あのひと。

大塚

第1話

 春が近くなると思い出す。俺の人生の中に、三神みかみさん、という人がいた。


 年の頃は同じぐらい。性別は男。俺が読モ上がりの俳優として参加することになった映画の主演として抜擢されていた、綺麗な顔をした男の人だった。

 20年近く前の話になる。

 街中で煙草を吸う人間なんてザラにいたし、三神さんもその中のひとりだった。そもそも映画撮影の責任者である監督がとんでもないヘビースモーカーだったから、現場は常に紫色の煙でもくもくしていた。


「なあ、煙草ある?」


 三神さんとの最初の会話は、そんな風に始まった。


「煙草、すか?」


 三神さんは、本当に綺麗な顔をしていた。少し面長の顔に、日サロで焼いたわけではなさそうな健康的な肌の色。太いくっきりとした眉に、重い二重瞼。その奥の目は驚くほど鮮やかな──銀色で、でも、今、あの時の映画のDVDを見ると三神さんの瞳孔は普通の黒で、どうして銀色に見えたんだろうな、とにかく俺は──


「どうぞ」

わりぃね。休憩だっていうから買いに行こうと思ったら、砥我とがのやつちょっと待てちょっと待てってうるさくて」


 砥我とがさんっていうのは監督の名前で、三神さんは監督のことを平気で呼び捨てにしていた。もともと友達だったのかもしれない。当時の俺には分からなかった。とにかくふたりの、どことなく特別な距離感に、関係に、不思議な憧憬の念のようなものを抱いていた。

 俺の差し出す紙巻きを受け取り、俺の百円ライターで火を点けた三神さんは、細く長く煙を吐きながら、


「映画って難しいなー」


 と、独り言のように言った。話しかけられているのか、独り言なのかが分からなかったから、俺は黙っていた。

 三神休憩用、と張り紙がされた折りたたみ椅子に浅く腰を下ろした三神さんは大きく溜め息を吐き、


しんちゃんってさぁ、なんで出演することになったの?」

「は? え? 俺すか?」


 驚きが幾つか。三神さんが俺の名前を知ってたってこと。それに俺なんかに興味を持ってくれてたってこと。自分の分の煙草を手にほうける俺を見上げて、三神さんは白い歯を見せて笑った。艶のある長い黒髪を片手でかき上げ、


「どしたぁ? その顔?」

「いやぁ……えぇ? 俺ぇ?」

「他に誰がいるんだよ」

「あぇ……俺は……」


 俺は南関東のど田舎の出身で。たまに電車を乗り継いで東京のど真ん中に、渋谷に来て、自分の好きな服装で街を闊歩するのが好きな本物の田舎者で。そんな田舎者の写真が、ある時、雑誌の隅っこに乗って。一度だけじゃなく、何回か載って、良く分かんないキャッチコピーとかも付けてもらえるようになって。そんな俺に連絡を寄越してきたのは監督の砥我さんだったか、それともプロデューサーだったか。映画を撮るからぜひ俳優として参加してほしいというオファーに、俺は大喜びで乗っかって。


「そっかぁ。似たようなもんだな」

「み……かみさんも、砥我さんにスカウトされて?」

「俺は別のカントクの映画に出ててー。半年ぐらい前かな。それを砥我が見て、ぜひ出てくれ〜って連絡きて」

「はぇ……」


 すごいな。俺より先に映画に出てて、それですぐに次の映画の出演の話が来るなんて。

 格好いいな。三神さん。すげえ格好いい。

 俺はその、クソみたいな田舎で自分がいちばん格好良いって思って生きていたから。だから三神さんとの出会いは本当に衝撃的で。

 だって格好良い。佇まいも、言葉も、声も、演技も。


「演技は」


 と、煙草を足元に捨てた三神さんは、鼻の上に皺を寄せて笑った。


「前の映画は脚本なかったから」

「え?」

「好きにやってくれって言われたの。俺はそのままで格好いいからって」

「えっ……それ、すげくないすか!? いや、マジで、すげ……!!」

「すごくないよ。砥我の撮る映画みたいにちゃんと……セリフとかあって、その通りにやんなきゃなんねえ方が難しいし、俺ってまだ俳優じゃないって思うから」


 だからさ。


 春が近くなると思い出す。俺の人生の中に、三神さん、という人がいた。


「申ちゃんも俺も、頑張って俳優になってこーぜ」


 あの時。三神さんは口の端をきゅっと上げて笑って、俺の背中を大きな手で叩いて席を立った。撮影に挑むために。

 春──じゃなかったのにな。あの映画の撮影は真夏にやってたはずなのに。どうして俺は春になると三神さんを思い出すんだろう。

 三神さんはもうこの世の人じゃない。俺の見てないところで、急に、唐突に死んでしまって、俺はまだ生きていて、俺は今俳優をやっていて。


「砥我さん……本気でスマホで撮るんすか、このカット」

「撮るよ。こっちにゃ予算がねえんだよ、それに最近のスマホは性能がいい」

「うええ……俺、スマホ撮影の映画に出るの初めて」

「なんだ申。おまえの企画に乗ってやってるんだぞ俺は。おまえが嫌だって言うなら……」

「あーあーあー! いいですいいです、スマホで撮りましょー! っしゃあやるぞ、俺は俳優!」

「おまえ、気合い入れる時いつもそれ言うよな。なんで? おまえが俳優だってこと、その辺歩いてる人100人に確認したら50人は知ってるって言うと思うけど?」


 撮影用のスマホと自身が書いたシナリオを手にきょとんとした様子で言う監督、砥我さんに俺は大きく首を振る。


「100人全員に知ってもらわねぇと」

「ふーん……? よう分からんが。まあいい、行くぞ」

「おす!」


 まだ頑張ってっからさ。三神さん。俺。

 笑って見ててくれ、煙草を片手に。


 おしまい。

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