『トリとサメ』連作第二話「あこがれ」

鳥辺野九

あこがれ


 トリの降臨。

 空に浮かぶ機械都市には薄汚れた地面に触れたくないと上等な人間様が暮らしていらっしゃいやがる。そんな天空階級の人々をあたしたち最下層の泥溜めに棲息する人間は『トリ』と呼んでいた。空を飛ぶ生き物はみんな『トリ』だからだ。

 ごく稀に、不慮の事故か何らかの事件か、人や機械が天空都市からこぼれ落ちてくることがある。それが『トリの降臨』だ。

 見たこともないピカピカした機械なら、それが何の機械なのかわからなくとも、壊れていようが正確に動かなかろうが、すごい高値で取引される。運良くそれを拾った人間は、数年は働かなくとも食っていけるだけのお金を手に入れる。あたしも含めて最下層の人間はいつも空を見上げている。何か金目のもの降ってこないかなあって。

 天空都市からこぼれ落ちたのが人だった場合は、さらに一桁違ってくる。生きていようが死んでいようが、天空都市から救助隊が舞い降りてきて、どうやって位置を割り出すのやら速やかにその人を回収する。地に落ちたトリを保護してくれた下層の人間には、救助隊から目玉が飛び出るくらいの報奨金と謝礼が支払われる。空からトリが降ってくれば殴り合いの奪い合いになるってものだ。

 それくらい天空都市のトリと下層の人間とは生活レベルが違っているのだ。青空に飛ぶトリに比べりゃ、あたしが暮らす最下層の泥溜めなんて、もはや人間の暮らす場所じゃあない。泥に泳ぐサメにふさわしい。




「いいか、ナルコ。誰にも言うんじゃねえぞ」


 ザブザブと膝上で泥水を掻き分けて、班長が珍しく機敏な動きを見せる。でかい図体してそんなに機敏に動けるんなら普段から動け。


「やっと俺にも運が舞い込んで来やがったぜ」


 無駄に長い両腕を広げて、柔らかい光を放ちながらゆっくりと舞い降りるトリの落下地点まで歩み進む。でかい図体が興奮で小刻みに震えているのがわかる。班長の膝から下、泥が小さな波紋を幾重にも描き出していた。

 あたしはトリの姿を見ようと太ももまで泥水に浸かりながら班長に近付いた。そんなあたしにでかいだけが取り柄の班長は泥を吹っかけて来やがった。


「近寄るんじゃねえ。あれは俺のトリだ」


 言うと思った。あたしと班長と、どちらが先にトリを見つけたか誰にもわかりっこない。この暗渠にはあたしと班長しかいない。あと、サメ。


「あたしも一緒に見つけたんですよ。あたしにも権利があるはずだ」


 そもそもあのドロザカナを一撃で倒せなかったら、あたしたちはここから移動を余儀なくされてトリを発見できなかったかもしれない。トリがドロザカナに食われていたかもしれない。


「なぁんだとぉ?」


 班長が露骨に唸るような威圧的な声を捻り出した。嫌な声だ。


「あたしの取り分は?」


 でも、あたしも引かない。この灰の匂いがする泥から抜け出るチャンスだ。引くわけにはいかない。


「生意気言ってんじゃねえ。今週分のボーナスくらいはつけてやるよ」


 サメの涙ほどもない残業代のことか。一週間分の食費にもならない。班長が手にするトリの金額に比べるとあまりにも差があり過ぎる。

 人生を変えられるだけのお金。金持ちになって贅沢な暮らしがしたいわけじゃあない。スタートラインを普通の市民まで引き上げたいだけだ。お金さえあれば、こんな最底辺の暗渠で泥を掻き分けてサメを操ってなんかいない。

 あたしは泥に汚れなくてもいい普通の生活にあこがれてるだけだ。

 ゆっくりと優しい光を放って落下してくるトリへ、泥の流れに足をもつれさせてわらわらと腕を伸ばす班長が餌に群がる家畜の豚に見えた。このまま太れば精肉工場へ運ばれるだけなのに、目の前の餌を我慢できずにただただ貪る。


