第7話
明くる日の土曜日。
雀の囀りに誘われるように、朝日が差し込んだ。
布団の中から手が伸びて、枕元にあった、けたたましくアラーム音を鳴らす、ケータイを引き摺り(ひきずり)込んだ。
ケータイを止めると、その手の持ち主は、布団に包まって(くるまって)、寝返りを打った。
だが、ふと、今日の予定が脳裏を過ぎり(よぎり)、数秒で夢心地の二度寝は終わった。
今日の予定を行う為に、重怠(おもだる)そうな体をなんとか動かして、ゆっくりと樹里亜は起き上がった。
まだ、眠気が抜けないらしく、樹里亜はぼんやりと空を見つめている。
すると、また、今日の予定を思い出し、我に変えると、のんびりとベッドから降りて、カーテンを開けた。
この日、樹里亜は内心ワクワクしていた。
「樹里亜ちゃん、そろそろ起きなさい」
下の階から、母親の呼ぶ声が、聞こえた。
「今、行くー」
手早く着替えを済ませ、下に降りると、キッチンで母親が、朝食を盛りつけた食器を、テーブルに並べていた。
その横では父親が、朝食の準備が出来上がるのを待ちながら、座って、新聞に目を通していた。
チン、と、音がして、トーストが、オーブンから出て来た。
食パンの焼けた匂いが、三人の鼻を擽った(くすぐった)。
目を閉じて、匂いを吸い込むように、呼吸をすると、樹里亜は二人に挨拶をした。
「おはよう、パパ、ママ」
母親が挨拶を返した。
「おはよう、樹里亜ちゃん」
父親も新聞から、顔を上げて言った。
「おはよう」
二人の挨拶を聞くと、樹里亜も自分の席に座った。
食事を並べ終えると、最後に母親が席に着いた。
三人が揃うと、手を合わせて挨拶をした。
『いただきます』
用意された朝食を目の当たりにして、樹里亜は言葉を述べた。
「美味しそう」
言うと、バターナイフで、マーマレードジャムを、食パンに塗って、齧り(かじり)ついた。
「うん、美味しい」
味わった感想を口にした。
「今日も、美味い(うまい)よ、ママ」
目玉焼きを口にした、父親が言った。
「うふふ、嬉しいわ」
笑い声を漏らして、母親が喜んだ。
食べながら、三人は会話を始めた。
「いつ出かけるんだ?」
父親が樹里亜に聞いた。
「三時頃になるかな」
と、答えが返って来た。
「お友達と遊ぶのも良いけど、勉強もしなくちゃダメよ」
今度は母親が樹里亜に喋った。
「はーい」
忠告に樹里亜が応える(こたえる)と、母親は更に言った。
「宿題あるなら、食べ終わったら、お友達と遊ぶ前にやっちゃいなさいね」
母親に言われて、樹里亜は思い出して、言った。
「そうだった、忘れてた」
母親が言った。
「そうなんじゃないかと思ったわ、だから言ったでしょう」
父親が言った。
「言われて良かったな、樹里亜」
父親の言葉に頷くと、樹里亜は嫌そうな顔をして言った。
「うん、でも、面倒臭いなぁ」
それを聞いた、父親が返した。
「提出期限近いんじゃないのか?」
樹里亜も父親に返した。
「え?うん、そうだけど」
更に父親は言った。
「先にやっておくと、後々(あとあと)困らなくて良い(いい)ぞ」
返事を返すと、樹里亜は、引き続き朝食を食べ出した。
「う……はーい」
会話をするにつれて、楽しく食事は進んで行った。
ご飯は段々と、少なくなって行き、空になった食器だけが、残った。
そして。
『ごちそうさまでした』
また、三人揃って、手を合わせて挨拶を済ませると、母親は洗い物、樹里亜は課題、父親は来週の会社で使う企画書の制作に、それぞれ取りかかった。
自分の部屋に戻ると、樹里亜はスクールバッグから、参考書とノート、筆記用具を取り出して、ケータイと一緒に学習机の上に置くと、椅子に座って
ページを開き、問題を解き始めた。
ちなみに科目は、樹里亜の苦手な数学だ。
「ーーーふう」
暫く(しばらく)して、樹里亜はシャープペンシルを置いた。
ケータイの液晶画面で、時間を確認すると、まだ一時間しか、経って(たって)いなかった。
八問あるうちの四問は、順調に解いていたようだが、五問目で引っ掛かった(ひっかかった)。
公式を使った、応用問題だ。
樹里亜は、基礎までならまだ、なんとか分かる感じだったが、こうなると、脳内でパニックを起こしてしまうのだ。
自力で、今一度問題を解こうとするが、点と線が繋がらない。
誰かが見ている訳ではなかったが、樹里亜はお手上げのジェスチャーをして、ギブアップを宣言すると、ケータイを手に取り、助けを求めた。
〝おはよ、数学の課題やった?教えてくれる人募集中〟
そう打って、同じ内容のメールを六人に、送信した。
返信を待っている間、樹里亜は机を離れると、上についてる本棚から、ファッション雑誌を手に取り、
ベッドに寝転んで、読み始めた。
最初のページを捲った(めくった)時だった。
ケータイが鳴り響いた。
連続で着信があった。
(来た!)
樹里亜は雑誌を閉じて起き上がり、ベッドに置いて、再び机の前に座った。
そしてケータイを開いて、画面を見た。
六件届いていた。
まずは巧から来たメールを読んだ。
〝おはよ、やったよ、何処が分かんないの?〟
次に羽雪からのメールを読んだ。
〝おはよう、私も今、やってるよ、お兄ちゃんに教えられながら、問題解いてる〟
その次は、夕雨涼からだった。
〝はよっす、やった、やった、分かんないとこ、何処?〟
雫からも来ていた。
〝はよ、私もやったよ、夕雨涼君が教えてくれたおかげで、助かった〟
その次は陵雨からだった。
〝おはよう、ああ、やったな、何処が分かんないのか、教えて〟
栞からのメールも読んだ。
〝おはよー、数学のヤツか、冴に教えて貰って私もやったけど、難しいよね〟
朝雨からも、来ていた。
〝おはよーさん、数学の課題ね、やったよ、で、何処が分かんないのかな?〟
冴からも、メールが届いていた。
〝おは、難しかったけど、私もやったよ、分かんないとこ、教えて〟
樹里亜は返信を打った。
〝後半の応用問題四問、全部なんだけど〟
また、友人達に送ると、ベッドに寝転がって、ファッション雑誌の続きを読んだ。
今度は二ページ程、雑誌を捲った所で、ケータイが鳴った。
また、雑誌を読むのを止めて、ベッドから離れると、樹里亜は机の前に、座り直した。
ケータイを開いて、返信を読んだ。
件数は、六件。
巧のから、読み始めた。
〝こうやって解くといいみたいだよ〟
その文面の下には、解き方を書いたノートの写真が貼られていた。
「おお……!」
樹里亜は思わず、声に出して言った。
次に、羽雪。
〝下のように解いてみると、いいみたい〟
羽雪のメールにも、解き方が載った、ノートの写真が添えられていた。
兄に解き方を何回も教わったらしく、正解の周りの余白に、びっしりと数式が書かれていた。
続いて、夕雨涼。
〝こんな風に数式を使うと、解けるよ〟
夕雨涼のは、赤いマジックペンで、解き方が書いてあった。
その次に、雫。
〝こんな風に解くといいんだって〟
青と赤の二色を使って、解答が印されていた。
そのまた次に、陵雨。
〝解き方はこちら〟
解き方の載った写メールが、そんな文面と共に届いていた。
更に栞。
〝これが解答だよ〟
沢山(たくさん)の色ペンを使って、色分けされた解答が載っていた。
そのまた次に、朝雨。
〝解答はこんな感じ〟
解き方に、番号が割り振られていた。
そして、冴。
〝こうやって解いたよ〟
文面と共に、解き方を書いた写真が、添付(てんぷ)されていた。
「ふんふん、成程(なるほど)」
みんなの写メールに、教えられながら、樹里亜は問題を解いて行った。
答え合わせも、忘れずに行なった。
〝課題終わったよ、みんなのおかげ、ありがとう〟
