ひなまつりの夜の奇跡

八万

ひなまつり


「千鶴や、ちょっとそこに座りなさい」

「なに爺ちゃん? さっきから座ってるけど?」


 後光が射しそうなツンツルテンの頭と笑いじわが目立つ顔の昇三しょうぞうと、その孫である小学三年生の千鶴ちづるは仲良くコタツに入っていた。


 千鶴は東京から、母の実家である長野の寒村へ、母と共に来ていたのである。

 今日も朝から曇天のなか雪がサラサラと降り積もり、昼時の現在も止む気配はなく、外は非常に冷え込んでいた。


「千鶴よ、それは寝転がっているというのだ」

「だって起きるの面倒……ふがっ? へっくしょん!」


 千鶴は寝転がりながら器用にひなあられを食べるも、鼻にあられが入ったのか盛大にくしゃみを放つ。


「はっはっは、ぐうたらしているからじゃ」

「死ぬかと思った……」


 千鶴は鼻をかみ涙目だが、彼女の周りにはひなあられが無残に散乱していた。


「千鶴や、今日は何の日か知っておるか?」


 昇三は呆れながら茶を静かに啜ると、何気にそう千鶴に尋ねる。


「ひなまつりでしょ? さっきお内裏様とお雛様にいっぱいお願い事したよ。爺ちゃんと婆ちゃんがお祝いしてくれるっていうから長野に来たんだし」


 千鶴はコタツに入ったまま、悲し気にひなあられを拾い集めながら言う。


「正解じゃ。そこの雛人形はな、千鶴のお母さんが子供だった頃、将来幸せになって欲しいと願ってワシが買ったものなのだ。実はな……この村には古くから伝わる伝説があってな……ふふっ、知りたいか?」

「……う、うん、し、知りたい……かな?」


 千鶴の反応にやや不満げな様子の昇三のつぶらな瞳が、壁際に据えられた立派な五段の雛壇を怪しげに見つめ、千鶴がつられてそちらに顔を向けると、彼女は雛人形たちに見つめられている気がして、ぶるりと背筋が震えた。


「この村は代々この時期になると鶴がな……」




 昇三の話すやたら長い物語を、途中からウトウトしながら聞いていた千鶴は、コタツのテーブルの上に大きな皿が置かれた音に驚き、目蓋をパチクリさせる。


「……という伝説があるのだ。どうだ面白い話じゃろ? はっはっはっ」


 大皿に乗った色鮮やかなちらし寿司を見た千鶴は、瞳を輝かせウンウンと適当に頷いていた。


「千鶴、お待たせ。まだ天ぷらと唐揚げも来るから食べちゃだめよ」


 千鶴の母、小百合さゆりはそう言うと、またすぐ奥の台所へと忙しく消えて行く。

 彼女は久しぶりの実家だからか、いつもより楽しそうで千鶴も嬉しくなる。




「いただきます!」


 祖母の琴子ことこが台所から柔和な笑顔で戻り座るやいなや、千鶴は待ちきれないとばかりに、茶碗に盛られたちらし寿司に唐揚げを乗せて猛然と食べ出す。


「おやおや、誰に似たんでしょうねぇ……ふふふ」

「私はもう少しおしとやかだったわ」


 祖母琴子は、孫の元気な姿を嬉しそうに見つめ、次いで娘の不満げな顔を見て笑いをこらえきれない様子。


 そんな琴子に、小百合も自然と笑みがこぼれる。


 昇三も漬物に箸を伸ばしながら、和やかな家族団らんに満足そうだ。





 夜中、千鶴が寝ているところ、ふと物音に気づき目を覚ますと、閉じたふすまの奥から何やら話し声がするのを耳にする。


 この客間には母の小百合も寝ていた。


 千鶴は怖くなり、母を揺するも起きる気配はない。


 彼女は音を立てないよう襖に近づき恐る恐る覗き見ると、居間は真っ暗で静まりかえっていた。


 気のせいかと彼女が明かりを点け、視線を巡らすと奥に飾られた雛壇の違和感に気づく。


「ひっ」


 最上段に鎮座していたはずのお内裏様とお雛様だけが居ないのだ。


 その時、縁側の方でガタリと音がして、千鶴の心臓はさらに跳ね上がり足が震える。


 見れば、縁側へと出るガラスの引き戸がわずかに開いていて、そこから真夜中の冷気が流れこみ、千鶴の顔は青ざめる。


(まさか……泥棒……)


 千鶴は恐怖ですくむ足を𠮟咤して何とか引き戸まで辿り着き、閉めようと手を伸ばした時――


 月明かりに照らされた雪の上に何かが動くのを千鶴は見てしまう。



 (ツル……?)



