アンティキティラの渡り鳥

黒猫夜

歯車は星を指す

 【アンティキティラ島の機械】と呼ばれるオーパーツがある。


 それは、エーゲ海、渡り鳥の寄留地としても知られるアンティキティラ島、その沖の沈没船から発見された古代ギリシア時代の遺物である。それは精緻な歯車の組み合わせで星々の運行を正確に表す携帯型ので、日食や月食を正確に予想しうるだけにとどまらず、当時は存在しなかったうるう年の概念まで存在していたという。


 これは、それに魅了された祖父の話である。


 祖父はひとかどの研究者であったらしい。

 ――「らしい」というのは、当時、私が子供であり、祖父の立派さを理解するには幼すぎたせいである。

 とにかく、祖父は研究者であり、それ以上に、【アンティキティラ島の機械】に魅せられた耽学者たんがくしゃであった。


 祖父はある時、【アンティキティラ島の機械】を調査する機会に恵まれた。そして、その時に得られた寸法や材質、その他の情報から、私的に【レプリカ】と呼べるものを作り出した。それがどれほど精巧に作られていたのかは今となってはわからない。とにかく、祖父はそれを持って【アンティキラ島の機械】の展示を訪れ、【レプリカ】を動かしてその日の星の動きを確認しては、太古から変わるものと変わらないものの間にその身を揺蕩わせていた。


 そんな祖父の奇矯な「お百度」参りが「お千度」になりそうなころ、【アンティキティラ島の機械】の展示の前でそれをじっと見つめる青年がいた。その青年は機械をずっと見つめたまま、落涙していた。祖父の生きた時代である。公衆の面前で大の大人がこのように泣くことなどなかなかない。博物館の職員も声をかけるべきかと逡巡していた。これはただならぬこと、祖父は青年に近づいた。


 祖父は青年に呼びかけた。


 どうしたのだ。あれは素晴らしい機械だと思う。神秘的な遺物であるとも思う。オレもアレを作った人が何者であるか、どうしてアレを作ったのか。それに思いを馳せると心を動かさずにはいられない。だが、それにしても、キミのその姿は尋常ではない。よければ事情を聞かせてもらえないだろうか。


 祖父の話を聞いて、青年はさらに涙をこぼして、肩を震わせた。あたりに人が集まってくる。祖父はやむなく場所を変えると、しゃくりあげる青年を座らせ、水を飲ませてやった。しばらくすると、青年は祖父に感謝を伝えると、ようやく落ち着いた様子で話し始めた。その話は非常に壮大なロマンスであったそうだが、かいつまむと青年の話はこうであった。


 自分は地球から遠く離れた星から来た異星人である。

 昔、調査員として一度地球に調査に来た折、現地の人間と恋に落ちた。

 そのことが禁忌に触れ、自分は母星に戻らねばならなくなった。

 その時に彼が作ったのが【アンティキティラ島の機械】である。

 その機械は歯車を回すことでビーコンのような信号を出す。

 調査員ではなくなった自分が再びこの星に来るために、それを恋人に渡した。


 そこまで聞いて、祖父は青年が自分をからかっているのかとも疑ったが、これほどまでに真剣に話す青年が嘘をついているようには見えない。祖父は青年に聞いた。


 それでは、あの機械の反応を辿ってキミは地球に再び来たのか。


 青年は肯定した。母星に戻ってすぐ彼は拘束され、解放されたのはしばらくたった後のことであったそうである。頼みの綱の【アンティキティラ島の機械】の反応もなく、失意の底で長い時を過ごしていた。だが、最近、あの機械の反応を再び観測できるようになり、矢も楯もたまらず、再び地球にやってきたのだという。


 だがしかし、地球では二千年以上もの歳月が過ぎていた。その時間を生きられる地球上の人間はいない。それで、青年はあの展示の前で失った恋人と歳月に涙を流していたのだ。


 それは特殊相対性理論によって予見された現象であった。いわゆる「ウラシマ効果」。簡単に言えば、高速で移動する物体においては、時間がゆっくりと流れる。その時間のずれが青年と恋人を引き裂いていた。


 だが、恒星間移動を成し遂げた文明の人間が知らないはずはない。祖父はそう思ったが、あえて口にはしなかった。青年にもそれはわかっていただろうからである。それでも足を運ばねばならない。そういうことは私も経験がある。


 しかし、である。あの機械がアンティキティラ島の沖に沈んだのはユリウス・カエサルの時代、紀元前100年ごろの話である。あの機械が作られたのは紀元前3世紀ごろ。彼の話が本当であれば、機械の反応が「最近」再び観測できるようになったというのは妙ではないか。【アンティキティラ島の機械】は彼が母星に戻って――いや、おそらくはその途上の――300年もたたない間に、とうに海底で朽ちていたのである。