「あたしにも、これはチャンスなんだ」


 キセルに新しい刻み煙草を詰める。ガストーチライターに火を灯す。その火が爆ぜる音で、班長もようやく状況を理解できたようだ。


「おいおい、ナルコ。何の真似だ」


 あたしが使役するドロザメは三匹。一匹は3メートル級中型サイズの青いサメで攻撃能力がとにかく高い凶暴なヤツ。あとの二匹は5メートル級の大型の縞々が黒いサメ。その三匹が泥から背鰭をぴんと立てて、班長の周囲をぐるりと回り泳いでいた。常に背鰭をゆらゆらさせて。


「あたし、まともに学校も行ってないからこういう時ってどうすればわかんない。普通、平等に半分こじゃない?」


「……てめえ」


 班長がサメの背鰭を見つめて押し黙った。あたしはキセルを口に運んで一口煙を吸い込んで、班長の返事を待った。この煙をどう吐き捨てるかで、サメの行動が決まる。同じサメ使いの班長なら唇の動きで自分の命運がわかるはず。


「八:二で、どうだ?」


 唇を尖らせてやる。


「わ、わかった! 待て! 幾らもらえるかまだわからねえんだ。それに取引の交渉も必要だ。おめえにそんな伝手やスキルがあるのか? ここはいったん七:三、いや六:四でいこうぜ」


 なるほど。力ってのはこうやって使うものなのか。あたしは泥の暗渠のサメ使いとして、自分の力の使い方を一つ学んだ。

 ゆっくり落下していたトリの子が班長の腕の中に落ち着いた。彼女は両腕に金属光沢のあるリングをはめていて、それが光っているようだ。天空都市の謎機械なのか、落下速度と関係あるようで落ちるのをやめたら光も収まった。

 トリの顔を覗き込む。女子ならみんなあこがれるひなまつりに飾る人形みたいな真っ白いきれいな顔で眠っていた。




「……警察に連絡するんじゃないの?」


 落とし物は金目のものなら懐に入れて、それ以外のめんどくさそうなのは警察に届けるものだと思ってた。

 班長が泥に汚れないよう新品の毛布に包んだトリを運んだのは、暗渠側でヤクザ者が経営している高級売春宿だった。

 班長という人間がとびきり無能で情けない男なんだと心底呆れた。


「天空都市と取引なんてできるわけもねえ。こういうとこに売り捌くのが手っ取り早いんだよ」


 やたら手慣れた態度で売春宿の扉を潜っていく。目先の金しか見えていない本物のクズだ。あたしは躊躇しながらも、班長の後を追った。こんな場所ではぐれて、売春宿に女一人迷子になるなんて最悪だ。

 きれいな顔したトリには、悪いけど同情の気持ちも憐れむ感情もない。今まで天空の機械都市で何不自由なく素敵な人生を謳歌していたことだろう。

 彼女が何歳の少女かわからないが、たぶんあたしとそう変わらない年齢だと思う。泥を啜って喉の渇きを癒すような暮らしをしてみるのもいいだろう。できることなら人生を取り替えっこしてやりたいくらいだ。

 ヤクザ者たちが事務所に集まり、班長から奪い取るようにトリの身柄を受け取った。

 はらりと毛布を捲ると、眠っているお人形さんのようなトリの美しさにどよめきが湧き上がった。クズしかいないのか、この泥の暗渠の街には。

 トリの値段交渉が始まろうとしているが、あたしは金額が全然頭に入ってこなかった。

 これから彼女がどんな目に合うのか。想像したくもない。そしてヤクザ者たちが、あたしまで値踏みするような視線で舐め回すのを感じ取り、吐き気がした。


「あたし帰る。交渉まとまったら、教えて。ちょろまかしたらサメのエサにしてやるから」


 あたしは売春宿から走るように抜け出して暗渠に帰っていった。泥の中に埋もれていた方が、隙間なく細かい泥の粒子がみっちり詰まって心が落ち着くように思える。売春宿の空気に比べれば、胴長越しの生温い肌感覚も心地いいくらいだ。




 翌日。班長は害魚駆除の仕事に出勤してこなかった。




 さらにその翌日。でかい図体の下半身のみの男の遺体が暗渠の泥に突き刺さっていた。

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