謝礼のメールを送った。
他にする事が無いと思った樹里亜は、ファッション誌の続きでも読もうと、机の上に乗っている、勉強道具を出しっ放し(だしっぱなし)にしたまま、ベッドへと向かった。
寝転んで、読みかけていたページを開いて、寛ぎ(くつろぎ)始めた。
二、三ページ、雑誌を捲った時だった。
机の上のケータイが鳴った。
連続で、着信が聞こえた。
樹里亜はまた、雑誌を閉じて、ベッドに置いた。
そして、起き上がると、机に向かって歩いて行き、
ケータイを手に取った。
開いて、画面を見ると、六件の着信だった。
また、送ると、返って来るかも知れないと、思った樹里亜は、ケータイをベッドに持って行った。
寝転がりながら、返って来たメールを読み始めた。
巧からは、こう送られて来た。
〝どういたしまして〟
羽雪からもこんなメールが届いた。
〝少しは力になれたなら、何より〟
夕雨涼からは、この言葉が来た。
〝助けになれてよかった〟
雫から送られて来たのは、こんなメールだった。
〝お互い様だよ〟
陵雨から、こんな返信が来た。
〝課題が終わってよかったね〟
栞からはこう返って来た。
〝これで課題に悩まなくてよくなったね〟
朝雨からも、メールを受け取った。
〝出来る事をやったまでだよ〟
冴から、こんなメールが送られた。
〝大(たい)した事してないよ〟
樹里亜はメールをみんなに返した。
〝これで安心して、みんなと行ける〟
そしてまた、ファッション誌を読んだ。
今度は雫から、返信が届いた。
〝楽しみだよね〟
栞からも、メールが送られて来た。
〝ワクワクするね〟
羽雪も返して来た。
〝後、数時間だもんね〟
冴も送って来た。
〝時間の残り、少なくなって来たわね〟
夕雨涼からもメールが来ていた。
〝時間までもう少しだな〟
巧も送って来た。
〝待ち遠しい(まちどおしい)よな〟
陵雨からも、返信が届いた。
〝楽しく、満喫出来るといいね〟
朝雨からも来た。
〝いよいよ始まるんだね〟
樹里亜はまた、メールを返した。
〝そう言えば、アレ、用意出来てる?〟
また、雑誌を読んで待っていると、次々に返信が来た。
冴から返って来た。
〝可愛いの買ったわ〟
次に羽雪から来た。
〝うん、お兄ちゃんが選ぶの手伝ってくれた〟
その次は栞からだった。
〝バッチリよ〟
雫からも来た。
〝OKだよ、着るのが楽しみ〟
朝雨から届いた。
〝買ってあるよ〟
夕雨涼からも来た。
〝ああ、用意出来てるよ〟
巧も送って来た。
〝仕度はしてあるよ〟
陵雨からも送られて来た。
〝一揃い買ったよ〟
樹里亜がまた、返信した。
〝みんな準備にぬかり無いって訳ね、OK、私も大丈夫〟
暫くすると、また、返信があった。
まずは冴から。
〝樹里亜はどんなの着て来るの?〟
次は栞。
〝樹里亜のヤツはどんな感じ?〟
続いて、羽雪。
〝樹里亜ちゃんはどんなの買った?〟
雫からも来た。
〝樹里亜はどんなタイプを選んだの?〟
男子達からも、送られて来た。
最初は夕雨涼からだった。
〝黒原はどんな感じのヤツ買ったんだ?〟
次に巧から。
〝樹里亜が選んだのは、どんなヤツ?〟
続いて朝雨。
〝黒原さんが買ったのは、どんなの?〟
そして、陵雨。
〝黒原さんはどんなヤツ、買ったの?〟
言い方が違うだけで、質問の内容は六人共(とも)一緒だった。
「ははは……」
部屋の中で一人、乾いた笑い声を漏らすと、樹里亜は返信し返した。
〝まあまあ、みんな落ち着いて、それは秘密、本番まで内緒〟
文面に、以前の樹里亜の名残りを、感じられた。
また、ファッション雑誌を読んで、寛いでいると、下の階から、声がした。
「樹里亜ちゃん、お昼ご飯よ、降りてらっしゃい」
母親が、呼んだのだった。
「はーい」
階下に向かって、返事をすると、樹里亜はメールを送った。
〝ごめん、お昼ご飯が出来たって、ママが呼んでるから、行って来るね、じゃあまた後で〟
ケータイを閉じると、ベッドに置いて、樹里亜は部屋を出た。
キッチンに降りると、父親はもう既に来ていて、樹里亜が来るのを待ち構えていたかのように、席に座っていた。
樹里亜が座ったのを見ると、母親も席に着いた。
朝ご飯の時と同じように、手を合わせて挨拶をした。
『いただきます』
お昼の献立(こんだて)は、素麺(そうめん)だった。
「樹里亜は、今年はどんなのを着るんだ?」
父親が、メールを送った友人達と、同じような質問をして、素麺を啜った(すすった)。
「これ食べたら、着替えるから、ちょっと待ってて」
素麺を啜りながら樹里亜が答えると、母親も、素麺を啜って言った。
「食べ終わったら、着替えさせるから、部屋に上がってなさいね」
樹里亜は返事をすると、また、素麺を口に入れた。
「はーい」
笊(ざる)が空になると、三人揃って、麦茶を飲み干した。
そして、また手を合わせて言った。
『ごちそうさまでした』
母親に言われた通り、樹里亜は二階に上がり、自分の部屋へと入った。
クローゼットを開けると、ハンガーに掛かって並んでいる、服達の下に、畳んである衣類を、手に取って出した。
樹里亜は、ウキウキしながら、衣類を抱きしめて、
鼻歌を歌い、部屋中を歩き回った。
「ふふふ、まだかな」
踊るように、くるりと一回転して、ベッドに腰掛けた。
皺(しわ)にならないように、衣類を横に置いて、そのまま寝転がった。
あーとか、うーとか呻きながら、悶絶(もんぜつ)するように、寝返りを何回も打った。
ドアに背を向けるような姿勢で、動きを止めると、
ノックの音が、聞こえた。
「はい」
樹里亜は体を起こして、返事をした。
「樹里亜ちゃん、入るわよ」
母親の声がした。
「どうぞ」
樹里亜が返すと、ドアが開いて、母親が入って来て言った。
「着替える前に、シャワーを浴びてらっしゃい」
母親の言葉に、返事をすると、樹里亜は部屋を出て、バスルームへと向かった。
頭と体を液体石鹸で洗い、シャワーで流すと、バスタオルで頭を拭きながら、脱いだ服を着て、母親の待つ、自分の部屋へと、戻った。
「お待たせ」
樹里亜が言った。
「さ、着替えましょうか、貸しなさい」
樹里亜は、差し伸べられた手に、衣類を渡した。
母親が受け取ると、樹里亜は服を脱ぎ、下着姿になった。
その上に、母親が衣類を着せ始めた。
「宿題は無事に終わったの?」
衣類を肩にかけながら、母親は訊ねた。
「うん、みんなが教えてくれた」
衣類の袖(そで)に腕を通しながら、樹里亜は答えた。
「そう、優しい友達を持って、よかったわね」
言うと、母親は正面に周った。
「うん」
嬉しそうに、樹里亜は笑って、頷いた。
襟(えり)を合わせると、母親は言った。
「はい、それじゃ、きつく結ぶから、お腹に力を入れて」
樹里亜は息を吸って、止めた。
母親は屈んで、腰にある紐(ひも)を結んだ。
「いいわよ、力を抜いて」
樹里亜は、息を吐いた。
「あら、ぴったりじゃない、大きさも長さも丁度良いわ」
喜んで、母親が言った。
「サイズが合って、よかったわ」
母親の言葉を聞いて、樹里亜は安心して、息を吐いた。
「じゃあ、次はこれで締めるから、もう一回、お腹に力を入れて」
そう言うと、母親は平たくて長い、布で出来た生地を樹里亜に見せた。
樹里亜は今一度、息を吸って、止めた。
母親は布生地を、樹里亜の腰に周すと、きつく締め、器用に、蝶々にして結んだ。
「OKよ、あら、素敵じゃない、似合ってるわよ」
母親に言われて、樹里亜は訊ねた。
「本当?変じゃないかしら」
聞かれた母親が、返した。
「全然、大丈夫よ、可愛い可愛い」
自分の娘の格好(かっこう)を大絶賛した。
