第6話

朝が訪れ、舞夜家に光が差し込んだ。

雀(すずめ)の囀り(さえずり)より、少し遅れてケータイのアラームが鳴った。

羽雪は目を覚ますと、アラームを止めた。

学校に行きたくない思いが、鈍らせる体を、無理矢理起こし、背後にある窓とカーテンを開けた。

羽雪の気持ちとは裏腹に、天気は絶好調だった。

渋々な気持ちを引き摺り(ひきずり)ながら、身仕度を整え、羽雪は部屋を出た。

「おはよう……」

挨拶で、羽雪は忍に呼びかけた。

「ああ、おはよう」

忍が朝ご飯の仕度をしていると、羽雪が二階から降りて来た。

「元気無いな、大丈夫か?」

心配そうに、忍が聞いた。

「大丈夫」

羽雪は答えた。

「もうちょっとで出来上がるから、座って待っててくれ」

羽雪は忍の言う通りにした。

ややあってから、忍から声がかかった。

「出来たぞ、これ運んでくれ」

「うん」

羽雪は、忍が盛りつけた料理を、並べて手伝った。

今朝のメニューは、ご飯に、豆腐と若芽の味噌󠄀汁、卵焼きに、ウィンナーだった。

二人は席に着くと挨拶をし、食べ始めた。

「ご馳走様(ごちそうさま)……」

食べ終えた食器を、水の張ってある容器に浸けると、羽雪はスクールバッグを持って、玄関に向かった。

「本当に大丈夫か?」

忍は聞いた。

「うん、それじゃ……」

玄関で靴(くつ)を履きながら、羽雪は言った。

「行って来ます……」

気の無い挨拶をして、羽雪は家を出た。

いつも以上に遅い足取りで、羽雪は歩き出した。

いつも通りの通学路を歩いて行く。

すると、羽雪は校門に着いた。

開いている門を通って行くと、向こうに聳え建つ校舎を眺めた。

踏み締めるように歩いて行き、此処から数メートル先にある、昇降口を目指す。

羽雪は重い足取りで、歩を進めて行った。

そして、やっとの事で、玄関に着いた。

靴を履き換えると、再び歩き出した。

いつもなら長い廊下が、今日は短く感じる。

学校に来ると感じていた、緊張と憂鬱が、羽雪の踏み出す足を鈍らせていた。

だが、ゆっくりと確実に、羽雪は教室へと、近づいて行った。

教室が近づくにつれ、緊張が大きくなって行く。

教室の入り口手前で、羽雪は足を止めた。

そして、大きく深呼吸をした。

緊張しながら、恐る恐る、引き戸に手をかけた。

羽雪は思い切って、教室の中へと入った。

辺りを見回しながら、自分の席を目指した。

いつも通りの教室。

いつも通りの会話。

いつも通りの賑やかさ。

教室内で飛び交う会話を聴く度に、羽雪の緊張は、段々とほぐれて行った。

羽雪に関する噂は、すっかり息を潜めて(ひそめて)いた。

羽雪は、何食わぬ顔で自分の席に座り、荷物から必要な物を出し、机の中にしまった。

本日最初のチャイムが鳴り、登校時間終了の合図を知らせた。

引き戸が開いて、教師が出席簿を持って、中に入って来た。

LHRが終わって、教師が教室を出て行くと、生徒達は授業の準備に取りかかった。

そして、三時間目の授業が終わった後の事だった。

「二人共、ちょっといい?」

栞と朝雨が二人で喋っていると、巧がやって来て言った。

「たまには舞夜さんと、二人だけで、お弁当を食べようと思うんだけど、何処か知らない?」

そう二人に聞いた。

「んー、そう言われても……ねぇ、何処かいい場所ない?」

栞が朝雨に訊ねた。

「んー、そうだね……あ、中庭とかどうかな?あそこなら、滅多に人来ないし」

朝雨の意見を聞いて、栞が言った。

「成程(なるほど)、中庭かぁ、いいね、それ、で、どうするの?」

栞が巧に訊ねた。

「うん、そうするよ」

朝雨の意見に巧は従った。

「決まりだね」

「じゃ、頑張って」

二人が巧を応援した。

話し合いが終わると、丁度チャイムが鳴った。

合図があったように三人は散り、四時間目の授業を受ける態勢に入った。

チャイムが、四時間目の授業の終わりを告げ、昼休みになった。

巧が羽雪を誘いに来た。

「舞夜さん」

「巧君」

「お昼一緒に食べようよ」

「いいよ」

「何処で食べるか、もう決めてる?」

