ミリアルカデルの塔 —願いを抱く魔法使いと女神の秘宝—

武松錬火

第1話 

塔を登り続けてどれほど経っただろうか。

途中から階層の数も、何度死にかけたのかも曖昧になる。

ただ確かなのは──

ここが、人が容易に踏み入れることが出来ない最上層手前だということ。


「————はっ、はっ、はっ」


 立ち上る土煙の向こうに見える巨影から目を逸らさず、リーシアは肩で息をする。

 出会い頭に魔法を放ったものの、それで倒れてくれるほど目の前の存在は甘くないだろう。

 そう自身の直感を信じ、杖を構える。


 土煙を払うようにして出てきたのは、赤い鱗を全身に纏ったドラゴン。


 彼女の小さな体など、その手で押さえつければ潰れてしまうであろう巨体だった。


 全力の魔法をぶつけたというのに、赤いドラゴンは健在。むしろ、目を血走らせて闘争心に火をつけてしまったかのようにさえ思う。

 

 だが、ここで逃げ帰るわけにはいかない。

 なんとしても、ミリアルカデルの塔の頂上にたどり着き、女神の秘宝を手に入れて願いを叶える。


 改めて自身を奮い立たせるリーシアを前に、ドラゴンが吼える。

 地面が震え、振動で天井からパラパラと欠片が降り注ぐ。

 思わず耳を押さえたが、刹那、ドラゴンは口を大きく広げたままの態勢で、炎を放ってきた。


 高温の炎が身を包む前に、魔法によって作られた防御壁によって自身を守る。

 青い光を放つ魔法の壁は、炎を押しとどめているが、それでも油断は出来ず杖を握る手に汗がにじむ。

 

 時間にしてどれくらいか、もはやわからなかったが、ドラゴンは出し切ったのか、炎を止める。

 

 リーシアの周囲を除いた地面や壁は真っ黒に焦げ、一部は赤く光を放っていた。

 あの火炎が自身にまともに当たっていれば、同じように煤になっていたと思うと寒気がした。


 しかし、固まっている暇はなかった。魔法を解くと、素早く狙いを定める。

 

 本で得た知識ではあるが、ドラゴンの鱗は高い魔法防御力を持つと知っている。そして、直前に放った魔法の効果の薄さがそれを実証していた。


 おそらく、自分に出せる全力の魔法を使ったとしても、一人ではこのドラゴンを討ち果たすことはできないことも、悟っていた。


 なればこそ、取る行動は決まっていた。

 ドラゴンの頭上に杖を向け、天井を爆破させる。

 石の天井は瓦礫と化し、ドラゴンとリーシアに降り注ぐ。


 リーシアは再度防御壁を展開し、自身を瓦礫から守る。

 祈るように身をかがめ、衝撃が止むのを待つ。

 暫くしないうちに、あたりは静まり返り、恐る恐る目を開く。

 すると、赤いドラゴンの姿は見えず、目の前には瓦礫の山が残った。

 

 小さく息を吐き、魔法を解除して、あたりを見回す。

 どうやら、上の階はもぬけの殻だったらしく、魔物は落ちてこなかったらしい。

 最悪の場合を想定していたが、どうやら幸運の女神はリーシアに味方をしてくれたようだった。

 

 ドラゴンが瓦礫に埋もれたからといって、本当に死んだのかを確認できるほど肝は太くない。

 細心の注意を払いつつ、ドラゴンの背にあった階段まで足早で向かおうとした時だった。 

 瓦礫が音を立て崩れだし、再びその赤い鱗が目に移りこんだ。

 

「そう簡単には……いかないわよね……」


 再度攻撃しようと、杖を構えた時だった。

 リーシアの長い銀髪が、強風に煽られたかのように靡く。

 気づいた時には、側面から彼女の身長を軽く越える太い尾が、目の前に迫っていた。


 ほぼ反射的に防御魔法を展開するも、尾はそれごとリーシアを吹き飛ばし、石の壁に叩きつけた。


「——————っ!! あっ、ぐ……」


 呼吸ができない。全身が割れるような痛みが走る。

 視界が眩み、思わず意識が飛びかけるが、なんとか繋ぎとめる。


 しかし、壁に追突する寸前、展開した風の魔法のお陰か、なんとか五体満足揃っている。

 咳き込みながら震える足で立ち上がり、ドラゴンを睨みつける。


 彼女の意思は、まだ諦めていなかった。


「……こんな、ところで。……終われないのよっ」


 風の魔法を応用し、自身の周囲に纏わせると同時に、足元に爆発の魔法を打ち込んだ。

 その爆風を利用し、加速。体は宙に飛び上がる。

 

