雛流し
@hinorisa
第1話
その祭事は「雛流し」とよばれ、ある地域で行われており、三月三日のひな祭りの日に執り行われる。
シキは大学の教授であるシズカの手伝いのためにこの土地を訪れたのだが、それがたまたま三月三日のひな祭りの日だった。
シズカがそれを狙って予定を組んだのかどうかはシキには定かではないが、一応はバイトの雇い主なので、彼にとやかく言うつもりはない。
そもそもひな祭りというのは少女のための物であり、青年と呼べる年齢を迎えたシキにはとんと縁がない。子供の頃は妹のためにひな壇を飾る事もあったが、それもせいぜい小学生のうちぐらいのものだろう。今となっては押し入れの奥へとしまわれており、おそらくはこれからも日の目を見る事は無い。
そもそもシキ個人としては、妙に人間らしく作られた人形という物には良い印象がない。何となくだが不気味に思えて、その目に見られているような気分になるので、ひな壇が飾られている部屋には出来るだけ近づかないようにしていた。
不気味の谷という言葉があり、これは人間の像を本物の人間の姿に近づけすぎると、ある時点から親和感が急激に減少して、恐怖感や嫌悪感や薄気味悪さなどの負の感情が、唐突に観測者に現れて、不気味に見えるという現象を言う。
—―昔呪術などの神秘が当たり前にあった頃、そっくりに作るとそれを使って呪いをかけられるという話もあったらしい。
だからこそ昔の日本画はわざとデフォルメにして似せないように描いていたそうだ。文明開化でカメラが出回り始めた頃、カメラにとられると魂が抜かれるなんて話も出回ったぐらいで、兎に角本人とそっくりに作るのは良くなかった。
人の形をしているだけで、昔の人間はそれだけ気を使わなければならなかった事を考えると、細かい決まりなども多く面倒だったのだろうと、シキは川の堤防の傍に佇んで考えていた。
シズカは知人と合流したのだが、話が長くなりそうだから暫くは自由行動だと言い放ち、全くの部外者であるシキからすれば、見知らぬ他人の家の部屋に一人取り残されるのはなかなかにストレスを覚えてしまい、折角なのだからと祭りを見学する事にした。
この地域に根差した伝統の祭り故に周辺の住人達には定番らしく、それなりの人数の参加者がいてそれなりに盛り上がっているように見える。
この「雛流し」自体はそれほど珍しい物ではなく、奈良時代にあった風習であり、病気や厄災を身代わり人形に引き受けてもらい、それを川へと流す「流し雛」そのものだ。
平安時代にあった「ひいな遊び」という紙や布で作った人形で遊んでいたらしく、「流し雛」と「ひいな遊び」それらが結びついて、だんだん雛人形が立派で豪華な物へと変化していき、ひな壇にひな人形を飾る現代に伝わる「雛祭り」になった。
それを思えばいい意味で伝統として形が残っていると言える。
川岸は整備されており、橋が架かった付近は鉄線と石で作られた、所謂、蛇篭によって補強されている。おそらくは大雨の際に、この辺りの流れが激しいのだろうと予想できる。
それからしばらくは平坦な土地が続き、休日にはグランドゴルフなどを楽しんでいるとの事。今は堤防沿いに屋台が並び、絶えず人が訪れて活気づいている。本会場にあるステージではちょっとした催しもされるようで、それを目当てにした子供達がシキの横を走り抜けていく。
それにつられるように何となくシキは歩き出し、堤防沿いをゆっくりと歩いていく。
シキがいる側の川沿いには道路を挟んで住宅が並び、対岸には桜の木がずらりと植えられており、その向こう側には田畑が広がっている。生憎と桜の花には早くむき出しの木が並んでいるだけであり、田んぼもただの空き地の状態だ。
それでも時折赤紫色に染まっているのは、おそらくはレンゲの花が植えられているのだろう。直に掘り返され、土の肥料として混ぜ込まれてしまうと思うと、少し勿体ない気分になるが、所詮は耕作とは関係ない傍観者の戯言でしかない。
シキがいる橋付近の土手は護岸工事が行われており、表面を武骨なコンクリートによって覆われているが、少し先は地面がむき出しになっており、その表面を様々な草花に覆われ、鮮やかな緑色の中にちらほらと小さな白や黄色や薄紅色が混じっている様子が見える。
昔はこういった草花を摘んだり弄ったりして遊んだなと、シキは足元にある草花へと目をやる。
――カラスノエンドウ、ハコベ、オオイヌノフグリ、ホトケノザ、ヒメノオドリコソウ、アカツメクサ、タンポポ、ツクシ。
シキは子供の頃に見た図鑑を思い出しながら、足元でしっかりと根と茎と葉を伸ばし、小さいながらも誇る様に咲く草花の名前を上げていく。
特に子供の頃はオオイヌノフグリの青色が気に入っていたのだが、その花は脆く簡単に取れてしまい、気が付けば緑色のただの草となっていた事もあった。
ツクシが食べられると聞いて試した事があったが、しっかりと水で洗い、袴と呼ばれる部位を取り除いて、茹でて灰汁を取る頃にはすっかり疲れてしまっていた。
