24

「――私は、殺されるなら、レベッカのつもり、だったんだけど」


 マリアは、アンを見上げて言った。

 その声は弱々しく、耳をすまさないと風音で聞こえないほどだった。


「だって、レベッカなら、静かに、優しく、殺してくれそうじゃない? あなたは、言葉遣いからして、乱暴だもの」


 アンは帽子の縁を指でなぞってから、弾くように少しだけ上に持ち上げる。


「心外ね。一撃で終わらせてあげようとしたのに、あなたが避けるからよ? 四肢を吹き飛ばしたのはわざとじゃないわ」


 アンは唇を尖らせて、マリアを見下ろした。


「まあでも、確かに、レベッカのほうが人殺しには向いているものね」


 アンは笑って、暗殺者だし、と付け足して、マリアの眼前に杖を差し出した。


「あなたは美人だから、顔はそのままにしておいてあげるわ」


 その瞬間に、俺は魔剣をアンに向かって放り投げた。


「――何よ、そのへっぽこ」


 信じられない、というように俺を睨むと、それだけで俺は、剣と一緒に壁に叩きつけられる。

 全身の骨が軋み、肺が潰れそうになる。


 顔の横で、セント・エルモが青い火花を散らしているのが見え、髪の毛が焦げたのか、嫌な匂いがした。


 クソ、と悪態をつくこともできないが、目は見開いたままだ。

 ――何としても、作戦の成否だけは、見届けなければならなかった。


「その剣だけは、警戒していたのよ?」


 アンが悪魔のように笑った。


 しかし、次の瞬間には、その表情が曇る。


「うん?」


 視界の隅で、何かが動いたのが見えたようだ。


 アンは視線を下げると、マリアの首筋にナイフが刺さっているのを見た。


 彼女は目を見開き、次にパトリックを見て、状況を悟ったようだった。

 ――彼も、首筋にナイフが突き立っている。


 俺の視界の隅で、青い光が放たれた。


 レベッカの身体から発されたそれは、2回、点滅するように光った。


 マリアとパトリックにダメージを与えたのは、アンとレベッカの2人だったので、経験値は均等に分配されるはずだった。


 しかし、アンはすでに限界値の90レベルに達しており、これ以上レベルは上がらない――つまり、経験値は全てレベッカに入ることになる。


 青い光は、レベッカが2人を殺したことにより、2レベルアップしたことを意味していた。


「しまっ――」


 今度こそ、アンの瞳には後悔が浮かんでいた。


 ――彼女が最初に殺すべきは、レベッカだった。

 なぜなら、90レベル到達によるHPとMPの全回復を最速で成し遂げられるのは、レベッカと俺であり、そして、レベッカだけが即死スキルを持っていたからだ。


 俺の作戦は、2人を、レベッカの手で殺すことだった。


 ――アンが、トーマスやマーカスを殺したことで、1レベルアップが可能だったのなら、レベッカも同じはずだ。

 88レベルのアンが2レベルアップすれば、90レベルに達し、HPとMPは完全回復する。


 これにより、彼女のスキル『斬首』が発動できる。

 その効果は『自分のレベル以下の対象を即死させる』というものだ。


 アンは90レベルで、レベッカも90レベル。

 ――スキルの発動条件を満たしていた。


 アンの反応は、早かった。

 帽子が飛ぶのも構わずに振り向こうとし、同時に何かの魔術を発動して、空気を自分の周りに集めようとした。空気で壁を作り、攻撃を弾こうという魂胆だ。


 しかし、レベッカは、それよりも早かった。


「斬首」


 その言葉が俺の耳に届いたときには、すでにアンの首は飛んでいた。


 魔術で作り出されていた暴風はぴたりと止んだが、その余韻に残った空気の流れに乗って、首から吹き出した鮮血が部屋中の壁に飛び散った。


 ぐしゃり、と血まみれの床にくずおれたアンの胴体に、目が吸い込まれた。

 杖を握っていた右手にはナイフが刺さっており、それは、あの一瞬で、レベッカが魔術の発動を遅らせるために投擲したものだとわかった。


 むせ返るような血の匂いに、俺は口元を両手で覆い、吐き気を抑えようとテーブルの影にうずくまった。


「大丈夫?」


 レベッカの小さな手が背中に置かれたが、俺は反射的にそれを振り払った。


「――ごめん」


 謝るのがやっとで、そのあとは、吐き気の波をこらえるのに必死だった。


 ――いや、それは言い訳だ。


 俺は、血を流さないヒーローを望んでいたレベッカに、再び手を汚させてしまった。そのうえ、気遣ってくれた手を跳ね除けた。


 助けてもらったくせに。

 何もできなかったくせに。


 さらには、情けない自分の姿をこれ以上レベッカに見せることが嫌だった。

 だから、傷つくことがわかっていながら、彼女を遠ざけたのだ。


「ごめん」


 俺はもう一度謝った。

 胃の中身の代わりに、涙が床にシミを作った。

 心の中で、何度も何度も謝っていた。何度も頭を縦に振り、頭を下げた。


 ――俺は卑怯にも、殺人をレベッカに押し付けたのだ。


「いい」


 レベッカは、俺の肩にそっと手をおいた。


 勝手に振り払おうとする自分の手を、押さえつけた。


 死体になったパトリックの満足した顔。

 安らかなマリアの顔。

 そして、飛んでいくアンの頭――。

 そこに張り付いた惚けた表情が脳裏を掠め、首筋がチリチリした。


 今にも、レベッカに首をはねられるのではないかという恐怖があった。


 そんなことはしないはずだという理性と、レベッカに対する強烈な罪悪感が胸中に渦巻いて、吐き気を酷くしていた。


「気にしないで」


 レベッカの声は、平坦なものだった。


 ――俺に失望しただろう。

 助けた相手に手を払われるなど、どれほど心が傷ついただろう。


 それでも、彼女は感情を隠そうとし続けている。


「人殺しなんて、これまでもしてきた。何でもない」


 彼女は続けたが、俺の肩に置かれた手は震えていた。

 顔を上げると、無表情のまま、大きな瞳から涙を流すレベッカがいた。


「これで、本当の本当に、最後にする――約束するよ」


 俺は言ったが、何を言われたのか一瞬わからなかったようで、レベッカは目をぱちぱちさせた。


「君が、誰も殺さなくてもいいように――君の殺しが、これで最後になるようにする」


 ――そうあるべきだと思った。


 俺はこれ以上、こんなに優しい子に、人間も魔物も殺してほしくなかった。


 ――レベッカが全回復した以上、スキル『召喚』で飛ぶことができる魔物を使役して、魔王城から出ることは容易だ。

 ここから出たら、何をしたいか――食事の席で、みんなが話していたことを思い出す。


 あの時の俺は、生き残ることにしか興味がなかった。


 しかし、今は違う。


 やりたいことなど、決まっている。


 レベッカが、この魔王城から出た後、誰も殺さなくていいようにする。

 彼女を――ヒーローにする。


 それが、俺のやるべきことだ。


 涙に滲んだ視界の隅で、ステータス欄にあった自分の職業が、『真の勇者』から『探偵』へと変わるのが見えた。

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魔王城殺人事件 リウノコ @riunoko

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