レイン
つむぎとおじさん
全1話
1
「今日も晴れかよ……」
秋晴れで雲ひとつない空。馬場は乾いて硬く、スピード型の馬が圧倒的に有利だ。波礼は溜息をつき、手元の競馬新聞に目を落とした。
来週はいよいよG1レースの皐月賞。彼の視線は「ドロヌマジュクジョ」と呼ばれる馬の名前に釘付けだった。“泥沼熟女”。晴れた日はまったく冴えないが、雨でどろどろの不良馬場になると水を得た魚のような走りを見せる変わり者だ。
「天気をあやつれたら、一発逆転できるのにな……」
そうつぶやいた瞬間、突然むかしの記憶が頭をよぎった。
「姿を現すだけで雨を降らせる『雨女』が北海道の奥地に住んでいる」
子どものころに聞いたことがあった。波礼は北海道出身である。
一般人なら笑って終わる話だが、ギャンブル好きは非科学的な噂でも信じる。ワラにもすがりたい気持ちがそうさせるのだろう。
波礼は半年かけて調べ上げ、その“雨女”が北海道の奥地に住むことを突き止めたのである。
2
彼女の名は
北海道の山奥、十数軒しかない集落に暮らす女性だった。
江戸時代から続く“雨女”の家系で、彼女が家の外に出ると必ず雨が降る。家自体は特殊な祈祷をほどこしたヒノキを使って建てられており、そこにいる限りは能力が封印されるという。
古くから天森家の娘たちは雨乞いのために村々を巡っていたが、雨が強すぎて洪水を引き起こし、かえって恨まれることもあったらしい。美雨もその能力のせいで学校に通えず、今は自宅にこもりインターネットで校正の仕事をしているという。
波礼は民俗学を研究する編集者だと身分を偽り、彼女に接触した。初めて訪れたとき、空は青空。門の前に立つ彼女は都会の女性とは違う、不思議な雰囲気をまとっていた。
「私に何のご用でしょうか?」
穏やかながら警戒する口調に、波礼は率直に答える。
「あなたの“雨を呼ぶ力”について調査をしたいのです」
美雨は驚いた様子で沈黙したものの、やがて小さく頷き、「お茶でもいかがですか」と家に招き入れた。
3
美雨の家の中は時が止まったかのように静かで、古い家具や調度品がずらりと並ぶ。
「ここを出れば、私の周りでは必ず雨が降ります」
彼女は淡々と語った。小学校に通ったのは一週間だけ。大雨で授業にならず、周囲から疎まれたという話だ。
その姿を見ているうちに、波礼は後ろめたさを感じ始めた。本来の目的は、彼女の力を利用して不良馬場を作り、ドロヌマジュクジョに全財産を賭けること。しかし彼女の境遇を知るほどに、罪悪感がつのる。
「いちど東京に遊びにきませんか?」波礼は誘った。
窓の外を見つめながら、美雨はぽつりと言う。
「夢では何度も見ました。雨を降らせない“普通のOL”として過ごしている姿を」
波礼は身を乗り出した。
「ちょうど来週、大きなレー……レクチャーがあります。研究の一環として、ぜひ同行していただきたいんです」
彼女は驚いたように顔を上げた。
「でも、私が外に出れば……」
「それこそ研究になるじゃないですか。あなたの力が世間に知られれば、古来からの雨乞い文化が見直されるきっかけになるかもしれません」
嘘八百を並べたてながらも、心の疼きを感じる波礼であった。
4
波礼はヘリコプターをチャーターして美雨を東京へ運ぶ計画だった。
彼の部屋では競馬関連のサイトが開かれたパソコンと、雨天時の馬場状態のデータが散らばっていた。
その夜、美雨からの電話があった。
「波礼さん、明日の件ですが、やはり不安です」
「どうしてですか?」
「父から、家系の言い伝えを改めて聞きました。昔、私の先祖が伊勢湾の大嵐を起こしてしまい、多くの漁師が亡くなったそうです。それ以来、家から出ないよう言い伝えられてきたと…」
波礼は焦った。計画が頓挫するかもしれない。
「美雨さん、大丈夫ですよ。今は昔と違って気象予報もありますし、災害対策も進んでいます。それに東京なら、少し雨が降っても問題ないでしょう」
「でも……」
「研究のためにも、ぜひお願いします。特別な能力を持つあなたの生き方を記録することは、民俗学的にも貴重な資料になるはずです」
美雨は少し間を置いてから、小さな声で答えた。
「分かりました。試してみます」
しかし翌朝、波礼の自宅に届いた荷物の中に、彼が競馬場で書いたメモが混ざっていた。
