小箱
青切 吉十
ちょっと昔のお話
男は学者だった。
年がら年中、本を読んでいた。本を買っては読み、買っては読みを繰り返していた。そのため、男の家は本だらけで、足の踏み場もなかった。
男には夫人がいたが、本の置き場所を巡って、ふたりの仲は険悪になり、だいぶ前に出て行ってしまった。しかし、男は一向に構わず、本を読み続けた。本を買っては読み、買っては読みを繰り返した。
だが、物には限りがある。とうとう、本を置く場所がなくなってしまった。途方に暮れた男がしたことはもちろん、本を読むことであった。
男が手に取った、外国の本は、『妖精の呼び出し方』という題名だった。古書店で安かったので買ってきた本であったが、男は本気で、妖精が呼び出せるとは思っていなかった。
「妖精なんているわけがないが。……意外と簡単な方法だな、ひとつ、やってみるか」
男は必要なものを取り揃え、本を見ながら、何度も呪文を唱えた。「ルリラ、ルリルラ、ルリルララ」
すると、本のページから柔らかな光があふれた。やがて、それが収まると、絵本などでよく見る、透明な羽を生やした小人が、男の前に浮かんでいた。
中性的な顔立ちをしている小人が、ほほ笑みながら男を見ている。
男はたずねた。
「おまえは妖精か?」
「そうよ」
そう答えた小人に、男はふたたび口を開いた。
「この本によると、願い事を叶えてくれるらしいが、本当か?」
「本当よ」
「願い事を叶える代わりに、魂を……、というわけか?」
男が恐るおそるたずねると、小人は笑いながら答えた。
「そんなものいらないわ。悪魔じゃないんだから」
一安心した男が「そうか」と応じたところ、「でもね」と小人が言った。
「悪魔じゃないから、むずかしい願い事は叶えられないわよ。とくに寿命や若さに関わることは」
小人の言葉に、男は頭を振り、「そんなものには興味はないよ」と応じた。
「本だよ、この本の山。これをどうにかしてくれ」
男の願い事を聞き、小人は自分を囲んでいる本をながめた。
「わかったわ。どこかに捨ててきてあげましょう。それか、燃やしてあげましょう」
ほほ笑みながらそう言った小人に、男は血相を変えて応じた。
「おいおい。そんなことなら、おまえに頼まず、自分でやるよ」
それに対して、小人はほほ笑みを崩さず、「わかっているわよ。ふふふ。冗談よ」と言いながら、空中に小箱を出現させ、それを男に渡した。
「この箱に本を入れてみなさい」と小人に言われた男は、試しに周りにあった本を次々と入れてみたが、箱はまったく重くならなかった。
「これはすごい」と男が感心していると、小人はふふふと笑いながら、「箱の中に入れた本のことを念じてみなさい」と言った。
男が言われた通りにしてみると、小箱が本を吐き出した。
「なるほど。そういう仕掛けになっているわけか」と言いながら、男は本の中身を確認した。
喜ぶ男の様子を見ながら、小人はほほ笑み崩さず言った。
「あら、もう時間が来たわ。私は帰るわよ。いいわね?」
夢中になって本を小箱に入れ始めていた男は、作業を中断することなく、また、小人の方を見もせずに、「ああ」とだけ言った。
それから、男の生活はずいぶんと快適になった。家にあった本を小箱に入れてしまったからだ。
男が本を片付けたことを知らせると、夫人も戻ってきた。
男は、本を買っては読んで、小箱に入れ、買っては読んで、小箱に入れた。
それを夢中になって繰り返したが、小箱の重さは変わらなかった……。
ある晴れた日の昼下がり。
買い物をすませた夫人が、帰路を歩いていると、家の方から大きな音がした。
急いで家の様子を見てみると、家は壊れて、そこかしこに、数え切れない数の本が散乱していた。
男は本に潰されて半死の状態だった。その男の前に、いつかの小人が姿をあらわした。
「だめよ、箱に本を入れ過ぎちゃあ」
そのように、ほほ笑みながら言う小人に、息も絶え絶えの中、男は抗議した。
「こんなことになるなんて、聞いてないぞ」
小人はほほ笑みを絶やさずに応じた。「だって、聞かれなかったもの。ふふふ。でもねえ、この世に無限なものなんてあるわけないじゃない。そんなこと、本をたくさん読んでいるのに、知らなかったのね。ばかね」
ほほ笑む小人に、男は最後の力を振り絞り、「やっぱり、おまえは……」と言い終わると、息絶えてしまった。
小箱 青切 吉十 @aogiri
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