ある探偵の事件譚 [KAC20251]
蒼井アリス
雛人形
現代では形代としての役目は少なくなり、造形を愛でるための役割が大きくなっている。
だが、近代化が進んだからといって災いや汚れ、呪いがなくなったわけではない。むしろ現代社会において人々が毎日のように目にするネット上には悪意や呪いの言葉が溢れかえっている。
そんな現代にひっそりと探偵業を営んでいる男がいた。
彼は迷子のペット探しや不倫調査は行わない。専門分野は形代の供養と浄化。
どこにも広告を出していないにもかかわらず、依頼はそこそこ入ってくる。今日も一人の女性が探偵事務所のドアを叩く。
****
「どのようなご依頼でしょうか?」探偵が尋ねる。
むさ苦しい事務所に似つかわしくない清楚で上品な依頼主は慎重に言葉を選んでいるのか言い淀んでいる。
この事務所を訪れる依頼主の多くは依頼内容を上手く説明できない。それは依頼内容を言葉にして説明すると突拍子もない作り話に聞こえてしまうからだ。信じてもらえないのではないか、馬鹿にされてしまうのではないかという恐怖もあるが、この世ならざる現象を依頼主自身がよく理解できていないからでもある。
探偵はいつものように助け舟を出す。
「当事務所は一般的な探偵事務所でないことはご存知ですか?」
「はい、存じ上げております」
控えめだが耳に心地よい透き通った声が返ってきた。
「では
「はい」
「それでは今起きていることをそのまま説明してみてください。どんな不可解なことでもそのままお伝えください」
「分かりました」
依頼主の話によると、年が明けたころに体調を崩してしまい、夜は悪夢にうなされて眠れなくなってしまったそうだ。ところが雛人形を飾り終えたころから体調が少しずつ回復。その一方で人形はどんどん薄汚れていく。毎日汚れを落としてきれいにしても翌朝にはまた汚れている。その汚れもどんどん落ちにくくなってきて今ではまったく汚れを落とせなくなってしまったということだ。
「現在体調はいかがですか?」探偵が依頼主に尋ねる。
「ほぼ元通りに回復しております。夜も寝付きは悪いですが、悪夢を見ることはなくなりました」
「人形は今どのような状態ですか?」
「可哀想なくらい汚れてしまっています」
探偵は少し考えてから依頼主にこう提案した。
「一度その人形を見せていただけませんでしょうか」
「こちらにお持ちすればよろしいですか?」
この依頼主は無駄な説明を必要とせず状況判断が早い。探偵は依頼主の聡明さに驚いていた。
「いえ、差し支えなければ飾られているところを拝見したいのですが」
「分かりました。いつでもいらしてください。お時間さえあれば今からでも構いません」
「できるだけ早い方がいい。今からおじゃまします」
****
二人は探偵の車で依頼人の家へと向かった。
高級住宅地の中でも一際大きな屋敷の門をくぐり、車寄せで車を降りて屋敷へと入る。
立派な段飾りの雛人形は広い和室に飾られていた。
探偵は女雛に近づきしばらく観察した後、依頼人に振り返り「体調が悪くなり始めたころ身の回りで何か変化はありませんでしたか? 特に人から恨まれるというか対立するようなことは?」と質問した。
依頼人は「あっ」と小さな声を上げた。
「心あたりがあるのですね」
「はい。私が次期当主に指名された頃でした」
探偵は心の中で「跡目争いか」とため息をついた。
「あなたの他に次期当主の候補はいらっしゃいましたか?」
「はい。叔父と叔父の息子、私のいとこが候補でした」
「次期当主の決定権はどなたにありますか?」
「現当主の祖父です」
「女性が次期当主に指名されることは珍しいことですか? 名家では男性が跡目を継ぐことが多いと聞きましたが」
探偵が少し踏み込んだ質問をする。
「確かに当家の代々の当主はほとんどが男性ですが、女性の当主も何人かおりました」
「そうですか」
探偵は女雛が汚れてしまう原因が何であるかの見当がついたが、依頼人に今それを伝えるべきかどうか迷っていた。
「この雛人形はお母様のものでしたか?」