 自身が崩壊させた天井を目掛けて飛ぶ。

 そう、勝てないのならばリーシアが取る方法は一つ、逃走。

 

 目的はドラゴンの討伐ではない。この塔の頂上にたどり着くことだ。

 その目的を忘れることなく、彼女は宙を舞い上層に一気に登る。


 チラリと下方に目を向けると、ドラゴンが大きな翼を広げたのが見えた。

 リーシアを追って確実に息の根を止めるつもりなのだろう。

 ドラゴンの闘争心の高さは書物で読んだ。追ってくることも、勿論想定している。


 下層からドラゴンが飛び上がる。さらに口を大きく広げ、例の炎を出すつもりだとわかった。

 

 上階まで飛び上がったと同時に、さらに上の階の天井に向かって爆発魔法を放つ。


 そう。目的はこのまま飛びつつ、天井を崩落させること。

 勝てない相手だが、このまま逃げることはできる。


 崩落し続ける天井が、リーシアの頭上へ滝のように落ちてくる。

 巻き込まれて下敷きにならないよう、防御魔法で身を守りながら飛び続ける。


 風の魔法と防御の魔法、爆発の魔法と三重に扱うことができるのは、彼女の周りにもいなかった。

 だが、幾ら優秀な魔法使いといえど、一対一ではとても伝説に出てくるドラゴンの相手にならない。


 彼女は自身の実力のなさを悔みながら、必死に逃走を続けた。


 途中別の魔物も落ちてきて肝が冷えたが、一心不乱に真っ直ぐ上を目指すリーシア。

 ふと、下方から気配が消えたことに気づく。


 ドラゴンは追ってきておらず、恐らく再び瓦礫の嵐に巻き込まれて潰れていることだろう。

 どうせならこのまま頂上を目指そうと、何度目か数えてもいないが、天井を爆破する。

 が、目の前の天井は崩壊することなく頑としていた。

 淡く青い光を放つ石の天井は、魔法により守られているのだ。


 リーシアの扱うものよりも恐らく堅牢。これを破るのはドラゴンの力でも難しいと、魔法を放ったことで理解する。

 仕方なく、土の魔法で簡易的な足場を作り、着地する。


 ここからは、真っ当な道を辿り、頂上を目指していくしかないようだ。

 ただ、飛んできた感じでいくと頂上はそう遠くない、はずだと予感する。

 リーシアは腰を下ろし、周囲に防御の魔法を展開した。


「……ここで一息ついておこう。次はいつ休めるかわからないもの」


 腰に下げたカバンから、保存食の干した果実と水袋を取り出した。

 夢中で乾いた喉を潤し、干し果実を口に含むと、甘さと酸味が染み出した。

 同時に口の中を切っていたのか、刺すような痛みがした。


 「この程度で済んだのが奇跡ね」

 

 決死の逃走劇で忘れていた体の痛みを自覚し、癒しの魔法をかけて傷を治す。 

 塔に来る前に、癒しの魔法は徹底的に磨いておいて良かったと安堵する。


 傷の次に目についたのは、所々、穴が開いたお気に入りの黒いローブ。

 このままにするのはどこか納まりが悪く、一度脱ぎ、魔法によって再度編みなおす。

 編み物の魔法は、一番最初に覚えた魔法だった。

 

 補修しながら、リーシアは懐かしい記憶を呼び覚ます。

 小さな家と、料理上手の母。そして厳つい顔ながらも優しい父。

 

 冒険者として活動していた父は、いつもボロボロになりながら帰ってくるため、その服を直そうとしたのが魔法を覚えるきっかけだった。

 最初は手編みを試したが、不器用であったためにうまくいかず、結果魔法でやってみようとなったのだ。


 懐かしさを思い出すと同時に、悲しみが押し寄せる。

 病床に伏し、そのまま天へと帰った母。ある日出ていったまま帰ってこなくなった父。

 

