猫に九生あり
此木晶(しょう)
猫に九生あり
あの夢を見たのは、これで9回目だった。
それを思い出したのは、まさに9回目の夢の最中なのだが。
何とも言えない気配を感じ顔を上げる。仕事部屋にいた。布団に入って就寝した記憶があるので、色々おかしい。周りを見れば何処となく輪郭がぼやけている。
気配が動いた。ぼやけた何と表現するべきか首を傾げるしかない何かが、机を挟んで前に立つ。
「や、また来たよ」
軽い調子の物言いに、ヘラヘラとした薄笑いを浮かべる青年の姿を幻視した。そして、これが何度目かの、正しければ9回目の邂逅だという事を思い出す。
「その様子だと自己紹介は要らないよね」
『何か』だったモノが、姿を変える。猫だ。真っ白な猫。何故か幻視した青年の姿と白猫が結びつき、ストンと腑に落ちた。
「その感じだと、色よい返事がもらえそうなのかな?」
白猫は尻尾を揺らしながら、慣れた様子で机の上に軽やかに飛び乗る。琥珀色の瞳が俺をじっと見上げる。
「そろそろ一緒に来てくれると嬉しいんだよね。僕もいろいろ言われてるしさぁ」
言いながら、遠い目をする白猫。年末進行の時期のやさぐれた後輩を連想してしまった。
妙に人間くさい猫だ。いや、そもそも猫なのかどうかもかなり怪しいと言うべきか、元が得体のしれない何かの時点で。
「一緒に? 何処へ」
「あー、まだ思い出せてないの? もぉ、面倒だなぁ」
白猫は後ろ足2本で立ち上がり、トコトコ歩く。器用だなとちらりと思うが、そもそもこれが猫かどうかすら不明だ。要らぬことを考えている内にも、右前足を上げ薄ピンクの肉球を俺の額に当てようと近づいてくる。
「何処へと言われれば、異世界? 何をするかと言えば僕の手伝いかなぁ。はーい、動かないでね」
白猫の肉球が迫ってくる。ぷにぷにとした柔らかそうな肉球が、けれど怖いと感じる。
そうだ、俺は今まで何度もこうやって白猫に何かされそうになり、その度に……。
「ちょっと待ったぁー」
懐かしい声と共に、ドカンと壁が吹っ飛んだ。割と大きめの瓦礫になったコンクリが白猫に直撃して吹っ飛んでいく。入れ替わる様に軽やかなステップを踏むように誰かが目の前に着地する。
「お久しぶりって事にしとこっか、兄さん」
最後に見た時と全く変わっていない
「いや、なんで……」
涙で視界が滲む。会える筈もない相手に会うというのがこんなにも感情をぐちゃぐちゃにするとは思わなかった。
「ストップ。それもう9回目だから、兄さんには悪いけど私はもういいかな。それに、まず片付けないといけないのがいるから、そっち優先」
素気なく袖にされて感情のもって行き場が分からなくなったんだが、どうしたらいいよ、なぁ妹よ。
「知らないわよ、そんなの」
こんなやり取りが懐かしくて、場違いとは思うが笑ってしまう。
「どうせピンピンしてるんでしょ。分かってるからさっさと出てきなさいな」
妹が指さすと、瓦礫から抜け出して若干煤けたようにも見える白猫が、わざとらしくニャァと鳴いた。
「また邪魔するんだ? ていうか、結構念入りに戸締まりした筈なんだけど」
白猫はピンと立てた尻尾を揺らすとわざとらしく伸びをする。煤けた毛並みを前足で整えながらこちらを見上げる。
いや、戸締まりってなんだ。人の夢の中で妙なことをするんじゃねぇ。
「兄さんの心象世界なんだから、私が入れない訳ないでしょ」
「わぁお」
白猫が呆れたような感心したようなそんな反応を示した。俺も似たような感想を抱く。理由になってないと思うぞ、妹よ。
「正直、素直に来てくれたら何の問題もないんだけどなぁ」
「勝手なことを言うなよ。俺の都合も考えろ」
白猫はまるで聞く耳を持たず口元を緩めた。
