LOSER, この「誕生日おめでとう」は絶対に絶対にあなたには聞こえない
灰崎凛音
「それもまた全部くだらねえ」
早寝早起きだけがあたしの特技。ストレスや季節の変わり目、気圧や女子日でも何でも来いだ、あたしは毎日夜九時に寝て朝六時に起床する。アラームも眠剤も不要。おかげで学生時代はずーっと皆勤賞だったし授業がつまらなくても昼寝をする必要は無かった。
大学四年生の三月。無事就職も決まり、早い子はもうインターンに行ったりしてて、あたしも来月からいよいよ『社会人』の仲間入り。
幸い職場はさほど遠くないし、転勤もない業種だからしばらくは実家で楽ができる。だからこそ、この最後の春休みは卒業旅行に行ったり飲み行ったり地方に戻る友達と思い出を作りまくったりしてた。
「え? 今日明日は空いてるって言ってなかった?」
バイト先のカフェで、終業後同い年の子にそう聞かれたあたしは、こう応えた。
「予定はないけど、用事はあるの」
「はぁ?」
彼女は理解不能って顔をし、肩をすくめて先に歩き出した。
そう、年に一度の大切な用事があるのだ。三月九日の深更には。
何しろあたしは早寝人間、夜更かしなんて十時半が限界。だから帰りにコンビニで眠眠打破を三本買って、カフェインの入ってる目覚ましサプリまで手配して、日付変更の瞬間まで必死に睡魔に堪えた。
これは自分との戦いだ。あの人のための。
あの人の旧名義の作品から、今世界中で聞かれるようになった名曲たちの、お気に入りプレイリストを数日前から作成してて、音だけで眠気に負けそうになったらライブ映像を見たりインタビューを読み直したりして、とにかく眠気と戦った。
そして、きっちりと合わせてある壁時計が深夜零時を告げる無機質な音を立てた瞬間、あたしはiPhoneのミュージックアプリを閉じる。
間接照明だけの部屋のデスクではなくローテーブルに配膳済みの、小さいが瀟洒なレモンベースのケーキを前に、小声で歌い出す。
はーっぴばーすでーとぅーゆー、はーっぴばーすでーとぅーゆー、
はーっぴばーすでーい、でぃーあ……
彼の名を発声しようとした瞬間、眠さでぽやぽやしていたあたしの意識が、突如として冷えて鋭くなった。
——あの人自身は今、この瞬間をどう過ごしているんだろう?
もしかしたら仲の良いミュージシャンたちと飲んでるかもしれないし、なんなら盛大な誕生パーティを開催しているかもしれないし、大切な人と一緒かもしれないし、例によって眠っているかもしれない。
だけど……。
嗚呼、これは、無理だ。
弾かれたように、頭が真っ白になった。当たり前の、単なる事実、でも揺るぎない現実を前に、あたしは銀色の小ぶりなフォークを手にして、それなりに値の張ったケーキを齧りつくように口に押し込んだ。レモンの風味は必要以上に酸っぱく感じられた。
別に推しの誕生日をたかがファンが祝うことに虚しさを覚えたわけじゃない。
もはや世界規模でバズっているあの人と自分を比較して卑屈になったわけでもない。
ただ、気づいただけ。
たとえあたしが、もしくは世界中に数多と存在するあの人のファンが、いくら大声で愛を歌って、ハッピーバースデイと叫んだとしても、それは決して彼の耳には届かない。
正確に言えば、聞こえていても、届いてはいけない。
だって、あの人の頭の中はあの人自身の音楽で、音でいっぱいで、他のどんな人間も、そこに侵入してはいけないんだ。できないんだ。
クリエイティビティを「泥臭い作業」と言い放ちながらも音楽家としての才気を迸らせるあの人の世界に、たとえ好意故とはいえ不純物が混ざり込んだら、きっと何かの歯車が狂ってしまう。
ケーキを咀嚼し無理矢理飲み込んだあたしは、そのまま立ち上がりベッドにダイブした。無意識に握っていたiPhoneから、例のプレイリストをシャッフル再生で鳴らす。こういう時に限って一番好きな曲が流れる。
——愛されたいならそう言おうぜ
あたしはガチ恋勢とかじゃないから、あの人に対してそんなことは思わないけれど、ああ眠い、もう、考えるの疲れた。
そしてあたしはまどろみながら、でもサンプリングは例外かなぁ、なんてふにゃふにゃ思って、来月からの新生活もあの人の音楽を励みにやっていこうとか何とか決意して深い深い眠りに落ちた。
(了)
LOSER, この「誕生日おめでとう」は絶対に絶対にあなたには聞こえない 灰崎凛音 @Rin_Sangrail
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