「みんなも、褒めてくれるかな」
樹里亜が不安を口にした。
「勿論(もちろん)よ、一緒に遊んでくれるだけじゃなく、宿題も教えてくれる、優しいお友達でしょ?自信持って」
ほら、と、付け足すと、母親は樹里亜の手を引っ張って、姿見の前に立たせた。
「確かに、可愛いけど、なんかパッとしないかも」
それを聞いた、母親が言った。
「大丈夫、任せて」
すると、樹里亜をドレッサーの前に座らせた。
そして、寝室から持って来たらしい、様々な髪結い道具や、化粧道具を使って、樹里亜の髪や顔を弄り(いじり)出した。
数十分が経過した。
「出来た」
母親はそう言うと、手鏡を樹里亜に渡して、出来上がりを見せた。
「わあ……!」
樹里亜は美しくなっていた。
手鏡に映った、自分の変わりようを見て、樹里亜は思わず、息を呑んだ(のんだ)。
「どう?」
腰に手を当て、たっぷり、自信ありげに、母親が聞いた。
「可愛くなった」
驚いたように、樹里亜が答えた。
「でしょ?」
期待通りの答えを聞いて、嬉しそうに母親は言った。
樹里亜は、ドレッサーの前から立つと、改めて、姿見の前に立った。
そして、見事に変わった、自分の姿を見た。
色んなポーズを取りながら、まるで魔法にかかったような、その姿を楽しんだ。
心行くまで堪能すると、樹里亜は、母親に言った。
「パパに見せて来て良い?」
母親は勿論、こう答えた。
「ええ、良いわよ」
樹里亜は部屋を出ると、いそいそと、階段を降り、父親の元へと向かった。
少し遅れて、母親も樹里亜の後に続いた。
「パパ、見て見て、どう?」
自分の娘の変わりようを見て、父親は言った。
「樹里亜なのか?」
樹里亜は答えた。
「そうだよ、パパ」
父親は感想を述べた。
「いやーそっか、分からなかったな、見違えたよ」
樹里亜の後ろから、母親が現れて言った。
「三時が楽しみね」
嬉しそうに、樹里亜が返事をした。
「うん!」
父親は、母親に聞いた。
「君がこれをやったのか?」
母親は答えた。
「ええ、まあね」
父親は言った。
「へー、上手いもんだな」
と、感心した。
「小さい頃から、玩具(おもちゃ)の人形で遊んでいた、成果が出たわね」
しみじみ言いながら、母親は二度、頷いた。
「お友達もきっと、喜んでくれるわよ」
先程の樹里亜の不安を、もう一度拭うように母親は言った。
母親の言葉に、樹里亜は元気な声を出して、頷いた。
「うん!」
気分がウキウキしている樹里亜に、母親は言った。
「さあ、気分が上がって来たら、準備しなさい、持って行く物があるでしょう?お財布とか、ケータイとか」
母親に言われて、樹里亜はハッとした。
「おっと、そうだった」
樹里亜は部屋に行き、財布とケータイを巾着に入れて、一階に降りると、リビングで、親達と共にたまたまやっていた、テレビドラマを見た。
やがて、壁掛け時計の針は、時刻を刻んで行った。
そして、三時になった。
昨日のうちに、玄関におろしていた、下駄(げた)を履いて、樹里亜は言った。
「それじゃあ、行って来ます」
父親が返した。
「ああ、気をつけて、行っておいで」
母親も続いた。
「行ってらっしゃい」
少し歩くと、隣りの家に着いた。
巧の家だった。
樹里亜は、インターホンのボタンを押した。
ピンポーンと音が鳴った。
「はい」
よく通る、高めな女性の声が、インターホン越しに聞こえた。
「こんにちは」
樹里亜が声をかけると、女性は言った。
「あら、樹里亜ちゃんね、ちょっと待ってて」
少し待っていると、ドアが開いた。
中から、住人が一人、出て来た。
巧だった。
「おす」
巧が声をかけた。
「やほ」
樹里亜も挨拶を返した。
巧も着替えを済ませて、出かける準備を整えていた。
「お待たせ、たー君」
樹里亜の言葉に、巧は言った。
「こら、俺達の前では、キャラを作らない約束だろ」
叱ると、樹里亜がつまらなさそうに、返した。
「冗談よ」
それを聞くと、切り替えるように、巧は出発を促した。
「ったく、じゃあ、行くか」
樹里亜は頷いた。
「うん」
巧は玄関に近い、リビングでテレビを見ている母親に、声をかけた。
「じゃあ、母さん、行って来る」
テレビを見たまま、母親は返事をした。
「行ってらっしゃーい」
歩き始めて、少しすると、巧が訊ねた。
「次は、誰の家に行くんだ?」
樹里亜は答えた。
「栞の家と、沢村君の家」
続けて、巧が聞いた。
「今日、バスあるか?」
引き続き、樹里亜が答えた。
「うん、このまま行けば、バスが来る五分くらい前に、駅に着く予定だよ」
バス停の時刻表を記した(記した)メモで、確認しながら言った。
それから、二人は他愛もない、会話をしながら、歩いた。
お喋りを楽しんでいるうちに、バス停に着いた。
それからは、樹里亜の言う通り、五分後にバスに乗れた。
バスに乗ってからも、二人は話をした。
アナウンスが流れ、目的のバス停に近づいて来た事を知らせると、樹里亜は降車ボタンを押した。
代金を支払って、バスを降りた。
バスが過ぎ去ると、樹里亜は栞に電話をかけた。
二人は栞の案内を聞きながら、道を進んだ。
すると、一件の家に行き着いた。
「此処か?」
巧が訊ねた。
「多分」
頼り無さそうに、樹里亜は答えた。
「お、押してみるわね」
二人に緊張が走った。
インターホンに、指を押し当てた。
「はい」
聞こえて来た声に向かって、樹里亜は言った。
「私、黒原と申しますが、こちら、本間さんのお宅でよろしかったでしょうか?」
声の持ち主から、答えが返って来た。
「ええ、そうですが……って、樹里亜?」
聞き覚えのある呼ばれ方に、二人の緊張は緩んだ。
その勢いで、樹里亜は喋った。
「そうよ、栞、私よ」
聞いた栞が言った。
「今、開けるわね」
数秒経って、ドアが空き、栞が出て来た。
「よう」
巧が言った。
「ハロー」
樹里亜も続いた。
「ありがとう、迎えに来てくれて」
栞はそう言うと、リビングのソファで、新聞を呼んでる父親に、声をかけた。
「それじゃ、お父さん、行って来るね」
父親が返した。
「ああ、終わったら、連絡寄こせよ」
栞が下駄を履くと、三人は本間家を出た。
家は、本間家の他に、四軒並んでいた。
「さてと、それじゃ、行きますか」
栞が言った。
「え?まだ、沢村君を迎えてないわよ?」
樹里亜が、引き止めるように、言った。
「だ・か・ら、今から、陵雨を迎えに行くのよ」
栞が説明した。
「え?近いのか?」
巧が聞いた。
「うちの三軒隣りよ」
栞が答えた。
「そうなの!?」
樹里亜が驚いた。
「さあ、そうと分かったら、行きましょう」
栞が先陣を切って、進んだ。
樹里亜と巧も、後に続いた。
十分くらいで、家に着いた。
栞がインターホンを、押した。
「はい」
男性の声がした。
「あ、陵雨?私、迎えに来たの」
普段の会話のような調子で、栞がインターホンに話しかけた。
「栞?ちょっと待って、今、開けるから」
少しの間があって、ドアが開くと、陵雨が出て来た。
「あれ?黒原さんと、美作も一緒だったんだ?」
挨拶代わりに、陵雨は一言放った。
「おす」
巧が挨拶した。
「やほ」
樹里亜も続いた。
「あら、お友達?」
女性の声がして、奥から、大人の女性が出て来た。
陵雨の母親だった。
「こ、こんにちは」
樹里亜が頭を下げた。
「初めまして」
巧も一礼した。
「いつも陵雨と仲良くしてくれて、ありがとう」
母親が言って、頭を下げた。
「そんな、とんでもない」
巧が返した。
「こちらこそ、仲良くさせて貰ってます」
栞が続いた。
「どうか、お気遣い無く」
樹里亜も言葉を述べた。
「それにしても」
陵雨の母親が言った。