『雨女を利用→泥濘馬場→泥沼の貴公子に全財産→大勝利』
慌てて美雨に電話をかけると、彼女は既にメモを見つけていた。
「波礼さん、あなたの本当の目的を知りました。私を利用したんですね」
「最初はそうでした。でも今は──」
「もう私にかかわらないでください。さようなら」
電話は切れ、何度かけ直しても出てくれない。
その夜、美雨の悲しみは北海道だけでなく日本全土を覆うほどの雨を降らせた。
レース当日、中山競馬場は厚い雨雲におおわれた。
馬場状態はもちろん“不良”である。
ドロヌマジュクジョの単勝オッズは5.3倍。波礼は馬券を買っていたが、もはや勝っても負けても喜びはなかった。
レースは3番人気のバリティビッツが優勝。ドロヌマジュクジョは2着に食い込んだ。
波礼は馬券を的中させたものの、収支はトントンに終わった。当初の計画通りに行っていれば大金を手にできたはずだったが、そんなことはどうでもよくなっていた。
美雨さんを傷つけてしまった──。波礼は馬券を破り捨て、帰り道で雨に打たれながら歩いた。
5
一ヶ月後、北海道の山間部で大規模な森林火災が発生した。火は急速に広がり、消防隊だけでは手に負えない状況になっていた。
テレビのニュースは連日その状況を伝え、特別番組まで組まれた。
「北海道支笏湖近くの山火事は5日目に入りました。自衛隊も出動していますが、鎮火のめどは立っていません。今朝には、地元住民からある奇妙な言い伝えが注目されています。この地域には“雨を呼ぶ女性”がいるという古くからの伝説があり、地元の古老たちはその女性を探すよう訴えています」
波礼はテレビに釘付けになった。
「取材班が地元の天森家を訪ねましたが、住人は不在とのことです。地元では“雨女”と呼ばれる女性が本当に存在するのか、また彼女の力で火災を鎮められるのか、注目が集まっています」
数時間後、別のニュースが流れてきた。
「速報です。北海道の山火事現場に、地元出身の天森美雨さんが自ら志願して現れました。彼女が現れるとともに、不思議なことに雨が降り始めたといいます」
カメラは消防隊に囲まれた巫女姿の美雨を映していた。彼女が山の斜面に立ち、両手を天に向かって差し出すと、見る見るうちに空は黒雲に覆われ、豪雨が降り始めた。
「この突然の雨により、火の勢いは急速に弱まっています。まるで奇跡のような光景です」
波礼は衝撃を受けた。美雨が公の場に現れ、自らの力を使っている。人々を救うために。
翌日、美雨の姿はテレビの特集番組でも取り上げられた。
「天森さんのおかげで山火事は完全に鎮火しました。地元の方々は彼女を“奇跡の雨女”と呼び、感謝しています」
インタビューに答える美雨の表情は、波礼が知っていた彼女とは別人のようだった。自信に満ち、晴れやかな笑顔を見せている。
「私の力が人の役に立つなら…これからも必要とされるところに行きたいと思います」
その言葉を聞いて、波礼は決意した。
6
それから半年が過ぎた。
波礼は人生を見つめ直し、自分を鍛え直すために国際ボランティア団体に入り、アフリカのマリで水不足に苦しむ村々を巡っていた。
朝から晩まで天秤棒を担いで水を運び、井戸を掘り、灌漑設備を整える。かつてギャンブルに狂っていた自分が、こんな生活をするとは想像もしていなかった。
ある日、波礼が水甕を担いで歩いていると、集落の子供たちが騒ぎ始めた。
「空が変だ!」
「雲が出てきた!」
乾季のまっただ中、空には黒い雲が広がりつつあった。
「雨が降るぞ!」古老が叫ぶ。
最初は小さな雫だったが、すぐに本格的な雨となり、乾いた大地を潤し始めた。村人たちは喜びの声を上げ、踊り始める。
「奇跡だ!」「神の恵みだ!」
波礼は呆然と空を見上げていた。そして遠くに一つの人影が見えた。
誰かが村に向かって歩いてくる。
近づくにつれて、その姿がはっきりしてきた。
「美雨さん……どうして?」
美雨は波礼の前に立ち、微笑んだ。雨が二人の間に降り続けている。
「わたしだって助けたい気持ちはあるんです。いつもネットで情報を集めていました。そしたらボランティアの活動報告動画にあなたの姿が映っていて…」
波礼は言葉に詰まった。
