第2話 赤き瞳の暗殺者 ②
犯人を警官の詰め寄り所にまで護送し、身元確認や犯行動機、そして「あの手慣れた感じからして、どうせ初犯じゃないだろう」とつつきながらの軽い余罪追求。報告の書類の束を揚々とまとめて、南区本署からやってきた刑事たちに犯人を引き渡す。本格的な取り調べは彼らに任せて、僕は仕事を切り上げ、既に暗闇と静寂に溶け込んでいた街に出た。
「結局こんな時間か。今日は定時に上がれると思っていたのは、僕の浅はかだったな」
合帽子と上着を脱いだ状態に青色のジャケットを羽織っていた僕は、夜の冷えた外気を確かめるべく、鼻先を小気味よく二度鳴らす。限りあるガス灯の明かりを頼りに、すっかり人影の消え失せた寂しい街並みを歩いた。警官として所持するように定められた懐中時計の時刻を確かめれば、短針は九の数字を指していた。
夏が近いといえど、春の夜は存外寒い。アロン山脈より乾いた風が吹くフェスタリサは湿度が低く、当然、熱を貯める水分が少ない以上、夜はどうしても不必要なほどに寒くなる。温かい食事を無性に求めた僕の胃袋に施しを与えるため、僕は、知り合いの経営する酒場に転がり込んだ。
「あ! やっぱりクリオだ! 今日は遅かったね!」
山部に見られるロッジのように、丸太や角材によって建てられた店先。店に入るための小さな階段を上った直後に、古びた両開きのドアが開け放たれ、中から少女が顔を出した。
彼女の歳は、僕と同じく今年で十七歳。情熱の色を宿した緋色の髪が目を引くが、本人は至ってあどけない顔をしている年相応の女の子だ。彼女は人懐っこい亜麻色の瞳を優しく瞬きさせると、身に付けていた酒場の制服である、乳白色のエプロンと焦茶色のロングスカートの端々を軽快に弾ませながら、僕を酒場の中に手招いた。
「やっぱりって、なんでルージュは僕が来たってわかったんだ?」
「ん、なんとなく。他の人たちはわりとドカドカと上がり込んでくるけど、クリオの足音は控えめというか、自分が来たことを誰かに知られたくないような歩き方をするから」
「そりゃあ警官の仕事で犯人の尾行とかするからさ。そういう癖にしておかないと」
「へぇ、クリオも立派になったね。警官になりたての頃は、『この仕事が身に付くか不安だ。一年も持たずに僕は辞めるかもしれない』って、毎日ウチの店で愚痴ってたのに」
「……さあ、そんなこと言ったかな?」
通過儀礼的に彼女と会話を交わす。
彼女──ルージュ・アニムと僕は、二年ほど前に出会った。当時、覚悟して入った警官の訓練学校の、その覚悟を一段階飛ばす強烈なしごきに精神を疲弊させていた僕は、気分展開に入ったこの酒場で彼女と初めて顔を合わせた。ルージュが僕と同い歳であることを知り、彼女もまた独り身であることを知った僕は、彼女に親近感を覚えた。ルージュ自身も年上ばかりの職場に飽きていたのか、僕たちはよく言葉を交わすようになった。たまに酔った常連客に、「彼女に惚れてんのか?」と茶化される事もあるが、僕は決まって曖昧な笑みでごまかしている。僕自身にそんな感情があるのかは不明で、どちらかというと兄妹のような感覚が近いのかもしれない。ルージュの方は僕を弟のように捉えている節があるので、どちらもどちらといった間柄になっていた。
一辺が三十メートルほどもある広めの店内には、木板を継ぎ合わせて作った食卓が等間隔の配置で並んでいる。一つ辺り十人ほど座れるその食卓は合計で八つあり、既にそのほとんどを先客が占拠していた。先客の多くは肉体労働に従事している体付きの良い男衆ばかりだ。彼らはこんがりと日に焼けた分厚い顔に酒の陽気を貼り付かせ、遠慮の欠片も無い大声で、時には大きな身振り手振りで、本日最後の成果と、がむしゃらに騒ぎ立てている。
