ハンドクリームの妖精
祐里
体は妖精、中身はサポート
「やあ! ぼくはハンドクリームの妖精だよ!」
「……こんにちは……こんばんは?」
蜂蜜色のハンドクリームのチューブを指でぐりぐり潰していたら、小さな男の子が出てきた。格好は『体は子供、頭脳は大人』のあの子みたいに蝶ネクタイと半ズボン。魔法のステッキのような、先っぽに星が付いた棒を持ってニコニコしている。
「こんばんは。どうして泣いてるの? このハンドクリームに問題が? もし何かおありでしたら当ユーザーサポートのコールセンター……あ、もうこの時間帯だとコールセンターは閉まっているため、お手数ですがWEBのご意見フォームへお願いいたします。お客様のお声は直接いただけるのが一番ありがたいので」
「……いや、あの、そういうわけじゃなくて……」
「じゃあどうしたの?」
「……うっ……」
泣きすぎたせいかな。ハンドクリームの妖精と名乗る小さな男の子は、ローテーブルの端に腰を下ろして足をぶらぶらさせている。うん、私、きっと泣きすぎたんだ。夢でも見ているのかもしれない。もう遅い時間帯だもの。
「先週、ユーザー登録してくださいましたよね? キャンペーン賞品の旅行券に釣られて。ユーザーサポート内でその情報は共有されております」
「……うっ……」
答えにくい、答えにくいよ。でもそのとおりなんだ。
「ねえ、
「ま、まあ、うん、釣られて……だったね」
だって、旅行券十万円分プレゼントなんて書いてあったら応募したくなるじゃない。私、キャンペーンのチラシ見てすぐ、スマホでQRコードを読み込んで名前と住所登録しちゃった。『おじいちゃんとおばあちゃんに旅行をプレゼントしたいから』って入力したのはガチ理由。本当に確率は低いんだろうけど、当たったらいいな、くらいで。
「ユーザー登録してから、何か嫌なことでもあったの?」
「……嫌なこと、あったよ」
「ハンドクリーム関係ない?」
「ハンドクリーム、ちょっとだけ、関係ある」
そう言うと、妖精は驚いた顔をした。「まさか」とでも言わんばかりの。ユーザーサポートだからなのかな。表情が豊かで、話しやすい雰囲気。
「差し支えなければ、詳細を教えていただけませんか」
「……さっきから突然丁寧になるよね。あのね……、今日同じクラスの男子に話しかけられたの。私、クラスに友達がいないからうれしくて、ちょっと浮かれちゃったみたいで」
「うん」
「『なぁに?』なんてバカみたいに高い声で答えたら、『おまえ、ばあちゃんみたいだな』って……」
「ばあちゃんみたい? 小百合ちゃんが?」
「……しょうがないよね。ほら、私って名前も古臭いしさ、手は荒れててしわしわだし、老け顔だし、背が高いから猫背になっちゃうし……」
憧れていた男子だった。いつも明るくて、友達がたくさんいて、スポーツ万能で。あんな風になれたらいいなって、思っていた。隣の席の男子がすぐに話題を変えなかったらどうなっていただろう。ずっとからかわれ続けたのかな。
「え? 手が荒れてるのは、小百合ちゃんが弟の服の泥汚れを手洗いしてあげてるからじゃないの?」
「な、え、なんで? え?」
弟は先月入ったスポ少のチームにすぐに打ち解け、楽しい日々を送っているらしい。スポ少を勧めたのは私だから、放っておくとお母さんの負担になってしまう泥汚れを洗うのなんて当たり前だと思う。
「しかもこの間なんか学校帰りに側溝に手突っ込んで子猫助けてたでしょ」
「え、いや、そうだけど、えっ、なんで知ってるの?」
サバトラの子猫は結局、うちの子になった。首輪がなかったし、周辺を探しても親猫の姿は見当たらなかったから。お風呂に入れたのは私だ。動物病院に連れていったのは、お父さん。今頃はきっとお母さんの布団で寝ているだろう。
「ていうかさぁ、もう高校生なんだから『ばあちゃんみたい』なんて言うほうがおかしいよ」
『ばあちゃんみたい』、実はこの言葉はそんなに嫌じゃなかったんだ。だっておじいちゃんおばあちゃん大好きだもの。毎週末、電車に二駅分乗って遊びに行っているくらい。私が嫌だったのは、彼の
「……うん」
「お名前も、大変かわいらしゅうございます」
「ぶっ」
また突然丁寧になった妖精がおかしくて、笑いが漏れる。
「ハンドクリーム塗っても手荒れ治らなかった?」
