姫と雛祭り

灰湯

姫と雛祭り

 眩しい。灯りが眼に突き刺さるようじゃ。今年も麻呂の勤めがやってきたということか。

 麻呂の視界に懐かしい顔が迫る。一年ぶりじゃな。

 此奴の名は秋恵あきえ。秋のお恵みとは良い名だと熟思う。麻呂なぞ姫と言う名とは言えない名しかないというのに。

 最近は秋恵の口調に影響され、堅苦しい口調も苦手になってしもうた。殿も横で呆れられているわ。

 秋恵よ。今年はきちと麻呂を御天道様の光に当てるのだぞ。今から四ほど前の年では忘れられたこともあったのう。困ったことじゃ。


 それにしても、秋恵も随分と大きく育ったと思う。齢幾つじゃろうか。いや、言わずとも分かってはおる。麻呂と同い年じゃからな。麻呂は秋恵が生まれた年に生まれ、秋恵の下へと参った。それからは毎年一緒だったのう。あっという間に成長して、麻呂は少し寂しくも感じておる。秋恵は成長するが、麻呂は成長しないものでな。

 おおっ、今年は供え物が沢山あるな。伊賀饅頭に柏餅、桃の花、甘酒、後は雛霰だったか。それにしても奮発したものじゃ。少し前は一つもない時もあったというのに。


「お雛様、お内裏様」

 

 んん?どうした秋恵。麻呂たちの前に座り込んで話でもしたいのか。だが、麻呂たちは話ができないのじゃ。存じているかとは思うが、話は聞いてやることしかできぬ。まぁ、良い。話してみよ。


「お別れを…言いに来ました。私、今年までなんです。来年からはこの家にいなくて…今までありがとうございました。あなた達のお蔭で無事結婚もできました。今までの感謝の意を込めて、今年は奮発しましたから」


 秋恵が麻呂の前に菓子を差し出す。

 そんなことどうでも良い。お別れじゃと?そんなもの…そんなこと納得できるとでも思うたか。

 結婚なぞしなくても良い。一生、麻呂たちと生きていけば良い。なのに何故、去るなどというのじゃ秋恵。

 この気持ちも、秋恵には届かない。秋恵は菓子を麻呂の方に近づけた後、去っていった。その後、二度と麻呂の前に姿を現すことはなかった。


――――――――――――――――――――――――


 秋恵が去ってから幾つの年月が過ぎたじゃろうか。毎年、毎年、秋恵の母君は麻呂たちを御天道様の光に当ててくださったが、麻呂は少しも気分が上がらぬ。

 今年も秋恵は来ぬじゃろう。ならいっそ、箱の中で眠っておりたい。

 そう思っておった。しかし、奇妙な声がする。赤子の声じゃ。笑っておる。


「お雛様、お内裏様。私、帰ってきましたよ。赤ちゃんを連れてきました。今度はこの子がお嫁に行きそびれないように見守って上げてもらえますか」


 信じられぬ。麻呂が秋恵と同じ人間だったならば、間違いなく涙を零しておったじゃろう。

 秋恵が、去っていったはずの秋恵が目の前におるのじゃ。こんなに嬉しいことはない。だが何故、今になって戻ってきたのじゃろうか。


「ごめんなさい。本当は別に新しい雛人形を買おうかって思っていたんです。でも…私を見守ってくれた貴方たちがいいなって思って…お母さん譲ってもらったんです。ふふっ…雛人形に話しかける私って幼稚かしら」


 秋恵は可笑しそうに笑った。麻呂は嬉しく思う。秋恵が帰ってきてくれこと、秋恵の赤子を連れてきてくれたこと。全てが幸福でしかないのじゃ。麻呂は捨てられたわけではなかったのじゃな。


 そうと分かれば、麻呂も頑張らねば。秋恵とその家族を見守ろう。秋恵の赤子が嫁に行けるように。

 麻呂はこれからもずっと、秋恵の友であろうと。

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姫と雛祭り 灰湯 @haiyu190320

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