この手の野草は食べられる事を知る事は楽しいのだが、それを実践に移すのは難しい。タンポポの葉は食べられるし、根っこは昔コーヒーの代用品となっていたと聞いた時は好奇心に駆られたものだが、結局は試さないままだった。
昔はもっと早い時間に行われたそうだが、義務教育が当たり前となった現代では真昼間に祭りを行う訳にはいかないので、今は小学校から子供達が下校した時間帯を狙って行われている。
下校して帰宅してすぐにランドセルを置き、すぐさま家を飛び出して来たのだろうと思われる子供達が、数十分ぶりに顔を合わせた友人達と、賑やかに言葉を交わしている。
シキは積極的に催し事を行うような行動力も意欲も無いが、こうして第三者としての参加や遠目に眺める分にはその雰囲気は好きだと言える。少なくとも他人が楽し気にしているのを見て、妬ましく思ったり鬱陶しく思ったりしない程度には、今の自分にそれなりに満足をしている。
適当な所で足を止めると、ふわりと心地よい風が通り過ぎていく。障害物が殆ど無いお陰で、風の通りが良いなとぼんやりとその光景を眺めていたシキは、不意に気配を感じて横へと視線をやると、少し離れた所に着物を着た男が佇んでいた。
進行していく祭りをじっと眺めている男の身なりは良く、着物も専門の呉服屋で取り扱っていそうな上等な生地である事が、多少かじっただけのシキにも分かった。
そこに居るのが当たり前のように堂々としているというのに、周りの風景の上に別の所から持って来て張り付けたかのように思えてならない。
それと同時に胸の中にもやもやといた違和感が浮かび、シキにはその男が気になって仕方がない。
そんなシキの不躾な視線を感じ取ったのか、男が徐にシキの方を向いた。端正な顔立ちをしているのだが、その瞳がガラス玉のように無機質であり、そこから放たれる視線は、人形に見られているという錯覚に近い感覚だった。
シキは悪寒を覚えて鳥肌が立ったが、逃げ出したり悲鳴を上げたりするようなものではないと思い直す。流石に失礼だったとシキは慌てて視線を外そうとすると、男が口を開いた。
「—―この辺りの人間ではないな」
この祭りの参加者はそれなりに多く、この辺りの周辺の住民がこぞって参加している。少子高齢化で人口が減り、昔に比べれば祭りの規模は縮小されているが、それでもそれなりの人数が入れ代わり立ち代わり参加している。
だというのに、男はシキがこの辺りの住民でないと確信をもって言葉を放っている。
その事に違和感を覚えながらも、シキはどう答えるべきかを思案して、とりあえず失礼にならない無難な答えを返した。
「……えっと、はい……。たまたま用事でこちらを尋ねていて、暇があったので見学をしています」
不審者だと思われたのだろうかと不安になるシキをよそに、男は僅かに目を細めた。まるで蛇を思わせる鋭い眼光に、シキは「蛇に睨まれた蛙」という諺を思い出す。
「……そうか。どうりで、珍しい気配を纏っているわけだ」
この時になって、シキはようやく男が普通の人間ではない事に気が付いた。男から向けられている視線は、値踏みする様な、体の奥まで無遠慮にかき回すようなものだった。
周囲を透明な布で覆われたかのように、音や気配が遠のいていく。
「ああ—―心配しなくとも、貴様に手は出さない。—―いや、出せないと言った方が正しいか。……まあ、貴様では到底『雛』とは呼べない」
口元を歪めてにやりと笑う男は、わざと恐怖を煽りシキの反応を観察しているのだと分かった。
「――くだらないとは思わないか?最初に願ったのは彼方だったというのに、勝手に供え物を変更されるというのは。まあ……約定は守ってもらうがな……」
鼻を鳴らして嘲笑を浮かべる男は、ただひたすらに酷く美しいと感じる。けれどそれは人が人に向ける感想ではなく、高い崖の端から谷底を眺める様な物に近い。
思わず息を呑むシキが硬直して、ただじっと男を見つめていると、突然肩を叩かれて驚いた瞬間に硬直が解け、その勢いのままに後ろを振り返った。
「……どうした?待たせすぎたか?」
振り返った先には大きな鞄を抱えたシズカがおり、不思議そうに首を傾げている。それを見た途端に張り詰めていた糸が緩み、シキの体から一気に力が抜けていく。そのままその場にしゃがみこんで、顔を膝に蹲るようにして座り込んでいるシキを見て、シズカが逡巡するとすぐに答えに辿り着いて、何かを探すように周囲を見回した。
「何が居た—―?」
その短い質問に対して、シキはのろのろと顔を上げてシズカを見上げる。シキの顔色は血の気が引いて悪く青白い。今日の温暖で良い天気にはおよそ似つかわしくない表情をしていた。
「……分かりません。着物を着た男で、とても綺麗で――恐ろしいと感じました」
寒そうに震える唇で何とかそう答えたシキを見下ろし、シズカは思考を巡らす。
そんな二人の会話の後ろでは、会場に居た客達に折り紙で折られた簡易的な人形が配られている。
その事に気が付いたシキは、おそらくはあの男が嘲ったのはその光景だろうと何とく察した。