「あ、ううん、そういうわけじゃないんだけど……きっと乾燥肌なんだろうね。塗っても追いつかないんだ」
「では、一番効果的な方法をお伝えいたしますね。まず……」
妖精は再び丁寧な言葉遣いになって、ハンドクリームのいい塗り方を教えてくれた。手の温度でしばらく温めてから塗ると肌によく浸透すること。一度にたくさん塗るのではなく、パーツごとに少しずつ分けて塗ること。特に爪の周りは丁寧に塗ること。そんな、すぐにできそうな方法を。
「小百合ちゃんなら、きちんとできるよ」
「うん、ありがとう。このハンドクリーム気に入ってるの。蜂蜜のいい香りがするし、あまりベタベタしないし。……それなのに、ぐりぐり潰したりしちゃった。ごめんなさい」
八つ当たりだった。しわしわだっていいじゃないと思いながらも、ハンドクリームのせいにしようとしていた。自分のこういうところ嫌だなと思う。
「ハンドクリームのせいにしてもいいんだよ」
「……えっ?」
「でもさ、そうするとあとから小百合ちゃんがつらくなるでしょ? 優しいから」
「そう、なのかな……」
「そうだよ。だから自分にも優しくしてあげよ? そしたら小百合ちゃん笑顔になれるよ」
「ね?」なんて首を傾げるあざとさは、嫌いじゃない。普通にかわいい。
「うん……、ありがと」
こくりとうなずくと、妖精はほっとした顔で驚くべきことを言ってのけた。
「なお、この会話は録音されております。弊社のユーザーサポート内にて共有させていただくことをご了承くださいませ」
「ろ、録音って!? きょ、きょきょっ、きょーゆー!? こんな会話が!?」
「小百合ちゃん、ユーザーサポートってそういうもんなんだよ」
「や、ま、まあいいけどっ……、恥ずかしいなぁ……」
「だいじょぶだいじょぶ、事務的に処理されるだけだから」
「それはそれでちょっとどうなの」
妖精は誇らしげに手のステッキを持ち上げている。どうやら録音機能付きらしい。盗聴器として優秀……いやいや、ユーザーサポートだし、よくある……? 仕方ない……? のだろうか……?
そんな私のハテナマークなど意に介さず、妖精は「本日はご利用まことにありがとうございました。今後とも弊社製品をよろしくお願い申し上げます」と頭を下げてから、すうっと消えていった。
◇
翌朝、ホームルームが始まる前、いつもどおり教室でうつむいていたら「
「えっ、ど、どうも、しないよ……?」
「もしかして昨日泣いたんじゃない?」
バレた、と、私は両手で顔を隠してしまった。これでは「泣いた」ということを肯定してしまったことになる。顔から火が出そうなくらい恥ずかしい。もしかしたら、いつもの猫背がよけいに丸くなっていたのかもしれない。心配をかけてしまったことも、恥ずかしい。
「あのさ、その、絶対、笑っ……ほう、が、か……かわ……から……」
「……ん? ごめん、聞こえなかったんだけど……」
「うっ……、チャイム、もう鳴るから、あとで」
「う、うん、ごめんね」
チャイムが鳴って先生が教室に入ってきても、福田くんがいる右側が気になって何だか落ち着かない。「あとで」っていつだろう。もしかして励ましてくれていたのかな。そう思うと、温かい何かが心を満たしていく気がした。
◇
「福田くん、聞いて。あのね、旅行券当たったの!」
「おお、おめでとう! これで旅行プレゼントできるな!」
「うん、すごくうれしい。おじいちゃんち行って報告しなきゃ」
妖精が現れてから二ヶ月が経つ頃、私は福田くんとかなり仲良くなれていた。クラスメイトと気軽に話せるってこんなにうれしいことなんだ、なんて幸せを噛みしめる日々を送っている。
「……あ、そのことなんだけど、その……、おじいちゃんちの次でいいから……」
「ん? 次?」
「優先順位は次でいいから、俺とどっか行かない?」
照れながらしゃべる福田くんの声は、今度は私にきちんと届いた。
「……うん、行く。一緒に行きたい」
猫背にならないよう、背筋を伸ばして顔を上げ、笑顔を心がける。そんな私に応えるように、彼は言った。
「桧山さんはやっぱり笑顔が一番かわいいよ」と。
ハンドクリームの妖精 祐里 @yukie_miumiu
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