「栞ちゃんの他にも、こんな可愛い子を捕まえてたなんて、陵雨も隅に置けないね」
軽い肘鉄を陵雨に喰らわせた。
「そんなんじゃないから」
陵雨が否定した。
「照れるなって」
誂う(からかう)ように、母親が言った。
「違うったら」
陵雨が言い返した。
「分かった、分かった」
親子のじゃれ合いが終わると、陵雨は切り替えるように、言った。
「はあ、ったくもう、それじゃあ、行って来るよ」
母親が返した。
「終わったら、TEL宜しく(よろしく)」
陵雨も返した。
「了解、じゃあ、行こう」
陵雨が指揮った。
母親が言葉をかけて、見送った。
「行ってらっしゃーい」
四人は沢村家を出た。
二、三歩、歩いた所で、巧が聞いた。
「次は誰の家?」
樹里亜が答えた。
「一ノ瀬君と冴の家」
陵雨が聞いた。
「どのバスに乗るんだ?」
樹里亜が答えた。
「えっとね……」
雑談を交えつつ、バスの乗車時刻を確認しながら、四人は歩いて行った。
バスの中でも、四人は身を乗り出して、会話した。
バスは抜き去って行った。
民家を。
店を。
そして、街路樹を。
風景が、流れるように、過ぎ去って行く。
それに四人は気づく事無いまま、時間が経過して行った。
「ーーーあ、次で降りるよ」
アナウンスの放送で、降りる駅を知った、樹里亜が教えた。
バスを降りると、陵雨が訊ねた。
「それで、どう行けば良いんだ?」
樹里亜は、質問に答える前に、ケータイを操作し、耳に当てた。
「もしもし、冴?樹里亜だけど」
栞の時と、同様に、樹里亜は道を聞きながら、家に行くつもりらしい。
冴の指示した通りに、樹里亜達は、道を歩いて行った。
また、一軒の家に行き着いた。
インターホンを鳴らして、樹里亜が声をかけた。
「こんにちは、沢渡さんのお宅ですか?」
こんな声が返って来た。
「樹里亜?待ってて、今、開けるから」
待ってる間、少しの間が開いた。
ドアが開いて、家の中から、冴が出て来た。
「やほ」
樹里亜が挨拶した。
「おす」
巧も言った。
「ハーイ」
栞が続いた。
「よう」
陵雨も声をかけた。
「あら、四人も集まったの?随分、大勢で来たわね」
冴の言葉に、樹里亜が返した。
「まだ増えるよ、あと四人」
樹里亜に言われて、気がついたように、冴が言った。
「そっか、戸張(とばり)君と雫、それから朝雨に羽雪ね」
二人で喋っていると、女性の声がした。
「あら、冴、お友達?」
そう言って、女の人が奥から出て来た。
冴の母親のようだ。
「あらあら、随分、沢山来たわね」
と、続けて言った。
遺伝でもあるのだろうか、親子揃って、似たような事を言った。
「こんにちは」
樹里亜が頭を下げた。
「どうも」
巧も一礼した。
「初めまして」
栞が続いた。
「どうぞ、宜(よろ)しくお願いします」
陵雨もお辞儀した。
「あらあら、そんなに畏(かしこ)まらなくていいのよ、こちらこそ、宜しくね」
母親が言い終わると、次に冴が口を開(ひら)いた。
「分かったわ、それじゃ、行きましょ」
続きを言うように話すと、冴は母親に言った。
「じゃ、行って来ます」
母親が返した。
「ええ、行ってらっしゃい、車に気をつけてね」
冴の母親に見送られて、五人は沢渡家の玄関を出た。
冴の後ろで、ドアの閉まる音が、聞こえた。
四人は歩きながら、会話した。
「俺達は家が近所だったけど、沢渡達も家が近かったりすんのか?」
陵雨が訊ねた。
「んー、遠くはないけど、バス一本分離れてるからね、大して近くもないと思うよ」
冴が答えた。
「そのバスに乗って、一ノ瀬君の家がある町まで行って、迎えに行くよ」
樹里亜が話に混ざった。
「バス停には間に合いそう?」
次に聞いたのは、栞だった。
「大丈夫」
樹里亜は答えた。
下駄がカラコロと、軽い足音をたてていた。
雑談しながら、四人はバス停を目指した。
バス停に着いて、設置されているベンチに、四人は横並びで、腰をかけ、バスを待った。
三人が空を見つめ、ぼんやりする中、樹里亜はバスの時刻表を書き記した、メモを見ていた。
誰から始まったのか、いつの間にかしていた、談笑を楽しんでいると、バスが来た。
バスの中にも、後部座席に、丁度四人が座れるくらいの長椅子(ながいす)があった。
四人は迷う事無く、長椅子に座った。
バス停のベンチと同様に、男性二人の間に、女性二人を挟む形で、座った。
「着いたら、知らせるから、ボタン押してね」
樹里亜が言った。
「了解」
と、巧が返した。
「それでは、出発しまーす」
運転手が言うと、ブロロロという、エンジン音を出して、バスは走り出した。
安全運転のバスの中で、樹里亜達は雑談を楽しんだ。
次のバス停が見えた時だった。
女性の声のアナウンスが流れると、樹里亜が言った。
「此処だよ、押して」
巧は返事をして、降車ボタンを押した。
「はいよ」
ピンポーンと、コミカルな音が鳴って、運転手に降りる乗客がいる事を、知らせた。
支払いを済ませると、四人はバスから降りた。
「此処でも、連絡するの?」
栞が訊ねた。
「勿論(もちろん)」
樹里亜が答えた。
電話をかける為、ケータイを出そうとすると、陵雨が腕を掴んで、止めた。
「待った、俺がやる」
樹里亜は不思議に思ったが、陵雨に任せた。
「そう?じゃ、お願い」
陵雨はケータイを懐から出して、朝雨に連絡を繋いだ。
「もしもし、一ノ瀬?うん、そう、俺」
無事に繋がったらしく、通話が始まった。
「うん、あのさ、今から家に行くから、ルート教えて」
朝雨の返しを聞きながら、陵雨は話した。
「うん、そう、お前ん家、待った、聞きながら行くから、切らずに一つずつ、教えて行って貰えるか?」
朝雨の返しを聞いて、陵雨は詫びながら、言った。
「悪いな、じゃあ早速、教えて貰えるか、分かった」
樹里亜達の方を見て、陵雨は言った。
「行こう」
四人は歩き出した。
朝雨から教えて貰った通りに、四人は道を進んで行った。
一軒の、家の前で、四人の足は止まった。
「此処かしら?」
冴が、陵雨に聞いた。
「多分な」
呼び鈴を鳴らそうとした、その時。
家のドアが開いて、中から人が出て来た。
朝雨だった。
「やあ、早かったね、もっとかかるかと思ってたよ」
朝雨の姿と声を聞いて、四人は安心した。
「迎えに来てくれてありがとう」
朝雨が言った。
そう喋ってる時だった。
「あら、あっくん、お友達?」
ふいに、朝雨の背後で、そんな声がした。
女性の声だった。
朝雨が後ろを向くと、女性が立っていた。
「母さん」
朝雨がそう呼んだ。
「朝雨の母です、いつも息子がお世話になってます」
前に進み出て、そう言い、正座をすると、手をついて頭を下げた。
「初めまして」
樹里亜も、そう言って、頭を下げた。
「こんにちは」
巧も一礼した。
「こちらこそ、仲良くさせて頂いてます」
栞も体を、逆くの字に折り曲げた。
「ご丁寧にどうも」
陵雨も畏まった。
「そんな律儀にしないで、ほら、みんな、顔を上げて」
朝雨が落ち着いた声と口調で、言った。
みんなの姿勢が元に戻ると、朝雨は訊ねた。
「他にも誘うの?」
樹里亜が答えた。
「うん、いつものメンバーだから、後三人」
それを聞いた、朝雨は言った。
「そうなんだ、じゃあ、行こうか」
樹里亜が、少し遅れて、応えた。
「え?あ、うん」
母親に顔を向けて、朝雨は言った。
「じゃあ、母さん、行って来ます」
母親も、朝雨に返した。
「気をつけて、行ってらっしゃい、終わったら連絡、宜しく」
返事を返した、朝雨と共に、樹里亜達は一ノ瀬家を出た。
「はーい」
カラコロと下駄を鳴らして、歩く。
「で、また、バスに乗るの?」
