妖精さん、声聞こえてますよ

真崎 奈南

妖精さん、声聞こえてますよ

 首都の中心にあり、貴族の子供たちが通うアカデミー。

 普段、学び舎は厳粛な空気が流れ、静寂に包まれているが、今は軽快な音楽が奏でられ、歓談する声音が賑やかに響き渡っている。

 卒業を控えた生徒たちのための卒業パーティーが、今年も始まったのだ。

 豪華な食事が出されたり、下級生たちが魔法を駆使した出し物をしたり、ダンスをしたりと、このパーティーは卒業生たちにとってアカデミーでの最後の楽しい思い出となるイベントだ。


 楽師たちが奏でていた音楽が止み、程なくして新たな曲が始まる。

 すっかり壁の花となっていたナディアは、曲が変わるたびに焦りを募らせていた。

 パーティーの会場となっているホールは一階。ナディアの傍らには開け放たれた出窓があり、その窓枠に可愛らしい声を響かせながら小さな姿が舞い降りてくる。トリの降臨だ。

 小首をかしげながら自分を見つめてくるトリに、「ひとりでぽつんと何してるの?」と問いかけられたような気持ちになり、ナディアは苦笑いを浮かべた。


(私だって、本当はジャレスと踊りたい。……でも、あの様子だと無理かもしれない)


 移動した視線の先に、女性たちによる人だかりができている。その中心に立っているのが、ジャレス・イクシード。

 黒髪碧眼ですらりと背が高く、美形。頭脳明晰、剣術にも優れ、難しい魔法も難なくこなす。おまけに公爵家の出自と、学生の中でもあたまひとつ抜けた存在だ。

 そんな彼に人気があるのは当然で、ジャレスと踊れる最後のチャンスを逃すまいと、女子たちが彼に群がっている状態である。


(約束していたけど、仕方ないよね)


 ナディアも例外ではなく、ジャレスに憧れていたひとりである。彼とはずっとクラスが同じで、チームを組むことも多々あった。彼を好きになるまで時間はかからず、五年という在学期間のほとんどを彼に片思いしながら過ごしていたのだ。


 恥ずかしくて告白はしていない。

 平凡な自分が完璧な彼の恋人になりたいだなんて、ひどくおこがましい気がして、ナディアは自分の気持ちを伝えるつもりはなかったのだ。


 けれど、卒業すれば会う機会はなくなる。

 ジャレスとの最後の思い出がどうしても欲しくて、「卒業パーティーで、ダンスを一曲、私と踊ってくれませんか?」と、ナディアは勇気を振り絞ってお願いした。

 それに対し、ジャレスの返事は「……わかった」だった。彼は一瞬真顔になったし内心どう思っていたのかわからないが、約束はしてくれたのだ。


 ダンスのために奏でられるのは五曲と決められていて、もうすでに四曲目に入ってしまっている。

 そしてナディアに、女子たちの間に割って入って、ジャレスを奪い取る度胸はない。完全に怖気づいてしまっている自分が情けなくて、自然に視線が下がっていく。


 そこで悲鳴に似たざわめきが起きた。俯いていたナディアが顔を上げると、自分に向かって一直線にやってくるジャレスの姿が視界に映りこんだ。


「すまない、遅くなった」


 あっという間に目の前にやってきたジャレスに、ナディアは唖然とする。女の子たちを振り切ってまで、彼の方から来てくれるとは思っていなかったからだ。

 そしてナディアに差し出されるジャレスの手。それは紛れもなくダンスの申し込みであり、同時に女子の悲痛な叫びがどこかで上がった。

 言葉を失ったまま差し伸べられた手を凝視するナディアに、ジャレスが不満そうに話しかけた。


「……なんだよ。踊らないのか? だったらいいけど」

「お、踊ります。踊らせてください!」


 ボヤキと共にジャレスがその場から立ち去ろうとしたため、ナディアが慌てて彼の腕を掴んで引き留める。そこでちょうど、演奏が終わった。

 ジャレスがナディアへと体を向け、あたらめて手を差し出す。ナディアがジャレスの手を取ると、それが合図となったかのように最後の曲が始まった。

 触れた温かさと腰に回されたジャレスの手の力強さ。そして何より、互いの体が密着するほどの距離感や間近にあるジャレスの美しい顔に、ナディアの鼓動が加速する。


(ナディア、落ち着くのよ。ステップ、絶対に間違えちゃだめ)


 このひと時を無様な思い出にしたくないと、ナディアが緊張しながら足を運んでいると、ジャレスの肩の上に十五センチくらいの大きさの男の子が現れた。

 澄んだ空のような青色の髪と瞳を持つ彼は、妖精だ。

 男の子の妖精からにこりと笑いかけられ、ナディアはつられるように微笑み返す。すると、ナディアの視線の先に妖精がいるのを見て取ったジャレスは、思い出したように呟いた。