 奥にしまいこんでいた暗い感情が溶けてゆく前に、リーシアはこれからのことに意識を切り替える。


 予想ではあるが、これだけ堅牢に上階が守られているということは、きっと何かある。もしかすれば、頂上階の可能性もある。


 最悪、ドラゴンのような凶暴な魔物が待ち構えている可能性もあるが、それはその時。柔軟に対応するしかないと前向きに考えた。


 リーシアは膝を丸めながら、気絶するように眠りに落ちた。


 ♢


 

 

 どれくらいの時が経ったか、目が覚めたリーシアは周囲を見渡す。

 特に眠りに入る前と変わり映えせず、暗闇と静寂だけがあった。

 

 体感だが半刻ほどだろうか。減っていた体内の魔力が完全とは言えないが、問題ない程回復しているのを感じ取る。


 眠っている間に、件のドラゴンや魔物も襲ってこなかったのは幸いだった。


「よし。行きましょう」


 誰に言うでもなく、リーシアはローブを羽織り立ち上った。

 魔法で足場を作りつつ飛び跳ねながら、明かりのない階段にたどり着く。

 階段は灯りもないため、火の魔法で照らしながらゆっくりと登る。

 

 しかし、ここまでくる道中は冒険者の亡骸はよく転がっていたが、それすらも見かけなくなった。

 つまり人が来るのが難しいほど上層であるという証左だと感じ、小さな期待が胸に沸き上がった。


 階段を上りきると、上階の部屋は先ほどまでとは打って変わって、一面に明かりが灯されていた。

 

 雰囲気が違うのか、どこか教会のような神聖さがあるこの場所に、自然と身が引き締まる。

 

 慎重な足取りで部屋を進むと奥には、大きな翼を持った女性の石像があった。

 その足元には、石でできた台座があり、黄金に輝く杯が鎮座していた。

 

 周りを見渡すが、階段らしきものが見当たらない。


「……もしかして、ここが頂上なの?」


 と、すればこの杯が女神の秘宝ということだろうか。

 これを手にすれば、どんな願いも叶う。

 リーシアは胸が高鳴り、杯の前に立つ。

 

 が、その台座に背を預けるようにして眠る、白骨化した亡骸を見つけた。

 思わず息を飲む。ここまで何度も見たが、やはり慣れるものではない。

 

 膝を折り、胸の前で手を合わせて祈る。

 何もしてあげられることはないが、せめて――

 その時だった。

 リーシアは、その亡骸が身に着けていたであろう衣装に見覚えがあった。


 呼吸が浅くなる。

 ——そんなわけが、ない。

 亡骸の首筋にかけられていた銀のペンダント。そして、焦げた浅葱色のローブ。


 手足が震え、体が鉛にでもなってしまったかのように重たくなった。


「——————お、とうさん?」


 亡骸のそれは、リーシアの記憶に残った、父の最後に見た姿だった。

 どうして、こんな場所に?

 あれから行方不明になった父を何度も探そうとはしていた。

 だが、その足取りは魔法を使っても見つけることができなかった。


 それが、まさかこんな場所で、こんな姿で再会することになるとは思ってもいないからだ。

 別人の遺体かもしれない、そう思いたくても、このローブはリーシアが魔法で直したものだ。 

 疑い様も、なかった。


「…………なんで、どうしてっ」


 亡骸は何も語らない。ただ、残酷な事実を突きつける。

 リーシアは、溢れる思いを止めることができず、只々静かな部屋で泣き続けた。


 このミリアルカデルの塔に来たのは父の行方を知りたかったからだ。

 どんな願いも叶うと言われるなら、父に会うことだって可能だと信じた。

 それをおとぎ話だと笑う人間もいたが、リーシアは信じて疑わなかった。


 父が亡くなっている可能性だって勿論考慮していたが、生きていてくれることを信じていた。

 その結果が、これだった。


 母と最期に交わした、父と仲良く暮らして欲しいという約束すら守れなかった。

 最後に父とした会話は小さなことがきっかけの口論。それが最後の会話になってしまった。

 きっと父は自分を嫌いになったんだ。それで――


「………それ、で?」

 

