番外編 隣の星(第一部編集版)
※こちらの作品はカクコン10用の『アルカーナ王国シリーズ』の★100記念にあげた番外編の編集版になります。
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『リュカ様は聡明でいらっしゃるから将来が楽しみですね』
周りはみんなそう褒めてくれるけれど、自分を褒めてくれる人の声に父は表情を変えるでもなく興味なさげにいつも口を真一文字に結んでいる。
父の口から出る言葉といえば、「励め」「泣くな」「しっかりしろ」くらいで。
この人は一体何を楽しみに生きているのだろう?
リュカはまだ幼かったけれど、子どもながら父への感想はそれくらいのものだった。
父の仕事を学ぶため、午前は勉学に励んだり父について雑用をこなす。リュカはまだ十になったばかりだったから、彼の仕事はとりあえずここまで。昼食は幼い頃から身の回りの世話をしてくれるばあやが自宅で作ってくれる。
リュカの住む
自宅までの道のりを歩いていると、少し前にグズグズと泣きながら歩いている幼子が見えてきた。
小走りでその子に近づくと、それは予想通りの少女で。だがしかし、少女はリュカの想像を超えた姿をしていた。
「……これはまた、なかなかやったね」
泣いている少女、リュカの妹のイルは全身泥だらけの上に、髪には小枝や草なんかが絡まっている。つかみ合いの喧嘩でもしたのか頬は少し赤くなっていた。
妹のお転婆は今に始まったことではないが、それでもこれはなかなかだ。
「……だって……だって……」
泥で汚れた顔を拭いてやると、イルは金色の大きな目にいっぱい涙をためて訴えた。
「みんな、イルの目の色がヘンだっていうんだもん。にんげんじゃない、もらわれっこなんだって」
イルは、
周りの心無い言葉に大きな目から溢れた涙を見て、リュカは胸がズンと重くなる。跪いてイルと同じ目線になるとイルの頭を優しく撫でた。
「イルはおれの妹だよ。だってほら、顔もそっくりだろ? 目の色が違うのだって、母様が違うから当たり前だよ。母様が違ってもイルはおれの妹だ」
大切なことを二回言って、イルの髪についた小枝なんかを取り払ってやると手を繋いで家までの道を歩きだした。
妹のイルは複雑だ。
リュカの一族、『紅の民』は古くからこの地に住む魔法使いの一族だった。
……だった、と言うのは今現在、魔法を使えるのはごく一部の人達だけで、一族全体から見たら魔法が使えない人の方が多いからだ。しかも、使える魔法もそんなに大したものではない。
遥か昔、創世記の頃には紅の民は強大な魔力を持っていて、それは人というより精霊に近しいものだった。けれど時の流れとともに一族の魔力は衰退の一途をたどり、現在では族長であるリュカの父イズが少し高度な魔法が使えるくらいで、あとはまじない程度の者ばかり。
リュカの家は代々族長を務めていたわけではなかったけれど、魔力が衰退の一途をたどる中で一番魔力の強かったのが父だった。そして、元々族長だった家から妻を娶り生まれたのがリュカだ。リュカも魔法は使えるが、やはりそれも大したものではない。もはや、紅の民はもう只人とほぼ変わりなかった。
母はリュカが物心付く前に病気で早逝してしまい、リュカは族長業務で忙しい父に代わってばあやと村の女達に育てられたと言っても過言ではない。
紅の里では女たちが集まって子育てをするのが普通だったから、母がいなくともなんとかはなった。なったが、やはり族長の子ということでばあやは他の子達とは離したがったし、父は元々寡黙な人だったが母が亡くなってからはより表情が読めなくなり、家の中の空気は寒々としていた。
それでも、父はリュカに対して冷たいわけではなかったし、笑顔を見せてくれる事もあった様な気はする。そんな時、父が突然連れてきたのがイルだった。
父は相変わらず難しい顔をしていたけれど、この日の父は以前にも増して感情が死んでいたように思う。それでも、「この子は何?」と尋ねると「お前の妹だ」と言った。
妹のイルは一族の証の紅い瞳ではなく金の瞳をしていた。
大きな目をくるくると動かして、手を握ってやるとよく笑ってとても可愛い。
