セカンドスナップ

奈知ふたろ

Second Snap

「ねえねえ、和樹」

「ん、なに」

「Nってさ、あんたと同じクラスだよね」


 ノートPCに落とした数十枚のモノクロスナップの中から出来栄えの良い写真をピックアップしていた僕はそのセリフに思わずスクロールの指を止めてしまう。そして声の主に目を向けようとしたところで不意に乾いたシャッター音が響いた。そのまま目線を上げると実習テーブルの斜向かいの席からミラーレスカメラのレンズがこちらを向いていたので僕は憮然としてメガネを指で押し上げる。


「あのさ、何度も言ってるけど、いきなり撮るのやめてくれないかな」

「別にいいじゃん、写真部なんだから」


 悠香は小さな顔には少しばかりアンバランスに見えるふくよかな唇を尖らせ、けれどすぐにカメラの端にヘラリと笑顔を覗かせた。


「ね、それよりN。どんな奴」

「なんで」

「え、なんでって、ちょっといいかなあって。えへ」


 ちょっといいはすごく好みという意味だ。

 それぐらいは僕にも分かる。分かるし、Nは僕と違って背が高くて陽キャでサッカー部でおまけに成績もいいから納得だってできてしまう。

 僕はノートPCに目を戻し、ボソリと答える。


「知らないよ。話したことないし」

「えー? だってオナ中でしょ」

「関係なくない」

「いや、あるっしょ。ていうか、和樹って友達いる?」


 僕は返事の代わりにこれ見よがしの仏頂面を窓の外に向けた。

 最終下校時刻まであと少し。けれど五月の空は鮮やかな緋色に染まったまま。


 他の部員の姿はない。

 写真部の部員は五人。

 三年生の部長は塾の都合でさっさと帰ってしまったし、二年の先輩二人は由緒正しい幽霊部員だ。なので目下のところ、ここ写真部の部室である化学実習準備室には一年生の僕と悠香しかいない。

 

 ふと、くだらない不審が浮かんだ。

 そして沈黙に苛まれるように口がひらく。


「……ところでさ」

「ん、なに」


 頬杖をついた悠香がその手でふたたびこちらにレンズを向けている。

 僕はメガネを直すふりをしてちょっとだけ手で顔を覆った。


「その……たしか二週間前は A組の Hって奴のことが気になるって言ってたよね」

「え、そうだっけ?」

 

 彼女は戯けた感じで首を傾げたけれど、カメラに隠れてその表情は窺えない。

 僕はうなずき、それからまたおもむろに窓の外の夕陽に視線を転じる。


 さっぱり分からない。

 たしかに A組の Hもイケメンでスポーツ万能だって聞いたけど、女子ってみんなそんな風に好きな人がコロコロ変わるのかな。


「和樹はさあ……」


 声に振り向いた瞬間、カシャ。

 その乾いたシャッター音に僕は顔をしかめる。


「いないの? 好きな人」


 興味津々ありありなひそめた声。

 少し考えてから僕はノート PCに目を戻した。

 画面に映っているのは整然と並んだ数十枚のモノトーン写真。


 被写体はどれも何気ない風景。

 校庭に植った楡の巨木。

 正門、下校時の雑踏。

 墓標に似た真四角、真っ白な校舎。


 無意識に人差し指が答えを探り当てようと画面を下へスクロールしていく。

 けれどそこでふと我にかえった僕は自嘲するように肩をすくめた。


「さあね」


 なんでもないように返したつもり。

 でも、ちょっとだけ声がうわずったかも。


「えー、教えてよ。和樹ってどういう女子が好みなの」

「そんなの聞いてどうするつもり」

「別にどうもしないけど、気になるじゃん」


 そういうものなのかなと思う。

 でもじゃあ、僕が彼女の好みを聞くとモヤモヤしてしまうのは何故だろう。

 やっぱり女子ってよく分からない。

 分からないけど……。


「あ、もうこんな時間」


 掛け時計の時刻に声を放った悠香が席を立って帰り支度を始める。

 僕はようやく薄暗さを見せ始めた窓の外の夕焼けに目を向けそっとため息をつく。そして衝動を抑えきれずに視線を戻し、もう一度画面を下へとスクロールした。


「帰ろ、和樹」

「ああ、うん」


 彼女が背負った紺色のリュックに揺れるうさぎのぬいぐるみ。

 右手にはミラーレスカメラが収まった真新しいケース。

 それを横目にスクロールは一番下にある目当ての写真にたどり着く。

 僕が撮るのはモノクロばかり。陰影とコントラストだけで切り取った風景こそ隠し事のない真の姿だ。確固たるその僕の矜持に、けれどこの写真だけは背信。


 入部した日の帰り道、別れ際に撮ってと頼まれてシャッターを押したそれは散りそぼる桜吹雪を背景にピースサインをする彼女のスナップショット。

 その背信の一枚を見つめる僕の後ろに悠香が回り込んでくる。


「ねえ、なにしてんの」

「いや、なんでも」

 

 僕はあわてて編集アプリを閉じるとノートPCをシャットダウンして無造作にリュックに放り込んだ。


「早く、いこ」

「うん」


 頷いて目線を向けると僕の肩のすぐそばに悠香の微笑み。


 ハッとして一瞬呼吸が止まる。


 濃い朱色の夕陽を受けた彼女はもうなんだか息を呑むほどに……。


 ―――― ねえ、写真撮ってもいい?


 今、ここでそう切り出せたなら僕はモノクロじゃない二枚目のスナップショットを手に入れることができるのに。

 

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セカンドスナップ 奈知ふたろ @edage1999

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