妖精は歯医者の夢を見るか?

清泪(せいな)

歯が痛い、と感じてどれくらい経ったのだろうか?

「いっってぇ……!」


 夕食のトンカツを一口かじった瞬間、鋭い痛みが奥歯を貫いた。

 思わず箸を落としそうになる。

 何が起きたのかと舌で歯を探ると、どうやら右の奥歯が原因らしい。

 ズキズキと脈打つ痛みが顎の奥に広がる。


「あーもう……勘弁してくれよ」


 仕事帰りに立ち寄った定食屋で、一日の疲れを癒やすつもりが、思わぬ伏兵に襲われた。

 しばらく歯医者に行っていないせいか、どこか悪くなっていたんだろう。


 しかし、この痛みはキツい。

 しばらく食事どころじゃない。

 仕方なく水を含んでみるが、冷たい液体が歯にしみて、さらに悶絶する羽目になった。


「くそっ、こんなときに妖精でもいてくれたらなぁ」


 思わず独りごちる。

 歯の妖精とか、歯医者の神様とか、そういうものが存在するなら、今すぐにでも助けてほしい。


「なぁ、おやっさん、妖精って見たことあるか?」


 カウンター越しに店主へ話しかけるが、彼は呆れ顔で返してきた。


「はぁ? 歯の痛みでおかしくなったのか? うちにいるとしたらトンカツの妖精、かな」


「トンカツの妖精、って。豚の霊か、衣好きのガキだな、多分」


「……まあ、そんなもんだ」


 とりあえずトンカツの妖精に頼んでも仕方ない。

 俺はため息をつきながら箸を置いた。


 このまま家に帰っても痛みで眠れそうにない。  

 ロキソニンを買って帰るべきか?

 でも、薬局に寄る元気もない。


 と、そのときだった。


 ふと視線の端に、何か小さな影が映った。


 気のせいかと思ったが、確かにそこにいた。


 一瞬虫かと見間違えたが、どうやら人型。

 手のひらサイズの、淡く光る存在。

 薄緑色の羽がかすかに震えている。


「……え? 妖精?」


「そうとも!」


 いかにも陽気な調子で、小さな存在は胸を張った。


「汝の願いを聞き届けん! 我が名は……えーっと……まあいいや、とにかく、歯の痛みに苦しむ人間を救うために来た!」


 あまりに唐突でご都合の良い展開に、俺はまじまじと妖精(らしきもの)を見つめる。

 店主は気づいていないのか、妖精だとか言い出した俺を厄介な客として無視しだしたのか、黙々と揚げ物をしている。


「お、お前、本当に妖精なのか?」


「そうだとも! で、汝の歯の痛み、どうにかしてほしいんだろう?」


「……できるのか?」


「もちろん! ちょっと待ってろ」


 妖精は、どこからともなく小さな杖のようなものを取り出した。

 手のひらサイズの妖精の、手のひらサイズの杖。

 中年真っ只中の俺には、見辛くて仕方ない。

 視力の妖精も出てこないかな?


 そんな視認できるかギリギリサイズの杖を俺の頬に向けて、軽く振る。


「ハッハーッ! 痛みよ、去れーっ!」


 俺の妄想が怪しい呪文まで唱えさせるのかと思ったが、意外と単刀直入な命令を唱えられた。

 その瞬間、俺の奥歯がじんわりと温かくなった。

 痛みがすぅっと引いていく。


「……おお、本当に効いた……?」


 恐る恐る舌で歯を押してみる。

 しみない。

 ズキズキしない。


「おお、これはすげぇ!」


「ふふん、感謝するがいい! ただし、効果は一時的だ!」


「は?」


「歯医者に行かないと、またすぐ痛くなるぞ!」


「……マジかよ」


 現実突きつけてくるな、コイツ。

 虫歯は魔法で治るようなものじゃないらしい。

 結局、根本的な解決にはならないってわけだ。


「……でも、まあ、助かったよ。お前、なかなかいいヤツだな」


「だろ? じゃ、頑張れよ!」


 妖精はひらりと舞い上がると、厨房の方へ飛んでいった。

 次の瞬間、消えた。


「……幻覚だったのか?」


 いや、確かに痛みは消えている。

 現実だったのかもしれない。


 カウンターの向こうで店主が首をかしげる。


「お客さん、大丈夫か? 何かぶつぶつ言ってたけど」


「いや……まぁ、妖精がな」


「……仕事、疲れてんだな。ちゃんと休みなよ。あと、ロキソニン買って帰りな」


「……そうするわ」


 結局、俺は薬局に寄って痛み止めを買い、翌日歯医者の予約を取ることにした。


 痛みは魔法じゃ治らない。

 けど、ちょっとした奇跡くらいは信じてもいいかもしれない。

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妖精は歯医者の夢を見るか? 清泪(せいな) @seina35

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