(2)

 “魔族の襲撃、魔法障壁の消失、圧倒的な劣勢”、簡潔かつ丁寧に重要な点だけを説明する執事だったが、これを聞き終えあ6才の少年の心には、不安と恐怖が埋め尽くされていった。


 だがそれも、彼女の突発的な行動によって刹那の如く掻き消された。なんと、床が砕け散るほどの土下座をしたのだ。額はめり込み、砕けた床の破片は宙を舞い、堅牢に作られている城が少し上下に揺れる。


「大っ変、申し訳ございません!!」


 廊下にも響き渡るほどの大きな声。しかし意外にも、その大袈裟な土下座の効果は得られたようで、その場にいた者たちは笑みを浮かべ、張り詰めていた部屋の雰囲気も少し和らいだ。


「?」


 首を傾げる執事。額には傷が全く見られず、床の破片がくっついているだけ。少年は優しく微笑みかけながら、それを一つ一つ丁寧に取り除いていく。


「大丈夫だよ」


 まだ幼い子どもに大人のような素振りを見せられた執事は、どう声を掛ければいいのか言い淀んでいると、突然、少年に両肩を掴まれる。


「そんなことより!! 父様と母様は?!」


 前後に激しく揺さぶられながら書斎で待っていると伝える執事。それを聞いて安堵した少年は、すぐに立ち上がると急いで身支度を整え始めた。



 この北国の冬は長く、他国よりも厳しい寒さで大地は凍てつくほど。どんな種族や生物も環境に適応しない限りは、まず生存が難しいと云われている。だが、暖かい季節になってくると、街全体は白銀から橙色――雪が溶け橙色の屋根の街並みに変わる――に染まり、大地は彩とりどりの花や緑で溢れ返るのが特徴である。


 それを一目見ようと、この時期に度々やってくる来訪者に、街の者たちは皆、決まって嫌味を言うのだ。“来世は何になりたいか考えとけよ”などと。


 しかし、そんな街の人たちも全く寒さを感じない訳ではない。耐性の有無関係なく、寒くなる前には物資を蓄え、春になるまで殆ど外出を避ける。何があってもいいように、各々しっかり対策を取っているのだ。これも、300年以上平穏が続く秘訣でもある。


 それは、城内にいる者たちも同様である。だが、この日の夜だけはいつもと違った。暖炉に火が焚かれているものの、部屋の中の空気は冷え切っており、吐く息も白さを増している。時折、少年も身体を震わせる。それは寒さのせいだけではなく、未だ消えぬ恐怖心からくるものでもあった。


――数十分後。


 白を基調とした襟付きの長い袖のシャツに黒いズボンを履き、胸には、竜の鱗で作られた胸当てを付け、フード付きの黒い毛襟マントを羽織る。腰の剣帯には、父から貰った短刀をしっかりと差し込む。その鞘には、この国のシンボルでもある竜紋――竜が描かれた盾の後ろに剣先を下に向けた一本の剣――が入っている。鏡に映る彼は満足そうに頷くと、執事の方へ振り返る。


「準備できたよ!」


 声を掛けられた執事は、その恰好を見て頷こうとしたが、眉をひそめると、眼鏡を少し押し上げて、少年の方へつかつかと近付いて行き、よれた服の皺を伸ばし、襟をしっかりと立て、胸当ても再び留め直すという執事の本領を発揮させた。


「あはは……ありがとう」


 鏡の前で決め顔までしていたのを思い出して死ぬほど恥ずかしくなったが、少年はなんとか笑って誤魔化した。しかし執事は、はっきりと伝える。


「いついかなる時でも、身だしなみはしっかりと! いいですか? ぼっちゃま」

「……はい」


 恐らく、いつも注意されているのだろう。少年は、反省の色を見せながらも小さな声で愚痴っている。だが執事は、これ以上、彼を不安にさせないようわざとやったのだ。いつもの日常のように。


「では、ぼっちゃま? 参り――」


 執事の言葉を遮るように、まるで見計らっていたかのように、部屋にある大きな窓が勢いよく割れたのだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

傭兵たるもの 櫟(くぬぎ)ちろ @kunugikko5

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