その夜明けの太陽みたいな色の瞳の赤子が、リュカはすぐに大好きになった。けれども、大人たちはそうではなかったらしい。
ばあやはイルの世話をしながらも、時々「旦那様は一体この子をどこから拾ってきたんでしょう」と呟いていたし、家にやってくる村人と父がイルについて言い合っているのを何回か聞いた。
父は全然イルの世話をしなかったし、優しい言葉もかけなかったけれど、村人が何かを言ってきた時には「あの子は私の娘だ」と言っていた。父のイルへの態度が理解できなかった。
そんな時、リュカは幼いイルを抱きながら、なんの疑いもなく自分を見つめて笑うイルを抱いて、大人たちから距離を置いて外に散歩に出かけるのだった。
イルが二歳になった頃、事件がおきた。なんとイルが突然黒狼の姿になったのだ。
ばあやは慌てふためき卒倒しかけたが、父は大きなため息をついて驚きはしなかった。
あっという間に噂が広がって、村でも騒ぎになったけれど、今までイルの出生に関して黙っていた父が、彼女の母が懇意にしていた精獣であること、間違いなく自分の子であることを告げたため、なんとかその場は収まった。
成長するに連れイルは兄であるリュカの幼い頃にそっくりに成長していったし、黒狼や精獣は紅の民にとっては古くから仲間であり同じ森に住むものであったから、黒狼との関係が薄れたとはいえイルの存在はなんとか村民に受け入れられはした。
もしかすると、精獣の血が入ることで魔力が一族に戻る事を皆は期待したのかもしれない。
……が、イルは黒狼になれるだけで簡単な魔法すら使えなかったし、父は実の娘だと宣言したものの、父はその後もイルに対して全然見向きもしなかったので、村人はイルを腫れ物のように扱った。
イルは握った兄の手をニコニコと機嫌よく見つめて、リュカと目が合うと大きな目をにかりと細めて「兄さまだいすきっ」と笑う。
リュカは「おれもだよ」とイルに返しながら、誰の味方もない自分よりその小さな手を、自分が守らなくては、と思った。
「お帰りなさいませぼっちゃま。……まぁ!」
二人して帰宅してイルの姿を見るなりばあやは目を丸くした。
「こんなに汚して……、姫様お転婆が過ぎますよ?」
ばあやが呆れた声を上げる。
「だって……だって……うしろからおされたんだもの」
「だってではありません! ぼっちゃまやお父様にご迷惑をかけたらいけませんといつも言っているでしょう?」
姫様のせいで旦那様が恥ずかしい思いをされるんですからね! と小言を言うばあやに、さっきまで笑っていたイルはまた俯いてしまった。早く汚れを落として来てくださいと入浴の準備をするばあやにリュカがさっと声を掛ける。
「ばあや、いいよおれがイルを風呂に入れるから。ばあやはご飯の準備をしてて」
「ぼっちゃまにそんな事をさせるわけには……」と渋るばあやの声を無視して、イルの背中を押して浴室に向った。
体についた汚れを綺麗に落として、温かいお湯をイルの上からかける。
柔らかなタオルで頭から拭いてやると、さっきまで笑顔だったイルはまた目に涙を浮かべて俯いていた。
「イル?」
名前を呼んだら、耐えていた涙がボロリと溢れた。
「……イルは、いらない子なの?」
パタパタと雫が床に落ちる。
「みんな言うの。ひめさまはふていの子だって。ふていってなに? イルがわるい子だから
おおかみになれるからダメなの? きいろいお目々がダメなの? ……イルもあかいお目々になりたいな。
次から次へと目から溢れる涙に、リュカは自分も泣きたくなってイルに見られないようにぎゅっとイルを抱きしめた。
イルになんて言ってあげたらいのか、リュカには解らなかった。
その日の夜、夜中に目が覚めたのは虫の知らせだったのかもしれない。
なんとなく目が開いて、水でも飲もうと寝台から降りた。隣りにあるイルの部屋の扉が僅かに開いていて、閉めようとそっとドアノブに手をかける。そのまま閉めずに部屋の中を覗いたのには意味はなかった。
「……イル?」
わずかに開けて見えた部屋の中の寝台には、小さな妹の姿はよく見えない。
嫌な予感がして部屋に入ると、そこにイルはいなかった。
(――水を飲みに行った?)