訊ねたのは、また栞だった。
「うん、それで、戸張君の家と、雫の家に行くよ」
樹里亜は答えた。
「次はどのバスに乗るんだ?」
陵雨の質問にも、樹里亜は答えた。
「えっとね……」
五人が話をして行く中で、〝会議〟は雑談に変わって行った。
喋りながら、歩いているうちに、バス停に着いた。
バス停にはバスが一台、停まっていた。
「あ、バスが来てるよ」
朝雨に言われて、陵雨は樹里亜の伝えた、バスの到着時刻を思い出しながら、腕時計を見て言った。
「あのバスだな、丁度良かった」
栞が急かした。
「行かないうちに、早く乗ろ」
五人は、足を速めた。
バスの入り口に着くと、運転手が遠隔操作で、ドアを開けた。
五人が乗り込むと、疎ら(まばら)に人が席に座っていて、後ろの席が丸ごと、開いていた。
一番後ろの長椅子が、四人で座っていっぱいになってしまった為、朝雨はその手前の席に腰掛けた。
五人は腰を降ろすと、一息ついた。
少しの間があってから、バスは出発した。
幾つ(いくつ)ものバス停に見送られるように、バスは走り去って行った。
アナウンスが流れ、バス停にも書かれている停車場名を知らせた。
「あ、此処だ、誰か押して」
樹里亜に言われて、朝雨が返事をすると、降車ボタンを押した。
支払いを済ませると、開いた降車口から五人は、バスを降りた。
バスが走り去ると、ケータイを取り出そうとする樹里亜を、冴が止めた。
「待った、私がかけるわ」
樹里亜が了承した。
「分かった」
通話が繋がると、冴は事情を説明し、行き方を教えて貰うと、樹里亜達は、指示された通りに、歩いて行った。
そして、また、一軒の家に行き着くと、インターホンを鳴らした。
応答があると、冴が返した。
「沢渡です」
伝わったのか、返事が来た。
「ちょっと待ってて」
数秒すると、ドアが開いて、雫が出て来た。
「ちーす」
と挨拶をして、樹里亜達を見て言った。
「あら?いつものメンバーにしては、なんか足りなくない?」
樹里亜が、答えるように言った。
「これから、迎えに行くの」
樹里亜の言葉を聞いて、雫は納得した。
「そうなの」
樹里亜が雫を誘った。
「一緒に行きましょ」
雫が返事を返した。
「ええ、じゃ、ちょっと待ってて」
雫はそう言うと、そっぽを向いて、ケータイを取り出し、何処かに電話をし始めた。
「もしもし、夕雨涼君?私、雫だけど、今から家に行っていい?分かった、はい、じゃあね」
電話を切ると、雫は樹里亜達に向き直った。
「じゃあ、行きましょうか」
樹里亜が聞いた。
「え?雫、戸張君の家、知ってるの?」
雫は答えた。
「知ってるも何も、お向かいさんよ」
樹里亜が驚きの声を上げた。
「マジで!?」
逆に雫は、平然として、家の奥に声をかけた。
「お父さーん、友達が来たから、行って来るねー」
奥から、男性の声がした。
「ああ、気をつけて、行っといでー、終わったら、連絡するの、忘れるなよー」
返事をすると、雫は下駄を履いた。
「はーい」
そして、父親に再び声をかけた。
「行って来まーす」
返事が返って来た。
「行ってらっしゃーい」
それを背中越しに聞くと、雫は外に出た。
樹里亜達も、仲間家を出た。
雫が先陣を切って、歩道を斜め右に渡って行く。
樹里亜達も、後をついて行った。
と、一軒の家の前で、足が止まった。
雫は躊躇う(ためらう)事無く、インターホンのボタンを押した。
「はい」
男性の声がした。
「夕雨涼君、来たよ」
雫が言った。
「ああ、うん、ちょっと待ってな」
少しの間をおいて、ドアが開くと、夕雨涼が出て来た。
「よう」
と、片手を上げて、七人に挨拶した。
七人も、思い思いの挨拶を、それぞれ返した。
「迎えに来てくれて、サンキュ、じゃ、行きますか」
夕雨涼はそう言うと、下駄を履いた。
そして、奥に向かって、張った声を出した。
「母さーん、友達来たから、行って来るねー」
奥から声が返って来た。
「はいはーい、帰る時になったら、連絡しなさいよー」
更に返事をすると、夕雨涼は家から出た。
「分かったー」
樹里亜達もついて行った。
「後残るは一人、羽雪だけね」
樹里亜が言った。
「で、迎えに行くのか?」
夕雨涼が訊ねた。
「そう、羽雪、驚くかしら」
楽しそうに、樹里亜が答えた。
「ふふふ、目に見えるようね」
そう言って、栞も少し笑った。
「で、次はどのバスだ?」
巧が聞いた。
樹里亜がメモを見て、答えた。
「えっと、今から三十分後ね」
喋りながら歩いていると、目的のバス停に着いた。
五分程、時が経つと、バスはやって来た。
乗ると、中には対面式に、長椅子が二つ、後部座席に並んでいた。
四対四に分かれて座ると、バスは出発した。
一時間くらい揺られて、何度目かのアナウンスが、
羽雪のいる町の名前を言った。
今度は陵雨が、ボタンを押した。
支払いを終えて、バスを降りると、樹里亜は羽雪に、電話した。
「もしもし、羽雪?そう、私よ、今から家に行くから、道をケータイ繋げたまま、教えて」
羽雪が言った、道順を、メンバーに伝えながら、樹里亜はルートを辿って行った。
そして、一戸建ての家についた。
「青い屋根の家ね、分かったわ、ありがとう」
電話を切ると、樹里亜はインターホンを鳴らした。
「はい」
と、か細い声がして、ドアが開き、羽雪が出て来た。
樹里亜の後ろにいるメンバーを見て、驚いたらしく、羽雪は目を見開いた。
すると、一つ咳払いをして、樹里亜は言った。
「えっと、この間は、ごめんなさい」
それを聞いた、羽雪は、首を横に振り、こう返した。
「もういいの」
二人は、仲直りの握手を交わした。
「さてと、それじゃ、改めて行きましょ」
冴が言った。
「ちょっと待って」
と、引き止めると、羽雪は上の階に向かって、声を張った。
「それじゃ、お兄ちゃん、行って来ます」
二階から、返事が聞こえた。
「ああ、終わったら、連絡よこせよー」
樹里亜達は外に出た。
歩きながら、雑談していると、樹里亜は言った。
「ところで、どう?この浴衣(ゆかた)、似合うでしょ?」
袖(そで)を持ち、くるりと一回転して見せた。
「うん、凄く(すごく)似合ってる、大人っぽくて、素敵」
羽雪の言葉を聞いて、樹里亜も返した。
「ありがとう、羽雪も似合ってるわよ」
羽雪も樹里亜に返した。
「嬉しい、ありがとう」
二人が浴衣姿のお互いを褒め合った。
みんなは、浴衣を着ていた。
夕雨涼はオレンジ。
陵雨は紺(こん)。
朝雨は藍(あい)。
巧は黄色の無地。
雫は朝顔。
栞は向日葵(ひまわり)。
冴は蝶(ちょう)。
羽雪は紫陽花(あじさい)。
樹里亜は金魚のシルエット柄を、それぞれ着ていた。
「おっと、もう、こんな時間だぜ」
腕時計を見せて、夕雨涼が言った。
「そろそろ、始まる頃合いね、早いとこ行きましょ」
冴がみんなを焚きつけ(たきつけ)、九人は町へと繰り出した(くりだした)。
ドーンドーンと、大きな音が轟く。
カッカッと軽い音も、聞こえる。
ピーヒャラリと、笛の高音が鳴る。
ずらりと灯が(ひが)灯(とも)された提灯(ちょうちん)が、吊るされ、立ち並ぶ。
活きの良い、掛け声が飛び交い、屋台に客足が運ぶ。
ぞろぞろと沢山の人が行き交い、町を賑わせていた。
今日は星の灯り町の夏祭り。
祭りを楽しむ町人達の中に、樹里亜達もやって来ていた。
「おー」
陵雨が感嘆の声を漏らした。
「凄い人だかりだな」
額(ひたい)に手を翳し(かざし)、遠くを見るようなポーズをとって、夕雨涼が言った。
「凄いね」
と羽雪。
「本当、お店も沢山」
栞も言葉を述べた。
「どれから回ろうか、目移りしちゃうわね」