 リーシアは赤く腫れた目元をローブで拭うと、呆然と父の亡骸を見つめる。


 なぜ、その父がこんなところで最期を迎えたのか。

 リーシアは思案し、台座の杯に視線を移す。


 もし、どんな願いも叶うのなら。父は何を願ったのか。

 そう考えたリーシアは、父が考えたであろう答えを推測した。


「……お母さんの、ため?」 


 原因の分からない病気で命を蝕まれていた母。父はきっとどうにかしようと模索したはずだ。

 そうしてたどり着いたのが、この夢のような話が眠る、ミリアルカデルの塔だったのだ。


「お母さんが苦しんでる時にお父さんはどこかに行こうとしていた……。それを責めたけれど……。ここを、目指していたのね」


 女神の秘宝を求めて、ここまでたどり着いたのは冒険者の中でも優秀だった父だからこそだろう。

 だが、遺体の損壊ぶりを見るに、息も絶え絶えだったのだろう。

 たどり着いたものの、秘宝を手にする前に力尽きたのだ。

 それがどれほど無念だったか、想像に難くない。


 リーシアは自分の頬を、両手で強く叩く。

 頬はヒリヒリと痛むが、気持ちは切り替えられた。

 父の首元にあるペンダントを丁寧に取り外すと、鞄に大事にしまう。


「お父さん。お父さんの願いは叶えられないけど、もう一度、話がしたいの」

 

 この秘宝がどんな願いも叶うのなら、父と母に会うことだってできるはず。

 そう信じるリーシアは、台座の杯を手にする。

 杯は思ったよりも軽く。魔力や特別な力を感じない。


 これをどう使えばよいのか、そう思案した瞬間。

 目の前の石像が音を立てて動き出し、その石像の背後に先ほどまではなかった黄金の扉が現れた。


 どうやら、この杯はあくまで扉を開けるための鍵だったようだ。

 リーシアは、大きく深呼吸をする。

 この扉の先に待ち受けるのは、果たして願いを叶える希望なのだろうか。

 それとも、みんなが言うようにくだらない作り話なのか。

 

 どちらであろうが、決断していた。どんな結果になろうとも、受け入れることを。


「女神様が本当にいるのなら、どうか―――――」


 静かに扉に手をかけると、その隙間から白い光が漏れ出し、リーシアを包み込んだ。


——少女が何を願ったかは、もう誰にもわからない。


 ♢


 ミリアルカデルの塔は、一人の魔法使いが頂上まで登り、女神の秘宝を手にして願いを叶えたと言われている。


 そう、この本では書かれていた。

 

「……なにを願ったんだろう」


 ブロンドの髪の少女は、手に持った本の物語の少女に思いを馳せる。

 夢物語だったのか、本当にあった話なのか。

 でも、本当にあったのならば、この少女は今どうしているんだろうか。


「すごい人、だったんだろうな……」


「こら。サボらないのトワ。真面目にやる気ないなら追い出すわよ」


 トワは背後からかけられた冷たい声に、小さく飛び上がり振り返る。

 そこには尊敬の対象でありながら、畏怖の対象でもある魔術の師匠が、睨みを効かせてこちらを見ていた。


 自身と同じ、いや、それ以外に少女らしい見た目でありながら、トワの数倍以上生きているのだ。

 最初は嘘かと思ったが、その見た目からは想像も出来ない魔法と深い知識を前に、信じざるを得なくなった。


「ご、ごめんなさい先生! すぐ戻りますので!」

 

 慌てて本を棚に戻そうとして、トワは気づく。


「そういえば、この本に出てくる女の子って、先生と同じ名前じゃないですか?」


「んー? そうだったかもね。私も年だもの、忘れちゃったわ」


 ごまかすように微笑む彼女を、疑いの眼差しで見つめるトワ。

 なにせ外見が物語の少女と似ているし、合致するものが多いのだ。


 しかし、それに答えることもせず、浅葱色のローブを纏った少女は部屋を後にする。


「早く行くわよ。サボった分、みっちりしごいてあ・げ・る」


「そ、そんなぁ~」


 くつくつと笑う少女を見て、この先の修行の恐ろしさを思いトワは肩を落とした。


 とぼとぼと付いていくように部屋から出る前に、足を止めて、誰もいない本棚へ目を向ける。


「私も、頑張ります」


 誰に向かって放った言葉なのか、その言葉には、強い思いが込められていた。

 

 あの本の最後はこう結ばれていた。


 ミリアルカデルの塔を制した少女は、後にこう呼ばれ、多くの人物から尊敬される存在と成った。 

 賢者リーシア・オルセンティア、と。

 

 

 

 

 

 

 


 


 



 

 

 

 

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