僕はその熱気を避けるように、店の奥にある個人客向けのカウンター席に座った。卓の上に止まっていた小さな羽虫が僕に驚き、屋根裏の無い吹き抜けの天井にまで飛び上がっていく。僕が、釣り下げられていた照明のランプに羽虫が羽を休める場面を見届けたところで、対面の厨房入り口から、背が高くて体格のがっしりとした壮年の男性が、静かに姿を現した。白のシャツと黒いズボン、バーテンダーのように小洒落た黒のベストを身に着けているが、ネクタイは締めていない。長袖のシャツの方も鬱陶しいのか、二の腕まで捲り上げている。如何にも荒くれ者の集う酒場をまとめ上げているといった風貌の人物だ。
「なんだ来たのか、今日は来ないと思っていたぞ。いつものやつでいいのか?」
「はい、お願いしますダグラスさん。できれば今日は大盛りで」
手短に言葉を交わすと、壮年の男性──この酒場の主であるマーフ・ダグラスは、厨房との境にある柱を手の甲で二度叩いた。気づいた料理人に親指で僕の存在を知らせ、「腹いっぱい食わせてやれ」と無骨に告げる。料理人は「あいよ大将」と気楽に承諾した。それでダグラスは背を向けると、カウンター内の硝子戸棚に置かれた果実水の瓶を一つ空け、木製の水飲みに目分量で注いだ。そして無愛想に僕の前に置き「昔の仲間の葡萄園で作ったやつだ」と、これまた仏頂面で勧める。僕は「ありがとうございます」と返し、早速乾いた喉に放り込んだ。
長時間の取り調べで水分に飢えていた舌が、さわやかな酸味と程よい果汁の糖分を喜んで迎え入れ、するりと喉の奥の検問を通過。僕は果実水を一息で飲み干した。
「それで、今日はどんな事件があった。遅れた理由はそいつだろう?」
ダグラスは、空になった水飲みに今度は冷えた井戸水を注ぎながら、僕に話しかけた。
彼は用が無ければ苔が生すまで黙っていそうな寡黙な面をしているが、実際にはよく喋る。不必要な言葉を付け足さずに質問しては、相手の返しにこれまた腹の底まで響く渋い声で「そうか」だの「良かったな」だのと、簡潔に話の批評を下す。彼は五年ほど前までは西方面の国々で傭兵をしていたそうで、【黒虎のダグラス】の通り名を得るほどに成功を収めた人物だ。千人規模の大傭兵団を率いていた経歴もあり、その時に培った傭兵としての腕前と、千人もの人間を束ねて他国に売り込んだ世渡りの術を生かして、引退後の酒場を切り盛りしている。元団員たちからの評価はすこぶる高く、彼を慕って彼の酒場で働いている者も多い。ダグラスは、力だけではいつまでも人をまとめあげることは出来ないと悟っており、人とのコミュニケーションは絶対に欠かさない。それが功を奏して、彼は傭兵を引退して歩んだ第二の人生においても成功を収めている。僕がこの酒場に通い続ける理由も、彼の人柄に男として惚れ込んだからだ。警官として地域住民との触れ合いが多い者として、彼から学ぶべきものはある。特に初対面の人物から怖がられやすい僕と彼の強面は被るところが多々あり、絶好の目標といえた。
「ええ、仕事の終わり間際に少し」
僕は隠す必要も無いので、空き巣事件の一部始終を話した。事件は既に解決済みであり、そして明日の朝刊を書く記者たちに公表している。守秘義務に触れない範囲なら話しても問題はない。ダグラスは眉を吊り上げて「そいつはさっき客から聞いた覚えがある。捕まえたのはお前だったのか」と、あご先に生えた無精ひげを撫でた。
「なになに? 何かあったの?」
ルージュが好奇心に声を弾ませながら、僕の隣の席に遠慮なく座った。てっきり他の客の注文を取りに離れていたと思っていたが、彼女はエプロンを外した自由な姿でいる。「仕事は?」と聞けば、「今日は九時で終わり。先輩と一緒に帰るまで暇だから手伝っていただけなの」と、彼女はあどけない顔で答えた。
「クリオがお得意の耳で犯人を捕まえた。噂の空き巣だ」
「ああ! ウチのお客さんも何人か盗られたやつでしょ! 痕跡を残さないでさっさっと盗んで風のように逃げていくって有名の! 凄いじゃないクリオ!」
