星の妖精と愛の魔法

くれは

 ★ 

 ──昔々、夜空の星の囁き声がまだ聞こえていた頃、妖精たちがまだ人々とともにあった頃、夜空には星の光を運ぶ妖精がいたという。

 その名は、リミュウ。

 夜空に瞬く輝きから生まれ、暗闇に迷うものを導く。夜の風に羽ばたく透き通った翅はうすく削りとられた宝石のように煌めいて、白銀の姿は夜の闇の中でもいっとう綺麗に光っていたという。

 リミュウは美しく、その姿を見たものは愛を手に入れると言われていた。

 けれど人々は愚かだった。

 リミュウを捕まえてしまえば、その愛はいくらでも手に入るのではないか。その美しさを手の内に閉じ込めておけるのではないか。そう考えて、リミュウを捕まえようとした。

 あるものは手を伸ばして、またあるものは魔法を使って、あるものは力づくで。

 リミュウはそれらの手を拒んだ。そして、美しい星のかけらのような涙をひとつ、夜空にこぼした。最後にひときわ強く輝くと、星々の彼方に姿を消してしまった。

 それっきり、リミュウはもう戻ってこない。

 馬鹿な人間たち。


 そうさ、人間たちは馬鹿だよ。

 魔法だっていまだに解明できていない。だというのに魔法を使ってふんぞりかえって、魔法を支配したつもりになっている。

 この時代、人々が夢中になっているのは、失われた妖精を魔法で再現することさ。どこの国の王様も、偉大な魔法使いたちに命じて、妖精を作らせた。そうして、その美しさを自分のものにしようと思った。

 ある国のとある大魔法使いアルゴラスも、そうした魔法使いのひとりだった。自らの手で妖精を──命を作り上げてゆく。その作業に没頭し、ついに美しい妖精を作り上げた。

 美しく整った白い顔。長いまつげが翳を落とす瞳は、様々な色を封じ込めた月映石げつえいせき、髪の毛は流れ星の尾にも似た天絹あまぎぬの糸。背中の翅は柔らかに輝く星鋼ほしはがねを糸にして、編み込んで造られた。

