ひなまつり攻防戦

七倉イルカ

第1話 ひなまつり攻防戦


 「はわわ」

 「はわわわ」

 天まで垂直に伸びた隙間から、偵察に出ていた仕丁(しちょう)の内、二人が息を切らしながら駆け戻って来た。

 仕丁とは、宮中の雑役を務める者のことである。

 喜怒哀楽が激しく、一人は常に泣き、一人は常に怒り、一人は常に笑っている。


 「来ました、今年も来ました!」

 掃除道具の熊手を持った仕丁が、情けない泣き顔で走って来る。

 「トラですぞ! トラでございます!」

 ちり取りを手にした仕丁が、真っ赤に怒った顔で走って来る。


 「二人だけか!

 もう一人は、どうしたのだ!」

 鮮やかな緋毛氈を敷かれた七段飾り。その中央の四段目、向かって左に構える若い随身(ずいしん)が叫んだ。

 随身とは貴人の護衛役である。

 弓矢を持ち、頭には巻纓冠(まきえいかん)を被った若い随身は、近衛少将、右大臣であった。


 「つ、つつ、捕まりました!」

 泣き顔の仕丁が答える。


 「分かった!

 お前たちは、雛壇の後ろに隠れておれ!」

 同じく四段目、向かって右に構える老いた随身が叫んだ。

 右大臣同様に弓矢を持ち、こちらは長い白髭を垂らしている。近衛中将、左大臣であった。若い右大臣より位が高い。


 仕丁二人が「ひいひい」と雛壇の裏に逃げ込むと、二人を追ってきたトラが現れた。

 細い隙間に頭を入れ、次の瞬間には、するりと通り抜けてしまう。

 立派なトラ猫である。

 トラ猫は、その口に三人目の仕丁を咥えていた。

 笑い顔の仕丁である。

 「お助けを、お助けを!」

 咥えられた仕丁は、手に箒を持ち、引きつった笑い顔で叫び続けていた。


 「おのれ!」

 右大臣が矢を放った。

 空気を切り裂き、閃光と化した矢が走る。

 しかし、トラ猫は軽やかに矢を交わした。

 かわすと同時に、下から上へ首を鋭く振って、咥えていた仕丁を雛壇目掛けて投げつけた。

 「ひゃあああああああああああああ!」

 高く宙を舞った仕丁は、悲鳴と共に雛壇の六段目に落ちた。

 六段目に並べられていた嫁入り道具、箪笥、長持、表刺袋、火鉢、針箱、鏡台、茶道具が、派手な音を立てて引っくり返る。

 そのまま仕丁は、最下段の七段目へと転げ落ち、輿入れ道具の御駕籠、重箱、牛車までも横倒しにしてしまった。

 「も、申し訳ありませぬ。申し訳ありませぬ」

 仕丁は泣き笑いの顔になって身を起こすと、必死になって雛壇を這い上がり、自分が本来いるべき五段目へ戻ろうとした。


 「戻らずともよい!

 雛壇の後ろに隠れておれ!」

 左大臣の言葉に視線を移すと、雛壇の脇から泣き顔と怒り顔の仕丁がこちらを見上げ、「こっちこっち」と手を振っている。

 笑い顔は、慌てて雛壇を降りた。


 「左大臣。

 私が、トラを左へと動かします。

 そこを射抜いてください」

 「任せよ」

 右大臣の言葉に、左大臣が応じる。

 右大臣、左大臣が弓を構えた四段目の上の段では、二人を励ますために、五人囃子が能楽の「石橋(しゃっきょう)」の演奏を始めた。

 謡(うたい)が朗々と喉を鳴らす。

 能管(のうかん)が高い音を奏で、小鼓が軽妙な音で支え、大鼓が硬い音で追い、太鼓が強弱をつけて盛り上げていく。


 「ぬん!」

 右大臣が矢を放った。

 ヒュンと飛んだ矢は、トラ猫の左肩に近いあたりに吸い込まれていく。

 ふシッ!

 トラ猫は素早く横に動いて、この矢をかわした。

 かわして移動した場所に、左大臣の放った矢が迫る。

 シッ!

