1-9. 亡国少女
冷たい。
「……っ!」
背筋を擽る冷気に急かされるように、レオは目を覚ました。まるで悪夢を見ていたかのような全身のベタつきが、彼に大きな不快感と僅かな不安を呼び起こす。
耳を澄ませても、
「ここは……」
武器を握りしめ、慎重に辺りを見回す。湿り気を帯びた空気に、微かな魔力の残滓を感じた。それは緩やかにこの空間を流れ、周囲の物質と混じり合っている。ひび割れた石畳の床や、黒ずんだ壁面が、魔力の燐光を纏って、薄ぼんやりと発光していた。
天井を見上げると、まるでこの場を厳重に閉ざすかのように、土色の天蓋が広がっている。レオはそこで大きな違和感を覚えた。なぜなら、彼はこの空間で意識を取り戻すまで、下に落ちていくような感覚を味わっていたからだ。
普通に考えれば、彼の頭上には大きな穴が存在し、周りには土塊や構造物の瓦礫などがあるべきだろう。しかし、それが一切ない。また、自身の身体に目立った外傷がなく、装備も壊れていないという事実が、彼の感じる違和感を更に大きくしていた。
頭を振って、思考を切り替える。とにかく今は、周囲をもっと確認しなければ。そう考えて、自身に【
【
昼間のように明るくなった視界の中で、改めて周囲を見回す。その結果、レオは幅の広い通路のような場所にいる事がわかった。加えて、彼から見て右の方の壁面に、擦り切れた『双翼を持つ大樹』の紋様を発見する。
「じゃあ、やっぱりここは……」
薄々そうではないかと思っていたが、その紋様を見て確信する。ここは遺跡の内部であり、レオたちは『
かつて一夜にして滅び、地に沈んだとされるルーヴェリエの都市。その一部分が、不規則な間隔で魔の森の
なぜそのようなことが起きるのか、未だ原因は解明されていない。突拍子もない説として、遺跡が地の底ではなく、世界の狭間のような場所に存在し、魔力の揺らぎによってレオたちが生きる現世に飛び出してきているのでは無いかと主張する者もいるが、真偽は定かではない。
また、なぜ浅樹域で浮上現象が起きてしまったのかという疑問も存在するが、今はその理由を考えるよりも、先に対処するべき重大な問題が発生している。
そう、いないのだ。
ガルヴァスたちの姿が、全く見当たらない。
つまり、レオはたった独りで、命の危険が無数に存在する未知の空間へと迷い込んでしまったのだ。
心臓がうるさい。怖気と共に、全身から嫌な汗が勢いよく吹き出した。死の指先が、彼の背をゆっくりとなぞり上げる。
「……【
全身の震えを誤魔化すように、魔法を放つ。しかし、遺跡内部に漂う魔力の残滓全てに反応してしまって上手くいかない。魔力の濃淡自体はわかるのだが、常に流動しているせいで、移動をしているナニカなのか、はたまた濃い魔力溜りが流れているだけなのか、非常に判別が難しい。
「ダメか……」
動くべきか、とどまるべきか。究極の二択が、レオの頭の中でぐるぐると回る。
どちらを選んでも、確実にガルヴァスたちと合流出来る訳では無い。また、遺跡に跋扈している強力な魔物たちと遭遇してしまう可能性もある。
決断が出来ないまま、いくばくかの時が過ぎた。考えれば考えるほどに、最悪なたらればが頭の中に浮かんでは消える。
その時、微かな風がレオの頬を撫でた。
「浮上した遺跡は、複数の出入口で外につながっている……ということは……」
浮上現象の知識と、前世で見た洞窟に関するドキュメンタリーかなにかの知識を結びつける。季節と時間帯よって変わるが、洞窟の中に吹いている風を頼りにすることで、一番下に存在する出入口にたどり着けるはずだ。
現在の暦を思い出す。灼陽の月だ。前世で言うと5月頃である。冬場に比べれば空気は暖かいはずだが、時間帯は不明。これらの情報を総合すると、遺跡の空気の流れは、夏場の洞窟のものを参考にするべきだろう。よって、風と同じ方向に向かって進むことで、遺跡から出られる可能性が高い。
人差し指と中指を湿らせ、上に向ける。動くか、とどまるか。結局、どちらを選んだとしても結果論になる気がした。それならば、レオはじっと救いを待つよりも、最期の最後まで足掻き続けてから死にたいと思った。