急に話題を変えた探偵の質問に依頼人が少し驚く。
母の事を過去形で質問してきた探偵には母がすでに他界していることが分かっているだろうことにも驚いた。
「はい。母のものでした」
「明日の朝、もう一度こちらにお邪魔してもよろしいでしょうか。明日の朝、女雛だけお預かりして夕方までにお返しに上がりますので」
「もちろん構いませんが、それでしたら今日お持ちになられては?」と依頼人が提案してきたが、探偵は首を横に振る。
「いえ、夜の間はあなたの側に。きっとあなたを守ってくれますので。では明日の朝8時にお邪魔いたします」
****
翌朝、探偵は依頼人から女雛を預かり事務所に戻った。
昨日より更に汚れが目立つようになっている女雛を探偵が白い布で優しく包むと、黒い霧のようなものが女雛から浮かび上がり白い布に吸い込まれていく。白い布はあっという間に黒色へと変わる。
何度か布を取り替え、数時間もするとすっかり汚れの落ちた女雛が現れた。
探偵は女雛の髪や着物を整え、まるで対話しているように女雛を見つめた。
そしてフッと微笑むと、女雛に向かって「お疲れさま」と呟いた。
夕方、再度依頼人の家を訪れ、見違えるように綺麗になった女雛を依頼人に手渡すと、依頼人はぽろぽろと涙を零し始めた。
「ごめんなさい。どうしたんだろう。急に嬉しくなって涙が出てしまいました」
依頼人は透きとおった大粒の涙を拭うこともせず、晴れやかに微笑んでいる。
「探偵さん、質問してもいいですか?」
「どうぞ」
「探偵さんは雛人形を見てすぐに母のものかと尋ねられましたよね。それはどうしてですか?」
「……」
探偵は答えるのためらっていた。真実を伝えるべきかどうか判断に迷う。
「何を聞いても驚きません。本当の事を教えていただけませんでしょうか」
依頼人の真剣な眼差しに探偵は覚悟を決めて真実を説明することにした。
「飾ってある雛人形を見たとき、あなたによく似た女性の面影が見えました。おそらくあなたのお母様だろうと思ったので『お母様のものでしたか?』とお聞きしました」
「そうですか、母の面影が……女雛が汚れてしまったのはなぜですか?」
「女雛が負の気を吸い取ってくれていたからです」
「それは母がということですか?」
「そうです」
依頼人は、今度は少し悲しげに顔を歪め、目を潤ませていた。
「負の気を送っているのは誰ですか?」と依頼人が訊いてきた。
「負の気を探ってみましたが源にはたどり着けませんでした」
探偵のこの言葉は嘘ではない。簡単に予想はできるが確証がないので断言ができないだけだ。
聡明で勘の良い依頼人にはきっと誰だか分かっているのだろう。悲しげだった表情が何かを決心した力強い表情へと変わっていた。
「来週、次期当主の正式なお披露目会が催されます。誰にも文句を言わせないほど立派に務め上げてみせます」
その言葉を聞いた探偵は、もう心配いらないと思った。これだけの覚悟があれば負の気を跳ね返す力となるだろう。
「お披露目会の成功をお祈りしております」
探偵は心から彼女の成功を願った。
「ありがとうございます」
依頼人の彼女は眩しいくらいの笑顔で探偵に礼を言う。
「雛人形、大事にしてください」
「はい」
彼女はもう大丈夫。探偵はここに足を運ぶことはもうないだろうと思いながら屋敷を後にした。
****
後日、彼女から現金書留が届いた。そこには請求料金以外に「お礼」と書かれたのし袋と写真が一枚同封されていた。お披露目会で撮られた現当主の祖父と彼女が並んで笑っている写真だった。
「請求金額だけでも十分だったのに」
いくら仕事とはいえ、やはり感謝されると嬉しいものだ。
ひなまつりは災いを
探偵はむさ苦しい事務所で今日も新しい依頼人の訪問を待っている。
不可解なお困りごとに悩まされているあなた、彼の事務所を訪ねてみてはいかがですか。
End
ある探偵の事件譚 [KAC20251] 蒼井アリス @kaoruholly
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