 祖父は、はたと気づくと、カバンから【レプリカ】を取り出して、彼に見せた。【レプリカ】の歯車を回すと、青年の胸から光が伸び、【レプリカ】へと向かっていく。驚く二人。青年は徐にゆっくりと胸元からペンダントを取り出した。これが【アンティキティラ島の機械】の出す信号の受信機なのだった。祖父が精巧に拵えた【レプリカ】は本物と同じ信号を出していたのだ。


 祖父は謝罪した。趣味でこしらえた【レプリカ】で無駄骨を折らせてしまった。大変な手間を取らせてしまった。キミと恋人との思い出を汚してしまったかもしれない。


 青年はそれを憚った。そもそもの発端として禁を犯した自分が悪いのである。未練がましく過去へととらわれている自分が悪いのである。むしろ、自分が恋人のために残したものを、ここまで愛し、復元してくれたことに自分は大きな恩義を感じているのである。


 青年が笑顔で差し出した手を、祖父はおずおずと取った。そして、二人は固く握手を交わした。


 祖父は青年に尋ねた。これからどうするのかと。


 青年は答えた。もはや、地球に思い残すことはない。この星の古い恋人と新しい友人との思い出を胸に母星へと帰り、まっとうに生きると。


 それであればと、祖父は【レプリカ】を手渡した。この青年が前を向いて進むのであれば、ここへと帰ってくる必要はない。そうすべきだと祖父は思ったのだ。


 青年は快く【レプリカ】を受け取ると、祖父の前から姿を消し、二度と現れることはなかった。


 あの青年は今、この宇宙のどこか遠いところで、母星へと向かっているだろうか。祖父はそう言って目を細めていた。





 「そろそろ地球も見納めだよー? 見とかなくていーの? マイナ??」


 「憂鬱になるだけだからいい……」


 「てか、何読んでるの? 古文書???」


 「おじいちゃんのおじいちゃんのおじいちゃんの手記。こら、覗くな」


 「ぎゃ~~~~~(低音)」


 あたし、マイナ=スターリングは、頭を突き合わせるようにして覗き込んできた同僚、ホイムブレムを手で払った。作用と反作用。あたしとホイムブレムはほぼ同じ速度で遠ざかっていく。わざとらしく叫ぶ声が低く聞こえるのはドップラー効果……っぽい効果を狙っているのだろうか。彼女の中であたしと彼女の相対速度は音速の何パーセントにあたるのだろう。


 あたしは、ぼろぼろの手帳を壁面のネットに収納した。ちょうど腕時計のアラームが鳴る。


 「お、いつもの?」


 「うん」


 ホイムブレムがふわりと顔を出す。あたしは胸元からペンダントを取り出した。古ぼけた、それでいて不思議な光沢を放つペンダント。おじいちゃんのおじいちゃんのおじいちゃんのおじいちゃんの形見である。


 少しの間。その後、ペンダントは強く輝き、扉の一点を指し示した。その先には私たちの乗る宇宙船のコクピットがあり、さらにその先には無限の宇宙が広がっている。


 おじいちゃんの(中略)手記には少し続きがある。


 祖父は青年に【レプリカ】を渡したが、代わりに青年からペンダントを受け取っていた。【アンティキティラ島の機械】、その信号の受信機である。このペンダントは、どういうわけか光速度を超えて【アンティキティラ島の機械】、いや、祖父が青年に送った【レプリカ】の位置を指し示す。一定の時間ごとに、明らかに人が操作しているであろう揺らぎをもって。


 「マイナのご先祖様のオトモダチはボクらのことを受け入れてくれるかな~」


 「まずはたどり着けるかを心配して。ホイムブレム」


 あたしは船尾に向かうカメラを見た。地球が小さく見える。かつてソ連の宇宙飛行士ユーリ=ガガーリンによって「青かった」と語られたあたしたちの生まれ故郷。だが、今や舞いあげられた粉塵で赤く濁り見る影もない。あたしたちは渡り鳥だ。住めなくなった地球を捨てて、新天地を求めて旅立とうとしている。


 あたしはペンダントを手で包み込む。あふれる光があたしの掌の温度をわずかに上昇させて、冷たい宇宙を渡る勇気をくれる。


 なぜならそれは、この光の先に誰かがいるということだから。


 【アンティキティラ島の機械】の歯車を回して


 はるかな地球に思いを馳せて


 この広い宇宙で灯台の火を守り続けている


 誰かが。



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