妖精のビスケット
五色ひいらぎ
ミルクと焼きたてビスケット
「妖精に食わす、ビスケットだと?」
俺が訊き返せば、侍女たちは伏し目がちに頷いた。
「なんでそんなもん、宮廷料理長がわざわざ作る必要がある。市場で買ってくりゃいいじゃねえかよ」
頭を振りつつにらんでやれば、一同は肩をすくめつつ経緯を説明してくれた。
曰く、原因を作ったのは乳母殿らしい。王太子殿下の長女たるフィオリーナ姫は当年五歳。少々落ち着きが出てきたとはいえ、まだまだやんちゃな年頃だ。寝床に入りたくない、とわがままを言う姫君を、乳母殿は軽く脅したという。『夜中に遊ぶ悪い子は、妖精の子と取り替えられてしまいますよ』と。
すると好奇心旺盛な姫君は、「妖精の取り替え子」について詳しく知りたがったらしい。せがまれるままに、乳母殿は語って聞かせてしまった。妖精に連れ去られた子は、二度と人間の世界に戻ってこられないこと。代わりに残された醜い妖精の子は、すぐに死んでしまうこと。などなどを、身振り手振りを交えて詳細に。詳細すぎるほどに。
「それで姫様、すっかり怯えてしまわれて……妖精が怖い、と泣いておられるのです」
「状況はわかったが、なんで俺に話が来る」
「私たちの中に、別の伝承を知っているものがおりまして。妖精をもてなすには、ミルクとビスケットを置いておくとよい、と」
「ですので『供物を出して帰ってもらいましょう』と、姫様に提案したところ。『だったらラウルに作ってもらって! 父上も母上も、ラウルのお料理やお菓子が大好きだから。きっと妖精も、喜んでどこかへ行ってくれるはず!』と、言い張られまして……」
顔を見合わせつつ、侍女たちは語り終えた。
思わず溜息が出る。馬鹿正直に俺に作らせなくとも、市場で適当に買った焼き菓子を「ラウル謹製」の触れ込みで渡してやればいいだけだと思うが。とはいえ、宮仕えの身にそれは許されないのだろう。
仕方なく俺は食料庫へ向かった。妖精のための食材が、在庫にあるかどうかはわからないが。
一時間あまり後。
焼き上がったビスケットを、ミルクと共に姫君の寝室へ持って行く。一礼して部屋へ入れば、姫君は乳母殿の腕の中で、すやすやと寝息を立てていた。目の周りに、涙の跡などは特に見えない。乳母殿が拭ってやったのだろうか。
小さいとはいえ王族の御前、俺は畏まった言葉遣いで、乳母殿に囁きかけた。
「よく寝ておられますね。この様子では、妖精の菓子は不要でしたか」
「いえ」
寝台脇に菓子の盆を置けば、乳母殿は小さく頷きつつ、うっとりと目を細めた。
「焼きたての良い香りがいたしますね。……姫様」
乳母殿が、姫君の背を軽く叩く。金髪の巻毛がかすかに動き、寝ぼけ眼が細く開いた。
おい、なにやってる――思わず口に出しかけた俺の前で、乳母殿は悪戯っぽく笑う。
「ラウル殿のお菓子が、届きましたよ」
聞いた途端、姫君の目に光が宿る。小さな身体が飛び起きた。
「ラウル! 妖精のお菓子、作ってきてくれたんだ!!」
「ああ、はい……しかしこれは」
どういうことなのか、わからない。姫君は、怯えて寝られなくなったはずじゃなかったのか。
質そうとすると、乳母殿が先んじて深々と頭を下げてきた。
「騙した格好になってしまい、申し訳ございません。しかしこれも、すべては姫様のお望みなのです」
「お爺様もお父様お母様も、みんなラウルのお料理が大好き。なのに私は、まだ小さいからって食べさせてもらえない……もう五つだから、大人のご飯だって食べられるのに」
「だから『妖精への供物』の名目で、俺に菓子を作らせようとしたのですか?」
乳母殿と姫君は、揃って頷いた。
「でもラウルのお菓子、すごく嬉しい! すごくおいしそうな匂いがしてて――」
言いつつ姫君は、ビスケットを一枚手に取った。
止めようとしたが、遅かった。
小さな口に、ひとかけが消える。満面の笑みが、すぐに当惑へ変わった。
「どうされました、姫様」
「おいしくない」
口の端を曲げつつ、姫君は首を傾げる。
「なんだか、ごつごつしたのがいっぱい入ってるし……それにぜんぜん甘くない。こんなの食べられない」
「姫様。俺が誰だか、ご存知ですか?」
深々と頭を下げつつ、取りようによっては不遜な問いを姫君に投げる。
「宮廷料理長のラウル。城下町からやってきた天才料理人。……で、あってるかな」
「そのとおり。俺は天才です。天才だから、料理も菓子も、相手の好みに完璧に合わせることができます。ですので」
苦笑いを作りながら、俺は答えた。
「これは最高の『妖精のビスケット』です。妖精たちは森の食材を好む。どんぐりや木の実、粗挽きの粉……そういったものが好物なのです。精白された小麦粉や砂糖は、彼らの口に合いません」
「確かに、いっぱい木の実が入ってる。生地もなんだか黒っぽい」
「ご注文は、妖精への供物でしたからね。森の木の実や粗挽き粉を、城内で探してくるのは苦労しましたよ」
説明すれば、姫君はたちまちしょげてしまった。
「ごめんなさい、ラウル。せっかく作ってくれたのに」
「俺の菓子をご所望なら、言ってくださればお作りしましたのに」
「お爺様やお父様に𠮟られちゃう」
「でしたら、バレないようにこっそりお知らせください。時間がある時でしたら、何かご用意いたしますよ」
微笑みかければ、姫君の顔がぱっと華やいだ。
「本当!?」
「俺にも本来の仕事がありますんで、時間がある時だけですけどね」
「えっと、それじゃあ――」
青い目をくるくると動かしながら、姫君はなにごとかを考え始めた。きっと今、金色の巻毛に覆われた頭の中は、さまざまなお菓子でいっぱいに違いない。
やがて姫君は、大きく頷いて口を開いた。
「じゃあ、『人間のビスケット』をお願い! 時間のある時でいいから。蜂蜜入りのホットミルクも」
「かしこまりました。それでは、そのうちに手が空いた折に」
俺はふたたび、深々と頭を下げた。
興奮気味に頬を紅潮させた姫君は、このあとちゃんと寝付けるのだろうか。寝られたとしたら、見るのはやはりお菓子の夢なのだろうか。
まあ、そこは乳母殿の領分だ。俺の仕事は、近日中に暇を見繕ってビスケットを焼くことだけだ。今度は、上等な小麦粉と砂糖を使って。
幼子に出すものだからって、手を抜く気はない。このあどけなくも熱心な、期待の視線を受けちまえばな。
やっぱり、子供は素直なのがいちばんいい。
【了】
妖精のビスケット 五色ひいらぎ @hiiragi_goshiki
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