「まだだけど」

「どう?たまには中庭で食べない?」

「いいね」

「じゃあ、行こうか」

「うん」

巧と羽雪は弁当を持って、教室を出た。

二人は中庭に着いた。

そこには、芝生とレンガが半分ずつ、敷き詰められた庭が広がっていた。

巧は弁当箱と、ビニール袋を置くと、胡座(あぐら)をかいて、座った。

羽雪も足を伸ばして座り、膝の上に弁当箱を置いた。

「さーて、今日のおかずは何かなー?」

巧はそう言って、弁当箱の蓋に手をかけた。

「え、いつも自分で作ってるんじゃ、なかったっけ?」

少し驚いたように、羽雪が言った。

「俺だって、たまには母さんに作って貰うさ」

「ふーん」

納得したような返事を、羽雪はした。

巧はそう言って、弁当箱を開けた。

「お、エビフライだ」

「よかったじゃん」

羽雪が言った。

「うん、舞夜さんは?」

巧は羽雪に訊ねた。

「私のはねぇ」

と、弁当箱の蓋を取って、見せた。

「やった、唐揚げだ」

嬉しそうに、ガッツポーズをした。

「いいなぁ、唐揚げかぁ」

羨ましそうに巧が言った。

「ふふ、そっちのエビフライも美味しそうよ」

「そう?」

羽雪が頷いた。

「食べよっか」

「うん、せーので」

『いただきます』

二人は合唱をして唱えると、弁当を食べ始めた。

羽雪がふと、巧を見ると、時々こちらを見ながら、弁当を食べているのに、気がついた。

それで声をかけた。

「よかったら、あげようか」

「え、いいの!?」

嬉しそうに巧が言った。

「はい、どうぞ」

そう言うと、羽雪は箸をひっくり返して、唐揚げを摘み(つまみ)、巧の弁当箱に入れた。

「ありがとう」

巧も同様にして、羽雪におかずを渡した。

「はい、エビフライ」

「ありがとう」

おかずを交換し終えると二人は、再び弁当を食べ出した。

「ご馳走様っと」

先に食べ終えた巧は、弁当箱を片付けた。

ふと、何かに気づいたように、巧が言った。

「あ、舞夜さんのお弁当、唐揚げが一個残ってる」

「あ、これは……」

「もーらいっ」

巧は羽雪が話しているにも関わらず、唐揚げを箸で摘んで、口の中へと入れた。

「!!!」

羽雪は絶句した。

「そんな……」

空の弁当箱を見ながら、羽雪が言った。

「最後に食べようと思って、楽しみにとっておいてたのに」

羽雪はがっくりと項垂れた(うなだれた)。

「舞夜さん……?」

様子を窺うように、巧が声をかけた。

「たーくーみーくーん」

顔を上げた羽雪には、怒りの表情が出ていた。

「よーくーもー、こうしてやる、えいっ」 

仕返しに羽雪は、巧の首を絞めてやろうと、巧めがけて、飛びかかった。

「おーっとぉ」

が、巧はそれを避けた(よけた)。

「わー、逃っげろー」

わざとらしく、声を上げながら、巧は逃げた。

「待てー」

羽雪もわざとらしく声を上げ、巧を追いかけた。

巧は走って行った。

羽雪も後を追いかけた。

中庭を二人は駆け巡った。

巧は走った。

羽雪も走った。

同じ所を何回もぐるぐると、二人は走った。

でも、それもそのうちだけだった。

最初は面白がっていた二人だったが、走る事に疲れたらしく、やがて、走るのを止めた(やめた)。

二人は息を弾ませ、膝に手を置き、屈むと大きく息を吐き、呼吸を整えた。

二人は向かい合うように、倒れ込んだ。

そして、空を眺めた。

「樹里亜ちゃんは?」

「みんなに謝ってるよ」

二人は交互に喋った。

「良い(いい)天気ね」

「うん」

「気持ち良いね」

「そうだね」

二人の会話が止まった。

二人は暫く無言で、空を見つめた。

静かな時間が流れた。

絞り出すように、ようやく切り出したのは、巧だ。

「図書室に行く予定は?」

「昨日、新しい本を買ったから、無いの」

「ポッキーゲームでもする?」

その一言を聞いた瞬間、羽雪の瞳が輝いた。

「ポッキーゲーム……」

ポッキーゲームとは、向かい合って、ポッキーの両端を咥えて(くわえて)、齧り(かじり)ながら、一つのポッキーを食べ進めて行く、ゲームである。