「でもねぇ、いつまでも待てる訳でもないし、いい加減決めてもらわないとこっちも困るっていうか、ねぇ」
同意を求められても俺も困るんだが? そもそも何を求められているのか、さっぱり見当がつかない。頷いたら大概禄なことにならないのだろうという確信だけは不思議とあるので、頷くつもりもないが。
「今ここで、僕の手伝いをするって明言してくれると、本当助かるんだけど……」
言いかけた白猫が、ぴたりと動きを止める。
次の瞬間、鋭い風が駆け抜けた。
白猫の立っていた場所、そこにはいつの間にか雛乃の足があった。軽やかながらも力強い蹴りが繰り出され、白猫は再び吹っ飛ばされる。
「!? え、ちょっ、またぁ!?」
壁に激突し、そのままズルズルと床に落ちた白猫が、情けない声をあげる。その割に余裕があるように思えるのはなんでなんだろうな? どうもこの猫三味線弾いてるんじゃないかと思わせる。
「黙んなさい。何度だって蹴り飛ばすわよ。いい加減兄さんは諦めなさいな」
腕を組んで見下ろす妹は、まるで当然のように言い放つ。
「なあ、正直話がよく分からんのだがどういう――」
「兄さんはここにいるの。異世界だか何だか知らないけど、行く訳ないじゃない」
当然でしょ? という顔をする雛乃。
対照的に壁際でくたっとなっていた白猫が、面倒くさそうに頭を掻く。
「しつこいなぁ。嫌われちゃうよ? 僕が言えた義理でもないけどさぁ」
「あんたがそれを言う?」
「お互い様だね」
チラリと、白猫が俺を見る。
お互い様じゃないな。俺が雛乃を嫌うことはないからな。我ながら兄馬鹿なことを考えているとは思うが……。
なんとなく白猫が呆れたような顔をした気がした。失礼だな、おい。
「で、どうする?」
ゆっくりと立ち上がった白猫が、尻尾を軽く揺らした。
「このままじゃ埒が明かないし、ここいらでちゃんと決めようよ」
「そうでもないわ。ここであんたを踏み潰せば全部終わり。いくら猫に九生って言っても10回目は無理よね。流石に縁も切れるでしょ?」
「うわぁ」
白猫が引きつった声を上げた。妹はやると言ったらやるからな。同情はしないが、気持ちは分かる。精々恐れ慄け。
白猫は苦笑いのような表情を浮かべると、一歩後ずさった。
「いやいや、冗談はよしてよ。僕だって好きでこんなことしてる訳じゃないんだからさ」
「それを私が気にするとでも?」
妹は寸分の迷いもなく言い放つ。
白猫は肩をすくめるように小さく身を揺らし、ふうっと息を吐いた。
「まったく、怖いなぁ。まぁでも、ここで引き下がるわけにはいかないんだよね」
白猫の体がふわりと宙に浮いた。いや、そう見えただけだ。次の瞬間には、そこには人の姿をした何かがいた。
それ単体が光を帯びているような白髪。細く長い手足。身に纏うのは真っ白な汚れ一つない立襟のカソック。所謂神父服。そして一番最初に幻視したヘラヘラとした薄笑いを浮かべた顔がそこにあった。浮き世離れしていると言うのに、その薄笑いの胡散臭さがすべて打ち消している。
「本当は、猫の姿の方が慣れているんだけど、流石に不利かなって思ってさ」
青年は軽く首を鳴らし、肩を回す。
「これなら少しはまともに話を聞いてくれるんじゃない?」
「関係ない」
妹は一歩踏み込むと、迷いなく拳を振るった。
「っと」
元白猫、現青年は軽々とそれを躱し、後方へ跳ぶ。
「もう少し手加減してくれてもいいんじゃないかなぁ?」
「しないわ。する訳ないでしょ」
妹はすぐさま次の一撃を繰り出し、青年を圧倒する。流石は近所の爺さんに秘伝の古武術を教わっていただけのことはある。本当に古武術だったのかは知らないが、随分と実戦的なものだったのは確かだ。このままなら、妹の勝ちの目もあるだろう。