配られている紙人形は、この地域の小学生達が学校の授業で作った物だ。住民の分も賄えるように一人で幾つも制作して、それをまとめて祭りの実行委員に寄付する形をとっている。自身が作った紙人形を祭りで使ってもらえるのが嬉しいのか、小学生達の何人かは誇らしそうに笑っている。
シキの話を聞いていたシズカは不意に何かに気が付き、満足そうに口元に笑みを浮かべた。
「……ああ、なるほど、そういう事か……」
独り納得するシズカに、一方的に被害を被っているシキが答えを求めて睨むように視線を送ると、それに気が付いたシズカは目を細めて、口元に綺麗な笑みを浮かべた。
それが何となく、先ほどの男と通じるものがあり、シキは押し黙ってしまう。
「ああ—―すまん。そうだな……、君はこの祭りがどういったものかは把握してるな?」
「ええ……。厄を人形に引き受けさせて、それを流す事で厄払いをするんですよね?所謂『流し雛』」
シキの答えにシズカが無言で頷く。祭りは着々と進行していき、紙人形は「雛流し」の参加者全員にいき渡ったらしく、司会者や役員の指示で川に向かって並び、順番に紙人形を流していく。
色とりどりの折り紙の人形達が透き通った水面に浮かび、ゆっくりと日光を反射してきらめく川を流れていく様は、眺めている分には美しい。
楽しげに笑い合う声を酷く遠く感じながら、シキはその光景を見つめている。
「まあ、そういう風習が『ひな祭り』の元だというのは間違っていない。けれど、そもそも、この『雛流し』の祭りは、別に三月三日に合わせて行われていた物ではないんだ。おそらくは件の『流し雛』と『ひな祭り』と、一緒くたにされてしまった結果だろう」
淡々と話すシズカの声を聞きながら、遠くで幸せそうに友人達と笑い合う子供達を眺めていると、冷え切っていたシキの心が少しずつ調子を取り戻していく。先ほどまでは何も感じなかった春の陽気が、体温を取り戻す手伝いをしてくれていた。
「元は厄災—―まあ、疫病や不作や天災などに見舞われた年に、それらを払い鎮めるために行われたものだ。『雛』という言葉には色々な意味があり、孵って間もない鳥の子供を呼んだり、鳥の雛の様に小さい人形を読んだりするが、—―実物よりも小さい—―幼いモノや一人前ではないモノを差すときにも使う」
—―小さい、幼い—―大人ではないモノ。
その時点でシキの脳裏に嫌な予想がよぎり『雛』を流し終えて、河辺から離れて楽しそう手を繋いでいる親子から目が離せない。
「時代が流れて技術や文化が発展し、命が尊ばれるにつれて、風習や伝統が変化する事は往々にしてある事だ。特に、人の命を犠牲にするような儀式は代替品を使うようになった」
そこまで言われれば、シキにもシズカが何が言いたいのかが理解できた。
「—―『雛流し』。文字通り、『雛』と呼ばれる子供に厄を背負わせて川に『流す』」
ぽつりとつぶやいたシキの声はシズカにしっかりと届き、彼は祭りの光景を眺めながら頷いた。
「丁度、今日に尋ねた家は、元は祭司を代々務めていた家でな。もちろん既にその役目は無くなり、神社の管理人をしているだけなのだが、資料を保管し続けるのが物理的にも金銭的にも精神的にも厳しくなってきたので、引き取って欲しいと依頼されてな。必要は際は、無条件で貸し出すという条件付きではあるが……」
どうやら満足いく品を手に入れる事が出来たらしいシズカは、珍しく分かりやすく楽しげに笑っている。いつも穏やかな笑みを浮かべているが、一目で楽しそうだと分かるのは、珍しい本や資料が手に入った時ぐらいしか見る事は無い。
穏やかな川の流れに乗って流れていく色とりどりの紙人形達は、やがて下流に張られた網によって回収され、その件の神社でお炊き上げされるそうだ。
祭りどいえど川に何かを流して放置しないというのも、自然保護や環境保全という名の時代の流れによるものだ。
――昔は、流した『雛』は、どうしていたのだろう。
時が変われば文化が技術が発展し、常識や倫理観といった価値観も変化していく。けれど、人間よりもずっとゆっくりとした時の中を生きるモノ達からすれば、それはどう感じるのだろうかと、シキはふと思う。
……忌々しそうに嘲笑した男は、そんな人間達の身勝手を批判していたのだろうか。
もう、川に『雛』が流される事は無く、役を引き受けた紙人形達も人間達の手で回収されて処分される。かつて川に流された『雛』達は何処へたどり着いたのだろうかと、シキは意味のない思考にふけっていると、シズカが何かを何かを思い出したように話し始める。
「—―そういえば、この辺りでは、偶に子供が行方知れずになるそうだ。まあ、全国どこでも起こっている事ではあるが、規則性も無く、犯行方法も、子供の行方も分からないまま。大概は、地震や台風、病気が流行った年に起こるそうだが—―今年はどうなのだろうな?」
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