風は吹いている。
もう全身の震えは収まっていた。
少年は覚悟を決めて、追い風を背に歩き出した。
◆◆◆
息を、気配を殺して進む。先ほど追加で【
遺跡内は不気味なほど静まり返っている。今のところ、魔物には遭遇していない。また、遺跡の中心部に近づくにつれて、罠が出現し始めると聞いたことがあるが、まだ一度もそれらしきものには当たっていない。
恐らく、今歩いているこの部分は、少なくとも遺跡の中枢ではないのだろう。不幸中の幸いだと思う。同時に、レオにはその微妙に悪くなり切っていない状況が、嵐の前の静けさのようにも感じられた。
都度【魔力探知】を放ちながら足を動かしていると、視界の奥に曲がり角が見えた。【魔力探知】には主に2つの魔力の塊が反応している。レオは角に素早く近づき、背を壁面にぴったりとくっつけると、僅かに顔を出して先を窺った。
通路の中ほどで、人らしきものが倒れている。それに対して、黒いヒトガタの靄のような存在が、耳障りな囁きを響かせながら近づいている様子が見えた。
「……
霧亡魔は、遺跡に放置された亡骸が、長い間魔力に晒されることで変質してしまった存在だ。完全に肉体を持たず、黒い霧状の身体を持つ。生者の温もりを求めて彷徨い、奴らに身体を覆われると、文字通り干からびてしまうまで魔力を吸い尽くされてしまうのだ。
厄介な点は、物理攻撃が効かないことと魔核が身体の中を常に移動していること。そのため、有効な攻撃手段は魔法なのだが、光属性の浄化系統でない限り、移動する魔核を的確に狙い撃つか、全身を消し飛ばすほどの魔法を行使しなければ、半永久的に復活してしまう。
冷たい空気と共に黒い霧が揺らめいた。その霧は徐々に形を変化させ、歪んだヒトの顔を浮かび上がらせると、虚ろな口腔を大きく開いて、通路に倒れ込んでいる誰かに迫る。
「【
レオが素早く魔法を唱えると、亡者のすぐ近くの地面から4枚の土壁がせり上がり、魔物を隙間なく包み込んだ。次いで、彼はその壁の内側に、無数の岩槍を生み出す。イメージは擬似アイアン・メイデンだ。数瞬後、掠れた呻き声のような断末魔が静寂に大きく響いた。
魔力反応がひとつ消失したことを確認すると、少年は床に倒れ込んでいる存在に駆け寄った。
「大丈夫ですか!」
細心の注意を払いながら仰向けにして、膝の上に頭を置く。その白い少女は、全身が傷だらけで汚れているのにも関わらず、とても美しかった。色素の抜けた真っ白な肌と髪が、どこか神秘的な雰囲気を醸し出している。
また、僅かに尖った耳と額から覗く薄金色の角は、彼女が
しかし、レオはそれに違和感を覚えた。理由は分からないが、なんとなく彼女の角が少し気になる。今まで彼が見てきた竜人族のモノよりも、僅かに風格があるような、ないような。
些細な疑問を抱えつつも、手を動かして革袋の中から
「
「……んぐっ…………がふっ……ごほっ、ごほっ」
「大丈夫です。ゆっくり」
少女は目を閉じたままだったが、むせながらもゆっくりと緑色の液体を嚥下した。
白く長い睫毛の下には、煌めく
「……ガ……ヴァ…………」
「?……ちょっ……!」
掠れた声で白い少女はそう言うと、レオの胸に何かを押し付けて、再び意識を失った。慌てて息を確認すると、すやすやといった気持ち良さそうな寝息が返ってくる。見れば、彼女の目元には非常に濃い隈が出来ていた。ここ数日まともに寝ておらず、限界だったのだろう。
「しょうがないか……」
レオは彼女をできるだけ起こさないように背負う。容易く折れてしまいそうな身体に、僅かな柔らかさを感じた。こんな状況で少しドギマギしてしまう自分に嫌気がさす。
少女を見捨てるという選択肢は、端から彼に存在しなかった。確かに、機動力や食糧、薬などの様々な面から考えて、彼女を助けないということは合理的なのかもしれない。しかし、それではきっと、彼は一生後悔する。ここで彼女を見捨てたという事実が、この先ずっとレオを苛むであろうことは想像に難くない。