 トラ猫の顔に命中するかに見えた矢が、ビシッと弾け飛んだ。

 前肢の一振りで、トラ猫は飛来する二の矢を払いのけたのだ。

 矢をかわしたトラ猫は、一気に雛壇との距離を詰める。


 「あなや!」

 「あなや!」

 「あなや!」

 それを見た、二段目にいる三人官女が悲鳴を上げた。

 官女とは宮中で貴人に仕える女性のことである。

 左右の官女の内一人は、長柄と呼ばれる柄杓に似た酒器を持ち、もう一人は、提子(ひさげ)と呼ばれる、小鍋に似た銚子を持っている。

 真ん中の官女は、島台と呼ばれる婚礼の飾り物を両手で捧げている。この真ん中の官女は既婚者であり、眉を剃り落とし、お歯黒をつけている。

 

 トラ猫が七段目の輿入れ道具を前肢で払いのけ、雛壇を登り始めた。

 「接近戦じゃ!」

 「心得たッ!」

 左大臣が叫び、右大臣が応じる。

 二人とも弓を捨てて抜刀した。

 儀式用の刀のため、刃は研がれておらず斬ることは出来ない。

 しかし、突き、叩くことは出来る。

 

 トントンとトラ猫が軽やかに雛壇を登ると、左大臣に襲い掛かった。

 「なんの!」

 トラ猫の前肢を刀で受けた左大臣だが、体重差に抗えず、仰向けに抑えつけられた。

 「させるかッ!」

 そこに右大臣が走り寄る。

 と、最上段で騒ぎが起こった。


 「帝!」

 女雛である皇后の声が響く。

 男雛である帝が、突然、美しい繧繝錦(うんげんにしき)の親王台から立ち上がったのだ。

 「そなたは、そこより動くでない!」

 皇后に鋭く告げ、最上段から降り始める。

 「皇后を守れッ!」

 二段目に降りた帝は、うろたえる女官たちに命じる。

 笏を捨て、儀仗の剣を抜いた。

 「音を絶やすなッ!」

 五人囃子に命じて、ついに三段目まで降りた。

 「余も戦うぞッ!」

 三段目を横に走り、一段下で左大臣を抑えるトラ猫に、上から斬りかかろうとする。

 

 「帝、危のうございますッ!

 ここは、我らに……」

 右大臣がそう言った時、左大臣を咥えたトラ猫が首を振った。

 「ぎゃっ!」

 投げ飛ばされた左大臣が右大臣に激突し、二人は一気に雛壇を転がり落ちた。

 「来い!」

 帝はトラ猫に対して儀仗の剣を構えたが、到底、敵いそうにはなかった。

 トラ猫のひと噛み、爪のひと振りで、あっけなく勝負はつくと思われた。

 絶体絶命である。


 と、その時、トラ猫が現れた天まで届く隙間が、一気に広がった。

 スパーーンと小気味の良い音が響く。

 「何を騒いでいるの!」

 トラ猫を叱咤する声と共に、トリが現れた。

 トリの降臨。

 三方向に分かれたトサカを持つ茶色いトリが現れたのだ。


 トラ猫の反応は早かった。

 稲妻のように動くと、大きく広がった隙間の端から、隣室へと逃走したのだ。

 「こら、トラ吉!」

 トリが声をあげた。

 いや、正確にはトリではなく、トリよりさらに上にある、大きな女性の顔が声をあげたのだ。

 

 ……天よりの救援か。

 三段目で傾いた状態になって静止した男雛は、トリを着た巨大な女性を見上げた。

 ……皆、無事か。何とか、助かったようじゃな。


 「どうしたの、お母さん」

 二階から、高校生の娘が降りて来た。

 「トラ吉が、雛人形を滅茶苦茶にしちゃったのよ」

 母親は困った顔で答える。

 「ちゃんと襖を閉めておかなかったんじゃないの?

 去年も、トラ吉が隙間から入り込んでイタズラしてたじゃん」

 「閉めたと思ったんだけどなあ」

 母親が自信なさそうに言う。


 「……ねえ、なに、そのシャツ?」

 娘が、怪訝な顔になって母親を見た。

 「いいでしょ。

 ひなまつりに合わせて着たんだよ。

 ほら、雛祭りの「雛」と、鳥の「雛」」

 母親は自分のシャツを軽く左右に引っ張って言う。

 「……あのさ、雛祭りの「雛」って、雛鳥の雛じゃなくて、小さいって言う意味の雛だよ」

 「小さい?」

 「昔、小さくてかわいいことを「ひな」とか「ひいな」って言ったんだって。

 小さくてかわいい人形で、ひいな人形、雛人形なのよ。

 それに、そのトリ? トサカがあって雛に見えないし、丸々として大きいんじゃないの?」

 「……そう?」

 「そうだよ」

 「……そっか」

 「でも、まあ、かわいいよ」

 「でしょ」

 母親は笑顔になった。


 「もう一度、飾り直すから、手伝ってね」

 「了解」

 母娘は、丁重に雛人形の飾り直しを始めた。


     おしまい

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