と言えどもだ。いつまでも妹の後ろに隠れているのもあまりに情けない。
俺は深く息を吐き、腰を落とした。何よりもいつまでも人任せというのは性に合わない。
元白猫の青年は、薄笑いを崩さずに妹の猛攻を捌いているが、防戦一方に見える。見えるが多分見えるだけだろう。あれはまだ何かが手札を隠している。切られる前に、少しでもこちらの流れに引き込んでしまいたい。
俺は隙を伺いながら、少しずつ距離を詰める。まあ、直ぐにバレた。当然か。
「おや、参戦するつもり?」
青年が軽く肩をすくめた瞬間、妹の足が鋭く跳ね上がる。それを咄嗟に避けた青年の体勢が少し崩れた。そこだ。
俺は机の上にあった分厚い本を掴み、力いっぱい青年の側頭部に叩きつけた。スマンと本に詫びる。
「ぐふっ……!?」
鈍い音が響き、青年の体がよろめく。意外と効いた。
「兄さん、武器使うのね」
「俺が素手で勝てるとは思えんからな」
妹が一瞬だけ苦笑し、すぐに再び拳を握る。青年は頭を振りながら、俺を睨んだ。
「あー、もう、やってくれるなぁ。まったく、脳震盪起こしたらどうするんだい」
起こすのか? 人間かどうかも分からないのに?
「起こすかもしれないし、起こさないかもしれないけどね? 人の形をしているんだからそれ相応に扱ってほしいかな」
青年がこめかみを揉みながら焦点を合わせるように目を細める。
「よし、大丈夫!」
そりゃあ良かった。こっちとしては、ありがたくもない話だが。どっちにした所で、そろそろケリをつけよう。
「なあ、あんた俺に選べって言ってたよな?」
「そうだよ。僕と一緒に来てくれると、本当に嬉しいなぁ」
言った青年の表情を何と称すればいいのだろうか。憧憬にも似たとても遠い所を見ているような、酷く淋しく、そして悲しくなるものだった。
だけど悪いな。俺は異世界に今のところ興味はない。あの頃の俺なら或いは異世界に行きたくない理由がなければ受け入れたかもしれないが、少なくとも今の俺はこの世界にいたい理由がある。
「悪いが、俺はあんたに付き合うことは出来ないよ」
事情は分からない。ひょっとしたら、過去何回目かの夢で聞いているのかもしれんが、今の俺に知る由はない。仮に覚えていたとしても、答えは同じに違いない。それ位には未練がある。
「そっか……。それじゃし仕方ない」
青年が呟くように答えた。
渇いた、枯れ木すら干からびるような荒野を旅して来たかのような声だった。
初めて得体のしれないナニカの素のようなものを垣間見たのかもしれない。
何を思おうが、感じようが俺はもう選んでいる以上何も変わりはしないんだがね。
「仕方がないから、おじゃま虫は消えるとしよっか」
一転して明るく青年は一礼。
「じゃあね」
声だけ残して、跡形もなく消え失せた。
「もう二度と来るな!」
この様子だと、妹の罵声も届いちゃいないだろう。一体何だったと言えばいいんだろうな……。
妹と2人残される。いなくなった時のままの姿だ。
「幽霊っているんだな」
妹はちょっと考えるように首を傾げて。
「どうなんだろ。よく分かんないのよね」
「そうか」
「時々兄さん見てるけど、なんか楽しそうね」
「そうか?」
「見てて飽きない」
「酷い言い草だな」
「そう?」
「そうさ」
会話が途切れた。話したい事はたくさんあった気もするが、取り敢えず十分な気がした。
「またね」
妹が口にする。頷いた。
そして、9回目の夢から、覚めた。
猫に九生あり 此木晶(しょう) @syou2022
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