そうだ。これは偽善だ。レオは自分の生きやすさの為に彼女を助けようとしている。それでも、何もしない奴よりはマシだと自分に言い聞かせた。それに、少女一人助けられない奴が、どの口でビッグになって恩返しをするだなんて言えるのだろうか。
誰に言うでもない言い訳を頭の中で並べながら、竜の少女に押し付けられた物を見る。それは銀色のロケットペンダントだった。
「! これって……」
強烈な既視感に突き動かされて、ロケットを開く。そこには短く整えられた黒髪に、鮮緑の力強い瞳をもった
「もしかして、君も……」
首を少し回して、背負った白い少女の横顔を見つめる。彼女は未だ深い眠りについており、時折むにゃむにゃと口を動かしているだけだった。そして――
「フィ……レー……ネ」
「っ!!」
――決定的な一言がレオの鼓膜を震わせる。やはり、そうだった。少なくとも彼女は、ルーヴェリエに関係する人物に違いない。驚いた衝撃で、少しずり落ちてしまった少女をしっかりと持ち上げる。
ますます彼女を見捨てることが出来なくなった。なんとしてでも、ルヌラに帰らなければならない。そう固く誓った少年は、ひび割れた石畳を踏みしめようとして、できなかった。
いつ現れたのか。彼の決意を嘲笑うかのように、禍々しい魔力を纏った何かが、背後に立っている。咄嗟に大きく距離を取りながら振り返ると、そこには放射状に広がる赤黒い根の塊がいた。それは根を大きく広げ、人間の頭部を咥えたおぞましい口腔を晒している。
生首の顔は、驚きと恐怖、そして深い絶望で彩られていた。樹木の化け物は、それをレオに見せつけるようにゆっくりと咀嚼する。
様々な感情の入り交じった容貌が、丁寧に噛み砕かれ、粗く挽き潰された。やがて、化け物はその赤く染まった肉塊をぐちぐちと口内で弄ぶと、石畳の床に唾のように吐き捨てる。そして、ひどく愉しそうに身を捩った。
「……っ、お゛え゛っ」
あまりにも濃い血の匂いと、目の前で挽き肉に加工されてゆく人間の顔に耐えきれず、レオは胃の中のものを全て盛大にぶちまけてしまった。
「っは……【
未だ込み上げてくる吐瀉物をなんとか飲み込み、彼は風の刃を放つ。鋭利な風の奔流は、呆気なく未知の魔物を半分に切り裂いた。そのあまりの弱さに少年は大いに困惑する。
しかし、次の瞬間、真っ二つにされた魔物の断面が蠢き、瞬く間に赤黒い根が再生される。魔法を差し込む余裕もないほどの一瞬の後、そこに立っていたのは2体に増加した木の化け物だった。
「増えるのは反則だろっ……!!」
少年が怪物に背を向けて駆け出すのと同時に、うねる数十本の木の触手が、凄まじい速度で彼に迫った。
◆◆◆
「そこを左だ! 匂いが強くなってる!」
マロゥの指示に従って、ガルヴァスたちは遺跡の内部を駆け抜ける。彼らもレオと同様に、遺跡内へとバラバラに飛ばされたが、既に合流を果たしていた。
以前探索したことがある遺跡の区画であったことと、あまり3人の位置が離れていなかったことが早期の合流に繋がったのだろう。彼らは移動速度に補正がかかる魔法を重ねがけして、強化されたマロゥの嗅覚に頼りながら、少年を捜索していた。
突き当たりの角を左に曲がる。すると、今まさに樹木の化け物のような存在に襲われんとしている少年の姿を発見した。
「レオっ!」
ガルヴァスが叫び、前へと踏み出す。しかし、その瞬間――
「――ッ!」
彼の脳裏に、様々な映像が濁流のごとく流れ込んできた。
白光に包まれる都市と絶望に満ちた叫び声。
樹木の怪物に絡め取られる数多の命。
血を流し、冷たくなってしまった一人の女性。
それらは全て、彼が心の奥底に蓋をして無意識の内に封じ込めていた、忌まわしい滅びの記憶。
ルーヴェリエ最期の日、その絶望の断片であった――
悪役貴族への転生〜廃嫡されたけど冒険者になって固有魔法で無双します!今さら戻ってきて欲しいと言われてももう遅い!妻たちとのハーレム生活で忙しいので丁重にお断りします!〜 夜継 @Yotsugi_034
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