「別に、警官としてやるべき仕事を普通にこなしただけだよ」
手を合わせて褒めるルージュの顔に、感慨も無く答えるふりをする。「いやぁ、お手柄だよねクリオ君。お姉ちゃんは鼻が高いわぁ」と、彼女はご機嫌に体を揺らしながら、ダグラスの注いだ水をちびちびと飲む。
「やっぱりクリオの耳は凄いよね、名探偵みたいに些細な事でも気づくし。これは私も注意しないと、小さな事からしっぽを掴まれてお縄になっちゃうかも」
「……ルージュは何かやましい事でもやっているのか? 僕が捕まえなきゃいけないほどの」
「──? 何もないよ? ああでも、私がもし悪い事をしたら、それはクリオに捕まえて欲しいかなぁ。『君の罪は僕が背負うよ』って、クリオの手で優しく私を殺してね?」
「ああ、うん、まあ、その時はそうさせてもらうよ」
あっけらかんとする彼女を適当にいなして、僕は、やっと出てきた料理に手を付けた。
硬焼きのパンを輪切りにして再度焼き、少々の焦げ目にバターを塗った物。ニンジンやジャガイモといった野菜類を柔らかく煮込んだスープ。骨付きの羊肉を酒に漬け、臭みを十分に抜いてから香草で焼いた肉料理。適度な大きさに切り分けられたチーズや塩漬けのキャベツ等々。それらが食べ盛りの男の胃袋を満足させる量で、木製の大皿の上に盛り付けられている。
「やっぱり家にまとまったお金を置いておくのは危険だよね。最低限の生活費以外はちゃんと銀行に預けておかないと。クリオはちゃんとしてる? まさか、面倒だから一ヵ月分全部引き下ろして、あとはどこかの棚の中とか箪笥の隙間に隠してるとかじゃないよね?」
「まさか、そんな不用心な真似をするはずがないだろう。僕はこう見えても警官だぞ」
「そうだよね、警官の人がまさかそんなズボラな金銭管理をしているはずがないよね。クリオはやっぱりしっかりしてるよ」
「あははは」
そのまさかだった。給料日に振り込まれた賃金を生活費一ヵ月分だけ下して、紙袋に一束と入れたまま家の中に放置してある。隠してある場所はルージュの言い当てた通りだ。
「帰ったら場所を移すか……壺の中はすぐに見つかるし……風呂場は……紙幣がふやけるか……。かといって常に持ち歩くのも、それはそれで危険だ……」
「クリオ、なに一人でぶつぶつ言ってるの?」
新たな隠し場所を模索する僕の様子に、ルージュが小首を傾げた。
「盗人対策も重要だが、犯罪は他にもある。強盗や殺し、最近では夢を見せるふざけた薬が西から入ってきた。金だけじゃなく自分の身も守れ」
ダグラスが戸棚の整理をしながら忠告してきた。僕は口に運ぼうとしていたパンを置いた。
「ふざけた薬──麻薬のことですか? 確かにこの前、西区の人が西区で急増していると定例会で報告していましたけど、やはり、こちらにも少しずつ流れているんですかね?」
「ああ、先日ウチの厨房のやつが声をかけられた。顏を隠した怪しい奴だったが、断ったらすぐに消えたらしい。後を付けようとしたが、うまく煙に巻かれたそうだ」
「それ、その声をかけられた人に話を聞いてもいいですか? 時間や状況などの詳しい情報が欲しいので」
「わかった、手が空いたら寄越す」
「あ、じゃあ私がその人と仕事を代わる? いま私、手が空いてるし」
「お前はいい。さっきも手伝ったばかりだ、そろそろ帰れ」
「えぇ、まだ全然大丈夫なのにぃ。ダグラスさん、若い子の力をあんまり舐めないでよね。こう見えても私は体力馬鹿なんだから」
ルージュが唇を尖らせて、ダグラスに抗議する。ダグラスは空になった酒瓶を卓の上に置き、気の強い鼻息で応じるだけで譲らない。まるで反抗期の娘と頑固者親父の応酬だ。僕は乾いた呆れ笑いで仲裁すると、休ませていた食事を再開させた。