寝台はまだほんのり温かく、先程までここに妹がいたことを示している。
嫌な胸騒ぎを覚えて、リュカは階下にそっと降りた。足音を立てぬように居間や炊事場を見て回るがイルはどこにも見当たらない。炊事場からつながる裏口が、かすかに開いているのを見てリュカは迷わず外に飛び出した。
冬の訪れの早いノールフォールの森は、まだ秋口だというのにピリピリと刺すように空気が冷たい。リュカは魔法で小さな灯りを灯すと、真っ暗な森に向って駆け出した。
「イル!」
イルが寝台から抜け出したのとリュカの目が覚めたのがあまり相違なかったのが幸いして、イルは森に入ってすぐに見つかった。
イルはリュカに見つかると、ビクリとその小さな体を震わせる。
「……イル、寒いから帰ろう?」
ゆっくりとイルに近づくと、小さなイルは首を振って後ろに後ずさった。
「イル、おうちにはもうかえらない。……イルはいらない子だから、もうどこかにいくの」
そう言うイルの格好は寝間着のままで裸足だ。風がぴゅうと吹いて、リュカは寒さでブルリと震えた。
イルがリュカに背を向けて駆け出そうとする。こんな寒空の中、今イルを見失ったら結末は一つしか無い。
「イル!!」
リュカは全速力で駆けてイルを捕まえた。
絶対に離さないとばかりにイルの体を抱きしめる。イルの体は、十歳になったリュカの体よりももっと小さくて、リュカの腕の中にすっぽりと収まった。
薄い寝間着から出る手足はもうすっかり冷えていて、抱きしめたリュカからも体温を奪っていく。……イルの命の灯が消えていくような気がして背筋がゾクリとした。熱を分けるように、イルをさっきよりも強く抱きしめる。
「……いかないで、行っちゃダメだよ、イル。イルがいてくれないと、兄様も笑っていられない」
イルがリュカを見た。
「イルがいて、笑ってくれないと……兄様は困るんだ。イルがとても大切だから」
格好悪いと思ったけれど、目の奥が痛くなって。溢れてきたものはもう止まらなかった。
リュカの目から熱い雫がいくつも溢れて、イルの頬を濡らす。小さな手が、リュカの頬に触れた。
「……
真っ暗な夜の森に、金色の瞳が煌めいた。
「うん……寂しくて、寂しくて泣いてしまうよ」
言って気がついた。 ……自分も寂しかったのだと。
イルに比べたら、周りの目は自分に向いていたけれど、心は向いていない気がしていた。いつも心には冷たい隙間風が吹いていて、寒いような気がしていたのだ。
イルの金色の目がリュカを見て細められるたび、その光をこぼしたような色に温められていた。
「なかないで」
イルの手が、リュカの涙を拭って、いつもリュカがイルにする様にリュカの頭を撫でる。
「イルがいて、兄さまがげんきでいるなら、イルはずっとニコニコでいるよ。どこにもいかないよ」
だから、兄さまもいっしょにいてね。
そう言ったイルに、リュカは泣き笑いでただ「うん」と答えた。
帰ろう、とイルを背負って家路に向かう。
イルは家出したのが嘘みたいに、リュカの背中で賑やかにお喋りしている。
「兄さま! あにさま! おそら、おほしさますごーい!」
イルの声に、見上げた先には木々の間から満天の星。
「キラキラきれいねー! なんでおほしさまはあんなにたくさんあるのかな?」
無邪気にはしゃぐイルを背に、リュカの口元が緩む。
「……人は死んだら、空に昇ってお星になるんだってさ。空の上からいつもおれ達を見てるんだって、前に聞いたことあるよ」
大人達から聞いた逸話をイルに教えてやる。イルはへー! と目を丸めた。
「じゃあ、あのなかにリュカ兄さまの母さまもいるんだね!」
「え?」
リュカはびっくりして足を止めた。
思わず背のイルを振り返る。
「しんだひとはおほしさまになるんでしょう? 兄さまの母さまもあそこにいるんだね! いつもみてくれてるならさみしくないね!」
「……そうだね」
暗闇に光るリュカの大切な金の星は、空の星よりも輝いていて。
この輝きを護りたいと、リュカは空に輝く
2025.2.8 了
【改稿版】アルカーナ王国物語~赤毛の剣士と夜明けの狼~ 🐉東雲 晴加🏔️ @shinonome-h
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