冴も話に混ざった。
「取り敢えず、林檎飴(りんごあめ)行かない?」
樹里亜が提案した。
「良いね、林檎飴」
羽雪が、樹里亜の肩を持った。
「そうね、手始めに、林檎飴は丁度良いかも知れないわね」
冴も賛同した。
「持ち運べるし、食べ歩きながら、お店を周るのも悪くないわね」
栞も、樹里亜の提案を、採用した。
「じゃあ、レディーファーストと言う事で、最初は林檎飴に行きますか」
学級委員長らしく、朝雨が指揮った。
みんなで顔を合わせて、頷いた。
九人は、向かい合って立ち並ぶ、屋台の左端へと向かった。
活気のある声で、店の主人が出迎えた。
林檎飴を一人ずつ買い、主人に労い(ねぎらい)の言葉をかけられながら、店を離れた。
「早速食べようよ」
栞が言った。
包んでいるラッピングを取り、林檎飴を口に運ぶ。
飴と林檎、二つの甘さが口いっぱいに広がった。
「ん~、美味し〜」
とろけるような顔をして、雫が声を出した。
「あ、ねえねえ、あれ見て」
栞が指さすその先には、〝射的〟と店名が書かれていた。
「面白そう、やってみようよ」
そう言って、みんなを誘った。
「じゃあ、林檎飴を食べ終わったら、やろうか」
穏やかな口調で、朝雨が返した。
「なあ、じゃあ、こうしないか?」
夕雨涼が話しかけた。
「何?」
雫が訊ねた。
「射的で一番取れなかったヤツが負けで、罰としてみんなに、焼きそばを奢る(おごる)」
と、夕雨涼が続けた。
「良いね、乗った」
陵雨が誘いを受けた。
「右に同じく」
林檎飴を食べ終わった、冴が声を上げた。
「私も」
雫も言った。
「私も」
と、栞。
「私も」
羽雪も小さな声で言った。
「私もやるわ」
樹里亜も乗った。
他の男子達も賛成し、満場一致で、次に行く店は射的と決まった。
全員が林檎飴を食べ終わると、約束の射的へと向かった。
結果はというと。
夕雨涼・七個
陵雨・六個
朝雨・六個
巧・八個
雫・三個
栞・四個
冴・五個
羽雪・三個
樹里亜・二個
「このゲーム、樹里亜の負けね」
楽しそうに、冴が喋った。
「罰ゲーム、宜しくね」
栞が続いた。
「分かったわよ、奢ればいいんでしょ」
頬を膨らませて、樹里亜がむくれた。
そして、出店で焼きそばを、人数分買った。
その後、たこ焼き、焼き鳥、お好み焼、串カツなど、露店を巡った。
「よし、休憩するか」
出店を半分くらい、周った所で、夕雨涼が言った。
グーと、腹の音が聞こえて、陵雨が腹を押さえた。
「えへへ」
と、照れ臭そうに、笑った。
「林檎飴以外、口にしてなかったもんね」
クスッと笑って、栞が言った。
「もう、こんな時間だしね」
ケータイで時間を見せながら、雫が教えた。
七時半を六分程、周っていた。
「マジで?……本当だ、もう、そんなに経つのか」
巧もケータイで時刻を確認すると、軽く驚いたような声を上げた。
「買った物、食べましょうか」
冴が発言した。
「そうだね、そうしようか」
朝雨が採用した。
「だな」
朝雨の言葉に、男性陣は全員、頷いた。
「そうね」
女性陣も賛成だった。
「でも、何処で食べる?」
栞が訊ねた。
「あ、そうか、えっと」
と、朝雨は辺りを見回した。
「じゃあ、あそこなんてどうかな?」
偶然にも、向こう側に、民家と民家の間に出来た、道路の隙間を見つけた。
「いいね、みんなもそこでいい?」
栞の言葉に、全員が互いに顔を見合わせて、頷いた。
道路の左右を見て、車が来ない事を確認すると、
七人は、カップルになって、男性が女性の手を引いて、向こう側へと、渡った。
樹里亜は巧が、買い物袋を手首に潜らせ(くぐらせ)て、空いた手を作り、羽雪の手と、それぞれ繋いで、向こうに行った。
渡り終えると、カップルは離れた。
「はい、着いたよ」
男子が言った。
「あ、ありがとう」
女子が顔を紅くして、返した。
「た、食べよっか」
気分を変えるように、栞が言った。
「そ、そうね」
冴が賛同した。
二人の言葉に従うように、みんなは座って、買った食べ物を広げた。
男子は胡座(あぐら)をかいて、女子は足を伸ばして、座り、その上に、食べ物を置いた。
朝雨が手を合わせて言った。
「いただきます」
朝雨の挨拶を合図に、みんなも続いた。
『いただきます』
そして、割り箸(わりばし)を割って食べ始めた。
みんな、思い思いに、食べ物を口にして行った。
「美味しい」
焼き鳥を食べた、雫が言った。
「美味い」
焼きそばを食べた、夕雨涼も言った。
「おいひい〜」
次にたこ焼きを食べた栞が言った。
「んまぁいっ」
その次にお好み焼きを食べた陵雨が言った。
「美味しっ」
そのまた次にフランクフルトを食べた冴が言った。
「うまっ」
アメリカンドッグを食べた、朝雨が続いた。
「うん、美味しい」
豚汁を啜った(すすった)、羽雪も言った。
「うーまいっ」
おでんを食べた、巧も言った。
「おいしい〜」
ほうとうを食べた、樹里亜も言った。
みんなが、食事に夢中になっている中、ふと、冴があるものを、見つけた。
「ねえ、みんな、あれ見て」
口の中にあった、焼きそばを呑み込んで、向こうを指さしながら、冴が言った。
八人が、冴の指さした方を見ると、大きな看板が視界に映った。
看板には赤く、字体が垂れ下がった文字で、こう書かれてあった。
〈お化け屋敷〉
「お化け屋敷ですって、面白そう」
引き続き、冴が喋った。
「へーえ、そんな店があったんだ」
たこ焼きを食べながら、夕雨涼も言った。
「俺も今、初めて知った」
いか焼きを齧り(かじり)ながら、巧も話に混ざった。
「私も」
ジュースを飲みながら、雫が言った。
「同じく」
同様に、ジュースを飲みながら、羽雪も続いた。
「俺も」
次に、お好み焼きを、口に入れながら、陵雨が言った。
「私も」
豚汁を啜りながら、その次に、栞が言った。
「俺も」
焼き鳥に齧り(かぶり)つきながら、その次に朝雨が言った。
「私も」
串カツを口に入れながら、樹里亜も言った。
「ねえ、ご飯食べたら、次、あそこにしようよ」
冴が提案した。
「え……」
樹里亜が呟いた。
「それ、良いな、面白そうだ」
夕雨涼が、話に乗っかった。
「それ、賛成」
栞も言った。
「私も」
雫も賛同した。
「羽雪ちゃんは、怖いの大丈夫?」
巧が、羽雪に訊ねた。
「誰かが一緒なら、大丈夫」
力強い口調で、羽雪が答えた。
「美作(みまさか)も行くか?」
夕雨涼が聞いた。
「うーん、残念だけど、俺は残るよ」
そう言って、巧は断った。
「えー、何で?行こうよー」
冴が強請(ねだ)った。
「樹里亜がこういうの、ダメだからさ、一人にしておけないし、悪いけど、行かないよ」
と、巧が返した。
「そうなの」
羽雪が納得して言った。
それを聞いて、樹里亜はホッとした。
「みんなで行けば、怖くないからさ、樹里亜も行こうよ」
冴が樹里亜に、誘いをかけた。
「え……」
樹里亜から、声が漏れた。
冴がお化け屋敷に、みんなを誘った時から、顔が青白い。
「樹里亜?大丈夫か?顔色が良くないぞ」
巧が心配して、声をかけた。
「無理に行こうとしないで、断ったっていいんだぞ」
巧の優しい言葉に、樹里亜は甘えたくなったが、次の言葉が、樹里亜の心を揺さぶった。
「一回だけでいいからさ、付き合ってよ、ね?」
冴が言った。
「え、いや、あの……」
何か言って、返そうと、口籠(くちごも)る樹里亜を冴は言葉で、制止した。
「ね?」
すると、樹里亜から、次の言葉が、口をついて出て来た。
「う……じゃあ……一回だけなら……」
それを聞いた冴が、喜んで言った。
「OK、決まり」
拳(こぶし)を高く掲げ、もう片方の手で、ガッツポーズをしながら、冴が言った。