 千鶴は積もる雪で真っ白に覆われた庭に、二羽の鶴を見た。


 頭頂部が色鮮やかな赤で細い首と尻が黒く、千鶴が図鑑で見たこともある、まさしく丹頂鶴であった。


 しかし千鶴の目はさらに、雪よりも白く輝くその鶴の背に異様なものを認識してしまう。


「……うそ」


 二羽の鶴の背に、きらびやかな衣装を身にまとった雛人形が、それぞれ乗っているのである。


 千鶴にはそれが自然と、お内裏様とお雛様ではないかと思った。


 千鶴は、月明かりに照らされた、そのあまりに幻想的な光景に、しばし目を奪われ言葉を失う。


 すると鶴の一羽がおもむろに月を見上げ甲高く鳴くと、もう一羽もそれに呼応するように鳴き、大きな翼を羽ばたかせ始めると、不意にお内裏様とお雛様が千鶴の方を向く。


 その時、千鶴には二人が優しく微笑んでくれたように思えた。


 その後、二羽の丹頂鶴は短い助走で雪煙を上げると、優雅に天高く舞い上がり、月明かりを背にどこへともなく飛んでいくのを、千鶴は瞳を輝かせ見送った。





「ねっ! 爺ちゃん、すごいでしょ! みんなにも見せてあげたかったなぁ」


 翌朝、千鶴はコタツに座り茶を飲む昇三の腕を取り、はしゃいでいた。


「そうかそうか、千鶴は鶴の降臨を拝めたのか。でも茶がこぼれるから落ち着くんじゃ」


 昇三は孫が喜ぶ顔を見て、手に熱い茶がかかるも、顔がほころんでしまう。


 この村には言い伝えがあり、ひなまつりの時期だけ稀につがいの鶴が飛来し、その鶴を見た者は、みな幸せになるという。


 それを村人はみな、トリの降臨といって代々言い伝えとして残っているのだ。


「でね、お内裏様とお雛様がその鶴に乗ってどっか行っちゃったのっ」

「ははは、そうかそうか、それはたまげたな」


 千鶴が言うと、昇三は笑いとばす。


「ほんとだってばぁっ」

「んだんだ」


 昇三は孫をなだめながら、雛壇を何気に見ると、お内裏様とお雛様が仲良く寄り添っているのが見えて首を傾げるが、孫の悪戯だと思い直す。




 その後、千鶴と母小百合が東京に戻り、マンションの鍵を開けると、単身赴任で北海道に転勤になっていたはずの千鶴の父である亮一が「おかえりぃ」と出迎えた。


「あなた……」

「パパ!」



 風呂上りにビールを飲みながら、亮一は不思議そうに二人に語る。


「いやぁ、びっくりしたよ。急に北海道支社から東京本社に復帰してくれって言われてな。これからはずっとお前たちと一緒に居られるぞ。はははっ」


 そう陽気に亮一が笑うと、千鶴と小百合はすき焼きを食べる箸を止め、同時に目を見合わせると、どちらともなく頷き合う。


 千鶴は、母の実家長野での一件を真面目に父に話すが、まったく信じてもらえず頬を膨らませた。


 亮一によれば、日本で丹頂鶴が見られるのは北海道だけで、それ以外はごく稀だという。


 納得のいかない千鶴であったが、母がいつになく機嫌が良く、ずっとニコニコしているのを見て、まあいっかと思い、心の中でつがいの鶴と雛人形たちに感謝していた。


 この夜、千鶴たちは何年かぶりに家族三人川の字となって眠り、とても幸せな時間を共有したのであった。




 おしまい。

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ひなまつりの夜の奇跡 八万 @itou999

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