 その出来栄えにアルゴラスは満足した。後は最後の仕上げだ。

 弟子のエディルが見守る中で、アルゴラスは造られた妖精に手をかざして、最後の魔法を封じ込めた。その魔法は「愛」を中心に繊細に組み上げたものだ。

 そうしてその妖精は生まれた。長いまつげで瞬きをして、自らを生み出したアルゴラスと、その隣のエディルを見上げた。星が瞬くように微笑んだ。

 アルゴラスは自分が造り上げた妖精にリミュウと名付けた。

 ああ、そうさ。人間が捕まえそこねて消えてしまった、あの妖精の名だよ。


 アルゴラスはリミュウの様子をしばらく観察することにした。王様に献上する前に粗相があってはいけないからね。

 それでリミュウの世話──例えば、その繊細な翅を毎日拭きあげるとか──は、弟子のエディルがやることになった。

 エディルは美しいリミュウの体を、それはそれは丁寧に扱った。何かあってはいけない、そんな思いで恐る恐る体を翅を拭き、髪をくしげずった。

「あなたの名前は?」

 あるとき、リミュウは月映石の瞳の色を移ろわせながら、エディルにそう尋ねた。それはまるで、星の囁き声を聞くような、美しい声音だったという。

 エディルは慎重に翅の細かな網目を拭きながら、顔をあげずに応えた。

「エディル」

「そう、エディル」

 ふふ、とリミュウは笑った。

「いつもありがとう、エディル。わたし、あなたが好きよ」

 うっとりするように微笑んで、リミュウはそう言った。エディルは手を止めて、リミュウを見た。まるで恋人に愛を語るような眼差し。わずかに赤みの差した頬。美しいかんばせ

 それでも、それはリミュウの中に組み上げられた「愛」の魔法によるものだった。少なくともエディルはそう思った。

「あなたは造りものだ。その好きも、誰にでも言うものだ。あなたはそのように造られたのだから」

 エディルの声は冷たかったが、わずかに震えていた。

 それでリミュウの瞳から目をそらすと、エディルはまた手を動かしはじめた。編み上げられた翅は細かく、とにかく神経を尖らせなければならなかった。


 またある日、エディルはリミュウの天絹の糸でできた髪をくしけずっていた。上等な櫛でゆっくりと、とかしていた。

 リミュウはまた、エディルに声をかけた。

「エディル、いつもありがとう。あなたの手はとても優しいの。わたし、好きよ」

 心地良い声音に、エディルは手を止めてしまった。

 とびっきり美しい妖精は、まるで無邪気な少女のように、エディルを真直に見つめて微笑んでいた。その顔はまるきり、恋をする乙女そのものだった。

 エディルはしばらく呼吸を止めてリミュウに見入ってしまった。それも仕方ない。リミュウは美しい。大魔法使いアルゴラスの最高傑作さ。

 けれどエディルはやがて、小さくため息をついて首を振った。

「あなたには心がない。ないはずだ。ない心でどうして愛を語れようか」

 リミュウは思いがけないことを言われて、瞬きをした。白い頬に長いまつげの翳が揺れた。

「わたしには、心が、ない?」

「そう、心だ。人には心がある。けれどあなたのそれは、魔法でできたまがいものだ」

 エディルの声はやっぱり冷たかったが、それはどこか自分に言い聞かせるかのようだった。

 そうしてエディルはまた、髪をとかしはじめた。上等な櫛と上等な糸、気の抜けない作業だったからだ。

 けれどリミュウはわずかに目を伏せて、小さく呟いたんだ。

「心」と。


 そうしてまたある日、エディルはリミュウの足の爪先を綺麗に磨き上げていた。妖精は足先までも美しい。その爪は輝く真珠貝のように並んでいた。

 リミュウは今までとは違う、思い詰めたような表情をしていた。形の良い眉を寄せて、月映石の瞳を曇らせて、それでもエディルにこう言った。

「わたしに心があるのかはわからなかった。でも、それでも、わたしはエディルのことが好きなの。それは本当よ」

 思い詰めたようにも見えるリミュウの言葉に、エディルはぐっと息を呑んだ。

 エディルは、そのリミュウの言葉も「愛」の魔法によるものだとわかっていた。わかっていても、目の前のリミュウはあまりに悩ましく、か細く、儚く、美しかった。

 リミュウは途方に暮れたようにエディルを見た。リミュウの足先にひざまづいていたエディルは、手を動かすのも忘れて、そんなリミュウを見上げた。

「それは……『愛』の魔法」

 エディルの拒絶は弱々しいものだった。リミュウはそんなエディルを見下ろして、じっと見つめる。

「わたしが魔法でできているとしても、わたしはやっぱりエディルが好きだわ」

 リミュウの月映石の瞳が濡れたように煌めいて、色を変えた。天絹の糸でできた髪が、さらさらと流れ落ちるようだった。星鋼の糸で編まれた翅がゆらりと揺れて、輝きをばら撒いた。

 ああ、エディルはついに、自分の心のうちに秘めた思いを認めてしまった。

 エディルはリミュウの白い手をとり、その指先に口付けた。もう、気持ちに抗うことはできなかった。でももしかしたら、それも「愛」の魔法のせいだったのかもしれないね。


 さて、大魔法使いアルゴラスは、リミュウの出来栄えに不満を覚えるようになっていた。弟子のエディルを前にこう言った。

「リミュウは失敗だ。人を愛するようにと『愛』を中心に魔法を組み上げたが、あまりに不安定すぎる」

 エディルはリミュウの美しさは完璧だと思っていた。だから、アルゴラスの不満がわからなかった。

 あるいは、『愛』の魔法とはそうしたものかもしれない。エディルはリミュウへの愛に溺れ、盲目になっていたのだ。

 そんな弟子の心をアルゴラスは知らずに、言葉を続けた。

「必要なのは『忠誠』だ。今のリミュウに封じた魔法は新しく書き換える。次は『忠誠』を中心に魔法を組み上げる。明日だ。準備しておけ」

 エディルはひどく動揺した。リミュウは魔法で造られた妖精だ。けれど、そこに封じられた魔法を書き換えればどうなるだろうか。

「今のリミュウは……どうなるのですか」

 アルゴラスは、エディル言葉に何を言っているのか、と言わんばかりに眉を持ち上げた。

「どうなるも何も、今のリミュウの体を使うだけだ。中身の魔法を入れ替える」

 それ以上、アルゴラスは何も言わなかった。翌日の準備のために『忠誠』の魔法を組み上げる作業に没頭しはじめたのだ。

 エディルはそんな師匠にばれないよう、リミュウの元に向かった。

 中身の魔法が入れ替わってしまえば、リミュウは今のリミュウのままではいられないだろうと思えた。今のリミュウがそのままでいるためには、逃げるしかないと思ったのだ。

 それで、エディルはリミュウの手を引いて、アルゴラスの元から逃げ出したのだった。

「どこに行くの、エディル?」

「わからない、どこか、ふたりで暮らせるところへ」

「ふたりで? 暮らすってどういうこと?」

 リミュウは手を引かれてもなお、なんのために逃げるのかを理解していなかった。


 エディルがリミュウを連れて逃げ出したことに、アルゴラスはすぐに気づいた。魔法を使って弟子のいる場所を突き止め、魔法でその足を封じた。

 エディルは見えない手によって地面に押さえつけられた。

「エディル? どうしたの?」

 リミュウが足を止めて、地面に倒れたエディルを覗き込む。そこへアルゴラスは近づいていった。

「弟子に裏切られるとは、残念だ」

 アルゴラスはそう、小さく呟いた。それから、リミュウに向けて手を差し伸べた。

「リミュウ、戻りなさい。エディルのことは、もう放っておきなさい」

 地面の上で動けずにもがくエディルの様子を瞬きをして見つめていたリミュウは、アルゴラスを振り向いた。星鋼の糸で編んだ翅が、ふわりと動いた。

「どうして? わたしはエディルのことが好きよ」

 困ったものだと言わんばかりに、アルゴラスは大きく息を吐き出した。

「それも全ては『愛』の魔法のせいだ。『忠誠』の魔法に入れ替えれば、そんなこともなくなる。さあ、戻るぞ」

 アルゴラスはそれ以上リミュウの言葉を聞こうとはしなかった。手に持っていた杖を振り上げる。

 それでリミュウは、色の揺らめく月映石の瞳から、小さな涙をひとつぶこぼした。

「わたしは、それでもエディルのことが好き」

 小さくそう呟くと、自分の中にある魔法の力をすべて解き放った。淡く瞬く星のように、光がリミュウの体を包んだ。その中で、リミュウはエディルの姿を見て微笑んだ。リミュウの体は燃えて星屑になって、夜空に溶けて消えていった。

「何を……!」

 アルゴラスは慌てて止めようとしたが、もう遅かった。アルゴラスが魔法を組み上げたときにはすでに、リミュウの体は燃え尽きた後だった。

 人が造り出した妖精も、本物のリミュウと同じように消えてしまったというわけさ。

 ああ、本当に人間ってのは、愚かだよ。



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