丸々一週間病院で寝込んでいたぼくは、自分でもびっくりするくらい元気になっていた。ふつう、一週間もろくに運動せずにいたら身体がだるくなりそうだけど、そんなことは全くなかった。


「それくらい疲れていたんですよ」

 と看護師さんは言う。この一週間、仕事をしようと身体を起こそうとするたびに睡魔に襲われて休むことになってしまったのだ。ここからは遅れを取り戻さないといけない。


「桜田さん、お迎えに来ました」

 病室の入り口から、青波さんが顔を出す。彼はほぼ毎日、ぼくの病室に来てくれていたみたいだけれどたいていぼくは寝ていて、顔を合わせることはなかった。だから直接話すのは、顔合わせをした初日ぶりでちょっと緊張する。


「青波さん」

「さっそく、明日から仕事を入れました。遠方なので、今日は現地までゆっくり移動してから一泊します。そのほうが桜田さんの負担が少ないと判断したので。行けそうですか?」

「はい!」


 ぼくは元気よく答えて、青波さんのあとをついていく。黒塗りのちょっと高そうな車の後部座席を案内されて乗り込むと、青波さんが運転席に座った。心地よい振動とともに、車が動き出す。

 車内で、青波さんは仕事についてかんたんに説明してくれた。明日から入っているのは撮影の仕事で、北国のまだ桜が残っている場所で何枚か撮り、その後都内で雑誌のインタビューを受けるという段取りらしい。今までは、歌って踊る仕事ばかりだったから、ちょっと面食らう。ぼくの戸惑いを読んだかのように、青波さんは言葉を続けた。


「桜田さんは、ナツさんに見つけてほしいんですよね? であれば、今までとは違う媒体に載るお仕事をするのは悪くないと思ったんです。病み上がりの桜田さんに、ダンスパフォーマンスは酷ですし」

「ナツ、のこと、知っているんですか?」


 突然ナツの名前が出てきて、ぼくは言葉に詰まる。バックミラー越しに見える青波さんは、わずかに目を伏せた。

「申し訳ありません。勝手ながら少し調べさせてもらいました。「four🍀seasons」の解散の経緯も」

「はい。大丈夫です」


 ぼくのマネージャーなのだから、ぼくの過去の経歴を知っているのはふつうだ。問題ないと表情も含めて伝えると、青波さんはふっと和らいだ。


「他のお三方がどうされていたのかまで、調べましたが……ナツさんだけは、芸能活動から身を引いたようです。おそらく普通の学生として、生きていかれているのではないでしょうか」

「じゃあ、アキとフユはこの業界に?」

「はい。アキさんは実力派ダンスグループ「red brick」のバックダンサーに。フユさんは、雑誌のモデルをされています」

「そっか」


 アキはダンスが上手だったし、フユはスタイルがよい美人さんだった。それぞれ、自分に合った仕事が見つかったのだろう。でも、ナツがどうしているのかわからないのは、もやっとする。芸能界にいないなら、調べようがないのだけれど。


 そこまで考えていて思い出した。毎年ふたりで背を比べ合った、桜の木のことを。ナツに会えなくなってからも、毎年ぼくは傷をつけていた。毎年「もしかしたらナツがくるかもしれない」と期待していたけれど、隣の傷は更新されなかった。今年はまだ見ていない。もしかしたら。


「青波さん、ちょっとだけ寄り道しても大丈夫ですか?」

「場所にもよりますが、どこですか?」


 ぼくが告げた場所にわずかに不可解そうな顔をしながらも、青波さんは無言でハンドルを切ってくれた。


🌸🌸🌸


 車を降りるなり、ぼくは桜の木に向かって駆けだしていた。もうすっかり葉桜になってしまった桜は、儚いというよりたくましいといったほうがしっくりくる。木の幹の模様がわかるところまで近づいて、ぼくはそれを見つけた。


「……ナツ」


 ぼくが刻み続けた傷の右隣、その十センチくらい上に、記憶にない傷があった。乱暴に引かれたその線は、まちがいなくナツが力任せで付けたものだ。


「やっぱり、どこかで生きているんだね」

 ぼくはナツのつけた傷をそっとなぞる。その高さにナツの頭があるわけだから、頭をなでている気分になる。


「ナツが生きているのなら、ぼくももうちょっとだけ、がんばってみようかな」

 ナツは、ぼくの隣からはいなくなってしまった。でも、この地球のどこかで生きている。今のナツが、幸せなのかはわからないけれど、桜の木を覚えていてくれたのなら、少なくともぼくのことを嫌いになったわけじゃないのだとは思えた。


 ぼくと関わった人は、みんな不幸になると思い込んでいた。でも、アキもフユも、それぞれの道を歩んでいる。ナツだってきっとそうだ。だったらぼくも、ナツに見つけてもらうために、生きていかなくてはならない。

 ナツがいなくなってから、ずっと暗闇の中を歩いていた。でも、いま急に明るい道に出てきた感じがする。その先には葉桜になった桜の木があって、少し大きくなったナツが立っている。


「おはよう、ナツ」


 ぼくがそう声をかけると、彼は少し笑ってから、ふっと姿を消した。その場には立派な桜の木だけが残っている。


「ぼく、お仕事がんばるから。きっとぼくを見つけてね」

 桜の傷に呼びかけて、ぼくはくるりとうしろを向いた。公園の外で車を停めた青波さんが、こちらを向いて待っている。彼は何も言わなかったけれど、ぼくとナツに関係のある場所だと察してくれたのかもしれない。ナツとふたりの時間を作ってくれて嬉しい。こんな気遣いをしてくれる青波さんとなら、もっといい仕事ができる。そうして活躍して、ナツに見つけてもらうんだ。ぼくは決意を新たにして、急ぎ足で青波さんのもとへと戻るのだった。

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夏におはよう 水涸 木犀 @yuno_05

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