「じゃあ、みんなでお化け屋敷に行こう」
朝雨が指揮った。
みんなで談笑しながら歩いて、お化け屋敷を目指す中、樹里亜は大人しく、黙っていた。
さっきまでの元気は、なりを潜め(ひそめ)てしまっていた。
「樹里亜、大丈夫か?」
巧が声をかけた。
「大丈夫……」
生気(せいき)の無い声で、静かに、樹里亜は答えた。
「やっぱり、俺達は入るの、止めた(やめた)方がいいんじゃないか?」
そう言って、樹里亜を気遣った(きづかった)。
「えー」
不服そうな声を、冴が出した。
「気にしないで、大丈夫だから」
見栄を張るように、樹里亜は言った。
「そうそう、うちらがいるんだから、怖くない、怖くない」
冴の言葉に、心を動かされたらしく、樹里亜は呪文を唱えるように、繰り返し始めた。
「怖くない、怖くない」
それからは、お化け屋敷に入る前だと言うのに、まるで、何かに取り憑かれたかのように、樹里亜はその言葉ばかりを、言い続けた。
お化け屋敷の入り口に着いても、樹里亜は言うのを止めなかった。
「此処って」
巧が声を出した。
「元病院だった廃墟(はいきょ)じゃないか」
続きを言うように、朝雨が喋った。
入り口の前には、長机が二つ並べてあり、看護師のコスプレをした、女性が向かい合って、添えつけられたパイプ椅子(いす)に座っていた。
長机の先端に、手書きで〝受け付け〟と書かれた、立て札が置かれていた。
その隣りには、入場料を入れる、手作りの箱があった。
ちなみに、大人が三百円、子供が百円である。
『いらっしゃいませー』
この場の雰囲気にそぐわないような、明るくて可愛らしい、二つの声が、重なって聞こえた。
料金を箱に入れると、九人は入り口に立った。
「それじゃあ、行こうか」
朝雨が言った。
「うん」
弾んだ声を出して、冴が頷いた。
朝雨が、先陣を斬って進み、中へと入った。
次々と入場が行なわれ、最後に樹里亜が、羽雪の背中にひっついて、中に入って行った。
「九名様、ご案内ー」
後ろで、受け付けの一人が、そう声を張って行ったのが、樹里亜の耳に聞こえた。
中は、暗く、赤いライトで屋敷内が、照らされていた。
前方に、墓場や井戸のセットがあって、いかにもな感じが、おどろおどろしい雰囲気を、醸し(かもし)出していた。
「うわぁ」
栞が声を出した。
「凄い本格的」
雫も言った。
樹里亜に至っては、まだ〝怖くない〟を繰り返している。
「何が出て来るのかな?ゾンビかしら」
楽しそうに、冴が言った。
「ひっ」
樹里亜から、声が出た。
羽雪の服を掴んでる手に、力が入った。
「おいおい、脅かす(おどかす)なよ」
陵雨が冴を窘め(たしなめ)た。
「あら、この方が、雰囲気が盛り上がって、良いじゃない」
冴が言い返した。
「樹里亜ちゃん、大丈夫?」
羽雪が気遣うように、優しく声をかけた。
「怖くない、怖くない」
樹里亜の返事は、これだった。
「気を取り直して、さっさと進めば、きっと大丈夫よ、ね?」
栞が朝雨に話を振った。
「そうだね、次に行く為(ため)にも、先に進もう」
頷いて、朝雨が言った。
「じゃあ私、先に行くね」
そう言って、冴が前に進んで、歩き出した。
「あ、おい、待てよ」
夕雨涼が冴に声をかけた。
六人は、冴の後を追いかけた。
「待って」
羽雪が六人に言った。
そして、樹里亜にも、話しかけた。
「先、進むけど、大丈夫?」
樹里亜は小さく、頷いた。
二人は歩き出した。
二、三歩、歩いた、その時だった。
「ひゃあ」
樹里亜が声を上げた。
「ど、どうしたの?」
羽雪が訊ねた。
羽雪の服から手を離し、首を触って、樹里亜は答えた。
「首に何か、冷たいものが当たった」
樹里亜の言葉を聞いて、朝雨が動いた。
羽雪と樹里亜のいる所まで、戻ると、樹里亜の後ろに周った。
そして、樹里亜の言った、冷たいものの正体を見て、納得し、樹里亜に話しかけた。
「ああ、成程(なるほど)、黒原さん大丈夫、見てごらん」
朝雨に言われて、樹里亜は恐る恐る、後ろを振り向いた。
蒟蒻(こんにゃく)が、糸で吊るされていた。
「あ……」
樹里亜から、声が漏れた。
樹里亜は膝(ひざ)から崩れ落ち、座り込んだ。
「大丈夫?立てる?」
羽雪が手を差し伸べた。
「あ、うん」
手を乗せて、羽雪に引っ張って貰うと、樹里亜は立ち上がった。
「じゃあ、進もうか」
朝雨が言った。
みんなが、雑談しているのを、聞いていた樹里亜は、壁にあるものを見つけた。
提灯(ちょうちん)だった。
〝ご自由にお取り下さい〟
下にそう書いてあった。
樹里亜は、羽雪から離れた。
「樹里亜ちゃん?」
様子が気になった羽雪が、呼ぶように、名前を言った。
樹里亜が提灯に近づいて、触れようと、手を伸ばした時だった。
提灯から、眼と舌が飛び出した。
「キャアアアアア」
樹里亜は、後ろに仰け反り、尻餅をついた。
「油断したね、樹里亜」
起こした行動から、察したように、巧が言った。
「大丈夫?」
そう言って、差し伸べられた、羽雪の手に捕まって、樹里亜は立ち上がった。
その様子を見ていた、朝雨が言った。
「さ、先を進もうか」
みんなでまた、歩き始めた、その時だった。
出口から、何かが現れ、猛スピードでこちらに近づいて来た。
人だった。
体を寝かせた状態で、こちらに迫って来ているが、何かがおかしい。
朝雨は彼女をよーく見た。
数秒して、ようやく分かった。
朝雨はハッとした。
体が、あり得ない曲がり方をしているのだ。
足が前で、頭と手が後ろにある。
ぶつかりそうになる寸前で、朝雨は、彼女を避けた。
みんなも、彼女の襲撃を、躱して(かわして)行った。
ただ一人を除いて。
「いやあああああ、来ないでえええええ!!」
樹里亜は、来た道を引き返すように、彼女から逃げて行った。
「あ……」
引き止めようと、羽雪が手を伸ばす仕草をした。
「待って、樹里亜」
同じ仕草をして、冴が叫んだ。
しかし、樹里亜は遥か遠くに行ってしまい、その声は届かなかった。
「行っちゃった」
羽雪が言った。
「どうするの?」
心配そうな声で、栞が言った。
「探すしか無いだろうね」
朝雨が答えた。
「じゃあ、行くか」
夕雨涼の言葉を合図に、八人は、入り口へと戻り始めた。
※
樹里亜は、走っていた。
走って、走って、走った。
「ハァッハァッハァ……」
何処かで止まり、手を膝につき、乱れた呼吸を整えた。
(此処、何処かしら)
いつの間にか、露店の真ん中に来ていた。
ゾロゾロと行交う人混みの中に、樹里亜はいた。
辺りをキョロキョロと見回し、重大な事実に気づいた。
(しまった、みんなと逸れ(はぐれ)ちゃった、どうしよう……)
樹里亜は青くなった。
(みんなの所に行かなきゃ)
そう思い、みんなを探した。
が、行けども行けども、見つからない。
ケータイにもかけてみようとしたが、電波が悪いらしく、繋がらなかった。
終い(しまい)には、行列に流されて、人混みから追い出されてしまった。
樹里亜はすっかり、元気を無くしてしまった。
トボトボと、町中を彷徨った(さまよった)。
一休みしようと、町の裏側に周った。
すると、大きな噴水を見つけた。
(丁度いいわ)
と、樹里亜は噴水の縁(ふち)に腰掛けた。
樹里亜の脳裏に、ある記憶が蘇った(よみがえった)。
(グスン、ヒック、えーん、えーん)
幼い頃、お化け屋敷から出て、泣いていた自分を巧が宥め(なだめ)に来てくれた。
(大丈夫?樹里亜)
そう、優しく肩を叩いて、声をかけてくれた。
「ふふふ、懐かしいわ」
一人で思い出に浸って(ひたって)いると、横から肩を叩かれた。
(巧?)