先にポッキーを折った方が負け、かどうかは、分からない。

羽雪の周りにも、ポッキーゲームを楽しんでいるカップルが、数多くいた。

男友達どころか、人と関わる事すら、あまりしなかった羽雪は、カップルを見ては羨ましく思っていた。

憧れていたゲームの名前を聞いて、羽雪は自分の鼓動が聞こえるのが、分かった。

巧が訊ねた。

「知ってる?」

「聞いた事はある」

「やった事はある?」

「やった事は無いけど、興味はある」

「やろうと思って、買って来たけど、やってみる?」

「うん、やる」

「じゃあ、決まり」

食べ終えた弁当箱を、片付け終えると、巧は、コンビニのビニール袋を弄って(まさぐって)、ポッキーの菓子箱を取り出した。

よくコンビニやスーパーなどで見かける、お馴染み(おなじみ)の赤い箱を開け、パックを破り、ポッキーを一本、取り出した。

巧がポッキーの、クッキーの部分、羽雪がチョコレートの部分を咥えた。

ポッキーゲームがスタートした。

まずは巧から口を、動かし始めた。

すると、羽雪も口を動かした。

次々と一本のポッキーを食べ進める。

数分の間、カリカリという音が、二人の耳に聞こえていた。

二人は夢中で口を動かした。

ポッキーがどんどん短くなって行った。

二人の顔の距離が、数センチとなったその時、いきなりだった。

ポッキーが折れて、下に落ちた。

巧が強く、羽雪を抱き寄せた。

二人の顔が重なった。

ゴツン、という鈍い音が鳴った。

『痛(つ)〜〜〜』

二人の声が揃った。

力強く、抱き寄せ過ぎたせいで、勢い余った羽雪の頭と、巧の頭がぶつかったのだった。

「大丈夫?ごめんね」

「こちらこそ、ごめんなさい」

二人が謝り合っていた、その時だった。

「おーい」

声が聞こえた。

「おーい、お前らー」

二人が、声のする方に振り向くと、人影が走って来るのが、見えた。

遠目には分からなかったが、暫く見ていると、近づくに連れて、その正体は明らかになった。

声の主は裕也だった。

「おーい」

何やら叫びながら、こっちに来る。

足音が、声と共に近づいて来る。

そして、二人の前で止まった。

裕也は手を膝に置いて、屈み込んだ。

切れた息を整えながら、裕也は言った。

「丁度良かった、悪い、匿(かくま)ってくれ」

言うなり、裕也は羽雪の後ろに隠れた。

「どうしたんですか?」

羽雪が、状況を飲み込めず、ポカンとしていると、向こうから、声が聞こえた。

「先生ー、何処行ったのー?」

樹里亜がやって来た。

「あらあ、そんな所にいたのね」

樹里亜が、羽雪の前に近づいた。

「え?え?」

羽雪は戸惑った表情をした。

二人は、羽雪を挟んで、左右を行ったり来たりしている。

「ご自分で、なんとかして下さい」

そう言って、羽雪を引き寄せ、道を開けさせたのは、巧だった。

そのおかげで、二人の間に間(ま)が出来た。

「先生ー」

「うわっと」

樹里亜が、裕也に抱きつこうとした。

が、裕也は間一髪の所で、それを避けた。

「取り敢えず逃げるっ」

裕也は引き続き、走って逃げ出した。

「待ってー」

樹里亜も裕也を、追いかけて行った。

「どうしよう……」

羽雪が訊ねた。

樹里亜と裕也、二人のやりとりを見ながら、巧は冷静に答えた。

「放って置きなよ」

「でも」

「放って置いた方が良いって、止めようが無いし、時間が経てば元に戻るでしょ」

「それもそうね」

羽雪は納得するように言った。

巧は羽雪を誘うように、こう言った。

「じゃ、行こうか」

「あ、待って」

(もう、貴方にぞっこんです)

巧の元に、羽雪が慌てて、近寄る。

巧は我先にと言わんばかりに、歩を進めた。

胸の高鳴りを感じながら、羽雪は巧の後ろについて行く。

高音のチャイムが、昼休み終了の合図を告げる。

温かい日差しの中、教室までの道のりを、二人は歩いて行った。

ーーー恋(あなた)に落ちました。

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