和音は前を向いた。四十代後半の男性教授。眼鏡をかけ、ジャケットにジーンズという出で立ち。去年も同じ教授の授業を取ったことがある。たしか名前は…佐藤先生だったか。

 「今日から実習を多く取り入れていきます。SNSの分析や情報リテラシーの実践など、グループワークを中心に進めていきます」

 和音の胸が締め付けられる。

 「まず、今日は隣同士でペアを組んでください。隣がいない人は、近くの人と組んでください」

 教室内が一斉に動き始めた。椅子を寄せ合う音

 「一緒にやろう」という声、笑い声。和音は焦り周りを見渡した。すると柚木遥も辺りを慌ててみているのが見えた。和音と遥は互いに視線を交わした。小さな沈黙の後、遥が勇気を出したように席を移動し、和音の隣に座った。

 「よければ…一緒に…」

 遥の声は先ほどの雨宿りの時より少し自信があるように聞こえた。

 「お願いします…」

 和音も小さく頷いた。胸の締め付けが少しだけ和らいだ。

 「では、今日の課題です。隣同士で、『SNSの長所と短所』についてディスカッションし、A4一枚のレポートにまとめてください。来週の授業で提出です」

 和音と遥は、互いに視線を交わさずにメモを取っていた。教室内では次々とペアが会話を始めていたが、二人の周りだけ静かだった。

 「…いつ…やりますか?」

 講義の終わり近く、遥が小さく尋ねた。レポートをいつ作成するか、という質問だ。

 「そうですね…」

 和音は考え込んだ。普通なら「授業後にカフェで」とか「週末に図書館で」とか言うのだろう。

 しかし、そんな提案は口から出てこなかった。

 「メールでやり取りしますか…?」

 和音が精一杯の提案をした。対面でなければ、少しは話せるかもしれない。SNS やlineでのやり取りと提案する勇気は和音にはなかった。大学で使っているメールアドレスなら気楽だ。遥は少し考えてから、小さく頷いた。

 「それがいいです…ありがとう」

 二人はお互いのメールアドレスを交換した。和音は紙に書いたアドレスを遥に渡し、遥はスマホのメモ帳に表示させたアドレスを和音に見せた。直接連絡先を言い合うのも気まずかったのだろう。

 「それでは今日はここまでです。来週も同じ時間に」

 教授の言葉で講義は終了した。教室から学生たちが流れ出していく。和音はいつものようにゆっくりと荷物をまとめた。人混みを避けるためだ。遥も同じように、ゆっくりと動いていた。二人はほとんど会話もなく、荷物をまとめていった。窓の外では、午後の陽光が少し翳り始めていた。四月の空に、薄い雲が広がり始めていた。教室を出る前、和音と遥は軽く会釈を交わした。そこまでだった。

 それでも和音は、何か不思議な感覚を覚えた。人と会話することが苦痛ではなかった、初めての相手。

 (柚木遥…か)

 和音はその名前を心の中で繰り返した。


 大学からの帰宅中にスーパーに寄ることにした。疲れた体に何かご褒美が欲しい。

 店内は夕方の買い物客で賑わい、和音は人混みを避けるように端の通路を進んだ。棚の前で迷いながら、チョコレートとポテトチップスをカゴに入れる。初めての会話がうまくいった自分にご褒美を、と思った。

 家に帰り、濡れた紺色のワンピースを脱いで楽な部屋着に着替えた和音は、買ったチョコとポテチをテーブルの上に広げた。

「今日、ちゃんと話せた…」と小さく呟き、チョコを口に運ぶ。甘さが疲れた心をほぐし、遥との出会いを思い出した。初めての共同作業への緊張と期待が混じる中、ご褒美の味が特別に感じられた。

 パソコンを開き、「情報リテラシー」の課題について調べ始めた…。

 「SNSの長所と短所」。検索すると、たくさんの記事がヒットする。和音は丁寧にメモを取り始めた。メールで遥とやり取りするとき、役立てようと思った。初めての共同作業。緊張したが、同時に少しだけ楽しみでもあった。

 検索を続けているうちに、ふと広告バナーが目に留まった。「AIがあなたの文章を完璧に」洗練された文章の例とAIによる修正例が並んでいた。

 「ChatGPT」「Claude」「Gemini」など、さまざまな生成AIの名前が記載されていた。

 (これなら…レポート作成に役立つかも)

 和音は興味を持ち、「生成AI レポート 書き方」と検索してみた。すると、AIを使って効率的にレポートを書く方法に関する記事が次々と表示された。

 (これなら…人と話さなくても…)

 窓の外では雨が上がり、薄い雲が広がっていた。和音の目が少しずつ輝き始めた。その夜、和音はAIについて調べた。

 「ChatGPT」「Claude」「Gemini」。会話するAI、文章を書くAI、情報を整理するAI。それらは、人と話すことが苦手な和音にとって、未知の可能性を秘めていた。特に、遥との共同レポート作成に使えるかもしれないという期待が膨らんだ。

 「SNSの長所と短所」というテーマも、AIなら簡単にまとめてくれるかもしれない。

 (でも、それって…ズルになる?)

 和音は少し考え込んだ。そして、「AIを使ってレポートを書く方法」という記事を見つけた。AIに丸投げするのではなく、自分の考えをAIで整理する方法が紹介されていた。それだけでなく、「AIを使った同人誌作成入門」というリンクも目に留まった。

 (同人誌…?AIで作れるの?)クリックすると、AIを使って小説やイラストを組み合わせた同人誌の作り方の解説ページが開いた。初心者でも簡単に作れて、同人イベントで販売できるという。

 (AIでこんなこともできるんだ)

 部屋の明かりを消してみる。暗闇の中、パソコンの青白い光だけが和音の顔を照らしていた。

 「同人誌かぁ…。柚木さんは…」

 和音は桜の木の下での出会いを思い出していた。遥のスマホケースにはアニメキャラがデザインされていた。グループワーク中に見えたかばんにはアニメのピンバッチがついていた。

 もしかしたらアニメとか漫画が好きなのかな?生成AIの画像生成などは話題になりそうかな。

 パソコンの使用で疲れた体を、和音は目を閉じて両手を大きく伸ばしてほぐした。胸が少し軽くなった気がした。

「週末、まずはChatGPTや画像生成を試してみよう」

 和音はメモを取り始めた。人生で初めて、明日が少し楽しみになった気がした。こうして四月初旬の雨の日、和音の人生は思わぬ方向へと動き始めていた。偶然の出会いと新たな可能性。"ぼっち"だった彼女の青春を記録する旅が、ここから始まろうとしていた。





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