樹里亜が振り向いた。
「よう」
肩を叩いた人物が、片手を挙げて、挨拶をした。
樹里亜達、明星高校の音楽担当教師。
木村裕也だった。
「何してんだ?こんな所で」
そう、樹里亜に声をかけた。
裕也は、片手に買い物袋を二つ、ぶら提げていて、
夏祭りを堪能しているようだった。
樹里亜は一気に感情が込み上げて来て、爆発した。
「先生ーーー!!」
裕也の胸を借りて、樹里亜は泣き出した。
裕也は樹里亜が落ち着くのを待って、事情を聞いた。
「そうか、みんなと逸れちゃったのか」
樹里亜は頷いた。
「よし、じゃ、行くか」
ハンカチで涙を拭う(ぬぐう)樹里亜に、裕也は言った。
「行くって何処に?」
樹里亜の言葉に、裕也は答えた。
「夏祭りだよ、付き合え、気分転換だ」
裕也は樹里亜を連れて、出店を巡った。
チョコバナナ、かき氷、クレープ、鯛焼き(たいやき)、型抜き、輪投げ、様々な店に行った。
いろんな店を堪能する度(たび)に、樹里亜は段々元気になって行った。
笑みも浮かべるようになった。
二人は満足すると、噴水の所に戻った。
「そろそろ、花火が上がる時間だな」
腕時計で時間を確認しながら、裕也が言った。
「ふふふ、どんなのが上がるか、楽しみ」
待ち遠しそうに、樹里亜が明るい声を出した。
今か今かと、胸を踊らせながら、暗くなった空を見上げた。
「わあ……!」
満天の星が夜空に散りばめられていた。
「綺麗……」
そう言って、樹里亜が見惚れ(みとれ)ていると、
星の一つが、夜空を滑った。
「あ、流れ星」
そう言うと、目を閉じ、胸の前で、手を組んだ。
数秒すると、樹里亜は手を解いて、目を開けた。
「何をお願いしたんだ?」
裕也が訊ねた。
「これからも、先生とデート出来ますように」
樹里亜はそう、答えた。
「そうか」
と、言うと、裕也は引き続き、こう言った。
「言うのが遅れたけど、その浴衣(ゆかた)似合ってる、可愛いよ」
すると、樹里亜はこう返した。
「可愛いのは、浴衣だけ?」
裕也は答えた。
「その浴衣来てる樹里亜が、可愛いよ」
それを聞いた樹里亜は、嬉しそうに、裕也を褒めた。
「よく、出来ました」
突然裕也が、夜空を指さして、こう言った。
「あ、UFOだ」
樹里亜が慌てて、探し出した。
「え!?何処、何処!?」
ニヤッと笑って、裕也は言った。
「嘘だ」
樹里亜がむくれた。
「もうっ」
樹里亜はそっぽを向いた。
裕也が宥め(なだめ)た。
「そう、機嫌を損ねるな、花火見るんだろ?」
裕也にそう言われて、樹里亜は怒りを抑えた。
「仕方ないわね」
と、裕也の悪戯を許して。
「お、始まるぞ」
明るく光った夜空に、花火が開始される予兆を感じた、裕也が言った。
ヒュー、ドンッと音がして、鮮やかな色彩の花が夜空を飾り始めた。
菊、牡丹、冠と打ち上がって行き、次に、ひょっとこやおかめ等、お祭りにはうってつけの花火も見られた。
ハート、スペード、ダイヤ、クローバー、四つ葉にチューリップ、蝶等(など)のマークの他に、
アンパンマン、ちびまる子ちゃん、サザエさんなど、アニメのキャラクターが続いた。
「凄い凄い」
幼い子供のように、樹里亜は燥いだ。
「なあ」
甘く、優しい声で、裕也が声をかけた。
「何ですか?」
樹里亜が聞いた。
「キス、して良いか?」
裕也が聞き返した。
「どうぞ」
樹里亜が返した。
目を閉じて、唇をきつく結び、待ち構える樹里亜に、裕也は顔を近付けた。
互いの唇が触れ合った瞬間、花火が夜空に輝いた。
「ん……」
樹里亜が苦しそうな声を、甘く出した。
花火が打ち上がると共に、二人は繰り返し、口付けを交わした。
何度も。
何度も。
何度も。
愛を確かめ合うように。
やがて、夜空が光らなくなると、二人も離れた。
「今日の事は、俺達だけの秘密な」
裕也が言った。
樹里亜は、何か言おうかと思ったが、言葉が浮かんで来ず、ただ、無言で頷いた。
「良い子だ」
そう言うと、裕也は怪しく笑った。
かと、思いきや、またいつもの、気の抜けたような表情に戻り、樹里亜の肩に手を添えて、言った。
「みんなの所に行くとするか、送ってくよ」
二人は、歩き出すと、噴水広場を後にした。
また、二人は露店を歩き周った。
そして、巧を焼きそば店で。
冴を射的の店で。
朝雨を輪投げの店で。
羽雪を林檎飴店で。
陵雨をたこ焼き店で。
雫を綿あめ店で。
夕雨涼をジュース売り場で。
栞をお好み焼焼き屋で。
それぞれ、見つけた。
「もう、探したよ」
雫が言った。
「何処行ってたんだよ」
夕雨涼も言った。
「そうよ、心配したんだから」
冴が続いた。
「危うく警察に行く所だったわ」
その次に、栞が言った。
「もうちょっとで、騒ぎを起こすとこだったんだぜ」
と、陵雨。
「焦った」
羽雪が言った。
「見つけるのに苦労した」
巧も言った。
「探すの大変だったんだからな」
そして、朝雨も言った。
「このまま、見つかんなかったら、事件だったよ」
みんなに叱られて、樹里亜は落ち込んだ。
そして、謝った。
「うう……ごめんなさい」
すると、隣りにいた裕也が言った。
「その辺で許してやれ」
冴が賛同した。
「そうね、先生と偶然出くわしたのが、せめてもの救いだったわ」
夕雨涼も言った。
「そうだな」
羽雪が続いた。
「せっかくの、楽しいお祭りだものね」
その次に巧も言った。
「だな」
栞も頷いた。
「うん」
その次に、朝雨も言った。
「そうだな」
雫も言った。
「だね」
それを聞いて、落ち込んでいた、樹里亜の表情に、明るさが戻った。
「みんな、ありがとう」
ふと、時間が気になり、陵雨が腕時計を見た。
「そろそろ、お祭り終わる時間だな」
物足りなさそうに、栞が言った。
「えーっもう、そんな時間?」
冴が提案を述べた。
「じゃあさ、今のうちに、みんなで記念写真撮(と)ろうよ」
そう言って、ケータイを取り出し、近くにいた男性に、撮影を頼んだ。
道の真ん中にある、輪投げ屋の前に、みんな集まった。
冴に呼ばれて、裕也も、みんなの中に入った。
「はい、チーズ」
男性が声をかけると、みんな笑顔になった。
ポーズを決める者もいた。
男性がボタンを押した。
「ありがとうございました」
冴が礼を言うと、男性は謙虚に返した。
そして、ケータイを返し、去って行った。
残った時間を使って、みんなで遊び周った。
一夏(ひとなつ)の思い出が、樹里亜に出来た。
樹里亜と裕也、二年後にこの二人が、結婚する事を、本人達(たち)は勿論、みんなはまだ知らない。
恋(あなた)に落ちました。 高樫玲琉〈たかがしれいる〉 @au08057406264
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