僕がこの店によく出入りするもう一つ二つの理由は、店のうまい料理とルージュとの気の置けない会話、そしてこういったダグラスとの情報交換だ。酒場の主であるダグラスの耳に入り込む情報は素早く、そして、複数の人間から多角的に照らし合わされたもので誤情報も少なく正確である。警官として若造もいいところの僕にとっては、貴重な情報の源泉だ。
「ほらルージュ、いい加減に帰るよ!」
酒場の奥の扉から帰り支度を済ませた数人の店員が姿を現し、その内の女性店員の一人がルージュを呼んだ。
「あ、はい! クリオ、それじゃあまた今度!」
ルージュは元気よく椅子からひと跳ね、僕に手を振って小走りに駆けていく。僕は「ああ」と、気のない返事で彼女を見送った。
ダグラスの店で働いている店員たちは、よくこうして一緒に帰る。犯罪の潜む闇夜の危険性を知っているダグラスが、なるべく団体で行動するように言いつけているからだ。他にも、共同で家を借りて賃貸料を安く済ませるように助言していたりもする。ダグラスの酒場の給料は悪くないが、節約できるならそれにこしたことはない。流れ者ばかりの店員たちも、まだ安定した生活基盤を持っていないので、彼の言い付けの重要性を理解して守るようにしている。
だが小耳に挟んだ話によると、ルージュは仕事仲間と一緒に帰りこそすれ、住処は共同ではないらしい。安いボロ家を一軒借りて、そこで一人で住んでいるそうだ。彼女と親しい女性の話によれば、彼女はかつて別の街に住んでおり、その街が戦争に巻き込まれた事によって家族と家を失い、フェスタリサに移住してきたとのことだ。彼女が一人で住む事にこだわる理由はそこから来ているのかもしれない。
「戦争は根こそぎ持っていく。人の命も財産も、時には良心すらも持っていく。略奪や横行、僅かな物資の奪い合いが当たり前となり、戦争に晒された人の心は荒んでいく。一度戦争を経験したやつはそれを忘れることは出来ない」
僕が意見を求めると、百戦錬磨の元傭兵は静かに語った。
百年前に暴君が死んでから後、都市国家フェスタリサは戦争を経験していない。大陸交易路の中心として立ち回り、他国のパワーバランスを操作して生き延びてきた。攻め入ろうと考える国があれば一足早く察知して、巧みな交渉術を用いて周辺国への協力を募り、牽制する。交易で得た莫大な富を活用して、常日頃から各国の権力者と良好な関係を築いてきたからこそ、フェスタリサは戦火と無縁でいられた。だから僕には戦争の悲惨な現実を語られようとも、物語の一部のような漠然とした印象しか思い浮かべられず、いまいちピンとこない。フェスタリサも他所の国も、結局どこも同じのように思えてしまう。
「ルージュの育った国と比べれば、やはりフェスタリサは平和なんでしょうか。僕が警官として仕事をしている時は、強盗や殺人のあとの現場検証をよくやらされます。そんな凶悪な犯罪が起きてしまう国が、はたして平和なのかどうか……」
僕の疑問に、ダグラスは果実水の瓶に再び手をかけた。暗い話題を飛ばすように『ポン』とコルクの抜けた音が、陽気な喧騒が響く店内と交わった。
「ああ、それでも平和だ。俺が傭兵として回ってきた国と比べれば遥かにな。この国の連中はうまくやっている。犯罪者に重い罰を与えない国と聞いた時は俺も眉をひそめたが、それを帳消しにできる仕組みがあるのかもしれん。俺たちの住む街を平和に出来る、とっておきの【カラクリ】がな」
いつもよりは少し饒舌に、壮年の男性は若造を諭した。
「街を平和に出来る【カラクリ】ですか。いいですね、そういった魔法のようなものがあれば是非ともですよ。僕もルージュも、毎日笑って過ごせます」
人生の先達の好意に甘えてその話に乗る。僕は再び注がれた果実水を一気に呷った。
君は暗殺者に望む ああたさん @akasaozi
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