陽菜 〜① 陽菜と雛人形〜[短編]

古 司

政は陽菜の幸せを願う

 「せいわしはもう長くないかもしれん。婆さんが呼んでいる気がする。儂も早く婆さんに会いたい。すまんが、儂が逝った後は陽菜ひなと店のことを頼む」


 床に伏せっていたじいちゃんが、まだこんな力が残っていたのか、と驚くほどの力で俺の手を握りしめて懇願した。


「じいちゃん…。分かった。陽菜も和菓子屋も俺が生きているうちはなんとか守ってみせるよ」


 町村政まちむら せい、旧姓高橋政は小学生の時に交通事故で両親を亡くし、幼少の頃から良くして貰っていた隣家の和菓子屋『やよい庵』の老夫婦、町村のじいちゃんとばあちゃんに引き取られた。


 住まいはうち(高橋家)の方が新しく、今の店舗兼店舗よりは良いという商店会長さんたちの勧めもあって三人で元の高橋家に住んでいた。



 いつものように友達と河川敷にサッカーをしに行こうとしたある日のこと。

じいちゃんの店の前に竹ひごで編まれた籠が置いてあるのを見つけて中を覗くとおそらく生後間もない赤ちゃんが。


 慌てて家に戻って玄関で叫ぶようにじいちゃんたちを呼び、何事かと目を丸くするじいちゃんとばあちゃんを連れて外に出た。


 ばあちゃんが籠からその子を抱き上げると泣きもせずじっとばあちゃんの顔を見る。

俺も興味津々で顔を触ろうとした時、人差し指を小さな紅葉がしっかりと握りしめた。



 そしてこの子もじいちゃんたちが引き取ることになり四人での生活が始まった。


 女の子は陽菜ひなと名付けられ、どんどん成長してくるにつれて幼い可愛さから誰もが認める美しい容貌へと徐々に変化を遂げた。




 俺は高校を卒業すると、商店会長の息子さんが経営する小さな広告代理店に就職。

少しでもじいちゃんの店『やよい庵』を盛り立てようと仕事で得られた知識をフル稼働して、仕事以外の時間を使ってチラシやポスターを作って店の古くさいイメージを払拭し、和菓子は洋菓子よりもカロリーが低く太りにくい傾向があるというメリットを押し出すなど、なんとか店の売上げを向上させるための努力に勤しんだ。妹となった陽菜も学校から帰ると遊びにも行かず毎日店の手伝いをした。


 SNS戦略や贈答品用などのネット販売も始め新商品も開発するなどして、瞬間的には売上げが上がって喜んだものの、洋菓子の方が人気のあるこのご時世には抗えずネット販売の方はじわじわと伸びているものの店舗の売上げは先細りする一方だった。



「兄ちゃん、そろそろ行かないと…」


 妹の陽菜がおそるおそる声をかけてきた。


 昨年、癌が見つかって入院したばあちゃんがあっさりと亡くなってしまった。そして、めっきりと元気が無くなって痩せ細ってしまったじいちゃんまでもが体調を崩して寝込む毎日が続き、とうとう一昨日この世を去ってしまった。


 昨日は通夜の後も俺と陽菜は一晩中じいちゃんの傍を離れられず、一睡もしないまま朝を迎えた。


 陽菜の呼びかけに気を取り直してサッとシャワーだけ浴びた後、喪服に着替えて黒のネクタイを締める。


 玄関までいくとセーラー服に黒の腕章を着けた陽菜が明らかに肩を落として元気がなくポツンと座って待っていた。


「陽菜、お待たせ」


「うん」


 玄関の戸締りをして隣の店の戸締りを確認してから葬儀会社の車に乗り込む。

横に座っている陽菜の目は赤く、少し腫れているようだ。俺の知らないところで泣き続けていたのだろう。


 俺は陽菜の膝に置いている陽菜の左手をギュッと握りしめる。ほんの少し間があってからハンカチを握っていた陽菜の右手が俺の手に重ねられた。


 陽菜は知らないことだが、俺や陽菜とは一切の血の繋がりのないじいちゃんとばあちゃん。でも、両親が存命中の時からも良くしてくれて二人を亡くしてからも他人の俺を引き取ってこれまで育ててくれた。


 そして陽菜も。


 じいちゃんとばあちゃんに俺や陽菜以外には親族と呼べる人はおらず、ご近所さん、商店会長さんなどの少人数で粛々と葬儀が執り行われた。葬儀の間も火葬場から寺への移動中も陽菜の間には何の会話が交わされることもなかった。


 精進落としが終わり参列して下さった皆さんが去ったあと、家に帰って灯明をともし、線香をあげてじいちゃんの冥福を祈る。


「ばあちゃん、じいちゃんがそっちに行ったよ。そっちでも仲良くしてね」


 じいちゃんの冥福を祈った後、ばあちゃんの写真にそう言ってから立ち上がり、喪服を着替えに部屋に戻った。


 机の上に置きっぱなしになっていたスマホを確認すると会社のスタッフさんたちからの弔いのRINEが入っていたほか、直属の上司からは忌引き休暇の他に有休にしておくからしばらく休めと連絡が来ていた。


 ふとカレンダーに目をやると2月28日。ずっとじいちゃんの容態が思わしくなかったので出すのを失念していたが一夜飾りにならないように今日のうちに飾らなければいけないことに気がついた。