「……そういえば、ナディアも妖精が見えるんだったな」


 ジャレスの言葉にナディアは頷いて答えた。

 一般的に、非常に高い魔力を有していないと妖精を認識することができない。そのため、ここにいる卒業生のほとんどが見えていない。

 しかしナディアは例外で、魔力は普通であるにもかかわらず、なぜか子供の頃から妖精を見ることができたのだ。


「ジャレスのパートナーの妖精くん、久しぶりに見たけど、やっぱりかっこいいね」


 男の子の妖精は時々現れてはジャレスと楽しそうにしていたり、状況によっては力を貸したりすることもあることから、ナディアは勝手に「パートナー」と認識している。

 そして、ジャレスと並んでも引けを取らないくらい美形で、身なりもまるで王族のようなので、彼はもしかしたら妖精の国の王子様なのではと、ナディアは密かに思っている。


 褒められて嬉しかったのか、パートナーの妖精くんは優美な笑みを浮かべてから、胸元に手を当てて、ナディアに対して恭しく頭を下げた。


(やっぱり王子様だわ。王子様にしか見えない。ジャレスとパートナーの妖精くん、美形が並んでて目の保養)


「本当に人間の女はちょろいな。にっこり笑っただけで、みんな喜びやがる」

「……いてっ」


 夢見心地のナディアだったが、聞こえた言葉に動揺し、思わずジャレスの足を踏みつけた。

 ジャレスから苦悶の声が上がり、ふたりの動きが完全に止まる。


「ご、ごめんなさい!」

「い、いや。大丈夫だけど……」


 ナディアは即座に謝る一方で、パートナーの妖精くんを見て……すぐに視線をそらした。


(……あ、あれ。王子様、どこいった?)


 パートナーの妖精くんは先ほどまで気品に満ち溢れていたというのに、今はナディアを馬鹿にしきった顔で笑っている。

 これまでいろいろな妖精を目にしてきたが、喋り声を聞こえたのは一度もない。本来なら声が聞こえたことを驚くべきなのだけれど、ナディアに抱いていた印象が覆るほどの突然の豹変の方がショックで言葉が出てこない。

 ちょっぴり様子が変わったナディアに対して嫌な予感を覚えたのか、ジャレスが恐る恐る確認する。


「……確かお前って、妖精の姿は見えても、声までは聞こえなかったよな?」

「この鈍感そうな女に俺の声が聞こえるはずないだろ! っつーか、こいつどうして俺の姿が見えるの? 魔力レベル、低すぎのくせして」

「ちょっと黙ってろ!」


 ジャレスの質問に、ナディアではなくパートナーの妖精くんが答えた。続けて、ナディアを指さして不満そうに言葉を並べ出したため、ジャレスは小さな彼をじろりと睨みつけ、ぴしゃりとたしなめた。

 ナディアはジャレスから先ほどの質問の答えを目線で促され、ちょっぴり涙目で口を開いた。


「ハ、ハイ。ワタシ、ナニモキコエマセン」


 パートナーの妖精の柄の悪さから目を背けたい一心で、ナディアは嘘をつく。ジャレスは「そうか」と心なしかホッとしたような顔をした。

 しかしその後も、パートナーの妖精くんの勢いは止まらない。


「ジャレス、もっと肉感のある女を誘えよ。そっちの方が楽しめるだろ、いろいろと」

「やめろ」

(たっ、確かに、私、貧相だけどっ……!)


 胸の発育が周りに比べてそれほど良くない自覚があるため、ナディアは遠い目をして唇をかむ。

 パートナーの妖精くんがジャレスの頬をぺちぺちと叩きながら、ため息交じりに言う。


「しかし、情けないな。緊張してないで、さっさとデートに誘っちまえよ。お前、この女に気があんだろ?」


 最後に添えられたひと言に、ナディアは完全に一時停止し、ジャレスはわずかにうろたえてみせた。


「ダンスに誘われたってこっちが引くほど大喜び。格好悪いところみせられないって馬鹿みたいにダンスの練習。卒業後も会ってくれるかなって、めっちゃ不安になってて、いつもの自信満々なお前らしくなくて、ほんと笑えてくる」

「それ以上、喋るな」

「別にいだろ。この女はなーんにも聞こえてないんだから」

(……ど、動揺しちゃだめよ、私。平静を装うの!)


 ナディアは目の前で繰り広げられている会話が聞こえていないふりを必死にするが、頬が熱くなるのはどうしても止められない。

 ジャレスが自分のことで一喜一憂していたのを知ってしまったのだから、無理もない。


「そんなにこの女をモノにしたいなら……そうだな……とりあえず、事故を装って、ここでキスしとけ」


 パートナーの妖精くんから飛び出した爆弾発言に、ナディアはめまいを覚え、わずかに足元がふらつく。


「大丈夫だ。俺の勘によれば、この女もジャレスに惚れてる。いつもお前のこと、熱く見つめてたからな」

(ば、ばれてる!)


 もう冷静ではいられない。

 この場から逃げ出したくて足が後退しかけた時、あっはっはと豪快に笑っていたパートナーの妖精くんを、ジャレスが手で乱暴に押しやった。


「おい、ジャレス! なにすんだよ!」

「ナディアの気持ちを無視して、そんなことできるわけない。お前が思っている以上に、俺、本気だから」


 きっぱりとそう言い放ってから、ジャレスはナディアへと手を差し出した。


「まだ曲は終わってない。踊ろう」


 ナディアは目をわずかに見開いてから、口元に笑みをたたえ、ジャレスの手を取る。


「……はい」


 そっと寄り添い、ゆったりと動きを合わせながら、ふたりは再び踊り出す。


 音楽が途絶えても、終わりじゃない。

 勇気を出して、もう一歩近けば、きっと未来は重なるはず。


「いまだ、ジャレス! 唇を奪ってしまえ!」


 ……頬の熱だけは、まだまだ冷めそうにない。

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