あこがれのロック・ミュージック
伊藤沃雪
あこがれのロック・ミュージック
終業のチャイムが鳴って、ぼくは学級委員の号令に従って「起立、礼」をした。教室内はすぐにみんなの会話で騒がしくなり、混沌の様相へと切り替わる。ぎゃあぎゃあと笑い、話す声が折り重なって、ヘビィ・メタルみたいに聞こえてきた。
ぼくはロックもヘビィ・メタルも大して知らないけれど、テレビやショッピングモールなんかで時々流れる音楽を聴いて、「多分こんなものなんだろう」と勝手な予想をつけている。
「先生、聞いて! お母さんがね、そんなフリフリの服は似合わないからやめなさいって言ってきてさ! めっちゃウザい〜!」
クラスの女子が、授業の後片付けをしている先生の机に寄り掛かって愚痴を言っていた。お母さんの文句を言いながらも口元は笑っている。心底から嫌いなわけではないのかな。
ぼくにはお母さんがいない。お父さんは「色々あったんだ」としか言ってくれないから理由は知らないけど、とにかく物心ついた頃にはお父さんと二人で暮らしているのが当たり前になっていた。
ぼくは、〝お母さん〟がそんな風にお節介を焼いてくれるなら焼いてほしい。
お父さんは優しいし、ぼくのために一生懸命働いてくれている。けれど貧しかった。欲しくても手に入るものは限られていた。
ぼんやりと席に座っているぼくの後ろで、男子達が何やら興奮気味に騒ぎ出した。気になって、ちらりと目線を向けてみる。
「ギターいいなあ!」
「かっけえ!」
輪の中心にいた男子は、中原だ。机の上に座って足を組み、その上にギターを乗せている。さまになっていた。彼はいつだって流行の髪型にきめていて、着こなしにもセンスがある。誰もがあこがれるやつで、クラスの中心人物といえた。
中原は適当に弦を撫でてギターを鳴らしてみせる。
「やっぱり男はバンドだよなあ。ビートルズとか、ニルヴァーナとか、ザ・ローリング・ストーンズとかさ! 楽器やりたいやつでバンド組もうぜ!」
そう言って周囲をぐるりと見渡した後、中原はふいに僕の方へと視線を投げてきた。
あ、見ているのがバレた。まずい。
「なんだ、相田。お前も興味あるのか? ……あ、お前んちは無理か!」
「やめてやれって〜!」
クラスメイトの集団に、どっと笑いが起きた。
ぼくは恥ずかしいやら悔しいやらで、座ったまま縮こまる。彼らは時々、会話の接ぎ木にするみたいに貧乏なぼくを馬鹿にする。事実だから何も言えないし、嫌な気持ちになる。
だけど今日のぼくは悔しさより、中原の持っているギターの方に惹かれた。楽器ってかっこいい。あこがれるな。
生徒達が帰った後の学校は静まりかえり、どっぷりと闇に沈んでいる。時刻は深夜に差し掛かっていた。
ぼくは、中原が置きっぱなしにしていったギターを持ち上げて、覆われていた布製のケースを外す。ぴかぴかのギターはやっぱりかっこいいな。
中原の真似をして机の上に腰掛け、ぼろんぼろんと弦を弾き鳴らしてみる。
ううん。いい音だけれど、ロックバンドには程遠いな。
ぼくは机から降りて、窓際まで歩いていく。施錠を外して窓を開けると、中原のギターを窓枠からくぐらせ、横倒しにして腕の上に乗せる。両腕をまっすぐ伸ばすと、誰かへ生贄を差し出すみたいな格好になる。
そのまま、ぱっと両腕を外した。ギターは三階の高さから落ちていって、がしゃんがららんと音を立てて転がる。落ちた瞬間に弦が切れたのか、歪でぞわぞわするような音が響いた。
うわあ、綺麗な音がしたな。これがロック・ミュージックっていうやつかな。
ぼくは思わぬ形で聴くことのできた音楽に興奮して嬉しくなる。
ぼくにとって、『あこがれ』は手に入らないものだ。だから蹴落として『あこがれ』で無くしてしまう。そうすれば嫌にならない。
窓を閉めて鍵を掛け直す。夜に学校へ忍び込むのは初めてではなかった。お父さんは家にいないし、警備の人が見回りをするタイミングも知ってる。気をつけていれば、誰にも責められないだろう。
「そういえばあの子……お母さんがウザいって言ってたっけ……」
ふとした瞬間に思い出した会話から、素敵なアイデアが湧いてくる。
誰もいない教室。頭の中で流れるロック・ミュージックに合わせて、ぼくは独り上機嫌にステップを踏んだ。
あこがれのロック・ミュージック 伊藤沃雪 @yousetsu
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