 着替え終わって店舗の方に移動して押し入れから雛人形を取り出して店舗スペースへと持っていく。


 ばあちゃんが生前の頃、陽菜の為にと買ってきて大事にしてきた雛人形。

ばあちゃんは何よりも『ひな祭り』と陽菜を引き取った3月3日の陽菜の誕生日を大事にしてきた。


 天井から飾りを垂らし人工の桃の木を立て、金屏風を取り出したものの…。

金屏風は立てる気にはならずお内裏様とお雛様を並べる。


 雛人形を収納していた空箱を押し入れに戻して、もう1つの箱を取り出して引き戸を閉じる。箱を抱えて店舗から出て戸締りをしようとしているところに陽菜がやってきた。


「兄ちゃん何してるの?」


「ん? お店に雛人形を飾ってたんだ。家の方にも飾らなきゃ。陽菜にとっては一年に一回の大切な行事だ」


「でも…おじいちゃんが亡くなったのに。私は今年くらいは飾らなくてもいい」


 不幸があったのに雛人形を飾るのは気が引けるのだろう。しかし俺は陽菜の言葉は遮って、家に戻ってリビングに雛人形を飾り始める。


「陽菜、確かに喪中や忌中の間はじいちゃんの冥福を静かに祈ってお祝い事を控えた方がいい。でも、『ひな祭り』は普通の行事であってお祝い事ではないんだ。たまたま陽菜の誕生日と重なっていたからこれまではお祝いも兼ねていたけれど。でも俺は喪があけてもじいちゃんはもちろんばあちゃんの冥福はずっと祈るつもりだし、俺は陽菜がこれからも健やかに生活を送って欲しい、陽菜の幸せを願いたい。だから飾るんだ」


 陽菜の目に涙が溜まり始めた。


「じいちゃんとばあちゃんが亡くなってしまってこの世に陽菜の家族は俺だけになってしまった。陽菜にはこれから高校を卒業して、大学に通って社会人になって、素敵な人と結婚して可愛い子供を産んで幸せな日々を過ごして欲しい。陽菜がこの家を出て俺と離れ離れになったとしても俺は陽菜のことを忘れずに毎年このお雛様を飾って陽菜の誕生日を過ごすよ」


 陽菜の目から涙がこぼれ落ちる。


「なんの取り柄もない不甲斐ない兄貴だけどそれくらいは約束出来るから」


「兄ちゃんじゃない」


「え?」


「兄ちゃんは表向きは陽菜の兄ちゃんだけど本当の兄じゃない。血が繋がってない。おじいちゃんともおばあちゃんとも」


 僕はその言葉を聞いて血の気がサッと引く思いがして顔面が蒼白になった。


「陽菜、いつからそのことを…」


「おばあちゃんが病に伏せって入院してから看病に行ってた時におばあちゃんから教えて貰った。修学旅行のパスポートを取った時に戸籍謄本を見て養子だとわかって、おばあちゃん全て聞いた。兄ちゃんも隣の家の子だったし私もお店の前に捨てられてて兄ちゃんが見つけたって」


 今までもこれからも一生隠し通すつもりだったこと。こういう時は何を言えばいいんだろうか。言葉が一つとして浮かんでこない。


「陽菜と兄ちゃんは血が繋がってない。本当の兄ちゃんじゃない。でもずっと陽菜にとっては大切な家族。陽菜はこの先、他の誰とも結婚するつもりはないし、兄ちゃんとずっと一緒に生きていく。ダメかな?」


「いやいや、ダメというか、それでいいのか? 俺は今の広告代理店の仕事を辞めて、じいちゃんが遺してくれたあの潰れそうな和菓子屋をなんとか細々とやっていくつもりだ。でも陽菜はそんなことに巻き込まれなくていいんだ。その明晰な頭脳と誰もが羨む器量の良さが陽菜にはあるんだから何にだってなれる。この先きっといい人と出会って幸せな生活が送れると思うよ?」


 俺は箱からお雛様を出す手をとめて陽菜の方に向いて座り直す。


「陽菜にとって、兄ちゃんとおじいちゃん、おばあちゃん以上の出会いはないよ。この先兄ちゃん以上の良い人も絶対にいない。陽菜はずっと前から兄ちゃんのことが好きだったんだ。戸籍を見ておばあちゃんに聞いた時にすごくしっくりきた。陽菜の抱いていたこの感情は兄弟の愛情ではなくて、一人の男の人に思う唯一の感情だってことが」


「陽菜…俺のことが好きなのか?」


「うん。好き、愛してる。離れたくない。兄ちゃんは陽菜のこと好きじゃない?」


 俺は返事をする代わりにそっと陽菜に口づけをした。


「好きに決まってるだろ。俺もずっと陽菜のことが好きだったんだ。でも、血は繋がっていないとはいえ一応兄貴だ。じいちゃんにも陽菜のことは任されたし俺の想いはずっと隠し続けるつもりだったのに…」


 今度は陽菜が俺に唇を重ねてきた。


「いいのか?」


 コクリと頷く陽菜。


「分かった。二人でじいちゃんとばあちゃんの『やよい庵』を守っていこう。今年は誕生日のお祝いは出来ないけれど、来年も再来年もずっとお雛様を飾って陽菜の誕生日を二人で祝おう」


「やだ」


「え?」


「二人じゃなくて…兄ちゃんと陽菜の子供とみんなで祝って欲しい」


 少し恥ずかしかったのか、そう言うと箱の中からお雛様を取り出してお内裏様の横にちょんと置く陽菜。


 天国のじいちゃん、ばあちゃん。俺を引き取って育ててくれてありがとう。陽菜を引き取って育ててくれてありがとう。

じいちゃんたちの残してくれた店とこの雛人形は、ずっと俺が守っていくよ。陽菜を一生大事に守っていくように。

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