ヒトガタナガシ

佐倉みづき

 夫の転勤をきっかけに、彼の実家に住むことになった。小学校教師である夫の転勤先は実家から通う方が近く、また私も自然豊かな土地で娘を育てたいと考えていたため、反対することはなかった。

 義理の実家で暮らすとなると嫁姑問題が不安視されがちだが、幸いにも我が家は良好な関係を築けている、と自負している。お義母かあさんもお義父とうさんも、まだまだ至らない嫁である私をいびることなく実の娘のように優しく、時には厳しく見守ってくれている。

 また、田舎というと良くも悪くも全てが筒抜けかつオープンな人間関係に悩まされる人も多いが、義実家のある村では過疎化政策の一環として、移住者を募集していた。私達のように豊かな自然に憧れて都心から移住した人も多いため、田舎特有のプライバシー問題も配慮されている。

 そんな、なかなか快適な田舎ライフを送り、そろそろ一年の月日が過ぎようとしていた今日は三月三日、桃の節句のひな祭り。娘を持つ家庭にとってはビッグイベントだ。娘は今年五歳になる。健やかな成長のためにもお祝いは欠かせない。

 今年は更に特別だった。ひな祭りを前に、娘は祖父母に大きな雛人形を買ってもらったのだ。今まで住んでいたマンションは手狭で小さな雛人形しか飾れなかったが、引越した先の義実家は田舎の立派な日本家屋。飾るには充分なスペースがある。いつかテレビで見かけた、古民家に飾られた豪華な雛人形に憧れていたんだろう。

 居間から続く和室に真新しい雛人形を飾って、娘は上機嫌だった。義母と私が腕によりをかけて作ったちらし寿司を食べて、ひな祭りのお歌を歌ってはしゃいでいた。私も夫も義理の両親も、そんな娘を愛おしく思いながら見ていた。

「ちょっと早いけど、お雛様仕舞っちゃおうか」

 寝る前に、私は雛人形の側から離れない娘に声をかけた。娘は抗議の声を上げた。

「なんでー、もっとおひなさま見てたい」

「気持ちは解るけど、また来年飾ればいいでしょ? それに、お雛様を早く仕舞わないと、お嫁さんに行けなくなっちゃうんだよ?」

「いやー! およめさんになりたい!」

 そんな微笑ましいやり取りを経て、娘と一緒に人形を箱に仕舞っていた時だ。

「アンタら、何やっとんの!」

 和室に顔を覗かせた義母が、血相を変えて声を荒げた。今までに見たことがない義母の様子に、私は戸惑った。

「え……雛人形の片づけ、ですけど……」

「仕舞っちゃいかん!」

 そのあまりの剣幕に驚いたのか、娘は火がついたように泣き出した。私は慌てて娘を宥めた。結局、片づけどころではなくなり、そのまま娘を寝かしつけることにした。

 娘が寝てしまった後、私は雛人形はそのままに義母に訊ねた。

「あの……どうして雛人形を仕舞ってはいけないんですか? 私が子供の頃は、早く仕舞わないとお嫁に行きそびれる、なんて言われていたんですけど……」

 だから私も娘に早く片づけるよう言ったのだ。結婚だけが女の幸せだと凝り固まった価値観を娘に押しつけるつもりはないが、できることなら娘の花嫁姿は拝んでみたい。それは義母も同じ気持ちであるはずだ。

「他所さんだとそう言われてるみたいだけどね。ここいらでは逆だよ。雛人形を早く仕舞うとね、んだ」

 神妙な面持ちの義母は、村に伝わる謂れを語って聞かせてくれた。

 近くの川に住まう龍神様は気性が荒く、近隣住民達は毎年生贄を捧げて機嫌を取っていたそうだ。その生贄に選ばれたのは、年端もいかない子供だった。

 七歳までは神の子、なんて言われる。そのために、昔は口減らしも兼ねて子供を捧げていたらしい。そうして人々は平穏を保っていたが、時を経るにつれ流石に倫理にもとると気づいたのか、代わりに人形を捧げることにしたようだ。

 人形は元来、人間の身代わりだ。流し雛という風習では子供の厄や穢れを人形ひとがたに移し、川に流して無病息災を願っていた。それが今のひな祭りのルーツだとも言われている。

 少しずつ信仰が薄れていったある年、一人の女の子が行方不明となった。女の子は七歳に満たない幼い子だった。住民達は生贄代わりの人形を龍神様に捧げるのを忘れていたことに気づいた。その後、女の子は川に浮かんだ姿で見つかったそうだ。

「あの子は皆の身代わりで龍神様に貰われちまったんだ」

 人々は、そう囁き合った。

 それ以来、特に七歳未満の女の子がいる家庭では雛人形を早く仕舞うのはタブーとされた。流し雛を元とする雛人形は、持ち主に降りかかる厄を代わりに受けてくれる。そのため、身代わり――形代かたしろである雛人形を早くに仕舞ってしまうと、先の女の子のように生贄を求める龍神に連れて行かれてしまうと信じられた。

 話を聞き終えた私は、恐ろしいところに来てしまったのだと遅まきながら実感した。けれど、ここの生活にすっかり慣れてしまった以上、引っ越したいとは思わない。娘が大きくなるまで一年に一度、気をつければいいだけだ。

 後日、夫の学校に通う一年生の女子生徒が行方不明になったと耳にした。私はすぐに原因に思い至った。

 その女の子の家では、雛人形をすぐに仕舞ってしまったんだ。きっと私のように他所から移住して来て、この地に住まう龍神の伝承を知らなかったんだろう。可哀想に、と他人事のように考えてから、もし義母に止められなければ娘も同じ目に遭っていたのだ、と恐ろしくなった。

 女の子は行方がわからなくなってから数日後、変わり果てた姿で川に浮かんでいるのが見つかったと聞いた。

 娘の代わりに厄を背負って龍神に魅入られた少女。まるで流し雛みたいだ、と思った。

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