「あの日以来ずっと、申し訳なく思っていました。あなたを利用しようとして…」
「わかっています。だからこそ、あなたが本当に変わったのかどうか、この目で確かめたかったんです」
「美雨さん、僕はもう昔の自分じゃないんです。人の役に立ちたいと思って…」
「見ていました。村人たちのために一生懸命に働くあなたの姿を」
雨は二人の周りで優しく降り続けていた。村人たちは遠巻きに二人を見守り、中には美雨に向かって手を合わせる者もいた。
「美雨さん、これからどうするつもりですか?」
「わたしはこれからも雨が必要な場所へ行くつもりです。北海道の山火事以来、政府やNGOから依頼が来るようになりました。もう隠れて生きるのはやめようと決めたんです」
波礼は深く頷いた。
「素晴らしいですね。あなたの力が世界の役に立つんだ」
「波礼さんは?」
「僕はここで水を運び続けるつもりです。自分にできることをやって、少しでも役に立ちたくて」
美雨は波礼の目をじっと見つめた。
「もしよければいっしょに活動しませんか? わたしが雨を降らせてもその場かぎりです。生活に根付かせるための設備や知識が必要なんです。波礼さんのような経験者がいてくれれば……」
波礼の目に涙が浮かんだ。それは雨のしずくと混ざり合った。
「本当にいいんですか?僕のようなやつと…」
「はい。人は変われるんです。わたしもそうでした」
7
それから一年、二人は世界の干ばつ地域を巡った。美雨が雨を降らせ、波礼がその水を有効活用するための仕組みを作る。完璧なコンビだった。
国連は彼らの活動を「サステナブル・レイン・プロジェクト」と名付け、公式に支援することを決定した。美雨の能力は科学的に説明できないものの、その効果は実証済みだった。
美雨の能力にも変化が生まれはじめた。完全には制御できないが、感情の状態で雨の強弱が変わるようになった。幸せで満ち足りた気持ちのときには優しい雨、悲しみに囚われると激しい雨になる。それを理解した波礼は、つねに彼女が穏やかでいられるよう気を配った。
二人の評判は広がり、「雨の天使と水の職人」と呼ばれるようになった。
8
さらに一年が過ぎ、波礼と美雨は愛し合うようになっていた。
「結婚してくれないか」と波礼が申し込むと、美雨は迷わず頷いた。
式は北海道の彼女の生家で挙げた。不思議なことに、その日は驚くほどの晴天に恵まれた。
「雨女の呪い、解けたんですかね?」と美雨が笑う。
「君が自分の力を受け入れ、周りも理解してくれたからさ」と波礼は応じた。
二人はプロジェクトで得た資金の一部で競走馬を購入することにした。「雨女の呪いを祝福に変えた象徴」として、その馬にレインという名を付けた。レインの母親がドロヌマジュクジョであることは言うまでもない。
レインは期待以上の才能を発揮し、特に雨の日は手がつけられないほど強かった。デビューから二年でジャパンカップに出走するまでになる。
9
ジャパンカップ当日、東京競馬場には薄い雨雲がかかっていた。
「ちょうどいい雨雲ね」美雨は波礼の手を握る。
「レインにとって最高のコンディションだ」と波礼も微笑んだ。
レースがスタートし、レインは中団から最後の直線で一気に伸びる。ちょうどそのタイミングで雨が強くなる。
「レイン、外から伸びてきたー!」場内アナウンスが熱狂に包まれた。
レインは見事に先頭を奪い、優勝をかざった。
表彰式の場で美雨が満面の笑みを浮かべると、急に雲間から光が差し込み、雨が止み、鮮やかな虹がかかった。
「美雨……これは……」レインの手綱を取っている波礼が驚いて美雨を見る。
「わたし、晴れと雨を同時に呼べるようになったみたい」彼女は眩しそうに空を見上げる。
虹の下、観客は拍手と歓声を上げ、テレビカメラもこぞってその奇跡を捉えようとしている。
かつて呪いだと思われていた力が祝福に変わる瞬間だった。
「次はどこに行く?」美雨が尋ねると、波礼は笑って答えた。
「君が行きたい場所へ。地の果てまでもついていくよ」
空に懸かる七色の虹が、二人を優しく照らしていた。
(終わり)
レイン つむぎとおじさん @totonon
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