人鳥温泉街の諜報員

高橋志歩

人鳥温泉街の諜報員

 ぽかぽか陽気のある日の昼時。

「全宇宙征服連盟」の地球日本担当人鳥温泉街じんちょうおんせんがい支部に勤務する3人の秘書は、人鳥温泉街の人気隠れイタリア料理屋「フォンフォン・カリドス」で春の野菜パスタと季節のサラダのランチを楽しんでいた。


 普通、平日の昼間に3人揃ってゆっくり昼食などは無理なのだけども、今日は「全宇宙征服連盟」の事務所の一斉大清掃の日なので、午前中で業務は終了となったのである。

 何かと忙しい所長も、今日ばかりはさっさと退社してくれたので、第1秘書と第2秘書と第3秘書は、久しぶりに互いの近況などのお喋りで盛り上がっていた。


 明るくお洒落なイタリア料理屋の店内。でも隅のテーブルに一人のかなり場違いな雰囲気の男性が座って、オレンジジュースを飲みながら3人の秘書をさり気なく観察していた。

 やがて男性は、立ち上がると秘書たちのテーブルに近づき、「少々お邪魔してよろしいですか?」と丁寧に声をかけた。

 くるくるとした癖毛の短髪、この陽気にスーツの上に羽織ったトレンチコート。礼儀は正しいが、怪し過ぎる。3人の秘書のうち、第3秘書が指輪をはめた人差し指で素早くテーブルを「トトン!」と叩いた。

 これは、私が相手をする、という信号である。第1秘書と第2秘書は、黙ってグラスワインを握って男性を見た。怪しい動きがあれば、ワインを男性の顔にぶっかけて時間稼ぎが出来る。


 男性も面白そうに、妙によく似た3人の秘書を順番に見返した。


 第3秘書が眼鏡を光らせて男性を見上げた。

「何の御用でしょうか? 私たちは昼食中なのですが」

 男性はにっこりと愛想のいい笑顔を浮かべた。

「さすが、エーテル所長の秘書さんたちですね。冷静だ」

「何の御用かと伺っています」

「そうですね。私は地球外の組織に雇われて働いている方々に、聞き取り調査をしている者です。訳あって名乗れませんが、所属先の身分証明書はこちらに」

 差し出した男性の右手の甲が一瞬光った。それを見た第3秘書は目を細めた。

「確認いたしました。ですが調査とは何でしょう? 私たちは普通に勤め、公序良俗に違反するような事は何もしておりません」

「あなた方を何事かで疑っている訳じゃありませんよ。しかし、別星系の運営である征服連盟が、地球人を不当に扱っていないかどうかは、常に監視しておきませんとね」

「不当になど扱われておりません。給与も福利厚生もきちんとしております」

「エーテル所長も、地球人であるあなた方にはきちんと接していると?」

「もちろんです」

 男性が首をひねった。この秘書は余計な事を一切口にしない。慣れている。

「しかし、征服連盟は数々の秘密結社と手を組んで勢力を伸ばし、ゆくゆくは地球を征服しようとしている組織ですがね」

 第3秘書はかすかに笑った。その手には乗らない。

「私たちは秘密でも何でもなく、友好的な活動を主にしている組織です。地球連合政府と日本政府の許可も得ておりますし、税金もきちんと納めています。これ以上は広報部にお尋ねください。今日はもう窓口は閉まっておりますから、明日にでも」


 その時、男性の肩の上にひょっこりと小さな紫色の鳥が顔を出し、男性の耳に何事かを囁いた。

 第3秘書の目が鋭くなり声が険しくなった。

「妖精を連れていると、前もって言って欲しかったですね」

 男性が楽しそうに笑った。

「お互い様ですよ。あなたも素早く指輪の記録機能を作動させていたでしょう? やはり有能な秘書はそうでなくてはね。私の事を所属先に抗議するならいつでもどうぞ。では、お食事中お邪魔しました」

 男性はオレンジジュースの支払いを済ませると、さっさと店を出て行った。

 第3秘書は見送りながら溜息をついた。明日、エーテル所長に接触報告書を提出しなければ。この忙しい時期に腹の立つ。


 男性は、イタリア料理屋を出てから、のんびりと人鳥温泉街の散策を楽しんだ。トレンチコート姿はいささか目立ったが、男性は別に気にしていなかった。温泉に立ち寄る時間が無いのを残念に思いつつ、湯気の立つ和菓子屋で温泉饅頭とみたらし団子を買い込んだ。人鳥温泉街から少し離れた遊歩道まで歩き、見晴らしのいいベンチに腰掛け、空を眺めながら食べた。うん美味い。


 やがて遊歩道に、マスコットのペンギンと並んで歩くエーテル所長が姿を現した。トレーナー姿にスニーカーというラフな格好である。


 男性が、ベンチから立ち上がるとエーテル所長は立ち止まった。ペンギンの大福も立ち止まった。

「驚いたな。こんな所で何をしている、諜報員」

 手をぷらぷらさせながら男性は笑顔になった。

「散歩する所長を待ちながら、饅頭とみたらし団子を食べていました。たまには和菓子もいいですね。そろそろ渋いお茶が欲しくなってきましたが。よお大福、元気そうだな」

 ペンギンの大福は羽をぱたぱたさせて挨拶し、エーテル所長はうんざりした表情になった。

「君もつくづくヒマだな。どれだけ征服連盟を監視して嗅ぎまわっても、何も出ないぞ。地球連合政府の星系管理委員会の厳しさは良く知っているだろう」

 男性は苦笑した。

「仕方がないですよ、私だって上からの命令は実行しませんと。しかし所長の秘書は全員有能ですね」

「当然だ……彼女らに接触したのか?」

「ええ、まあ。しばらく噂になるかもしれませんね」

 エーテル所長は内心やれやれと思い、男性の肩に乗っている小さな紫色の鳥をじろりと見た。

「私の精神を読み取ろうとしても無駄だぞ、妖精」

「訓練されているエリート異星人にどうこうしませんよ」

 男性が指で鳥の頭をゆっくり撫でてやると、やがて眼をつむって眠ってしまった。男性は、そっと妖精と呼ばれる鳥をトレンチコートのポケットに入れた。


「さて、征服連盟の建物も15分ほど監視したし、一応聞き取りもしたし、所長に顔を見せて挨拶もしたと。これで今日の任務は終了です。奢りますから、お茶でもどうですか? 妖精は眠らせたから記録される心配もありませんよ」

 ペンギンの大福は足をぱたぱた踏み鳴らして賛成し、エーテル所長は肩をすくめた。

「まあ、いいだろう。ついでに面白そうな噂話でも聞かせてもらおうか。ここはのどかで良い街だが、悪だくみの場所から遠いのが難点でな」


 エーテル所長とペンギンと並んで遊歩道を歩きながら、次の休暇はこの人鳥温泉にゆっくり遊びに来ようかなと、諜報員の男性はのんびりと考えた。


 もうすぐ桜が満開になりそうな、そんな人鳥温泉街の昼下がりだった。

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